内 輪   第426回

大野万紀


 国書刊行会からジェリー・フィリップス『男たちの知らない女 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの二つの生涯』(訳・北川依子)が発売されました。
 ティプトリーの伝記です。原書で読んだのはずいぶん前なので忘れているところも多く、日本語で読めるのはとても嬉しいです。
 ぼくが『愛はさだめ、さだめは死』の解説を書いたのは1987年。チャールズ・プラットによるインタビューが主な情報源だったのですが、本書と読み比べればそれはかなり事実を盛ったものだったように思えます(おそらくは彼女自身の手によって)。
 こちらにその解説を載せています。どうぞよろしく。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


灰谷魚『レモネードに彗星』 KADOKAWA

 2025年7月刊行。「カクヨムWeb小説短編賞2023」で円城塔賞を受賞した表題作を含む7編と「序文、あるいは未来都市の火災」と題された心象スケッチ風の短い文章が収録されている。本書は著者のデビュー短編集であり、「純粋個性批判」と書き下ろし中編の「新しい孤独の様式」を除けばどれも短めの作品である。

 「かいぶつ が あらわれた」は冒頭いきなり「怪物が世界を壊しはじめて今日で六十日目」という文章ではじまるが、主人公のわたしはコンビニで菓子パンを買っている。友だちの紀代子は怪物が現れた三日後に宙に浮き始め、今は小さな黒い点となって空に見えるだけだ。そんな彼女とはiPhoneのメッセージアプリで会話ができた。何とものほほんとした不思議な会話。だがそれも「最後に餃子の王将に行っておくべきだった」という言葉を残して数日前から届かなくなってしまった。わたしが家に帰ってテレビを見ると怪物は今「世界を作り直しますので、ご容赦ください」と各国語で言いながらカルタゴの遺跡を破壊しているところだった。この調子では怪物が世界を破壊し尽くすまでにわたしはおばさんになってしまう。そんなところに紀代子から電話がかかってきた……。女子二人の他愛ない会話。ドラエモンやミルキーやスカイツリーといった単語が飛び交う。そうして日常と異常とは他愛なく接続し、いずれは壊されるのだろうが、世界は続いていく。なるほどこういう雰囲気なんだ。これは結構好きかも。

 「純粋個性批判」の主人公は27歳の私。高校のころ、親友になりたいのに周りの人間をすべて軽蔑してしまう暗く孤独な性格の女子高生だったが、同じような地味な仲間とグループを作って自分がその集団を率いていると自負していた。友人といえるのはその中でユカリだけ。あるアニメが「クソだ」といって意気投合し、人気あるものへの悪口、棘のある批判、悪意ある皮肉を二人で研ぎ澄ませていった。「クソだね」「クソ」と口に出さずとも二人の間では意思疎通できる。二人は「純粋個性批判」という同人誌(ただし読者は二人だけ)を作り、悪意と皮肉なユーモアに満ちた小説や評論を書き綴っていく。まさに昏い青春の会だ。ところが自分の好きだったアニメをユカリがクソ呼ばわりしたことから二人の間に亀裂が入る。入れ替わるように私の中に入ってきたのは読者モデルもしているクラスの女王的な存在、三木谷亜矢だった。なぜか私は彼女と意気投合してしまい、生活も変わっていく……。大学に進み普通の生活をしていたころ、突然人気の出たモリー・ガールという尖ったミュージシャンの存在を知るのだが、やがて私は彼女があのユカリだったことに気づくのだ。そして……。超常的なことも少し不思議なことも起こらない、普通の小説である。しかしまさに青春小説であり、恥ずかしい記憶を紙やすりで擦られるような感触のある傑作だ。とりわけ誰も暗黒面に落ちずに終わる結末が好ましい。

