京都SFフェスティバル2017レポート

大野万紀


 今年の京都SFフェスティバルは、10月7日(土)〜10月8日(日)に開催された。場所はいつもと同様に本会は京都教育文化センター、合宿は旅館さわや本店だ。
 今年の京フェスも雨模様だったが、10時過ぎに、会場の京都教育文化センターに着いた時には、もう止んでいた。会場に早川書房の編集者がいたので、カズオ・イシグロのノーベル賞騒ぎで大変なのに、今日来ていていいんですか、と聞いたら、部署が違うので大丈夫とのことだった。
 以下は、記憶に頼って書いています。もし間違いや勘違い、不都合な点があれば、訂正しますので連絡してくださいね。

 1コマ目は若島正さんの司会で、酒井昭伸さん、宮脇孝雄さんの「本当は怖いジーン・ウルフ」
 まずは『書架の探偵』について三人が語る。ジーン・ウルフの中で一番読みやすく、とっつきやすいという。ミステリとしては矛盾があるのだが、そのままに読むのがいいとのこと。訳者の酒井さんは、校正でもさんざん指摘があったが、原文のまま翻訳したのだそうだ。とはいえ、一部は訳者が補足したところもあるとのこと。宮脇さんによれば、ウルフのファンであるニール・ゲーマンが、ウルフの本は「すべて信じろ」と書いているのだそうだ。あんまり深読みしようと悩まない方がいいのかも知れない。
 若島さんがいうには、ウルフは難しいといわれるが、英語が難しいわけではなく、難しさは別の所にある。宮脇さんは、ウルフの英語はつかみどころがなく、発想がわからない。酒井さんも、面白いんだけど不可解。何でそんなことをしているの?となるという。例えば、ジョン・クルートも指摘しているが、この主人公(スミス)はちょっと異常で、夜行バスの中でいきなり暴力をふるい、その後は何事も無かったかのように話が進む。リクローンされた時にバグが入り込んだのではないかと思うとのこと。またスミスは同じ表現を何度も繰り返す。「うなずいた」とか「首をふった」とかいう表現が百何十回以上も出てくるのだそうだ。
 他の作品、未訳作品でのお勧めはという問いに、宮脇さんは、ウルフには女性だけの世界を描く話が多く、短篇で、In Looking-Glass Castleという話は、フェミニストが男を追放し、子どもが欲しければクローンする世界。そこになぜか男が一人いて、女性主人公の引っ越した家に潜んでいる。表面的には静かな話だが、深読みすると色々と出てきて「鏡の国のアリス」からの引用も多い。There Are Doors という、セックスすると男が死んでしまう世界の話もある。若島さんのお勧めは、There Are Doors 。ファンタジーだけど面白い。ひたすらウルフのおしゃべりが聞けて『ピース』に近い作品だ。断片がいくつも語られて、ウルフの持ち味がある。また短篇、From the Cradle は電車の中で読んで、面白くて電車を降りても歩きながら読んだ。本についての話だが、一番好きな作品だとのことだった。
 その他、会場からウルフとチェスタトンの関連について質問があり、宮脇さんが、彼は一冊ミステリを書いており、それはナンシー・ドルー調の、少女向けミステリのパロディなのだが、いかにもチェスタトンのような小説だと話す。ウルフもチェスタトンもカトリックで、生き方についての同じような宗教性があるとのこと。「全部信じろ、聖書のように」と。

