内 輪   第401回

大野万紀


 1月のSFファン交流会は1月20日(土)に、「2023年SF回顧(国内編、コミック編)」と題して開催されました。
 出演は、森下一仁さん(SF作家、SF評論家)、香月祥宏さん(レビュアー)、岡野晋弥さん(「SFG」代表)、福井健太さん(書評家)、日下三蔵さん(アンソロジスト)、林哲矢さん(レビュアー)。
 写真はZoomの画面ですが、左上から反時計回りに、森下さん、根本さん(SFファン交流会)、岡野さん、福井さん、日下さん、香月さんです。
  なお、当日のリストはSFファン交流会のサイトにあります。
 以下は、チャットも含め当日のメモを元に記載しているので間違いがあるかも知れません。問題があればご連絡ください。速やかに修正いたします。

■国内編
〈森下さんのお勧め〉
 2023年はAI元年 走りながらAIとのつき合いを考える年だった 今度の芥川賞にもAIの文章が含まれている。 戦争がウクライナからガザへも拡がって、人間の馬鹿さを思い知らされた年だ。
 作品としては年末に出た酉島伝法さんの『奏で手のヌフレツン』がダントツ。カンペキなSFで人間の出てこない別世界の話を酉島さん独特の言語で語り、しかも如実にその世界がわかる。読み始めはこの世界はわれわれの世界とどういう関係があるのかが気になるが読み進めるうちにそれはどうでも良くなる。そしてエピローグでまた新しい展開が!
 次は北野勇作の百字小説。去年はネコノス文庫から3冊出た。作品はどれがすごいとか言いにくいが本の作りが面白い。解説がちょうどの長さでいい解説になっている。QRコードからネットに飛ぶと北野さんの創作ノートを読むことができる。北野さんの朗読会があって、とりみきさんがギターで伴奏をつけていたがすごく良かった。
 筒井さんの『カーテンコール』。最後の作品集になるだろうとあるがその横に編集者が信じていませんと書いている。筒井さんが書きたいと思った25編が収録されている。個人的に好きなのは「おときさん」という酒場の女主人の話。主人公が公園を歩いていると懐かしい酒場があっておときさんと出会う。「塩昆布まだか」は老夫婦がとんちんかんな話をする作品。これまでの登場人物が出てくる作品や作家仲間が出てくる作品は、ほんの短いセリフなのにいかにもあの人たちだなあと染みるものがあった。傑作集というよりは好きなように書いた掌編集。小川哲さんがFMでやっている番組に筒井さんが出演して、自分の作家としての立ち位置、任務のようなことを筒井さんらしい言葉で話していた。断筆宣言中は何をしていたのですかという質問に小説を書いていたと答えるなど。
 小田雅久仁『禍』。作者は前年のSF大賞をとった「残月記」の表彰式でこの作品の話をしていた。SF大賞をもらったがSFは感情と理性が混じり合ったジャンルなので自分としては感情の方を重視したいと思っていたのでSFというよりはファンタジーの方を書いていきたいと語っていた。その感情面が強く出ているのがこの短篇集。ストーリーがとんでもないところへ転がっていって理屈をつけない。でもそれもSFといっていいのでは。一番すごいと思ったのは「鼻」。鼻と花をかけていて鼻を植える話。
 結城充考『アブソルート・コールド』。世界がすごい。富裕層と貧乏人が都市の上下で分かれて暮らしている。色んなSF的なアイデアが詰め込まれていてカッコイイ小説になっている。

〈岡野さんのお勧め〉
 長編の中では結城充考『アブソルート・コールド』が好き。世界観がすばらしい。主人公3人の視点でそれぞれ描いた都市というものを書きたかったと作者がSF大会で語っていた。
 あまりSFじゃないかも知れないが佐藤究『幽玄F』。戦闘機乗りの話だが面白かった。蛇がモチーフとして出てきてそれがウロボロスのイメージになっている。
 相川英輔『黄金蝶を追って』は初めて読んだ作者だがほっとするような優しい短編集だった。
 荻堂顕『不夜島』はサイバーパンク。与那国島が舞台。自分のアイデンティティがどこにあるかを探るアクションもたっぷりある話。
 2冊でひとつの『大阪SFアンソロジー』と『京都SFアンソロジー』。ぼくは京都では自動運転と手動運転の勝負の話が良かった。大阪は万博がまだ続いていて自動機械が月を目指す話の語り口が良かった。