 「宇宙人がいる!」はSF。何しろ宇宙人が出てくる。中年のおっさんになったかつての同級生二人。家に宇宙人がいると笹井がいい、今日の夜中になったら宇宙人は帰ってしまうというので、俺は見に行く。笹井の部屋にいたのは20年前のアイドル、国崎ロウラだった。それも十代後半、全盛期のころの姿で。宇宙人はどんな姿にでもなれるのだという。なぜ笹井の望む姿をしているのかはお前らには理解出来ないだろうと彼女はいうのだが。笹井は宇宙人に、今度は二人の高校でマドンナだった山田りさ子になって欲しいと頼む。りさ子はほんの短い間だが俺とつき合っていた。宇宙人は俺の記憶を探り、その場で高校時代の山田りさ子に変身する。そして俺は……。これまたおっさんが主人公だが紛れもなく青春小説。それもかなり気恥ずかしい青春である。性的な面はほぼ封印されていて(何しろマドンナにアイドルに宇宙人だ)、まあ可愛らしいこと。でも面白かった。

 「火星と飴玉」はキラキラネームの言葉遊び的な話。ぼく、二宮飴玉(あめだま)は、土曜日のフードコートでクラスメイトの森川火星(マーズ)と出会う。二人ともキラキラネームなので普段は苗字か多種多様なニックネームで呼ばれることが多い。彼女がフードコートの壁に寄りかかったまま一人で何をしているのかと言うと、iPhoneで懸賞に応募しているのだ。それもひたすら新しいアカウントを作っては応募している。とある金持ちの軽薄な有名人が、フォロワーの中から抽選で百人に1千万円を配布するというのだ。森川はそれを当てるつもりだ。ぼくは何も言うことを思いつかず、彼女の隣で時間を消費している。締切時間がきて、森川はやっとぼくの方を向き、発表まで一緒にいてよと言う。マーズって名前、ぼくは好きだなと言うと、彼女は名前フェチだからと言って、そこからひたすら様々な千人の名前を羅列していく。フードコートを出て夜の公園で発表を待つ。当たったと彼女。その上当たった人の中からさらに抽選で火星旅行がプレゼントされるというのだ。ぼくは火星の匂いを想像する……。いやほんと、それだけの話。でもほんわかと楽しい。

 「新しい孤独の様式」は本書の半分近くを占める書き下ろし作品。これは「巨大感情」(他者に対する甚だしい感情)の物語とでもいうのだろうか。少しではなくかなり不思議な物語だ。
 主人公は戸川ハルオ27歳。仕事を辞めてからバイトしつつ一人暮らししている。夢占いの本によれば彼の性欲は今急激に高まりつつあるらしい。だが本人はそもそも性的なことにあまり関心のない方だ。それでも深層心理では何かがあるのかも知れない。そして中学と高校で彼の同級生だった九頭見(くずみ)スミ。同級生といってもアメリカと日本を行き来して転校が多かった彼女とはそれぞれ数ヶ月しか同席していなかった。そのスミが今ハルオの前でレバニラ炒めを食べている。同窓会で出会ったスミに、ハルオは横山光輝の三国志全60巻を貸すことになったのだ。三国志を10巻ずつ渡すため二人は一週間ごとに会う約束をする。
 ハルオはバイト先のレンタルビデオ店の老人から、廃業するのでと最新のスマートグラスを譲られて、それを着けていた。一人で街を歩くとき地図が表示できるから便利なのだ。そしてそこにはARの女性、宮田チロルがいた。チロルはハルオを誘惑しようとするが、ハルオはアダルト機能に課金していないので言葉だけに終わる。でも二人はそのやり取りを楽しんでいるように見える。
 物語中〈アキネイター〉という言葉が何度も出てくるが、これは簡単な質問を繰り返してイメージしている人物を当てるという実在するコンピューター・ゲームの名前だ。人の思考の隠れた内面を探るということを示しているのだろう。
 次に会ったときスミはハルオに自分の父の関連会社に入らないかと誘う。それには社長の草野球チームに入らないといけない。中学、高校と野球部員だったハルオはそれに乗り気になる。スマートグラスを外して寝た翌朝、ハルオは部屋にチロルがいるのに気づく。スマートグラスはしていないのに。そして彼女が触れると触れたような感触がした。チロルが言うには宇宙のバグで突然変異してスマートグラスから独立した存在になったのだ。気合いを入れると実体をもつこともできるのだと。
 ハルオは草野球チームでスミと共に野球をし、スミのいる会社に就職し、結婚を前提としたつきあいをすることになる。だがスミはある時から人の体との接触がいやで、手が触れるだけでもぞっとしてしまう特異な体質になってしまったのだと打ち明ける。結婚しても一切肉体的接触は不可だというのだ。
 かくしてハルオはAIの意識を持つ怪しげな女性(ではないがまるでもてなしのいいエロゲーのヒロインみたいな)チロルと、逆の意味でそれに対応するかのような現実の女性スミに囲まれて、ますます孤独に陥っていく。そして彼はスミを殺すことを決意したとチロルに伝えるのだが……。
 多様性という言葉の多様性を意識させられる、そんな不思議な物語だったが、面白かった。ハルオもスミもいわゆるオタク的感性から遠いところにいる。三国志60巻のくだりでは、ぼくが勤めていたころの上司で、マンガやアニメに全く興味の無い仕事一途な人が突然高橋留美子にはまって、何十巻ものコミックを買いビデオでアニメを見続けて、まわりにも勧めていたことがあったのを思いだした。現実にそういうこともある。
 よくわからないのはチロルだが、カンペキにオタク側にいるのに何かおかしい。まあ宇宙のバグだからそういうものなのかも知れない。

