内 輪   第431回

大野万紀


 先月のTHATTA、水鏡子が「みだれめも」で「読書力の劣化について」書いていました。歳を取って本がを読むスピードが遅くなっているというのはぼくも全く同じです。でも水鏡子にページ全体を写真のように記憶する映像記憶の能力があったというのには驚きました。今はともかく、昔は本当になんでも覚えている人間辞書みたいな人だったんですが、そんな能力があったなんて。まあちょっと本当かしらと思うところはあるのですが。
 でも津田文夫さんにしろ岡本俊弥さんにしろ、1ヶ月に読む本の数があまりに多くてびっくりします。ぼくの場合は単純に記憶力の劣化で説明できるのですが。さっき読んだはずの登場人物を次に出てきたときはどんな人だったか忘れていてページを戻って読み返してみたり、そもそも読んだ本の内容があっという間に風化して、大まかな印象しか残らない。
 ここ数年、この「内輪」の書評があら筋をかなり細かく書いて長くなるのも、後でどんな話だったか忘れてしまうため、思い出せるように書き残しているのです。ずっと昔は書評であら筋なんて長々と書くもんじゃないと思っていたのですが。まあ実際その通りなんですが、この「内輪」は自分のための読書メモでもあるのでね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


堀川夢・秋永真琴編『北海道SFアンソロジー 無数の足跡を追いかけて』 KAGUYA BOOKS

 2026年1月刊。KAGUYA BOOKSの〈地域SFアンソロジー〉の大阪、京都、徳島、東京下町に続く第五弾である。北海道に何らかの関わりがある作家による10編と、編者による「はじめに」、「あとがき」が収録されている。また各編の最後に編者による解説つき。

 巻頭の、うるさいと言われて修理途中のスノーモービル「あなたは特産品です。広まってください。」は、うるさい~が作者名。なろう系などでこういう奇抜な作者名は時々見かけるが、年寄りは戸惑ってしまう。これは草野原々、宮本道人、麦原遼の共作ペンネーム(ユニット名)だそうだ。それぞれ名前の通った作者なんだからその名で書けばいいのにと思う。まあいいけど。内容はぶっ飛んだドタバタSFで面白かった。AIが搭載された製品が自意識を持って語るのは付喪神の伝統のある我々には親しみやすいが、ここではそんな機械たちが大活躍する。主人公は雪崩制御スノーモービルだが、あるときふっと気がつくと廃墟となった北大だけが残っていて周りは海。どうやら何らかの異変で北海道が地球各地に飛び散ってしまったらしい。インドの方に飛んで行った友人の津波制御カヌーからのシグナルを受けて彼は海に氷を張って滑って行く。とまあそんな感じであれよあれよという間に北海道の機械たちは地球を改造し、宇宙を北海道化していくのだ……。

 阿部登龍「馬たちの時間」ではばんえい競馬が扱われている。作者は創元SF短編賞の受賞者だが獣医師だそうだ。中国戦線で愛馬に命を救われた祖父。祖父とは血の繋がらない孫娘は帯広のばんえい競馬場で馬の写真を撮りながら「血は時間を超える」といった祖父の言葉を思い出している。この作品には直接的なSF的要素はほぼ無いのだが、家族の、馬たちの、戦争の現実の時間、そこにある直線的ではない、それぞれの心の中にある切実な時間というものが描かれている。それは祖父と主人公の内に秘められたクイアな感覚であり、戦中や戦後の暮らしの中で祖父が守りたかったもの、血によらずとも孫娘に引き継がれていった大切なものなのだ。ばんえい競馬の迫力ある描写もいい。良い作品だった。

 伊藤なむあい「不完全なQたち」。昭和新山の熊牧場。熊たちの中に「にせくま」がいた。にせくまは熊には似ておらず、丸くて柔らかいボールのような姿をしている。人間たちはただのボールだと思っていた。だが熊たちはにせくまが好きで、にせくまに「キュウ」という名前をつける。キュウは熊牧場から転がって人間の少女の手に渡り、オジロワシにさらわれ、洞爺湖の島に降りる。キュウは動物と会話ができ、人間の言葉もわかる。そしてどうやら未来を知ることもできるようだ。キュウは今度は少年にひろわれ、飛行機事故で少年と一体化してQとなる。少年となって暮らし、成長し、社会人となり、定年退職し、そしてQは彼の体を去って雪が降り続けるようになった世界を、滅びゆく世界を見つめるのだ……。これもまた独特の雰囲気があって読ませる。