〈香月さんのお勧め〉
 久永実木彦『わたしたちの怪獣』は表題作と「『アタック・オブ・キラートマト』を観ながら」が好き。
 倉田タカシ『あなたは月面に倒れている』には色々なタイプの話が含まれている。SFとして描かれながら社会と接続していく話がテンポのいい語り口で語られる。「二本の足で」はスパム広告が人型になって妙におかしく不穏な感じ。
 宮澤伊織『ときときチャンネル 宇宙飲んでみた』はマッドサイエンティストの生配信をとても読みやすい文章で描いているのだが、書かれているネタはすごくハード。コミカルなハードSF。
 斜線堂有紀『回樹』。「バックトゥザフューチャー」から100年ということだが2084年というアンソロジーによくこんな話を思いつく。社会というより個人。変なことが個人にどう関わるか。
 高野史緖『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』は歴史改変であり作者の故郷を舞台にした青春SF。SF的な仕掛けや語りが高野さんの小説の技が生かされている。

■コミック編
〈林さんのお勧め〉
 秋ヨシカ『みどりの台所』は結構重い設定。
 いけだたかし『旅に出るのは僕じゃない』。コロナが終わらない2040年代の未来。旅に出るのはプロの旅行人でVRでそれを経験する。VRで出力すると旅行人にはその記憶が残らないという設定があってエモーショナルな話になっている。
 田村隆平『COSMOS』。主人公は表紙の少女ではなく人の嘘がわかる少年。友人だと思っていた同級生が実は宇宙人で逃亡中。少女はそれを追う保険会社の人間。主人公は嘘がわかる能力を生かして彼女に協力する。特にSF的にすごいわけではないが少年マンガとしてよく出来ている。
 やましたれお『もぐら(仮)』。ジャンルとしてはどらえもん。未来から変なものがやって来てその変な行動に引っかき回される。未来から自分の孫がやってきて1年後に世界が壊滅する。超改造もぐらを置いていくので何とかしてというのだが、このもぐら麻雀牌を並べたりプラモデルを作ったり。
 藤村耕二『真の安らぎはこの世になく』。仮面ライダーをショッカーサイドから書いた話。仮面ライダーの世界がどうしてできたかのつじつま合わせがうまい。
 グレゴリウス山田『竜と勇者と配達人』13世紀の就職の本を書いていた人。RPG風の世界が実際の中世だったらというマンガだったが、中世が専制制度に覆われていく話になった。実際は6巻あたりで打ち切りだったところを変えて続けていった。
 斎藤頸吾『異世界サムライ』。サムライがどれだけ異常な存在かという話。
 蝸牛くも『ブレイド&バスタード』これはウィザードリイ。
 ペトス『亜人ちゃんは語りたい』。学校に一人くらいいる亜人たちの悩みを現実に解釈して日常に溶け込めるようにする。『オカルトちゃんは語れない』はそのスピンオフで、超常現象をSF的に解決する。

〈日下さんのお勧め〉
 山田鐘人『葬送のフリーレン』。有名な作品だけどとても面白い。タイムスパンがとても長い。『旅のラゴス』に雰囲気が似ている。
 アラカワシン『雑用付与術師が自分の最強に気づくまで』はなろう系ではやりのパーティから追放される主人公もの。追放された後大きなパーティに拾われて能力を発揮する。脳をいじって能力を発揮するという設定。もとは小説だがマンガ化された時のアクション描写がとてもいい。
 佐賀崎しげる『片田舎のおっさん、剣聖になる』。出オチなタイトルだがマンガがすごくうまくてアクション描写がとてもよく面白い。
 有馬明香『魔術学院を首席で卒業した俺が冒険者を始めるのはそんなにおかしいだろうか』。親から反対されたが冒険者になりたくてパーティに参加する。かなりコメディよりな話。パターンを外した面白さがある。ハーレムものにはならない。
 西尾維新・大暮維人『化物語』。大暮維人は絵がうまいがストーリーは・・・。そこへ西尾維新のストーリーを書かせたのがすごい。
 七月鏡一・早瀬マサト『8マンVSサイボーグ009』。原作を踏まえてちゃんと描いている。
 永井豪・細野不二彦『デビルマン外伝-人間戦記ー』。デビルマンに出てきた人の話。デビルマンを読んでいないとわからないだろうが。
 藤田和日郎『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』。少年マンガから青年マンガに変わった。
 古日向いろは『石神戦記』。石の神様の封印を解いて闘う。絵がうまい。