 午後からの2コマ目は「あたらしいアニメの作り方――3DCGと製作、市場」というタイトルで、東映アニメーションの野口光一さんの話を、アニメ評論家の数土直志さんが聞くというもの。
 デジタルアニメの分類について、デジタルアニメ――2D、3Dと図が表示されている。フォトリアルCG、セルルックCG(トゥーンシェードCG)、もう一つ、昔のジャパニメーション的なものとして、アニメCGという言葉を使いたいとのこと。
 またCGではないデジタルアニメもあり、アニメーターがコンピュータで手書きしたデジタル作画のアニメをいう。フォトリアルはピクサー的なものとゲーム的(FFとか)なものがある。昔は絵画的なものもフォトリアルといっていた。昔、モーションキャプチャーはアニメじゃないといわれたが、今はそうでもないとのこと。詳しい人には常識なのかも知れないが、ぼくには耳新しかった。
 デジタルアニメの転換点について。過去にもあったが、2016、17年の今が、まさに新たな転換点じゃないのか、と数土さん。野口さんは、2000年には(FFなど)、すでに技術的には今と同じような表現ができるようになった。それが2014年の「ラプンツェル」と「どらえもん」で、観客が見慣れてきたこともあり、不気味の谷を越えたといえるのだそうだ。
 技術的にはパイプラインが整備されて、各工程が並行作業できるようになったこと、バンクシステムにコンテンツ・パーツが蓄積されて流用ができるようになったことが大きい。CGは表情が弱いのだが、当時はレンダリングした後に手書きで書き足していた。そのため2Dのベテランが入って来て、その技術が3Dにも取り込まれるようになったということもある。
 CGアニメの今後について。作画アニメからあふれたものがCGアニメへと流れてくる。CGの人は計画的に仕事を進めることが多い。そうしないとできないからだが、就業管理がきちんとできる。対して作画の人は、ぎりぎりまで遅らせる。最後の最後まで手を入れることができるからだ。作り方が違うのだ。労働条件が変わり、時短が厳しくなって、土日はスタジオのシャッターが閉まってしまう。労基法でスタジオでの時間外が難しくなると、今後はCGアニメが中心になっていく。今後、映画は作画アニメで、TVアニメは量産できるCGアニメでとなっていくだろう。また背景までCGで作り込まなくていいセルルックの方が増えていくだろうとのこと。
 「楽園追放」について、野口さんの話。2009年から企画していたが、2014年になって、失敗してもいいからCGアニメーションでやろうということになった。水島さんが、虚淵さんのハードSFをセルルックで見やすくしようと考え、当時NHKへ出向して「坂の上の雲」のCG(VFX)を作っていた野口さんが企画・プロデューサーをすることになった。野口さんにとって初めてのアニメの企画で、思う存分好きにやったとのこと。「マドマギ」をやる前の虚淵さんと話をして進めたそうだ。
 「正解するカド」について。初めてTVシリーズでフルCGをやった。2017年で、「サンジゲン」「ポリゴン」といった製作会社も含め、量産できる体制が整っていた。お祭りのシーンは作画だが、およそ七割がCGで、表情もCGで作れた。
 今気になっているアニメは、オレンジの「宝石の国」と、グラフィカの「十二大戦」。「宝石の国」は特に気になっていて、また東宝に負けるかもと思っている。
 ツールに引っぱられることはないのかという質問に、2、3年前まではスタジオ環境への依存があったが、最近はソフトへの依存性がなくなってきている。ライブラリー化されており、ソフトは気にしない。表情が重要。板野サーカスのような2D技術を習得していく。最重要なのは絵コンテだといった話があった。

