京都SFフェスティバル2008レポート

大野万紀


 今年の京フェスは10月11日と12日。いつもの京都教育文化センターで本会(またも「ヒカルの碁」囲碁教室と同時開催だ)、さわや旅館で合宿のパターン。

 11日の土曜日は朝から雨の予報だったが、幸いなことに降らなかった。受付を済ませて会場に入ると、狭い会場にほぼ満席で、一番前の席が空いていたのでそこへ陣取る。司会の渡辺くんが「1限目」と紹介する最初の企画は眉村卓インタビュー。インタビュアーは岡本俊弥だ。またいつものように大部のパワーポイントを作ってきて、WILLCOM D4で表示している。WILLCOM D4って、確かに小さくて便利だね。パワーポイントも使えるし。
 インタビューはデビューのころから最近までの眉村さんの年譜を追っていくのだが、眉村さんってほんと話がうまいですね。就職難だったサラリーマン時代、筒井さんのNULLスタジオ、貧乏だった小松さんとの出会い、関西SFの集い、SFマガジンのSFコンテスト、宇宙塵の同人だったため、SFマガジンの福島正実編集長には嫌われたこと、『なぞの転校生』のようなジュヴナイルでは、自分の学校や近所の学校をモデルに日常的なリアリティを追求したとのこと。それからMBSの深夜放送チャチャヤングのパーソナリティの時代。
 インタビュアーの岡本俊弥はもちろんチャチャヤング・ショートショートの常連だった(ペンネームは寺方民倶――テラフォーミング)わけだが、ぼくもチャチャヤングはよく聞いていた。あのころの高校生って本当にいつ寝ていたのだろう。記憶にないが、やっぱり授業中に寝ていたのかな。後で喜多哲士さんに聞いてみたが、今の高校生にはさすがに深夜放送を聞く習慣はないそうだ。
 それから司政官の時代、大長編時代、大阪芸大教授、そして今は制約がなくなり、何でも好きなように書けるようになったとのこと。最後は駆け足になったが、眉村さんのとても面白い話が聞けた。本当に、74歳とは思えない若々しさには圧倒されました。

 昼食をはさんで、2時限目は、「新・生命とは何か?」瀬名秀明さん、円城塔さん、八代嘉美さんによる、これもパワポを使っての、自由なディスカッション。円城さんの、生命とは「生命状態」ともいうべき状態、高次元の何らかの構造があるに違いないという沢田康次東北工業大学教授の言葉が印象的だった。他に、生命と生物は異なる、生命とは対象が定義できない、などの興味深い発言も。瀬名さんは、「生き物という書物を読む楽しみ」というシャルガフの言葉を引いて、生命−物語に「面白み」を見いだそうとする。さらに「生命とは情報伝達の不整合ではないか」という円城さん。シュレディンガーは物質と生命の中間項にエネルギーやエントロピーを置いた。この中間項に色々な最先端の概念を導入するのが「面白み」というものではないか、と。情報や知能には定義があるが、コミュニケーション、そして生命にはきちんとした定義がないのだ。
 ここでロボットの話題から「不気味の谷」の話になり、不気味なのはそこに「自分」が含まれるからではないか、と瀬名さん。人工物や自然界に「生命っぽさ」を感じるのはどこからなのか、「生命状態」をどこから読み取るか、といった、まとまらないが、きわめて刺激的で面白い言葉が飛び交っていた。
 ぼくも「生命状態」という言葉は面白いと思った。その昔、物質・エネルギー・情報の統合という(もはや古くさいのかも知れないが)議論があったことを思い出す。今日の三人の議論で物足りなかったのは、生命を「読む」とか、ロボットの生命っぽさとかいう話が出たのに、バーチャルリアリティの中の生命という話題に行かなかったことだ。飛さんだったか、小林さんだったか、いや瀬名さん自身の小説の中でも、物語の中の登場人物は読者の頭の処理系の中で「生命っぽさ」を獲得し、そこで実際に生きているのだという視点があったと思う。コンピュータの中に生命を見るのと同様、それもまた生命状態にあるといえるのでは。

 3コマ目は、大森望さん、小浜徹也さん、日下三蔵さんの「年刊日本SF傑作選を編む」で、これは実際に年末に創元から刊行されることになった、日本SFの年刊傑作選の話。傑作選自体のタイトルは未定で、合宿で決めようということになっていた(結局決まらなかったようだが)。
 収録作品もほぼ決定していて、ジュディス・メリルの年刊SF傑作選をモデルに、境界作品もいろいろと収録するという方針。ただ、近年はシリーズ物が多くて、単発の短篇というものがきわめて少ないという問題があったそうだ。大森さんと日下さんが分担して雑誌や短編集を読み、収録作の候補を決めていくのだが、どうやら大森さんの「わがまま」がかなり通ったようすです(お互いに意見の違う時は、バーター取引したりしたそうな)。候補作一覧もあったが(一応WEBでの公開は遠慮してほしいとのこと)、納得できる内容だと思うし、SFアンソロジーには異色な境界作品も(まあ、メリルがモデルだから)、確かに読んでみたいと思う面白そうな内容だった。
 パネルは途中から小浜さんも加わって編集会議の様相を呈していたが、「SFアンソロジーは文庫じゃないとダメだ」とか、「マンガやエッセイも入っていないと年刊SF傑作選らしくない」とか、まあいつもの大森節だといえばそうなんだけれど、そういうこだわりがいっぱいで、なかなか面白い作品集になりそうだ。