 「レモネードに彗星」は円城塔賞受賞のショートショートだが、現実と夢とネット空間と異世界が境目なくシームレスにつながっていてとても不思議な物語となっている。冒頭からして不思議だ。「私が十四歳の少女だった頃、叔母は四十三歳の美しい女性だった。私が三十を目前に控えた今では百九十六歳の美しい老婆となったいる」。SFなら恒星間飛行でもしてきたのかなと思うところだ。「ところで私は十四歳の夏にスナイパーに狙撃され、若くして命を落としている」ときて、これが普通のリアルなナラティブではないことがわかる。では何なのか。私は命を落としてから十五年間、叔母といっしょに暮らしている。叔母は年に何度も誕生日を迎え、二百歳近いが見た目は五十八歳だ。私はいつしか叔母の夢の中に入り込むこともできるようになった。その夢の中の、死者ばかりの電車の中で私は叔母に犯される。叔母の家に戻ると、叔母はグラスに炭酸入りのレモネードを注ぐ。泡は星のよう。そこにハレー彗星が見えると叔母は言う。特別なストーリーもオチもないが、静かで、それでいて心をかき乱されるような物語だ。

 「スカートの揺れ方」もショートショート。主人公の私が買ったばかりの高級なフランス製のスカートをはいたら、それが自分の肉体と一体化してしまった。下半身がスカートになってしまったスカート人間。皮膚とスカートがシームレスにつながっている。大学の友人、ニックネームがコリオリという女性から電話があり、自転車で駅前のミスドへ。二人で他愛ない会話をはずませる。家で私は彼女にスカートと一体化してしまったことを話す。スカートに触っても痛みがないと聞いたコリオリはハサミを取り出すと……。スカートの残骸は夜の河原で不思議な青い炎を上げて燃えた。二人はまたバカ話をしつつ家路につく。一点突破全面展開という言葉があるが、一点突破したまま何の展開もなくあっさりと終わる話だ。でもとても楽しげで、何というか変な説得力に満ちている。読み終わって後味が良く面白かった。