〈福井さんのお勧め〉
 シマ・シンヤ『GLITCH』。ちょっと洋風の絵柄。わりとストレートなジュブナイルの探索もの。実はこの街が異世界とつながっている。
 小坂俊史『ルナナナ』。掲載誌がつぶれてしまった。3人が月面で暮らしている4コマコメディ。
 岩宗治生『ウスズミの果て』。世界が瘴気で滅んだ後、生き残った少女が世界を回って死体を埋めたり生き残りを探したり、瘴気を払おうとする。様々な感傷的なエピソードが出てくる。雰囲気が良い。
 島崎無印『エリオと電気人形』。AIに対抗するため電力を停止し、蒸気とガスで動いている世界。戦後、戦闘アンドロイドだった少女エリオが体内で電気を作れる少女と出会って世界を旅する話。まだ始まったばかり。
 磯光雄『地球外少年少女』。一昨年出たが去年のものといってもいい。アニメは後半が尺がなくてバタバタしていた。マンガ版を観た方がいい。
 緑山『僕が恋するコズミックスター』高校生が宇宙から降ってきたヒーローと勘違いラブコメする。ちょっと古風な感じもある。
 路田行『透明人間そとに出る』。ちょっと奇妙でゆるめな話。ロマンチック系時間SFでもある。
 中原ふみ『ナッちゃんはテンションで水深が変わる』普通の女の子の学園話なのだが、主人公のまわりに内面に対応した魚が登場する。
 三島芳治『衒学始終相談』は傑作。SF雑誌に短編を書いていたような気がするが。
 ハミタ『宇宙人のかくしごと』はインパクトある出だしの倒叙ミステリ。
 田口囁一『ペンションライフ・ヴァンパイア』はとんがったところはないが、ヴァンパイアとそれを退治するはずの少女がペンションで友好関係を結んでいく。

 読んでいない本が多く、大変刺激になりました。買っていなかった何冊かはさっそく電書で購入(でも読めるのはまだ先になりそう)。
 次回は2月24日(土)に『2023年SF回顧(海外編、メディア編)』をzoomにて開催予定とのことです。


 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします


小田雅久仁『禍(わざわい)』 新潮社

 ホラーな奇想に満ちた短篇集。いずれも小説新潮に掲載された7編が収録されている。

 「食書」では本を食べる人が出てくる。昔、単語帳を覚えたらそのページは食べるという話もあったが、そういうのじゃない。主人公の作家はショッピングモールの鍵の開いていた多目的トイレで本のページをこっそり喰っている女を目撃する(ちなみに本文では「食う」ではなく「喰う」という表記が多用される)。「1枚食べたらもう引き返せないからね」という女の言葉に魅入られたように、主人公はつまらなそうな小説本のページを破って食べてみる。そのとたん、彼は小説内の世界におり、すぐまた戻ってくる。彼はその世界の続きを見ようと次のページも、その次のページも……。作品のイメージ自体はありがちなものだ。しかし「喰う」という生物的、官能的な行為が虚構と現実の境目を曖昧にする。その手触りがぞわぞわと恐ろしい。描かれた作品内小説も日常的ホラーとして現実の裂け目に迫ってくる。

 「耳もぐり」はさらに奇想の度合いが高まり、人の耳を鍵穴として指先を特別な形にし、その鍵を開けて他人の中にもぐり込んでしまう能力者が現れる。それって想像すると笑っちゃうくらいアクロバティックなイメージだけど、話はエグい。物語はずっとそんな能力者の中年男の1人称で語られる。男は失踪した恋人を探しに来た男性に、自分は彼女の隣室に住んでおり、彼女の行方も知っているという。そして耳もぐりの能力を受け継ぎ、何人もの他人に耳もぐりしてきたことをとりとめもなく話続けるのだ。耳もぐりされた人間は二つの意識をもつことになるが、長時間たつと耳もぐりの意識に吸収されてしまうのだという。そこから展開される男の独白は、再帰的な物語となり、その結末はエグいとしか言い様がない。