 福雪蕗乃「佳園」。タイトルは開拓民である曾祖父が開いたささやかな土地の名前。この作品は土地と家族と、そしてユーモラスなSF的なアレンジを施した幽霊譚である。主人公の美穂は教師だが、胸にしこりができ、初期の乳がんと診断される。彼女の前に度々現れるのが十数年前に山で遭難して死んだ清子叔母さん(セイさん)の幽霊だ。本人は幽霊というより次元の狭間にいるとか相対性理論がどうとか言うのだが。看護師をしていたセイさんは乳がんや手術にも詳しい。このあたりは作者自身の経験も反映しているという。佳園には病に効く温泉があった。佳園で暮らしていたセイさんはその温泉を愛し、修復し、美穂の記憶をそこへと運んでいく。身体が回復したらまた行って見ようと美穂は思うのだった……。この作品が初の書籍掲載作ということだが、細やかな心情がよく描かれていて温泉に入ったように心が温かくなる作品だ。

 林譲治「デレッキ」は、作者がこのところの長編で明らかにしている現代社会の分断や差別への怒りが極めてストレートに描かれた短編である。テーマとしては言語SFで、さらに作者が得意とするファースト・コンタクトSFでもある。アイヌ民族出身で今はドイツに帰化している安辺菜美華(あべなみか)博士に国民栄誉賞を与えるかどうかの調査をするため、北海道開発局の佐藤直哉がドイツにやってくる。博士はAIを使って少数言語を復元する研究でフンボルト賞を受賞したのだ。だが会った早々、安辺博士と佐藤との会話は険悪となる。安辺博士は幼いころ、教室でアイヌ語を使って教師にデレッキ(火かき棒)で殴られた経験があり、成人してからもひどい差別を受けてきたのだ。日本を捨ててドイツに帰化したのもそのためだ。なのに佐藤は、自分の産まれる前の、大昔の話はもういいじゃないですか、アイヌでも女性でもこれは日本に貢献できるチャンスなんですよなどと言う。博士は国民栄誉賞なんて関係ない、本当の目的は何だと佐藤に聞く。佐藤はついに安辺に協力してもらいたい日本政府の本当の理由を話すのだが……。したたかな安辺はそれを利用してさらに飛躍した技術を開発するのだ。これはある意味バベルの塔を発展的解消させるような話だといえる。だがそのことよりも差別に対する作者の心からの怒りに強く打たれる。

 貝塚円花「ヒナタとアメンコ」。北海道の広大な土地に多量のソーラーパネルを設置する作業を省力化するため、自己増殖するソーラーパネルが開発される。だが事故があって歯止めがきかなくなり、釧路湿原ではソーラーパネルがアメーバのように果てしなく増殖するようになる。それがリソースの不足から変異を繰返し、中には自走するものも生まれ、人々はそれをアメーバ・ミジンコ、略してアメンコと呼ぶようになった。霧が晴れなくなった未来の釧路で、小さい野良のアメンコが太陽光不足で弱っているところを、ヒナタという名の女の子が助ける。主人公のわたしは夜になってヒナタを宿舎に泊めてやり、翌朝、寂れた町をヒナタと歩く。わたしは人口の少なくなった町を「調整」する役割でここに来た。住人からは死神と呼ばれる。死神のわたしが派遣されたこの町に小さな女の子がいるはずはないのだ。そう彼女はわたしが子どものころに学校に置かれていたアンドロイドだった。ヒナタとアメンコはほとんど人のいない町をとぼとぼと歩いて行く……。切なさと抒情が心に染みる物語である。

 秋永真琴「夜会」。こちらはまたモードが変わって函館が舞台のエンターテインメント・アクション作品。主人公は長命人の女で「夜会」と呼ばれる長命人の組織に属している。彼女は組織が経営する小さなスナックで、この街で自主映画を作ろうとしている若者の話を聞いている。その街に排外主義的な人間による講演会のポスターがあり、彼女はその講演会に入り込む。そこには主催者のボディガードとして長命人の男がいた。彼女はその男と闘いになる。どうやら同じ長命人でもいくつかの派閥があるようだ。激しいアクションが描かれ、その後はまたスナックでのまったりとした時間が流れる……。ぼくは函館に行ったことがないのでわからないが、実際の街の雰囲気がしっかり描かれているのだろう。面白かった。

