内 輪   第418回

大野万紀


 長い間使っていた固定電話がついに故障したので、電気屋に見に行きました。スマホがあるからいいじゃないかという意見もありますが、個人ではなく家庭に代表番号でかけられる固定電話というのはやはり代替出来ない部分があります。しかし、さすがに需要が少ないんでしょうね。数えるほどしか種類がなく、しかも高齢者向けの迷惑電話対策に機能が集中していて、シンプルな電話機がほとんどありません。はじめこれにしようと思った機種は、よく見ると電話帳が子機にしかなく、親機では登録した番号にかけることができず、かかってきた番号が電話帳にあれば名前を表示する機能もありません(昔の電話機ではこれを音声で読み上げてくれたのでとても便利だったのですが)。そこで親機・子機ともに電話帳をもつ一番安い機種を購入しました。まあ普段使うのはやはりスマホの方なのでこんなもんでしょう。

 今月の<日経サイエンス>にプラナリアの知能の話があり、まだ仮説段階のようですが、脳ではなく体細胞が記憶をもつ可能性について書いてありました。人間の場合はどうなのでしょう。もし人間でも記憶が体細胞に分散しているのなら、SFの人格ダウンロードなんてとんでもなく困難なことになるかも知れません。

 成都でヒューゴー賞をとった中国のSFファンジン「Zero Gravity News」を編集しているRiverFlowさんから、SFMに掲載されたぼくのエッセイを翻訳したいという話があり、ぼくとしては異存ありませんとお伝えしました。RiverFlowさんはまた、日本のSFファン活動の歴史について書かれたものはないでしょうかとのことでしたが、これはサイトをさがせばいくつかあるにしても、系統だったものは今のところないような気がします。まさしく「SFファン活動アーカイブ化計画」にもからむ話だと思います。
 そういえば、梅田のSF例会で、昔のSF大会などの話になり、青木さんの家にSF大会やフェスティバルの貴重な8ミリフィルムやビデオテープが色々と残っているということでした。劣化しないうちに何とかデジタル化できないものでしょうか。

 ガンダム・ジークアクスについてのFBの投稿に、「向こう側の世界」を全部「武庫川の世界」と(わざと)書いてあるものがあって、爆笑しました。そうか、武庫川の世界だったのか。武庫川の世界はとってもいい世界ですが、今の時期はユスリカの蚊柱が大発生するので、宇宙世紀の人たちも襲われてびっくりするでしょうね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


貴志祐介『さかさ星』 角川書店

 2024年10月に出た本。ホラーだが、呪物ホラー。とても面白かった。
 主人公の中村亮太は今風のユーチューバー。戦国時代から続く旧家、福森家で惨劇が起こる。親戚の夫婦とその妹、その子供たち3人が化け物に襲われ、夫婦と妹の3人が猟奇的に殺され、家長だった大叔母さんが行方不明になったのだ。主人公は大叔母さんの妹である祖母と、祖母が連れてきた賀茂禮子という名の、霊能者だという女性と共に事件のあった屋敷に行くのだが、賀茂禮子は屋敷に着くなり、庭の木が植え替えられているとか、大黒柱が逆さまにされているとか、不吉な要素を次々に指摘していく。どうやら屋敷をリフォームした際に依頼した坂井という建築士がそういうことを指示していたようなのだ。
 物語の前半はその霊能者が惨劇のあった屋敷での過去の出来事を、まるでタイムマシンで見て来たかのように語り、屋敷中にある禍々しい呪物をどんどん見つけていく話がずっと続いていく。掛け軸、置物、人形、お面、須恵器の壺、刀剣、そしてティーカップ……。なかでも松下という古物商が持ち込んだ品々が特に怪しい。禮子によれば、物には人の念が残留思念として残り、それは良い方向に作用する場合もあるが、ほとんどはマイナスの怨念として凝縮し、中には数千年も残留するものがあるという。この屋敷にはそんな呪物が山のようにあり、禮子の霊力によってそんな様々な呪物からの、それぞれの戦国時代にまで遡る因縁が掘り起こされていくのだ。さらにあまりにも呪物の数が多いため呪いの輻輳とでもいうべき現象が起こっており、互いの呪力が拮抗して打ち消し合うような効果もある。だから無雑作に1つを取り除いたりするとかえってバランスが崩れて致命的な結果を招くかも知れないという。
 このあたりの設定がとても面白い。SFだとはいわないが非常にロジカルで、数学的、力学的な雰囲気すら感じられる。
 肝心の家族4人が殺された事件については、冷蔵庫から毒物が見つかったり、屈強な大男である主人が人間離れした力で逆さ磔のようにされて殺されたとかいうことが断片的に語られるくらいで、怪しげな人物は戦国時代から今日まで何人も登場するのだが、犯人は誰かとかいった謎解きの方向にはあまり進展しない。だが子どもたちが幽霊を見たとか、これまた断片的な情報が次々と掘り起こされていく。
 ストーリーは二転三転してとても面白いのだが、この小説の真の主人公はアイテムとしてキャラ立ちしているそういった様々な呪物たちそのものだろう。幽霊や妖怪とも違う、強い思い(恨みや呪いだけとは限らないが)を込められたモノたち。そのひとつひとつの来歴がそれぞれ昔話となって語られるのが興味深くもあり、大変読み応えがある。古くて大きな日本家屋の部屋部屋の、恐ろしくもあり魅力的でもある独特な雰囲気がリアルに心に響いてくる。
 後半ではいよいよ呪物たちとの激しい対決となる。呪物であるアイテムには味方となって守ってくれるものもあれば敵となって害をなすものもある。それを見極めることが重要だ。そしてお化け屋敷が舞台のホラーゲームのような展開。作者はそれを明示的にやっているので超自然的な怖さよりもゲーム的なサスペンス感覚の方がより強く感じられる。
 一応のエンディングはあるがこの物語は根本的には終わっていないのだ。作者は続編を執筆中とのことであり、続きもぜひ読んでみたい。