 「喪色記」は少し毛色が違う。ホラーというよりは幻想的なダーク・ファンタジーであり、ある種のSFといってもいいだろう。主人公は小説家を目指していたが挫折し、上司のパワハラにあって鬱病となる。彼は人の目に、視線に苦手意識があった。そんな彼はふいに「ざわめき」を感じたり、幻想的で物語性のある夢を見るようになる。その夢「滅びの夢」では、世界が「灰色の獣」に侵略され、色を失って滅んでいく。人々は「眼人(まなびと)」に導かれ「夢幻石」に逃げ込んで、その中の世界で生きていくのだ。彼はそこでマナという少女に出会う。やがて現実の世界に彼女が現れる。二人はリアルな現実での意識と共に、夢の世界を共有しているのだ。だが二人の幸せな日々にも終わりが来る……。複数の世界、重なり合う人間の意識、喪失の哀しみとあきらめ、そして希望。『残月記』にも通じる現実と異世界の二重性がとても印象に残る。ここではこの日常とは違う異世界も人々の暮らすもう一つの生きた世界として描かれており、それが科学的なものであっても神秘的なものであっても、そこにはSF的な奇想のリアルがあるのだ。

 「柔らかなところへ帰る」では太った女の体、その豊満な肉が男を不可解な世界へ運ぶ。ほっそりした妻を愛していた男が、ある夜バスの中で同席した太った女の肉感に異常な欲望を感じるようになる。女はわざと彼をそそっているように見える。逃げるようにバスを降りた男だが、その後もそっくりな女たちに何度もまとわりつかれるようになる。そしてついにある時……。エロチックな雰囲気の話だが、それが豊満で異様な女たちの正体が明らかになるとともに、SF的で伝奇的な世界へと入り込むのだ。結末の状況に、ぼくは泰西名画の裸婦像やラファティの小説を思い浮かべた。

 「農場」は本書で一番長い中編。しかし不気味で不条理な話ではあるが、ホラーというよりも奇想SF的であり、日々の単純労働を淡々と描くお仕事小説でもある。主人公は独り身で仕事を失い金もなくなって今にも公園のブルーシートの世界に落ち込もうとしている男。そんな彼に怪しげな中年男から住み込み仕事の話が持ち込まれる。彼が連れて行かれた先は、西日本(後で兵庫県の山奥とわかる)の塀や金網で閉ざされた農場だった。彼の仕事は保苗槽と呼ばれる巨大なタンクの中で赤黒い液体に浸された無数の鼻――人間の鼻の世話をすることだった。それが何なのか彼を指導する年老いた作業員はニヤニヤするばかりで曖昧なことしか言わない。しかしそれが人間の鼻であることは確かなようだ。そんな不気味な作業場であるが、何もかもを失った主人公はしだいにその生活になじんでいく。畑に丁寧に鼻を植え、害虫を駆除し、そして収穫を迎える……。奇怪ではあるが、仕事として描かれているので恐ろしさはあまり感じない。どんなことでも慣れてしまえば日常になるのだ。単なる作業員である彼には、この背景や全体像はわからない。わからないまま、わかろうとする気もなくなってしまう。異常な仕事ではあっても普通の工場労働者のような、平凡な日常。ポテンシャルの低い低レベルな安定状態も、そこに取り込まれた者にとってはひとつの楽園なのかも知れない。

 「髪禍(はっか)」は大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 プロジェクト:シャーロック』にも収録されていて再読。生理的な気持ち悪さがひとしおな、イヤなホラーだ。すさんだ日常を送る主人公の女は、かつての知り合いのチャラ男から高額なアルバイトの話を聞かされる。ある新興宗教で後継者お披露目の儀式があり、そこにサクラとして参加すると一晩で10万もらえるというのだ。その新興宗教は人間の髪を神として崇拝し、教祖は人の頭髪から未来を予知する能力があるという。彼女と同様にサクラとなる大勢の女たちと信者たちはバスに乗って山奥の巨大な宗教施設へ到着する。みな、人間の髪で編まれた服に着替えさせられ、数千人が集まるホールで儀式を待つ。主人公は金のために来たのであって宗教には全く興味がないが、気持ちの悪いちくちくする髪の服を着せられ何の疑いももたない信者と話を交わし、教祖である老婆と奇怪な後継者の姿を目にするうちに、のっぴきならない異常な世界へと入り込んでいく。この小説はほとんどその不気味な儀式の描写のみで成り立っているといっていい。人間の髪の毛というものをこれほど気持ち悪く嫌悪感を催すように描写することができるとは驚かされる。そして単なる新興宗教の異様な儀式を冷笑的な観察者の目で見ているつもりが、結末のコズミックホラー的な展開に、その落差に衝撃を受けることとなるのだ。

