京都SFフェスティバル2010レポート

大野万紀


 今年の京フェスは10月9日と10日。いつもの京都教育文化センターで本会、さわや旅館で合宿のパターンで開催された。

 9日の土曜日は朝から雨。こんな雨の京フェスというのは記憶にない。京都教育文化センターへ着いたのは開始1時間ほど前。1コマ目は自分と、大森さん、小浜さんのが出席する「J・P・ホーガン追悼」。去年は「ベイリー追悼」だった。追悼企画ばかり出ているような気がする。
 今回も適当に作ったパワーポイントをGoogle Documentに置いてあります。左の画像をクリックすれば、別ウィンドウで開くはず。
 パワーポイントをプレゼンテーションパックにして持っていったのだが、この操作が慣れずに戸惑ってしまった。会場で見にくかった人、ごめんなさい。
 パワポを表示しながら、まずは大森さんがホーガンが亡くなったときの状況を話す。DAICON以来ホーガンの友人であるトーレン・スミスの所へ訃報が入って、大森さんへ連絡が来た。Twitterに書いたら、報道各社が一斉に動いたという。日本でのホーガン人気はそれだけすごいということだ。
 小浜さんが東京創元社のサイトに訃報を載せたところ、それを元に記事にしたところが多かったが、読売だけはアイルランドまで連絡をとってきちんと裏をとったそうな。サイトのアクセスが1日で1万を超え、売り上げも急増したという。
 ホーガンの死因は正確にはまだ不明。アイルランドの自宅にいる時に奥さんが、芝生に倒れているのを見つけた。どうやら納屋から電気ドリルを取って戻る途中に倒れたらしい。奥さんは看護士の資格があったので、救命措置を行い、救急車を呼んだが、結局戻らぬ人となった。
 ホーガンはファンダム出身ではなく、それがかえってSFファン以外での高い人気につながっているのかも知れない。ホーガンがSFを書いたきっかけは、映画「2001年宇宙の旅」。それを見て感激し、でもあの結末はさっぱりわからない、オレならもっとちゃんとしたやつが書けると豪語し、なら書いてみろと同僚に言われて書き上げたのが『星を継ぐもの』だという話。
 それからDAICON5で訪日した際のホーガンの行状について小浜さんが色々と暴露。とにかく女好きで酒好きで、いつまでも帰国せず、しまいにはゴールデン街に入り浸っていた、と愛すべきおじさんぶりが話された。
 石原藤夫さんやハードSF研からは「ハードSFじゃない」ともいわれたが、大野万紀的には躊躇なくハードSF作家だったといえる。ハードSFの科学性といっても程度問題であり、読む方の許容度の問題だろう。むしろ、(本当ではなくても)一つのアイデアから論理的に導き出される理屈によって、様々な謎が鮮やかに解かれていくところに、科学が自然の謎を解き明かすのと同じセンスオブワンダーがあるように思う。ホーガンの作品では科学そのものより実践的な技術によって世界が良くなる。理論はでたらめでも良いのだ(いっそヴェリコフスキーでもかまわない)。この点、ベイリーのような奇想作家とも似ている点がある。
 とにかく天の邪鬼で、権威には逆らい、屁理屈でも論争に勝とうとする作家だった。問題の多い晩年の作品も、カルトの信者になったというより、少数派に味方するそういう天の邪鬼な性格が強く表れた結果かも知れないという話になった。ホーガンは組織に属さない一匹狼の科学者や、理屈で人を煙に巻く詐欺師が大好きで、ということはトンデモ科学が好きだ、ということにもなりそうだ。
 詐欺師というのは、「造物主の掟」シリーズの主人公のことであり、小浜さんはこのシリーズが好きで傑作だと評価している。確かに〈巨人たちの星〉シリーズや『創世記機械』とは違った面白さがある。東京創元社では、未訳の長編もおいおい出していく予定だそうだ。
 会場の林譲治さんからは「ホーガンはヴィクトリア朝の科学者で、技術レベルで辻褄があえばそれでよしとしている」との発言もあった。とにかく、欠点も含めて愛すべき作家だったということで、ちゃんと追悼企画になったので一安心。