 3コマ目は「スタニスワフ・レムを読み直す」沼野充義さんと若島正さんによる対談。国書刊行会のスタニスワフ・レム・コレクションが完結したこともあり、沼野さんの撮影したレムの写真をスクリーンに映しながらの対談となった。
 レム・コレクションの話から。4つ折りパンフにはレムの言葉が入っているが、口の悪いレムが日本人のお世辞をいっている。レムは映画化されたソラリスを見ていないくせに、長い批判文を書いているが、そういうのは天才だけに許されることだ。
 『ソラリス』は沼野さんのポーランド語からの新訳だが、単行本と文庫は著作権が別契約なので、ハヤカワ文庫と両方出せる。以前の訳は原文に忠実とはいえない。
 『天の声/枯草熱』。枯草熱とは花粉症のこと。旧版の出し直しである。ロシア語から訳された作品で、過去のレムの作品はほとんどロシア語からの翻訳である。飯田さんの『ソラリス』もロシア語からの翻訳だった。深見弾さんは、レムを訳すためにポーランド語を勉強された。
 『高い城/文学エッセイ』は新訳で出した。これは沼野さんが選んだアンソロジーである。レムが生まれたのは現ウクライナのリボフ。国境地帯で、ユダヤ人が多い(レムもユダヤ系だ)。そこにレムが子どもの頃遊んだ「高い城」と呼ばれる旧跡があったのだ。
 若島さんは、レムは英訳で読んでいた。『ロリータ』論を初めて読み、とても面白かったという。沼野さんによれば、レムは英語がよく読めるし、ドイツ語やロシア語にも堪能である。若島さんは、ウエルズの『宇宙戦争』論が一番面白かったそうだ。レムはウエルズの継承者だといえる。人間よりも人類を書く作家なのだ。レムはリアリズムの立場で論ずる。レムは戦争や絶滅ということに、言葉だけではないリアリズムを持っている。
 レムの息子――アメリカへ留学して物理学者になっている――が数年前にレムの伝記を書いている。面白かったのは、彼がアメリカからレムに手紙を書いても全く返事がないので、そのことを母に言うと、あなたのことより宇宙の運命の方が重大なのよ、と答えたそうだ。
 レムは車が大好きで、息子の運転する車に乗っていたときのエピソード。雪道で前にトラックがいて追い越せない。レムはいらいらして、何で追い抜かないんだという。息子が対向車が来たら危険だからと答えると、対向車なんか来るわけないといった。そういえばバラードもまたカー・マニアだった。
 「メタファンタジア」は『SFと未来学』からの収録。徹底したアメリカSF批判だ。サンリオで山野浩一さんがレムの版権をどんどん取りまくり、若い沼野さんにこれを訳せと渡されたものだ。結局沼野さんは一行も訳さず、これは巽さんが英訳から訳したもの。
 『大失敗』は、同時期(1987)の『地には平和を』(未訳)と同様に、陰鬱で破滅的な話だ。レムは1987年に断筆宣言した。「30冊以上書いたので、もう十分だ」「『完全なる真空』や『虚数』にネタをたっぷり入れたのでもう書かなくてもいい」という理由で。
 『短篇ベスト10』。既訳を中心に集めた。レムの短篇は長篇とはまた別の味わいがあって人気が高い。原書は読者投票で15編が選ばれ、ただし編者がそれを勝手に入れ替えたりしている。レム・コレでは『虚数』などで重複する5編を外して10編とした。
 『主の変容病院・挑発』。初期の非SFである。「変容」とは宗教的なニュアンスのある言葉で、リアリズムとは言い切れない。「挑発」はメタフィクション系の残りもので、ホロコーストに関わっている。レムの作品には、宇宙をテーマにした作品でもホロコーストの影がある、という評論が最近出ているそうだ。
 若島さんは、『完全な真空』あたりは、超虚構性というかフィクション性が高いが、「逆さまの進化」あたりになると、ずっとリアリズムになると指摘する。沼野さんは、レムの若い頃は社会主義リアリズムしかなく『マゼラン星雲』はまさにそうだが、レムはその翻訳を禁止している。反スターリン主義から、相対主義的なもの、SFへと向かい、『ソラリス』『砂漠の惑星』『エデン』が書かれた。60年代がそのピークで、70年代以降は、メタフィクションへ向かう。それも始めはお茶目な感じだったが、次第に深刻なものになった。
 未訳作品などの紹介。レムはすでにかなりの作品が訳されているが、長編『地には平和を』が未訳である。ユーモラスな短篇連作もポーランド語から訳し直すのがよい。ことば遊びなど、ロシア語からの訳だと変わってしまう。『砂漠の惑星』もポーランド語から新訳にするのがよい。評論系も少しずつ紹介されるべきだ。初期の短篇に「火星から来た男」というのがあり、素朴ではあるがレムらしくていい。レムの詩も紹介したいのだが、本人からは恥ずかしいので止めて欲しいといわれたそうだ。対談やインタビュー集もある。ぶ厚いがとても面白いのだそうだ。
 会場から大野典宏さんが、深見さんから蔵書を引き継ぎ、『浴槽から発見された手記』などをポーランド語から訳し直しているとの発言があった。企画が終わってから、ぼくも沼野さんに質問。インタビューなども読んでみたいのだが英訳版はあるかと聞いたのだが、評論系は英訳はほとんど出ておらず、インタビュー集もドイツ語版ならあるが、とのことだった。残念。