マーサ・ウェルズ『システム・クラッシュ』 創元SF文庫

 これも2024年10月に出た本。前作『ネットワーク・エフェクト』の続編だが、冒頭に訳者と編集部による『ネットワーク・エフェクト』の要約がついているので大丈夫。
 舞台は前作と同じ謎の植民惑星。はるか昔の前CR(企業リム)時代に植民が行われたが、惑星に残されていた〈異星遺物〉に感染し、奇怪な建造物を作った後に入植者たちは全滅した(前CR時代コロニー)。そして40年程前にやって来たのがアダマイン社。同じ場所に新コロニーを建設し、テラフォーミングも開始したのだが、その途中で会社がなくなり、コロニーの所在も不明となった。そのデータベースを入手し、ここに来たのが前作に出てきたBE社だ。彼らの目当てはこの星の埋蔵資源である〈異星遺物〉。それは大変価値のあるものだが同時にきわめて危険なものでもある。実際彼らの最初の探査員たちはそれに感染し、前作の事件を引き起こしたのだ。
 まるでホラーSFのような〈前CR時代コロニー〉の廃墟、コロニーごとに分断され、一部は敵対しているアダマイン時代のコロニーの生き残りたち、北極にも連絡を絶った分離派のコロニーがあるという。そして入植者たちを根こそぎ他の星へ移住させて(実体は奴隷労働だ)〈異星遺物〉を自分たちのものにしようとしている冷酷なBE社……。
 ”弊機”マーダーボットは、そんな騒動に巻き込まれ、〈不愉快千万な調査船〉ARTことペリへリオン号(は宇宙空間から動けないので、その意識をコピーしたドローン)と共に、ARTの乗員たちを救出し、さらにアダマイン時代の入植者たちをBE社の魔の手から保護するというややこしいミッションを託されることになるのだが、果たしてそれは完遂できるのだろうか。そんな、弊機とARTが大好きな連続ドラマみたいなことが、本当に――。
 ARTの乗員の多くは大学に所属する調査員なので、冷酷な企業側と違って人間味があり、それだけ甘いということでもある。”弊機”はそれに苛立ちながらもむしろ時おり意味も無く無駄な計算をする自分自身にも苛立っており、始終ぼやき続けることになる。でもそれこそが”弊機”だよ。ARTのツッコミや人間たちのボケ具合もいい味を出している。
 今回はさらに分離派コロニーの管理システムであるアダコル2号がとてもいい。ずいぶん古いシステムなのに”弊機”と意思疎通してとても適格な対応をしてくれる。しかも”弊機”やARTの知らない古いドラマのライブラリーも持っているのだ! ドラマ好きというところも共通している。
 前半は何が出てくるかわからないダンジョン踏破のようなホラー感あふれるハラハラドキドキの連続、そして後半はうって変わって激しくスピーディな戦闘シーンが続いて飽きさせない(そしてその間、”弊機”はずっとぼやき続けているのだ)。大変楽しく読み終えることができた。