大恵和実・藤吉亮平編『宇宙大将軍侯景SFアンソロジー 梁は燃えているか』 志学社

 2025年9月刊行の日本オリジナルアンソロジー。日本11人と中国4人の作家が寄稿した短編15編と、編集者序文、候景の概要解説、それに巻末解説が収録されている。候景(こうけい)という人は中国南北朝時代の終盤である6世紀半ばの人。北魏の遊牧民出身の軍人で、東魏で軍功を挙げたが反乱を起こして敗北し、南朝の梁に亡命したが、そこでも反乱を起こして皇帝菩薩と呼ばれた梁の武帝(熱心な仏教信者だった)を餓死させ、実質的に支配者となる。そして550年に自ら「宇宙大将軍」を名乗ったそうだ。けれども次第に勢力が衰え、一時は皇帝に即位したものの結局敗北して552年、逃亡中に殺される。その後589年に隋が中国統一を果たし、聖徳太子が遣隋使を送る時代となるわけだ。日本でいえば聖徳太子より50年ほど前の時代の出来事となる。
 といったことは編者解説に詳しいのだが、ぼくはほとんど知らなかった(中公新書の会田大輔『南北朝時代』に載っていたのを後で思い出したけれど)。巻末解説にはなぜそんな人物をテーマにアンソロジーが組まれることになったのかも書かれていて、それが面白い。要するに『長安ラッパー李白』などを手がけた編集者の藤吉さんがSNSで冗談めかして「宇宙大将軍」とこのタイトルを挙げたのが始まりで、大恵さんがそれに乗って作者を募集したところ、思いがけずたくさんの作家が手を上げたということのようだ。出版元も候景の学術書を出していたところから、こんな立派な装丁のアンソロジーが完成した。内容も面白く、冗談から出た真というところだろう。

 十三不塔「太清元年のフードトラック」は候景が反乱を起こした梁の首都建康(今の南京)が舞台。改変歴史のこの時代、牛筋皮を材料にその弾性を動力とするエンジンが普及していた(牛筋皮パンクだ)。だが仏教を篤く信仰する皇帝が牛の殺生を禁じ、新たな牛筋皮の供給が絶たれることになる。宮廷料理人だった主人公の衛鼎安(えいていあん)は開いた店がはやらず落ちぶれていたところ、物乞いの姿をした琥珀という女性の言葉がきっかけで「須弥山バーガー」を考案する。南朝ではハンバーガーが、北朝ではホットドッグが流行していた時代である。牛筋皮が手に入らないので象の腱を使い、それで動く饗車(フードトラック)を多数しつらえて須弥山バーガーを販売し大ヒットさせた。皇帝もその味に感動したという。ところが候景の反乱で建康が包囲され、彼は窮地に立たされる。牢につながれ、皇帝に献上しようとした須弥山バーガーも捨てられる。だが琥珀の助けで脱出し、再び仲間たちと饗車を駆って進むのだ。新たな味「テリヤキ須弥山バーガー」を目指して……。ラストがとてもかっこいい。

 林譲治「軍師の箱」は候景が主人公。彼は若いころ泰山で修行していた。霊場へ赴き、古の諸葛亮孔明の教えを乞おうというのだ。そこへ諸葛亮の妻、黄月衛(こうげつえい)だという女性が現れる。霊ではなく三百年生きている異界の住人だ(ブラックホールみたいな場所らしい)。彼女は小さな箱を候景に渡す。それは軍師の箱でそこに正しい問いを書いた紙を入れれば答えが返ってくるという(生成AIみたいなものらしい)。ただし使えるのは10回まで。そうして黄月衛は消えた。月日がたち、候景は梁のつかの間の皇帝となる。軍師の箱も使えるのはあと1回。彼に皇帝としての統治能力はない。敵軍が迫り、候景は箱に最後の問いを入れる……。ラストの情景は孔子の故事を知っていればもっと深く感じるものがあったかも知れないが、ぼくには通り一遍の意味しかわからなかった。無念。

 木海「井戸」。作者は中国のSF作家。梁の建康には武帝に招かれた高僧真諦(しんたい)法師が扶南から経典の翻訳のために来ていた。法師には誰にも聞こえないような遠くの小さな音を聞き取る力があった。おりからの候景の乱で建康は包囲され、法師は若い弟子の立月に様子を見に行くよう言う。立月は素早い身のこなしで城壁に上り、見て来たことを法師に報告する。だが法師はもうその情景を耳で聞き取っていたようだった。包囲は長引き、城内の民衆には食べるものがなくなってくる。寺院は施しをしているが次第に備蓄も底をついていく。寺院の地下には通路があり遠くの寺院とも互いに行き来できるようになっているが、長く続いた雨のため水位が上がって通れない。法師は水をくんで火で蒸発させることを指示する。それでもなかなか水位はさがらず通路は通れない。法師に立月はある決断を告げる……。立月の正体。それすらも知っていた真諦法師の洞察。中国でも日本でも、水を支配するものといえばやっぱりこれですね。