 最後の本会企画は、大森望さんの司会で、早川の塩澤さん、河出の伊藤さんによる「"Project itoh"を振り返る」というパネル。
 塩澤さんは「〈伊藤計劃以後〉は終わった」と宣言。これは「伊藤計劃以後」は終わってもいいか、と大森さんに許可をとった上での発言だそうだ。
 また、Jコレクションは自然消滅したとも。飛浩隆さんの『零號琴』は出せるときが来たらそのとき考える。伊藤計劃トリビュート3とか、意表をつく形で。あの飛さんの連載はすごいことになって、今大変なことになっているのだそうだ。
 伊藤:飛さんが『自生の夢』を書いたのは円城塔の『屍者の帝国』を応援してだといっていた。これもまた伊藤計劃トリビュートだ。文中に頭文字がITOとなるものも出てくる。
 大森:ひとり『屍者の帝国』だね。Project itoと言い出したのは?
 伊藤:本人がそういっていたのだけど、それを「計画」とし、「Project goes on」と言い出したのは、早川のツイッターだ。
 大森:本人は、あれはジャッキー・チェンの「プロジェクトA」のギャグであり、自虐的オタクネタだったといっていた。
 塩澤:本人が学生時代から使っているペンネームで、アフタヌーンの四季賞に応募したときもその名前。それをプロモートしたのは、もと早川の編集者で、今はドワンゴでニコニコ動画をやっている人だ。
 ここでノーベル賞騒ぎの話。カズオ・イシグロで増刷20万部は少なすぎる、と大森さん。伊藤さんは、河出なら、たとえ返品のリスクがあっても、どっと増刷するよ。塩澤さんも、土日は基本出社禁止なのに、今回は特別に出勤OKとなったという。
 塩澤:その副社長肝いりのエピ文庫(カズオ・イシグロを集中的に収録している)で、『ハーモニー』に出てきた本を文庫で出した。『1984』『すばらしい新世界』などだ。自分は伊藤計劃関連本のつもりだった。そしたらトランプが大統領になった。『わたしを離さないで』と『ハーモニー』は同じくらい部数が出ていた。ということで伊藤計劃とカズオ・イシグロもつながっているのだ。
 大森:Project goes onとなったのは、『屍者の帝国』で第三者が関わることになったからなのではないか。
 伊藤:2012年に円城塔と伊藤計劃の見舞に行ったとき、もし万一の時は円城塔が引き受けるという話をしたそうで、自分が芥川賞を取ったら『屍者の帝国』を書いていることを発表してもいいかと、伊藤さんの家族に聞いてほしいという話があった。
 大森:あれは『屍者』を書くために芥川賞を取りに行ったんだと思う。まさにゾーンに入っていた。
 伊藤:ワトソンとフライデーが円城塔と伊藤計劃を思わせるようなエピローグをつけ加えたのだが、アニメはそこをピックアップした。感覚的には原作と同じになった。映画化されてからの原作の売れ行きも、跳ね上がり方が大きかった。
 塩澤:ノイタミナの会議に出ていたが、雰囲気が恐ろしい。『虐殺器官』はまだ完成はしていないが、『君の名は。』がハリウッドで実写化される、という話よりは進んでいる。プロジェクトは続く……。
 今後の計画について。
 伊藤:ノヴァ・コレクションはもう終わっている。単行本で出す方がいい。
 塩澤:Jコレはやめる。日本SFノベルズにしようとしたら、社内で反対されて単行本になった。コンテスト出身作家が今年2作出る。若い人が出てきている。ゲンゲンは年明けには短篇集を出す。
 伊藤:ノヴァはまだ1冊くらいは出す。
 大森:伊藤計劃以後は終わっても、プロジェクトITOは続く……。
 とまあ、そんな感じのパネルだった。

 夕食はいつもの十両ではなく、みんなについて行った中華料理屋で。編集者、翻訳家中心のメンバーで、ここへは書けないような裏話がいっぱいだった。

 さわやへ。大広間でのオープニング。いつものように小浜さんが参加者紹介したが、これももう引退しようかと思っているとのこと。京フェスOBがいっぱいいるので、そっちに譲るという。それから、合宿企画へ。