 「裸婦と裸夫」は電車内で突然全裸になる人々が出現し、それが急速に広がってゾンビのようにまだ服を着ている人々(主人公もその一人)を追い詰めるという、ホラーというよりちょっとコミカルな雰囲気のあるハチャハチャSF的な物語だが、老若男女みんな全裸になるので、そこには性的あるいは肉感的な要素は微塵もない。なぜこんな現象が起こったのか。全裸になった人々は解放を叫ぶ。何からの解放? やがて主人公は肌に痒みを覚える。そういえば裸人たちもみな体を掻いていた。痒さに掻きむしると肌がぺろりと剥ける。そうなのだ、脱皮だ。衣服だけでなく古い肌すらも脱ぎ捨てる。この作品のテーマは脱皮なのである。だから唐突に思える結末の大変動も当然そうだと納得できる。やっぱりSFだった。

 本書の主人公たちはこの世界で落ちこぼれた、あるいは平凡な日常を送りながらどこか孤独な冴えない男たちだ。そんな個が落ち込む先は、こちら側の秩序とは別の、もう一つの秩序――ルールをもつ集団であり世界である。紙の中に閉じられた世界、心にもぐり込む人々、滅びゆく異世界、大地母神、閉ざされた農場、奇怪な宗教集団、伝染する異常……。冴えない日常からそんな世界へ取り込まれてゆく主人公たちは、そこでひとつの安寧を得るのである。


倉田タカシ『あなたは月面に倒れている』 創元日本SF叢書

 23年6月に出た著者の単独短篇集。SFマガジンや『NOVA』などのアンソロジー収録作を中心に9編とあとがきが収録されている。

 「二本の足で」はAIがテーマの本格SFであり、近い将来に深刻化するだろう日本の移民問題が背景にある。移民の子で大学生の二人、ダズルとゴスリムはこのところ学校に来なくなった友人のキッスイを訪ねて彼の住む集合住宅にやって来る。部屋にいた彼は一見元気そうだったが、ちょっと普通じゃない。部屋の中には人間の形をした違法ロボットがいっぱいいて、意味の無い広告のような言葉を垂れ流している。〈シリーウォーカー〉と呼ばれる3次元スパムだ。唐突にバスルームから二人の知らない若い人間の女が現れ、親しげに「わー、久しぶり」などといい、三人の友だちなのだという。キッスイによると、彼女は人間だがスパムなのだ。本人の意識をシャットダウンして生きたロボットのようになっているのだと。だが彼女は「そんな設定のゲームなの?」と三人の会話に割り込み、三人と彼女を加えた会話はしだいに渾沌としてくる。これら全てが反移民論者による詐欺であり罠であると主張するダズル、スパムにされた彼女を助けたいとするキッスイ、そしてその間で迷うゴスリム。結論は出ないが話は思いがけない方向に進んでいく。AIと人間、ファクトとフェイク、情報とノイズ、生粋の住人と移民出身の住人、男と女、様々な問題が若い友人たちの会話と内省の中で語られる印象的な作品である。

 「トーキョーを食べて育った」のトーキョーは(北半球はほとんどそうなっているのだが)放射能に覆われ、廃墟となったビルを巨大な機械が破壊し食っていく街と化している。アメリカやソヴィエトがそれをやっているらしい。主人公は背中に原子炉を備えたパワードスーツに身を包みこの都市で無邪気に遊ぶ多国籍(?)な若者たち。無傷な民家を見つけると壁を剥がして中が丸見えな〈ドールハウス〉にする。笑いながら危ない遊びをいっぱいする。彼らの(ほとんど理解できない)若々しく取り留めの無い会話がこの作品に疾走感を与えている。そんな彼らが立ち止まったのは、保護服なしに暮らしている生き残りの日本人のじいさんに出会った時だ。若者たちとの噛み合わないが真摯な会話。そこに突然降りかかる暴力的な破壊……。核をおもちゃにすること。危険がわかっていてもそれに惹かれる子供たち。パワーへのあこがれ。その恐ろしさ。改変歴史ではあるが、それは現代のわれわれにもストレートに通じるテーマだろう。