 みちのみそ「時はその背に」は可愛らしいタイムマシン話。朝雪かきをしていたら家の前に馬がいて、そこへお兄ちゃんを探している子どもが現れ、その馬はデロリアンといって馬じゃなくてタイムマシン。お兄ちゃんとデロリアンに乗って昔の動物を見たいと過去へやってきたら途中でお兄ちゃんが落ちてしまったのだそうだ。子どもを家に入れてやってその話を聞いていると、サカナクションの着メロが大音量で鳴り、お兄ちゃんと連絡がついた。ちなみにその着メロはおじいちゃんが勝手に設定したんだという。日の出前に戻らなければ元の時代に戻れないと聞いてわたしは……。あれよあれよと話が進み、おじいちゃんの正体も推測できてと、何ともハッピーなお話で楽しかった。

 永山源「ひかり、極まる」は何とSF短歌。初めどのあたりがSF的なのかよくわからなかったのだが、解説にもし地軸が傾いて北海道でいつもオーロラが見られるようになったらという想像から生まれた20首とあって、なるほどそう思えばそんな雰囲気が描かれている。とはいえ、北海道民じゃないぼくには微妙すぎてピンとこない作品が多かった。そんなぼくでも面白いと思ったのは、世界が変わったという寂寥感を感じる「まちに聳(そび)ゆるガラスの箱に「旭川駅」と墓碑銘(エピタフ)ぎらぎらとあり」や「カノープスの見ゆるまちには太陽もまだ昇るらし とほき薄明」といった歌だ。

 isihara mai「センノセカイ」はかなり尖った作品で、普通に物語を描く作品ではない。詩のような文章でつづられた、これもまた差別と分断への告発である。赤い目の人が住んでいた島に青い目の人たちがやってきて滑走路を作り、赤い目の人たちを迫害する。赤い目と青い目の人の間には紫の目の人が生まれる。「かのじょ」はそんな紫の目の人を介護している。世界には無数の線が引かれ、その線を境に分断されていくのだ。だがその線をまたぐ人たちもいる。かのじょはそんな人たちをずっと見つめている……。凝った構成だが、寓意は明らかである。かのじょの理不尽な分断への怒りは、ぼくも共感するものだ。

 全10編はバラエティに富んでおり、北海道らしさをそれぞれの形で表現しているようだが、仮に北海道という観点を外しても十分に楽しめる作品集だと思った。


高谷再『この罪を消し去ってください』 集英社

 2026年1月刊行。第10回ジャンプホラー小説大賞受賞作。作者はまた同年の創元SF短編賞を「打席に立つのは」で受賞している期待の新進作家である。本書はホラー小説大賞作ということで確かにホラーには違いないが、ミステリアスで超自然的なイメージにAIがからむ展開は近未来風のSFだといえる。

 舞台は下界から孤立した山の中にあるミッション系の女子高校。全寮制であり、生徒たちはみんなこの閉鎖された空間で生活している。月島果穂(かほ)はその新入生。彼女の姉、月島藍奈(あいな)もこの学園に入学したが、何ごとかが起こり時計塔から墜落死したのだ。果穂は姉からこの学園の生徒会(「お茶会」と呼ばれる)に入るようにと言われていた。果穂は入学早々一人の上級生と知り合う。彼女、折原夜空には独特の雰囲気があり、名前を言ったとたんに果穂を拒絶する。実は夜空はこの学園の理事長の娘であり、藍奈とは恋人同士のような関係にあったのだ。

 上級生と下級生の階級制、女性同士の愛憎、嫉妬ややっかみ、いじめ、飛び交ううわさ……。そんなありがちな世界の中で話は進むが、ホラーというより始まりはミステリである。藍奈の死の謎、何者かが作って学園内で拡散した、藍奈は父親を殺した犯罪者であるという動画、生徒会内部の不穏な動き……。

 そしてそこにこの学園特有のAI管理システム〈ニア〉がからみ、物語は完全にSFとなる。学園の生徒はみな両方のこめかみに小さなパッチが貼られていて、首に巻いたチョーカーを通じ、骨伝導で生徒に配布された端末との会話ができる。これらは学園を買収した経営母体である大企業のAI部門が開発したものであり、生徒の学園生活にまつわる様々なサポートを行うデバイスである。当然生徒の会話や個人情報も全てシステムに収集され、膨大なデータが蓄積されている。そのデータを学習し、管理するAIシステムが〈ニア〉であり、〈ニア〉は(校則などに反しない限り)生徒の相談に乗ってくれる優しい女性として親しまれている。生徒が望めば(完全なものではないが)相手の疑似人格を作ってくれて、その人格と(シミュレーションとしての)対話もできるのだ。折原夜空の母である理事長こそ、〈ニア〉の開発者である。だが彼女は開発に打ち込む余り、娘との親子の会話もほとんどないような女性だった。