 田場狩「徳音」。作者はゲンロンSF新人賞の作家。名ばかりの皇帝になったかつての宇宙大将軍の凋落ぶりを間近に見る側近の王偉(おうい)は、候景を揶揄するような謎めいた童謡を耳にし、それを確かめに街へ出る。童謡に出てきたものと思われる居酒屋には最近見つかった『量子』という書物について議論している人々がおり、店主の博先生は王偉と酒を交わしながら『量子』と「徳」について語る。『量子』によるとこの世は徳でできており、徳は波のようでもあり粒子のようでもある。徳は仁義礼智信の五常がその奥にある孝のまわりを回ることで存在しており、孝は敬と愛からなるが、それは強い力で引き合っている……。博先生は君子がいない世であっても、徳音を鳴らすことで君子を作り出すことができると言う。徳を人為的に加速してターゲットにぶつけることで徳音を鳴らすのだ。王偉はそれで候景をりっぱな君主にしようと実験を始めるのだが……。候景というより、これは『荘子』や『老子』のように『量子』という書物があったとして、それがどんなものかと想像してみた物語である。単純な量子力学の言葉遊びではなく、中国古典とうまくからめてそれらしく作り上げている(ように思える)のがいい。面白かった。

 宮園ありあ「馬駆林外白 蓮開水上白」。タイトルは「うまかけてりんぐわいにしろく、はすひらきてすいじゃうにしろなり」と読む。作者はアガサ・クリスティー賞受賞のミステリ作家でSFも中国史小説も今回が初めてなのだそうだ。歴史学者の女性、楊秀蘭は、タイムトラベルの実験に参加し、南北朝時代の戦いを追体験する。このタイムトラベルはどうやら肉体が過去に行くものではなく、精神だけが過去へ行くもののようだ。彼女が関心を持っていたのは候景と戦った梁の名将陳慶之(ちんけいし)とその養子の陳昕(ちんきん)だった。陳慶之は候景の侵攻を食い止めたがその後病死する。候景の乱では陳昕が致命傷を負い、候景に追われつつ菩薩皇帝の幽閉されている宮殿へと向かうのだが、そこで皇帝から驚くべき事実を聞かされる……。そしてそれは楊秀蘭へ対しても……。元々の史実を知らないので意外性と言われてもよくわからないのだが、確かにジェンダーの視点を持ち込んだSFだといえる。

 武石勝義「宇宙大将軍、名乗るなかれ」はいきなり遠い宇宙で宇宙大将軍を名乗る暴君が誕生するが(まさにバカSF的スペオペで、編者は藤子・F・不二雄を思わせると書いている)、それが現在の日本で中国史のシミュレーション・ゲームを作った高校生の話になり、さらに候景の最後を描く物語と、3つの物語がごく短い中で並列に描かれる。ポイントは「宇宙大将軍」だ。その大げさな(厨二病的と作中で言われている)言葉と、その後の急激な転落と破滅。「宇宙大将軍」という称号には何か呪いがかかっているのか。そういう意味では高校生のゲームの話こそ本作の中心に相応しい。ただその謎にはもう少し深掘りが欲しかったと思う。バカSFファンとしてはそこがちょっと物足りなかった。

 楊楓(ヤンフォン)「昇天六記」は少し難解。SF頭で解釈すると、候景が建康を落とした同じときに宇宙から怪しい存在がやってきて太陽を囲むダイソン球を作ろうとする。そのために地球人が宇宙空間でも生きられるようにする黒い液体を与え、候景らはそれを身につけると無敵になるとわかって大喜び。でもそれは宇宙空間での労働力として地球人を使うためだった。そして地球もダイソン球の材料とされる……。という話で合っているのだろうか。6つの章に分かれ、それぞれ話者を変えた視点からこの出来事を語るという形式だが、黒い液体とか昇天とかの謎について具体的な説明はなく、中国古典のそれらしいほのめかしがあるばかりだ。でも描写は美しく迫力もある。作者は中国のSF作家・翻訳家・評論家でアンソロジストだということだ。