野アまどの正解 マグナス・リドルフ登場のオール・ザット・ヴァンス

 合宿企画で、最初に行ったのは「ジーン・ウルフ演習」
 京大では、〈新しい太陽の書〉4部作を全部(原書で)読めという若島先生のゼミがあり、その学生さんたち(特にSFファンというわけではない)が主宰しての企画だ。
 理学部の武部くんは、『新しい太陽の書』の翻訳について発表。誤訳を指摘してけなす意図ではなく、誤訳もまた読者にとっては実在するものだという観点から見るのだという。ウルフは科学的な面もかなりしっかり書いていて、六角形の部屋の相対論なんかも面白いそうだ。
 英文学科修士の松浦くんは、SFはあまり読んだことがないそうだが、レキシコンでウルフに出てくる固有名詞を調べてみたという。Hypogeonは地下を意味する。ボルヘスの引用やヴァンスの〈暮れゆく地球の物語(ダイイング・アース)〉からの引用もある。アバーンは毒を武器に戦うが、これはクラウディウスの故事を思わせる。カフカの流刑地に出てくる拷問具や、シュルツのクレプシトラ・サナトリウムのようなひねった引用もあるとのこと。大変面白い。
 トールキンやC・S・ルイスの研究をしている松本さんは、J・W・ダンの An Experiment with Time が面白いという。ウルフの時間論に関係があるのではといい、ボルヘスにも言及されているという。ウルフを読むにはOEDが必須だそうだ。ぼくは後で若島さんに、ダンの時間論はベイリーの『時間衝突』の元ネタにもなっているといった話をした。

 そのまま同じ部屋で、「野アまどの正解」。SFファン交流会の企画で、らっぱ亭さんやファン交の平林さんが野アまどの作品について語る。
 「正解するカド」には、「窓み」を感じる。盛り上げてきて、すとんと台無しにする。花森がひどい目にあうところなど。「シン・ゴジラ」的なポリティカル・フィクション的に始まり、結局マドになる。ラファティ的というよりスラデック的だ、と林さん。周りだけを語って、すごいと思わせる。天才と凡人がテーマ。
 『アムリタ』では天才はラスボスで、最後に出てきてぶち壊す。また天才はボケ役でもある。正しいもの、正解はあるが、その説明はない。芸術=感動=人の脳をハックすること、という。わけがわからないが、見た者は感動して泣くという映画。それは脳のツボを突いているのだ。「カド」でも、図を見るだけで高次の知覚を得られるというシーンがある。
 『舞面真面とお面の女』は旧家の秘密を探るミステリで、その正体が『2』に出てくる。この作品以外は野アまどの作品の舞台は共通で、井の頭線沿線だ。
 『死なない生徒殺人事件』もミステリ。次々に記憶が引き継がれていくという謎が出てくるが、あっと驚く脱力でアナログなオチ。さらに2段目のオチもあるが、それは『2』へとつながる。
 『小説家の作り方』はまともなSFで、AIと人との関係を描く。
 『パーフェクトフレンド』は小学生の友情もので、いい話だ。大天才と友達になるのだが、最後に彼女の正体がわかる。
 『2』はこれまでの作品から続いている。とんでもない映画を作るという話で、突然にリアリティレベルを突き破っていく。究極の創作とは何かというテーマだ。
 これら6作を書きながら、作者はひたすら小ネタを描き続ける『野アまど劇場』を書きためていた。そして結論「『正解するカド』はいいものだ」