 雨の中を昼食は大森さんや小浜さん、三村美衣さん、水鏡子や岡本俊弥らと十両へ。いつものカンパチと京野菜の付け合わせが3食分しかないとのことで、アラの煮物にしたが、これがものすごい。とても昼食には食べきれない量だった。おいしかったけど。

 午後の最初は「ライトノベルとSFの境界」というパネル。早川書房の井出さん司会で木本雅彦さん、大西科学さん、籐真千歳さん、森田季節さんの4人が、語る。
 木本さん、大西さんはもともとSFを読んで育った人。木本さんは院生のころホーガンの『星を継ぐもの』を読んでびっくりしたという(ホーガンつながりだ!)。籐真さんはSF的なゲームシナリオを書いていた人。いずれもSFの方が規制が少なくライトノベルでは書けないことが書けるという。森田さんはあまりSFを意識してはいないが、『不動カリンは一切動ぜず』では、あらすじでSFっぽく見せたとのことだった。
 後半はなぜか昔のゲーム(エロゲー)話に花が咲く。16色のゲーム(PC98)や、いやもっと前は8色だったとか白黒だったとか、そんな話題が飛び交う。若い人の間でもこのあたりは世代の差が大きいなあ。
 森田さんは一番若く、特に世代差に敏感な様子だった。京大の文学部の単位の取り方とか、就職状況とか話していたが、なかなか話が面白く、ユニークな人だと思った。また、籐真さんは小説を書くのはまずルールブックを作ることだと考えていたとか。いかにもゲームの人という感じだ。

 さて3コマ目は「チャイナ・ミエヴィルの世界」。海外SF同好会アンサンブルのニシカワさんと訳者の日暮雅通さんが語る。
 プロジェクタで原書やイラストを映し、ミエヴィルの作品を紹介していくのだが、日暮さんは冒頭でいきなり、ぼくもハードSF研の幽霊会員でした、と発言。「ホーガン贔屓ですが、ホーガンは間違いなくハードSF作家です」と、何だかミエヴィルよりホーガンの話がしたいみたいだった。拍手。
 ニシカワさんの進行はとてもしっかりしていて的確で、でもしっかりしすぎていてちょっと面白みに欠けていたかも知れない。それでもミエヴィルの独自な世界の紹介は面白く、特に『アンランダン』のバケツ忍者が良かった。でも何だか「荒川アンダーブリッジ」の登場人物みたいな気がしたのは、気のせいでしょうか。
 ミエヴィルの世界って、ぼくにはなぜかゲームのファイナルファンタジーの世界に見える。未来のような過去のような暗い大都市。人間と異人間の共存。科学と魔法。科学的・社会的なリアルさより、ゲーム的といっていいような、想像力を刺激する人工的で複雑な設定。こういう世界観って、RPGゲームや、ライトノベルに多く見られるように思う。そういうものに親しい読者には、とても魅力的な世界なのだろう。
 ミエヴィルは自分の作品を、SFでもファンタジーでもホラーでもなく、ウィアードだといっている。まあ変な、気味の悪い小説ではありますね。

 4つ目は異色な企画「SFメディアとしてのビジュアルノベル」。要するにエロゲーの世界だ。水鏡子の得意分野だが、ぼくはよく知らない世界なので、とても興味深く、面白かった。
 出演は伊藤ヒロさん。海猫沢めろんさん、鋼屋ジンさん、樺薫さん、前島賢さん。
 ゲーム会社の四〇代の社長さんたちはSFアニメで育ったガンダム世代で、巨大ロボットが好きで、ガイナックスにあこがれているのだそうだ。この業界でも、SFを描くのには、色々と問題があるらしい。それでも、出版より敷居は低いように思えた。SF的な要素はゲームに十分浸透しているのではないだろうか。
 ま、結論はエロゲーにとってSFは触手だ、ファンタジーも触手だという結論らしい。この発言があったとき、「触手なう。京フェス会場に触手出現」というTweetが飛び交ったとか。それはともかく、ビジュアルノベルには「選択肢問題」というのがあるらしい。普通のRPGしかやっていないが、何となくわかる。けれど、あんまり深入りしたくない気がする。それよりゲームシナリオは1Mで約千枚、今の普通のゲームだと2Mくらいで、それはライトノベルの1シリーズがまるまる入るくらいのボリュームだというのが興味深かった。