 波間丿乀斎「梁は燃えているか」。作者名は「なみま・へつぽつさい」と読むらしい。作者は中国史愛好家で歴史小説のアマチュア作家であり、これが初めてのSF作品とのこと。梁の建康を包囲している候景の前に突然異変が起こる。巨大な牛のような怪異が現れたのだ。さらに候景を謎の集団が囲む。彼らはみな異なる時代から来た、候景と同じように中国史で梁という名の国を滅ぼそうとした者たちだった。なぜ彼らが時空を超えてここに集まったのか。それは語られぬまま、みなで梁の滅亡に力を貸そうと話が進むのだが、そこへさらなる天変地異が発生する……。普通の小説の筋立てではないが、梁を滅ぼさんとする者たちの会話には味があるし、最後のカタストロフ(とってつけたようではあるが、これもまた梁を滅ぼそうとするものだろう)も悪くない。

 勝山海百合「偽帝のしおから」では皇帝となった候景が殺された後の話が語られる。その首のない死体は建康の民によって切り刻まれ、なますや蜜漬け、肉団子にも加工されて恨みをもつ大勢の人々の手に渡り、売られる(もちろん偽物も多かっただろう)。本作ではその肉片を受け取った人々のエピソードが語られるのだが、人肉食のグロテスクさは薄く、殺された家族の恨みをはらそうとする者、全く口をつけようとしない者、魔法で増やそうとする者など様々で、どこかユーモラスなところもある。遠い田舎では死んだ候景が自分を祀れと夢にまで現れ、厚かましい奴だと呆れられたのだとか。だがここで描かれる「宇宙大将軍」の最期には極めてSF的な味付けがあり、そこでも彼の称号が大きな意味を持っている。面白かった。

 大野城「アムリタ」。アムリタとは天から降る蜜、甘露のことである。解説者によれば、この作品の候景は「きれいな候景」であり、史実の暴虐な候景とは異なる。破れた梁の皇帝に敬意をもって対し、菩薩皇帝の言葉から甘露(アムリタ)の意味を知る。作者はこれが初めて書いた小説だとのこと。そうは思えないくらい文章は見事で、敗北した候景が長江に蜜を流し、巨大な黄金の魚が悠然とたゆたう中、空から無数の蜜魚が降ってくる情景などとても美しい。あったかもしれないもう一つの歴史の一コマとなっている。

 立原透耶「孤舟」ははるか未来のスペオペ。宇宙大将軍を名のる候景の宇宙艦隊がはるかに強大な鄭和の大艦隊に攻撃される。鄭和は候景にとって未来(候景が宇宙の南北朝時代なら、鄭和は宇宙の明代)の人間で、技術的にもずっと進んでおり、とても歯が立たない。そこで候景がとった策は……。というお話。いや、それ無理でしょうと候景の側近もいうのだが、無理でも何でもやってしまうのが候景。かくてとんでもない展開となるのだった。大筋はバカSFなのだが、細かいところにさすが立原さんという中国史やSFの知識がひねられていて笑えた。

 梁清散(リァン・チンサン)「金光人日」。傑作歴史SF「済南の大凧」の作者だが「焼肉プラネット」というドタバタコメディもあって作風は幅広い。この作品はまた異なり、金色の光を放って実りや幸運をもたらすという塗金仏像造りの、腕は立つが個性の強い天才的職人とその若い弟子の話を、こき使われる弟子の視点からリアルに描き、さらにそれが幻想的な超絶SFに変わるという作品である。前半は梁の国での優秀な塗金職人である要阿叔と、孤児だったのを彼に拾われ弟子となった阿磚(あせん)の話が中心で、どうやって師からその技を得ようかと(直接教えてはくれないので盗み見て覚えるしかない)努力する阿磚の話が続く。だが時が経つにつれ、金光の力が衰えていくように感じていたところ、候景の侵略が起こる。侵攻してきた候景が建康の菩薩皇帝を捉えるという大事件だ。阿磚は師から建康へ行くように命じられる。そこで彼が見たものは……。二つの世界をつなぐ金光仏の真実とは……。このSF的な展開が見事だ。