 「おうち」は猫SF。主人公は両親が亡くなり親戚の家に引き取られて育ったという若い女性。虐待されたというわけではないが、過去にとらわれどこかおどおどしている。その家には今は誰もいなくなり、猫の保護をしている女性が管理している。そして猫たち。ここには寿命が長く、単語でしか話さないが人間の言葉を話す猫たちがいる。それは聞き取りアプリで日本語表示されるのだが、断片的で意味を解するのは難しい。コミュニケーションが成立しているかどうかもわからない。主人公は優しくしてくれたおばあさんがくれると言っていた絵を探しに来たのだが、それは妙に体の長い猫が自分の所有物だと思っているらしい。押しの強くない彼女と猫との恐る恐るの会話。それは確かにエイリアンとの会話に近い。

 「再突入」は長めの作品で、未来の芸術を描く本格SFだ。ほとんどの芸術作品をAIが作るようになった未来、前衛芸術家たちはより奇抜なパフォーマンスを試みる。例えばピアノを弾く奏者が軌道から地球へ再突入するその一部始終を芸術とするといった作品だ。物語は巨匠と呼ばれる老芸術家によるそのパフォーマンスと、それが行われる2年前の出来事が交互に描かれる。2年前、巨匠は砂浜で砂の像を造っていた若い芸術家と話をした。その若者は物怖じせず、巨匠に対してクールで辛辣な批評をする。それは作品だけでなく、その背景やライバルに対して巨匠が行ったことにまで及ぶ。しかしその会話は通じるようでいて通じない。それは二人の関係性にもう一人の芸術家を介する重い背景があることを示唆している。そしてパフォーマンスの場で事件が起こるのだ……。最後の光景にはブラッドベリが、そしてそれを模した石森章太郎のイメージがある。さらにそこではAIではないもう一つの知的生命の誕生が示されているのである。

 「天国にも雨は降る」は書き下ろしで、人類が滅びかけた後の未来、AIによって管理されている社会を描くSFである。後書きにもあるように、ここで描かれているのは絶望的とも言える人々の分断。それも意識の分断である。一定の多様性を認めながらも存在する本質的な排他性。現代のネットワークで露わになった思考や認識の分断化が未来の人類を存続させるためのシステムとして描かれているのだ。シェアハウスの自分の部屋の中に姿は見えないのに何かが存在する気配がある。主人公はそれが気になって仕方がない。友人に話すが、気にしすぎじゃないかと言われる。AIによって明らかにされるその真実とは……。人権概念は人間性と衝突する。排他性は人間性の本質にあり、それは最終的に他者の虐殺に至る。それを避けるために作られた新たな社会システム。それはディストピアなのだろうか、それともユートピアなのだろうか。いやそんな二分法が成り立たない話なのだ。ぼく自身は小市民なので、ローカルな安定性の中で平和な日常を暮らすのもありがたいと思うのだが、人類の中にはそんなポテンシャルの井戸を飛び出して世界を知ろうとする冒険者、越境者、逸脱者がいるものだ。人類の世界そんな人々が拡張していった。だが同時に殺戮と破壊も……。どうやらこの世界にもAIの管理に反抗するそんな人々がいるようなのだが。

 「夕暮にゆうくりなき声満ちて風」は小説というか、タイポグラフィー。地図の端っこがどうなっているのかという議論が10ページにわたって曲がりくねり交差し渦を巻き、ページの端では次のページにつながっていく文字列となっている。小説というよりはグラフィックな作品であるが、これは本来もっと立体的に表現されるものではないかと思った。そこで思いだしたのが、以前に円城塔がやくしまるえつこのために書いた「タンパク質みたいに」という小説(2015年の京都SFフェスティバルで披露された)だ。これはむしろ直線的な文字列だったが、斜めになり交差し合い、ぐるぐる回り、上になり下になり、上下左右の端がトーラス状につながっているというもの。それをやくしまるえつこがループする朗読作品に仕上げていた(Youtubeにあります)。この作品はそれ以前に書かれたものだが、これも何らかのインスタレーションに表現できるのではないかと思った。平面を目で追うのは疲れるのでアニメーションか朗読がいいな。