 中盤で大きな事件が起こる。そこから物語はサスペンスに満ちた思いがけない展開となるが、それはどんどんエスカレーションしていく。そこに死んだはずの藍奈という存在が現れ、それが次第に物語を支配していく。最後にはとんでもない憎み合いと大虐殺が描かれることになるのだ……。

 ミステリでもあるので詳しく書くわけにはいかないが、現代の幽霊物語、愛憎と怨念のからむ因果応報譚はこんな形になるのかと思わざるを得ない。斜線堂有紀さんの言葉だと思うが帯にある「箱庭譚」という言葉が確かにそうだと感じる。全てが閉じた世界の中にある。現在でも死者(のほんの一部の特性にすぎないが)をコンピュータの中に再現するということが行われている。幽霊はコンピュータの中に存在しうるのだ。それが外部のない、逃げ場のない箱庭のような環境に現れたとき、いったい何が起きるのか。愛も憎悪も、同質的な閉じたエコーチェンバーの中で果てしなく増幅されていく。それはまさしく現代的なホラーだといえるだろう。


恒川光太郎『幽民奇聞』 角川書店

 2026年1月刊行の連作短編集。「鬼婆図探訪」「夢狒々考」「最後のキ」「すすき野原の先で」の4編の中短篇で構成されているが、話はつながっており、一つの長編として読める。4つの物語は語り手の違う入れ子の物語が枠物語として重なっており、複雑な構成となっているが、混乱することはなく読みやすい。中編の「鬼婆図探訪」と「最後のキ」が雑誌「怪と幽」に掲載されたもので、「夢狒々考」と「すすき野原の作で」は書き下ろしである。

 入れ子の一番外側にあたるのが、おそらくは昭和の始め(1868年に13歳だったタキが亡くなって1年後だから)と思われるが、明治の中ごろまで日本の山奥に住んでいたという謎の集団「キ」を研究する民俗学者の鶯谷玄也(うぐいすだにげんや)の物語である。彼は友人の美術商と1年前に亡くなった画家の松野滝次郎(まつのたきじろう)の家を訪れ、滝次郎の描いた「キ」に関わる絵画を見つける。これが「鬼婆図探訪」の始まりであり、そこから物語は滝次郎(タキ)の少年時代の物語に変わる。それは史実でもある幕末の東北、二本松藩の少年兵だったタキと幕軍の壮絶な戦いを描く。絶望的な闘いで二本松藩は敗北するが、タキは「キ」と呼ばれる謎の集団に救われる。「キ」は「鬼」でもあり「奇」でもある。爺、言葉を話す巨大な狒々(ヒヒ)、弓矢の得意な娘、幕軍の高官に化けた男。彼らは山狩りに来た20数名の幕軍を全滅させる。依頼があってここに来たのだと言い、自分も仲間に入れてくれというタキの願いを断る。そのかわり、目の見えない鬼婆のような老女、自分を秋姫と呼ぶ得体の知れない老女に彼を預ける。秋姫は未来を予知する力があると言うが本当かどうかわからない。やがて二本松に戻ったタキは残っていた幕軍に捕らえられひどい拷問を受けるが、秋姫に助けられる。後に画家となったタキが描いた鬼婆図こそ、秋姫を描いたものだったのである。