 猿場つかさ「画牌する叛乱者」は「画竜点睛」の故事で知られる梁の画家、張僧繇(ちょうそうよう)をフィーチャーし、その弟子となった少年、蔡子瑜(さいしゆ)を主人公とする、芸術的な「カードバトル」の物語(解説者の言葉によれば)である。画牌(がはい)という絵札に描かれた絵がまるでホログラムのように空中に情景を映し出し、しかもそれが意思を持って動く。その構成要素のそれぞれについてポイントをつけ勝者を決めるというのだから確かにカードバトルだ。師の張僧繇は梁の宮廷絵師であり、皇帝とたびたび画牌の対決を行っている。この描写がとても幻想的で力に溢れており、見とれてしまうような読み応えがある。師には蔡子瑜ともう一人の優れた弟子がおり、それが陸仁華(りくじんか)という少女である。彼女には蔡子瑜とはまた別の才能があって、とても舟には見えない球体のような舟の絵を描いてそれを動かすことができた。だが彼女は師の元を去って行き、蔡子瑜が彼女と再会したのは、候景の乱のさなかだった……。作者はゲンロン出身の若手作家だが、この作品は短いながらも傑作だ。蔡子瑜と陸仁華の悲劇的でありながら余韻の残る物語もいいが、とりわけ彼らの描き出す(そして動き出す)空想の生き物や情景がとても生き生きとしていて素晴らしい。

 陸秋槎「法身は滅しない」はスペオペベースの歴史パロディといった雰囲気の作品。南梁星間帝国の武帝は釈迦星から届く「梵音」と呼ばれる通信にはまって受信塔(ストゥーバ)を何百万基も建造し、仏教(とはいわないが)に耽溺する。臣民へ肉食禁止令を出すほどだ。そこへ候景の乱が勃発。建康星は陥落し、皇帝は幽閉される。そしてその最後の言葉は……。全編が歴史、仏教、科学用語のパロディで、ドラマ部分はなく、あたかも未来の歴史書を読んでいるような感覚になる掌編である。

 長谷川京「エクストリーム・グリッチ」も未来の話。歴史シミュレーションゲーム「シヴィタス・クロニクルズ」にはバグ技があり、そこで出現する「きれいな候景」を使ってゲーム時間内に文明を宇宙進出まで発達させたなら、そのプレイヤーを人類初の火星旅行に招待すると、イーロン・マスクみたいな大富豪のゲーマー、ジャクセン・パイクが宣言する。そもそもの候景は裏切り、陰謀など文明を崩壊させるパラメータが強化されたトリックスター的キャラクターだったのだが、「きれいな候景」になるとそれが一変して世界に秩序をもたらす平和の使者となるのだ。ところがパイクの条件を実現しようとしたプレイヤーたちはしだいに二つのグループに分かれ対立を始める。一つはバグによって強制的に平和状態になるのを利用して他の世界を破壊し、候景の強権に資源を集中させる闘争(パイディア)派、もう一つは世界平和を維持したまま地道な発展を進める協力(ルドゥス)派だ。ゲームの話だったはずが、SNSでそれが現実世界に浸透し、ひどい分断を招いていく。この物語の語り手はそんなプレイヤーの一人。破滅に向かう世界の現状を憂いて実際に文明を存続させるためのアーカイブを仲間と共に宇宙へ打ち上げようとする。そしてその中に独裁者によらない自由でゆるやかなつながりによる希望を埋め込むのだ。作者もゲンロン出身者。解説にあるように、候景本人が一切現れないこの作品は現代の深刻な世界情勢とパラレルであり、そこで描かれる悲観的な状況の中にある未来へのささやかな希望こそ強く心に残るものなのである。なお、グリッチとはコンピュータ・システムの一時的な障害のことだが、ゲームにおいては不具合を利用した裏技の意味になる。
 