 4限目は柳下毅一郎さん、国書刊行会の樽本周馬さん、そして牧眞司さんによる「ディッシュ追悼」パネル。
 『アジアの岸辺』の話題からはじまって、各自のディッシュ論や好きな作品、印象的なエピソードなどが語られる。ディッシュは知的だがそんなに難解な作家ではないとか、「リスの檻」はとてもわかりやすい話だからニューウェーヴ反対派に目の敵にされたとか、傑作『歌の翼に』は、今読み返すとはっきりとゲイ小説だとわかるとか、興味深い内容だった。なお『歌の翼に』は国書刊行会で復刊予定なのだそうだ。
 それからディッシュといえばLDGへの辛辣な批判などがぼくには記憶に残るところだが、彼のSF批判、特にジャンルSFとファンダムへの身も蓋もない批判は、痛いけれど重要なものだろう。『解放されたSF』(ピーター・ニコルズ編・東京創元社)に収録された「SFの気恥ずかしさ」で、彼は根っからのSFファンである自分自身を含めたSF界が、文学の世界ではどうしようもなく田舎者であるという気恥ずかしさを語っている。彼はその後も一貫してジャンルSF批判を続け、SFの想像力は結局のところ願望充足を越えられないとか、SFファンの(例えばクラークの「太陽系最後の日」やハインライン作品に見られる)無邪気な全能感を嫌っているとか、そういう話が紹介される。でもそういう辛口の視点で小言をいってくれるおじさんも必要だねと、牧眞司さん。
 各パネラーが挙げた、自分の好きなディッシュの作品は、牧さんは「降りる」や『ビジネスマン』、柳下さんは『歌の翼に』、樽本さんは『歌の翼に』、『M・D』、「ジョシーとエレベータ」など。けれども、実はディッシュの本当の代表作といえるのは『いさましいちびのトースター』ではないだろうか。そっちの話がちっとも出なかったのは何故なんだろう。

 夕食は大森さんがいつもの十両で20人分の宴会を予約してくれたのでそっちへ合流。十両の二階に宴会のできる大きな広間があるのだった。知らなかった。2700円でたっぷりのお造りとハモ鍋。大変おいしゅうございました。

「年刊日本SF傑作選」の部屋 正しい書庫のつくりかた 野田昌宏さんを偲ぶ部屋

 合宿企画は、まずは昼の部の続きの「年刊日本SF傑作選」の部屋へ。ウォルハイム&カーをイメージし、大森さんがカーで日下さんがウォルハイムの位置づけのつもりだったが、いつのまにか大森さんはメリルになってしまったのだ。
 その後は大広間で水鏡子の書庫話を三村美衣さんと聞き、それを次の企画部屋でまた同じように話す「正しい書庫のつくりかた」。1時間もつだろうかと思ったら、熱心な参加者が多くて、話し足りないくらいだった。SFファンは業が深いね、という結論かな。その時くばられた水鏡子手作りの書庫の設計図を下記に収録しておきます。
 そのまま小浜さん、日下さんの「野田昌宏さんを偲ぶ部屋」。ぼくがその昔安田均さんやKSFAの仲間といっしょに野田さんの家をお邪魔した話も含め、野田さんの妹さんが実は野田さんと同じ気質の大変面白い人だったという話とか、色々な野田さんにまつわるエピソードが聞けて、とても面白かった。
 野田さんの話が終わって、そのまま同じ部屋に残っていた小浜さんが、1965年ごろの青少年ファンダムの話を振ったことから、時代の大状況に対してSFが(SFファンが)どうコミットしていくかというような話題に発展。水鏡子がいつものように昔話をはじめ、それがいつの間にか大状況−物語の中でのシステムの立ち上がり−それと日常的・現実世界との回路−セカイ系といった話題になって、いつしか日下三蔵さんと水鏡子の山田風太郎をめぐる論争へ。
 水鏡子の、明治もの以後の風太郎は体制迎合的になったみたいな言い方に日下さんが反論したものだが、明らかに水鏡子のその場での言い方は感覚的で、論理的ではない(本人もそれは認めていた)。各作品の固有の文脈を無視した、読み手の気分的で恣意的なものだから。
 まあ水鏡子の気分としては、ライトノベルが面白くてずっと読み続けてきたのだけれど、どうもそこには現実世界への回路がすっぽりと抜け落ちているのが気に入らない、といったところから発生しているようだった。とはいえ、ぼくは眠くなって寝てしまったので、その後どういう結末を迎えたのかは知らない。何でも今度はミステリの話になって、そのまま立ち消えたとのこと。
 朝は9時前に起き、大広間でクロージング。ぼくは水鏡子や岡本俊弥、それに京大の古手とからふねやへ。いつも思うけど、本当に京フェスの後のからふねやは店員が大変だねえ。パニック状態だ。ここでも水鏡子は喜多哲士さんや冬樹蛉さんを相手に、書庫の話やパチンコの話、そしてエロゲーの話。かなり疲れたので、三条で分かれてさっさと帰る。
 今年もいつもながらの楽しい京フェスを満喫しました。実行委員長の渡辺くんをはじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。来年もよろしくね。

これが水鏡子の書庫だ(クリックで拡大)

 

*一部敬称略

THATTAのこれまでの京フェスレポート

京都SFフェスティバル2007レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(ティプトリー再考) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2006レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェス2006篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2005(合宿)レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル2005篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2004レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル2004篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2003レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(Kyofes2003篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2002レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェスから交流会まで篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2001レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京フェス2001篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル2000レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(Kyo-Fes篇) (岡本俊弥)
京都SFフェスティバル1999レポート (大野万紀) 岡本家記録とは別の話(京都SFフェスティバル篇) (岡本俊弥)


THATTA 246号へ戻る

トップページへ戻る