 「夢狒々考」はタキを助けた「キ」の中にいた人語を解する狒々についての物語。狒々といってももちろん現実の類人猿のヒヒではなく、古来から日本の山にいたとされる大猿の妖怪である。岩見重太郎が狒々退治をしたというあの狒々だ。狒々は「キ」とも関係があり、安政のころに狒々自身が書いたという〈狒々日記〉が伝わっている。本を売るために面白半分に書かれた偽書とも言われているが、そこには狒々自身の考えや生き方が描かれているのだ。この章ではその〈狒々日記〉の現代語訳と、鶯谷玄也がいくつかの手がかりを追いながらキと狒々の関係を探る話が交互に描かれている。北陸の山奥に狒々の一族が暮らしていた。語り手は金星という名の狒々。彼が幼いころ、この仙境に百弱(ひゃくじゃく)という名の人間の男が住み着く。この男は故郷の村で何人もの人を殺し、悪逆非道を尽くして手配され、行き場が無くてこの仙境にたどり着いたのだ。金星の両親はこの男に近寄らないようにと注意したが、金星は彼から文字を習う。だがある日、里から追っ手が来て百弱は取り押さえられ山から引き連れられていった……。その百弱があることないことを語ったことから山奥に狒々が宝物を隠しているという話が広がり、一攫千金を狙う男たちが山に入ってくるようになる。一方、仙境には他の人間もいた。鬼面衆と呼ばれるキの人々である。金星は彼らと仲良くなり、話もする。キをまとめているのは〈親方様〉と呼ばれる超常の者だというが、金星はその姿を見たことはない。やがて物騒になった山を下りて、独り身となった金星は狒々の嫁探しの旅に出る。道中、鬼娘の葵(あおい)が同行することになった。葵は流行の「膝栗毛」のように道中記を面白おかしく書けばいいと金星に勧めるのだった。一方鶯谷は〈狒々日記〉を探してその本を持っていたという老人を訪ねる。だが老人はあったはずだが見つからなかったというのだ。代わりに今もいるというキの人の住所を教えてくれる……。

 「最後のキ」で、鶯谷玄也は伊豆にいたその男性に会いに行く。彼、松吉が幼いころに住んでいたのは戸籍もないような人々が暮らす貧しい三畳長屋だった。あるとき松吉に、見知らぬ中折れ帽の男と以前から知っている虚無僧(そこでカシワという名だと知った)が盗んだ手提げ鞄を返せとやってくる。それは彼が盗んで仲のいいユキコにあげたものだった。ユキコが持って来たのでその場はそれで済み、以後松吉は井上矢銀というその中折れ帽の男の下で働くことになる。秩父の山奥で賭場が開かれるというので矢銀に連れられて来た松吉はそこで賭博に負けたら父に売られるのだという女の子に出会い、その境遇に涙する。だが矢銀にはここへ来た目的があった。矢銀は〈キ〉で、横浜であった一家惨殺の犯人への仇討ちを依頼されていたのだ。首尾良くやり遂げたあと、矢銀は松吉に〈キ〉の一員になれといい、〈親方様〉に会わせるという。〈親方様〉はあの賭場にいた女の子だった。彼女はにっこり笑って合格といい、そのまま煙のように姿が薄れ消えてしまった。〈キ〉の一員となった松吉は伊豆にある〈キ〉の学校で学ぶ。そこは昼間は字の読めない主婦や丁稚が学ぶ私塾で、夜になると〈キ〉のための学校になるのだ。下宿代や学費は〈キ〉の組織が払ってくれる。年齢もバラバラな様々な人間がいた。遊郭から逃げ出してきた少女、無口で正体不明な大人の男性、すばしこくて盗みを働いていた12歳の天狗のような少年「鞍馬」。普通の文字の他に〈キ言葉〉という〈キ〉だけが使える文字も学んだ。武芸も学んだが鞍馬が飛び抜けていた。勉強だけでなく海水浴や山道をひたすら歩いての各地への旅行もあった。泊まるのはキ屋敷と呼ばれる〈キ〉が勝手に泊まっていける宿泊所で、三島には「からくり屋敷」と呼ばれるキ屋敷があった。そんなとき久しぶりに矢銀が現れ、松吉と鞍馬を仕事に誘う。「剣客強盗団事件」という大事件で剣客ぞろいの犯人を捕らえるため〈キ〉へ依頼があったのだ。大立ち回りの末犯人たちに打撃を与え、後は警官隊に任せる。そんな話の最後に、彼が話したのは鶯谷に関わるある因縁だった。〈親方様〉が現れなくなり、次第に滅んでいく〈キ〉の哀切と、その研究者につながる重い因縁。傑作である。

 「すすき野原の先で」は短いエピローグ。松吉の家を後にした鶯谷は、過去の思い出を胸に、すすき野原を歩く。かつて幽霊のように生きる民がいた。人の暮らしのほんの少し外側に立ち、そっと草葉の陰から現れ、消えていく。幽民――。

 狒々たちや親方様のような異界に生きる超常の者もあるが、ほとんどは少しだけ外れた普通の人々である。その営み。時代にのまれ、薄れていき、それでも生きていく力強さと切なさが心を打つ物語だった。


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