レイ・ネイラー『絶滅の牙』 創元SF文庫

 2025年10月刊。訳者・金子浩、解説・勝山海百合。200ページほどの薄い文庫本である。2025年のヒューゴー賞ノヴェラ部門受賞作。いわゆる長中編というもので、出版界に厳しさが増すなか、この長さで一冊の本として売り出す(そして値段も抑える)ことが一つの方策として内外ともに打ち出されてきているようだ。本書の原書もこの長さで一冊となっている。

 近未来のシベリアに造られた広大な特別保護区に、絶滅したマンモスを復活させるというところからはじまる物語である。だがそれだけではない。この短い中に様々なシリアスなテーマを盛り込み、しかもそれらがちゃんと物語と互いにからみあっていて混乱もさせず、それでいてエンターテインメントの面白さもあるという、とてもよく出来た小説である。ヒューゴー賞も当然と思われる傑作だ。

 読む前は絶滅動物の復活というのをあまり肯定的に思っていなかったので、どうかなと思っていたのだが、著者はそのあたりの問題点もしっかり押さえた上で本書を書いている。絶滅種の復活についてはこの前のSF大会で川端裕人さんの講演を聞いたのだが、そこで話されていたように、本書でもマンモスの復活自体が目的ではなく、その生態系を復活させることでシベリアの凍土を守り、地球環境を守ることこそが目的だとされている。もちろんその前に「絶滅」それも人間による「絶滅」が問題であることは当然で、本書で死後マンモスにその意識を転移した主人公のダミラは、生前はゾウを守ろうと密猟者たち(ほとんど軍隊である)と必死に戦っていたのだ。そのことが人間であったダミラとマンモスとなったダミラの意識との葛藤(というか彼女は人間であることを止めてマンモスのために戦う)に繋がっていく。単純な擬人化ではない。著者は人間だけでなくゾウの意識についても科学的な研究をベースに描いていて、本当かどうかはともかく説得力がある(彼のデビュー作はタコの知能と意識についてのSFだった。これも翻訳されないかな)。

 復活したマンモスといってももちろん本物のマンモスではなく、マンモスの遺伝子を使って普通のゾウに生ませ、育てさせたものだ。この時代にはもはやその普通のゾウも野生種は密猟などで絶滅してしまった。生まれてきたマンモスにはマンモスとしての生き方がわからない。そこでゾウをよく知るダミラ(のバックアップされたデータ)をメスマンモスに転送して群れの指導者とすることになった。本人は死んでいるのだが、気がついたらマンモスになっていたなんて無茶な話だと思うが、マンモスのためにはそれが最善だとしてやってしまうのが保護区の科学者アスラノフ博士だ(この人ロシア人だからしょうがないなと思うのは偏見です)。
 アスラノフは根は善良な人物だが、善意はあっても矛盾のかたまりみたいな人で、保護区を維持する費用を捻出するため、大金持ちに大金を出させて特別にマンモス猟を許可したりする。その狩猟にやってきたのが大富豪のアンソニーとその夫のウラジーミル(なお二人とも男性だ)。ウラジーミルはアンソニーを愛しているが彼がマンモスを撃ち倒した時にはその愛が壊れるのではないかと不安に思っているのだった。

 そしてマンモスの牙を手に入れようと保護区に侵入している本物の密猟者たち。物語冒頭でその大半がダミラたちに踏み潰されてしまうのが小気味いいが、生き残ったのが二人。その一人が否応なく密猟者の父に連れて来られた少年、スヴャトスラフだ。彼もまた複雑な人間で、ひどい家庭に育ったが、遠い世界を夢見る少年だった。彼の純真な気持ちが悲劇的な物語を和らげる結果となっている。

 ダミラとマンモスたち、アスラノフ博士と保護区の主任レンジャー、アンソニーとウラジーミル、そしてスヴャトスラフ。彼らの運命が結末に向かって交錯していくことになる。
 登場人物たちがロシアの少数民族だったり、地方都市の出身だったり、その家庭環境が様々に描かれているのも面白い。環境保護とその矛盾、強権的な政治と大富豪が支配するディストピア的近未来(というか今の現実に近い)世界、意識と身体性の問題、そんなリアルなテーマをよくこの長さにまとめあげたものだと感心する。


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