小川哲『スメラミシング』 河出書房新社

 2024年10月に出た短編集。主に〈文藝〉に掲載された作品6編を収録している。

 「七十人の翻訳者たち」は『NOVA 2019年春号』で既読。紀元前262年プトレマイオス朝での旧約聖書のギリシア語翻訳にまつわる奇怪な事件と、2036年の量子コンピューターを使って物語の「ゲノム」を解析しようとしている研究者との関わりを描く本格SFだ。二つの時代が交互に描かれ、物語というものが時間軸の中でどう作り上げられ、受け継がれ、融合し、適応放散していくかがテーマとなっている。70人の翻訳者が個別にヘブライ語から翻訳したはずの聖書が全く同じ文章になったという「奇跡」が、その責任者と王との命がけの対話の中で真実を曝露されていく。その真実とは262+2036年の時の隔たりを越えて循環する、自己言及するミームの、ここでいう物語「ゲノム」の相互作用による結実、特異点に他ならない。意識、言語、物語、時間といった現代SFのテーマが、知的に、エキゾチックな舞台で展開する。特に物語ゲノムという発想が刺激的な作品である。

 「密林の殯(もがり)」は宅配の仕事をしているぼくが主人公。その日常がずっと描かれていく。タイトルは何のことかと思うが、密林とはアマゾンのこと。殯(もがり)はぼくが京都の八瀬の出身で、天皇が崩御した際に柩を墓まで運ぶ八瀬童子の一族だからだ。父はそれに誇りをもっているが、自分は何とも思っていない。東京に出てアマゾンやその他の荷物を宅配する仕事につき、それが自分にあっていると思っている。宅配の複雑なルートを計画し、時間通りに配達し終えると満足するのだ。同僚たちとも普通に話をし、ぼくの出自についても知られている。
 ちょうど平成から年号が変わろうとしている時で、父親もそれにからんで上京し、宮内庁へ顔を出すというのだ。
 この物語はそんな特別な出自をもつ一人の青年の宅配というお仕事小説として読めるが、独特なのは上司が言う、宅配を頼む人も「神」、運ぶ荷物も「神」、受け取る客も「神」という話を主人公が半ば真剣に考えるところだろう。そんな神々の中で実際に動く自分はいったい何なのだろうと――。
 アマゾンの宅配が伝統的な神事とパラレルに見えてくるのだ。

 「スメラミシング」ではコロナ禍の中での陰謀論に取り憑かれた人々が描かれる。彼らはSNSで結びつき、その思いは増幅されていく。タイトルはそんな人々から崇拝を受けている発信者のSNS上のハンドルネームだ。物語は二人の視点から語られる。
 家庭に問題があり、本人も子どものころから問題行動を繰り返していた青年「僕」。進学はせずホテルに就職するが、笑顔を浮かべることができず、他人と打ち解けることができない。そんな彼の思考はSNSに発散される。
 もう一人は「スメラミシング」を信奉し、そのSNS上の意味不明な文章を解説してツイートする「バラモン」と呼ばれる追従者たちの草分け的存在、「タキムラ」というハンドルネームをもつ「私」である。タキムラは「世界を変える」ことをめざし、スメラミシングの言葉にそれを託す。
 スメラミシングの多くのフォロワーが(その陰謀論の内容は様々だが)反ワクチンで結集し、デモに集まってくる。そして二つの視点は互いにすれ違いながらもそこで合流するのだが……。
 ここでも「その理由」を語る(騙る)物語というものが(いかに事実に反していようと)人々を動かす力になるという、そのダイナミクスが描かれている。

 「神についての方程式」ははっきり言って「ゼロで割る」についての物語であり、疑似論文である。とても面白かった。テッド・チャンの作品でもそうだが、ここには人が数学を理解するときの巨大な断層がある。
 作者は数学が専門ではないサイエンス・ライター(でもぼくよりは数学が得意そう)。彼女が一般読者向けに書いた記事という形式で、親しみやすい口調を用いてインドでの「ゼロの発見」が現代科学にどのような意味を持つのかを語っていく。サイエンス・ライターの彼女は、ヒンドゥー・ナショナリズムが高まる現代のインドで、日本人の女性科学者がムンバイ工科大学の「ゼロ・フェスティバル」でゼロについて講演するのを取材に行く。女性科学者の話は、現代科学はゼロ(で割ること)を忌避しており、素粒子を点でなく紐で扱うことでゼロを隠そうとしているという内容で、インド人は今こそゼロを取り戻すときだ、というような、ほとんど宗教的といっていいものだった。サイエンス・ライターはこの取材を科学雑誌に載せることを断念するのだが……。
 記事の中にこの「ゼロ・フェスティバル」のURLも記載されていて、実際にそのURLへアクセスしてみると、それとは別の「ジロ・フェスティバル」というインドで開かれている音楽フェスティバルへ飛ばされた。お茶目だなあ。
 ところで講演の中で、3まで数えるのと、3からカウントダウンするのとで、数えるときは1から数えるのにカウントダウンでは0まで数えるという話が出てくる。面白いと思うが、実はコンピューター関係では、0番目、1番目などと0から数えるのはよくあることだ。これは1ビットの領域(電球と考えればそれが点いているか消えているか)で1と0が区別されるからだ。ゼロは何も無いのではなく、そういう状態がちゃんと存在するのである。でも0で割ろうとするとしっかりエラーになるけどね。
 この作品にはこの記事を中心に、その外側で未来の宗教考古学者が、21世紀に誕生し大きく発展したが〈大断絶〉で途絶えた「ゼロ・インフィニティ」という宗教団体を研究するという枠組みがある。この研究者の曾祖父は実際に記事にある「ゼロ・フェスティバル」に参加しており、記事に出てくるサイエンス・ライターの通訳の女性(この女性もとても面白くていい味を出している)と話をしたことがあるのかも知れない。そして結末では驚くべき展開があり、まさにイーガン的なSF的ショックがあるのだ。もうちょっと短くまとめても良かったようにも思う(だからこのレビューも長くなってしまった)が、大変興味深い作品だった。でも円城塔ならこれをどう書いただろうか。