 「あなたは月面に倒れている」は既読だが、やはり傑作。宇宙服を着て月面に倒れている記憶喪失の宇宙飛行士である「あなた」に、月の塵のような謎めいた相手が話しかけてくる。断片的なその内容の圧倒的でSF的な不条理感。「ムー」のUFOや宇宙人についての記事をナナメから解釈するような内容が続く。さらにそれはエスカレートし、短いものとなり、「あなた」の記憶や意識にも影響を与える。姿の見えない塵やもやのような相手とは、伝統的には「神」だろう。だがこのうっとおしさは(いや「神」だってうっとおしいかも知れないが)人を惑わす「悪魔」としかいいようがない。異星人の語るバカ話のようでもあるが、その饒舌で断片的な物語の中には、大長編になり得るようなすごくSF的なアイデアや物語も含まれている。もしかして異星人はカンガルーの霊にでも取り憑かれているのだろうか。いくつかのモチーフが繰り返される。そこから連想されるイメージが奔放に広がりループする。フラクタルという言葉も出てくるが、まさにナンセンスなイメージのフラクタルだ。二人称小説だが、「あなた」にほとんど主体性はなく、この物語を語る主体はあなたに語ってくる存在と同一なのだろう。そして「あなた」=読者すら、その話す断片そのものなのだ。ぼくにはそのナンセンスな断片のいくつかにドキドキするようなセンスオブワンダーを感じられた。後書きではツイートのネタをうんざりするほど集めたとあるが、ツイートの読者の反応そのものがネタなのである。

 「生首」にも同様な雰囲気がある。隣の部屋でどんと音がして開けて見ると生首が落ちている。そのうち消えてまたどんと音がし、そこに生首が落ちている。主人公のわたしは会社勤めしている普通の女性のようだ。音はともだちにも聞こえるが見えるかどうかははっきりしない。死体や首が落ちてくる不条理なホラーはいくつも読んだことがあるが、この話では生首の正体や落ちてくる理由やロジックは描かれず、色々と教えてくれたおばあさん、自分が無意識にやることをちゃんと図解し支援してくれるともだち、そして生首にからむ様々な夢の断片がとりとめもなく描かれていく。これもまた「あなたは月面に倒れている」と同様、ツイートのネタを打ち込む気分のままに描いた小説だと言うことだ。後書きでは、ロジックの組み立てで飛躍を得るのがSFならば、ロジックの破壊で飛躍を得るのもまたSFだろうと書かれている。たしかに理屈は合わないがつじつまは合っているという奇妙な感覚がある。主人公を色々と助けてくれるともだちはいい人だな。結末近くの青い空間のイメージが鮮烈である。

 「あかるかれエレクトロ」もまた短めだがこの種の作品である。「駅のように見えるけれど、鬼なのですよ」という一文から始まり、意味のあるようなないようなフレーズが積み重ねられる。基本となるようなストーリーもないが、後書きではこれは泉鏡花を再話するものだと書かれている。終電、底なし沼、満開の桜、カラーコーン、自動販売機、そしてたぬき、旧家、ダムの底……。夜の闇とほのかな明かりがある種ノスタルジックで怪しげなイメージを誘う。そこには確かに泉鏡花的な何かを感じる。
 これらの作品と、ツイートを用いて描かれるごく短いマイクロノベルは似ているところもあるが、マイクロノベルがその断片の中で世界を作り、感情を作るのに対し(いや全てそうだというのではなく、そういうものが記憶に残っているという意味だが)、これらの作品では断片はあくまで断片であり、メモでしかない。それが意味(あるいは無意味)をもつのは同種のものが組み合わされ、繰り返され、フラクタルとなって大きなイメージの塊となる時だろう。


伊野隆之『ザイオン・イン・ジ・オクトモーフ イシュタルの虜囚、ネルガルの罠』 アトリエサード

 以前に出た『再着装の記憶 〈エクリプス・フェイズ〉アンソロジー』と同じく、テーブルトークRPG〈エクリプス・フェイズ〉の世界を舞台にした連作長篇である。著者は『再着装の記憶』でも「カザロフ・ザ・パワード・ケース」という本書と同じ登場人物をフューチャーした短篇を書いていた。