 3つ目はまた同じ部屋で(もう動くのがしんどい)、橋本輝幸アニキの「新しいSFの部屋」
 まずはヒューゴー賞の初出媒体を調べた結果から。2000年代は、Asimovs、Analog、F&SFが8、9割を占めていたが2010年代には激減し、ここ2年はゼロになってしまった。2005年ごろから増えた無料のオンライン雑誌が台頭し、今は2008年からのTor.comが、今年のヒューゴー短篇・中篇候補の55%を占めるようになっている。ジーン・ウルフもテッド・チャンもTorから出ている。もともと三大雑誌以外では一番成績がよかった。次が2006年からのクラークス・ワールド。また2000年からのストレンジ・ホライズンズといったところ。クラークス・ワールドはダイバーシティを重視し、中国SFも目立つ。他にアンキャニー・マガジン(2014〜)や、今はなくなってしまったがサブテラニアンといったところ。オンライン雑誌ではないが、ルーディ・ラッカーの個人ページにも小説が寄稿されていて、人気がある。もっとも広告費だけでいけるほどビューの取れる雑誌は少ない。読んでみようと思うなら、ライトスピード(2010〜)がお勧め。ジャンルが明示されていて入りやすい。
 アメリカは作家組合が力を持っているので、掲載料はきちんと出る。40枚ほどで200ドルくらい。そもそも短篇作家は専業では食えない。中短篇についていえば、SF傑作選がたくさん出ている。アンソロジストとしては、ジョナサン・ストラーン、ガードナー・ドゾア、今強いのはジョン・ジョセフ・アダムズ。ジョナサン・ストラーンはオーストラリアの人で、個人でもPodcastのメディアを持っている。ジョナサン・ストラーンのPodcastは最新の話題に強い。コリン・ドクトロウの「ボインボイン」は科学ニュースが多いが、SFの話題も多い。
 アメリカでは『火星の人』のように、自分をプロモートする能力のある作家が自費出版から出てくるが、日本ではどうか。カクヨムの『ザ・ビデオゲーム・オブ・ノーネーム』や『横浜駅SF』のようなネット出身の作家、円城塔や藤野可織のような文芸雑誌出身の作家、SF出版社の新人賞から出てきた作家たちがいる。でも日本はまず媒体が少ない。ファンジン的なウェブジンは「アニマソラリス」や日本SF作家クラブのページくらいだ。有料ではあるが『食べるのが遅い』もそこに入るかも知れない。
 質問に答えて、「SciFi」という言葉は現在ではマイナスイメージは減っている。文章で書かれたものには「SF」という表記が多いが、ただの略称だという認識だ。最近は「SiFi」と書くことも多いとのこと。

 最後に「オール・ザット・ヴァンス」。酒井さんが付け髭をつけ帽子をかぶって、マグナス・リドルフとして登場。スクリーンに画像を表示しながら話をする。
 国書刊行会のジャック・ヴァンス・トレジャリーは、Jack Vance Trasuaryからとった。原書にはフィンレイのイラストがあるが、こんなものは出てこない。表紙は編集の樽本さんが、「それ街」の突っ込みじいさんがいいんじゃないかといって、石黒さんに話をしたらOKが出たものだ。
 昔のヴァンスのペーパーバックをスクリーンに表示しながら、マグナス・リドルフが部屋の後ろにいたぼくや水鏡子に、これは持っているでしょうなどと聞いてくる。見たことがある気もするが、全然思い出せない。水鏡子は、ヴァンスの担当は米村だったからといってごまかす。「あなたたち、ヴァンスは嫌いなのですねー」とリドルフに言われてしまった。
 ヴァンス自伝の紹介。バートラム・チャンドラーと仲がよかった。ヴァンスとアンダースンとハーバートは仲良しトリオ。いつもつるんで遊んでいた。ヴァンスのお祖父さんは大金持ちだったが、大恐慌で一家離散し、マグナスと同じような生活をしていた。あれは日記のようなものだという。母がピアノの名手で、ジャズアーティストが家に来ていた。7歳でウィアードテールズを読む。17から18歳のころは天才少年だった。ジーン・ウルフより科学についてはちゃんとしている。UCLAに入学し、ジャズにはまり、バイクを買う。19歳ではウッドストックにはまる。21歳でカリフォルニア大学バークリー校の物理に入ったが、すぐに英文学に変わり、新聞部が好きで入り浸って、ジャーナリストになる。パールハーバーが起こる前のホノルルへ行き、サンフランシスコへ戻る。第二次大戦中は船員をしていた。92年のマジコンにゲスト・オブ・オナーで参加しているが、その経歴はまるで自身の小説のようだ。
 それから「竜を駆る種族」の浅倉さんの訳語について、一覧表を示していかにすごいかの解説。青面夜叉は鞍馬天狗から来たのではという。
 ヴァンスの話の後、酒井さんの今後の予定と、そしてガルパンについて。ジョージ・R・R・マーティンとウォルター・ジョン・ウィリアムズはやりたい。ヴァンスを次にやるとしたらDurdane三部作をやりたい。オチがすごいのだ。典型的なヴァンスオチだ。今度のSFM2月号でガルパン特集というか、戦車SF特集をやる。ハマーズ・スラマーを訳す。オールドワンというサイバー・タンクのシリーズがあり、訳すかどうかは中村融さんしだい。スペースオペラではないタイプのミリタリーSFはほとんど訳されていない。ジーン・ウルフが絶賛のデヴィッド・ドレイクもいい。

 眠くなって解散。そのまま同じ部屋にふとんを引いて寝る。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを堪能しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。 

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