 本会は終わり、夕食は昼の量が多すぎたので、夜は軽くニシンそばで済ます。さわやの近所のソバ屋で食べたが、おいしかった。
 今年の京フェスはとにかく参加者が多い。しかも明らかに代替わりしている。年寄り連中(ぼくらのこと)はそんなに変わらないが、その下の世代がごっそり抜け、ずっと若い人たちと入れ替わっている印象だ。冬樹蛉さんやいつものSF作家トリオも来ていない。東京から一人で参加したという高校1年生の少年がいて、おじさんおばさんたちから賞賛を受けていた。

大広間でのオープニング ファージング三部作読書会 柴野・浅倉追悼

 さわやでの合宿企画。大広間でのオープニングの後、ぼくが行った最初の企画は「ファージング三部作読書会」。実はまだ読んでいないのです。でも面白かった。とてもイギリスっぽいという点と、どこまで素直に受け取るべきか、という点が議論の中心にあった。正しい読書会の雰囲気だったといえるだろう。
 次に行ったのは柴野さん・浅倉さんの追悼企画。小浜さん、大森さんが中心となって、故人の思い出を語り、会場にいる人にもそれぞれ偲んでもらおうというものだ。まずは浅倉さんに関して、バージョンごとに部数を確認して記録していたという几帳面な面があったという話や、黒丸さんが亡くなってギブスンの翻訳を浅倉さんに引き継いでもらった時の秘話とかが話された。柴野さんについては、翻訳家や作家、BNFとしての側面より、思想家としての柴野さんに着目したいと小浜さん。柴野さんはファンとプロのあり方ということを常に考えていた人だった。

喜多哲士の名盤アワー ラファティの次に読む100冊を考えよう

 そのまま次のゼロ年代SFベスト集成の企画を聞いても良かったのだが、顔ぶれが変わらないので、喜多哲二さんの名盤アワーへ。これも10周年だそうだ。そういえば京フェスは来年で30周年となる。ベストオブ名盤アワーと題して、猫ジャラ市の11人など、懐かしい曲、珍しい曲をどんどん流していたが、その場にあの名曲「アホの坂田」を知らない人がいたのでびっくり。夜中に聞く「アホの坂田」は良いなあ。
 続いて「ラファティの次に読む100冊を考えよう」という企画へ。これはTwitterから発生した企画だ。神大SF研OBの井上くんが、1Q84を読んで村上春樹とラファティの類似点が気になり、改めて全作品を読んで、青心社から来年短編集を出すというので、ここでは、ラファティに読後感が似ている作品として、フラン・オブライエンや、チェスタトンなど、事前に選んだリストを元に作品紹介していく。国書刊行会の樽本さんが酔っぱらって、色々と突っ込みを入れる(でも酔っぱらっているのでループしている)のが、妙に的確で面白かった。

 眠くなったのでゲストの寝部屋で1時過ぎには寝る。そして朝は7時半には起き、8時のクロージングへ。雨は止み、きれいに晴れている。午後に細井くんの結婚披露の会があるが、ぼくは不参加なので、THATTAのメンバーらと、早めに帰る。いつもの喫茶店、からふね屋が、改装中なのだろうか、閉店していてびっくり。きっとからふね屋難民が出るだろうと思いつつ、三条まで歩く。三条のキャラバンもなく、リプトンはまだ開いておらず、小川コーヒーが開いていたのでモーニングを食べて、10時ごろ解散。

 今年もいつもながらの楽しい京フェスを満喫しました。実行委員長はじめ、スタッフのみんな、ありがとうございました。また来年もよろしくね。 

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