 本書は「ザイオン・イン・ジ・オクトモーフ」という短めの長篇(第一部が「イシュタルの虜囚」、第二部が「ネルガルの罠」)と、「カザロフ・ザ・パワード・ケース」と同じくそのスピンオフとなる短篇「ゲシュナ・イン・フューリー・モーフ」、「オクサナ・ラトビエワ:ザ・マーシャン・スナイパー」および後書きとおまけの短篇「イシュタルの蛸壺」からなる。それに岡和田晃による〈エクリプス・フェイズ〉や作者についてのコラムも収められている。
 〈エクルプス・フェイズ〉の世界や世界観を理解していればより細かなところまで楽しめるのは確かだろう。ただ本書は一人の作者による一つの統一された物語であり、これだけ読んでもその世界観は明瞭で、ポストヒューマンSFとしての強力な未来的イマジネーションとワクワクするようなエンターテイメント性、それに楽しいユーモア感覚をしっかりと備えている。波瀾万丈なストーリーに、ぼくは昔のフィリップ・K・ディックの作品を思い起こした。

 23世紀。超AIとの戦いで地球が人の住めない惑星となり、太陽系の諸惑星に人類が散らばった未来(ちょっとヴァーリイみたいですね)。ただ人類とはいっても遺伝子操作や身体改造、意識のアップロード、バックアップ、ダウンロードといったことが当たり前となったポストヒューマンな世界である。ダウンロードする先は義体(モーフ)と呼ばれ、人間だったり機械だったり動物だったりする。人間とは別にロボットやAI知性もいるし、タコやカラスといった知性化(アップリフト)された動物たちもいる。アップリフトされた動物たちは二級市民として差別的な扱いを受けている(ちょっとコードウェイナー・スミスみたいですね)。この世界はユートピアとはほど遠い、宇宙的巨大企業が支配する超資本主義の世界なのだ。
 本書の主人公はそんな巨大企業の1つソラリスの創始者の一人であるザイオン・バフェット。彼は地球が超AIとの戦争で破滅した時、身体を捨て魂(エゴ)をデータ化して地球を脱出した。その魂は解凍されることなくその他大勢の難民の中にまぎれていたのだが、ソラリスの中級パートナーである残酷な小悪党マデラに発見され、秘密裏にタコの義体(オクトモーフ)の中に蘇らされたのだ。マデラはザイオンであるタコを拷問し、莫大な資産へのアクセスを得ようとしたが、ザイオンはからくもそこからの脱出に成功する。
 そこは金星だった。その北極鉱区がマデラの管理下にあり、タコ型を中心に多くのアップリフトたちが過酷な労働に従事していた。ザイオンはマデラが支配する採鉱業者の一人、タージという名の小規模なタコの事業主を装って、保安主任カザロフの捜索を逃れつつ、マデラの裏をかいて金星を脱出しようと画策していた。タージは気の弱いタコで、知性化されたカラスの身体をもつマデラの代理人、インドラルの居丈高な恫喝にいつも謝ってばかりいる。このカラスに苛められるタコという構図は、作者がこの作品を書くとき最初に思いついたモチーフだということだが、ちょっと下品などつき漫才っぽさもあってやたらと面白い。
 小悪党は頭の切れる大悪党に翻弄される。ザイオンが大悪党かどうかはハッキリしないが、超資本主義社会でスーパー大金持ちになったくらいだから、きっと後ろめたいことも山ほどやってるに違いない。それでもマデラのような悪者がやっつけられるのには胸のすくようなエンタメ的快感がある。かくてザイオンは金星を脱出し、太陽系の中心である火星へと向かう。
 だがそこでも事件が起こる。なかなかどうして、ザイオンが過去の自分を回復することは簡単なことではない。今度はマデラより遥かに厄介な本物の敵と対峙することになる。今やザイオンの味方となっていたカザロフもからみ、ソラリスの秘密も明らかとなる。その秘密とはいかにもポストヒューマン的でSF的なものだ。金星とはまた違った火星の諸都市の描写もいかにもそれっぽくて楽しめる。


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