 「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」は普通に宇宙SFの設定がある。1万7千年前に人類が播種されたラケル系第6惑星では、そこに生まれた人々が幻想である宗教を否定し科学的な合理性と客観性を精神とする「理国」を建国した。それから2千年(地球時間でいえばもっと長いが)たった時、ある研究者が建国の叙事詩を研究するうちに、そこに大きな矛盾点を発見したとして国の科学会議に報告する。それは「理国」の精神基盤に関わる矛盾点であり、研究者の考えが正しければ、超越者の存在を否定する叙事詩の記述の中に超越者が存在するという証拠が隠されているというのだ。これは建国の理念に関わる問題であり、うっかりすると死刑になるかも知れないという大問題だった。
 人間の幻想を否定し、神を否定することを絶対視するこの国で、科学会議の議長たちは「播種計画」についての事実を知識として受け継いでおり、研究者が指摘した過去の叙事詩の矛盾とは、播種者が文明をコントロールした結果なのだと知っていた。だがこのことが公になれば、人々は播種者を神として考えるようになるに違いない。そして議長の出した結論は……。
 話の進め方がちょっと強引な気もするが、これってまさに現実のID(インテリジェント・デザイン)の問題に通じるものであり、作品の中にも「一神教症候群」なる言葉が出てくる。でもこの作品の場合には本当にデザイナーが存在するんだものなあ。

 「ちょっとした奇跡」はストレートなポストアポカリプスSFだ。地球に第二の月ができて自転が止まり、灼熱の昼と極寒の夜が半年ごと繰り返されるようになった世界。第二の月の破壊や宇宙への脱出、地下深くにシェルターを作るなどの案が考えられたがどれもうまくいかず、人々は海水の干上がった赤道上にレーンを築き常に明暗境界線を追って移動し続ける「船」をそこに二隻、昼を追いかけるカティサーク号と夜を追いかけるノアズアーク号を置いて、ごく少数の人々が生き残れるようにしたのだ。
 そして二千年がたち、カティサーク号に乗った機関士見習いの僕は英雄的な先輩たちの指導の下、様々な激務を果たしている。僕はノアズアーク号に乗っているリリザを思い、彼女と日記の交換をしていた。日記を書いてレーンに設置された燃料ハブの保存ボックスに入れ、半年後にそこに到着するノアズアーク号に受け取ってもらう。そして今度は彼女の日記がそこに収められるというわけだ。地上は太陽から直接くる太陽風により放射能汚染されており、防護服がないと出ることもできない。船長に勧められ、僕は顔も見たことのない同年代の彼女と4年前からこうして文通を続けているのだった。
 そんなある日、双方の船の男女比の不均衡から、僕にノアズアーク号への移動の話が持ち上がる。内心は彼女に会えることを期待しつつ、全てのクルーは船のため、生き残った人類のためという気持ちで僕は決断する。そして……。
 はっきりいって設定にはかなり無理があるように思う。作中にもある通り、このやり方では持続可能性が乏しく、結果は見えている(SFの短編としてはそれで問題はないが)。だが(まるでプリーストの『逆転世界』のように)極限的なシステムの中での日常生活の細やかな描写と登場人物たちの前向きで意欲的な生き方には心を打つものがあり、そしてとても切ないが、すばらしく美しいボーイ・ミーツ・ガールな結末は、まさに「ちょっとした奇跡」である。傑作だ。


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