内 輪   第394回

大野万紀


 6月のSFファン交流会は6月17日(土)に、「前代未聞の《NOVA》がきた!」と題して開催されました。
 日本SF史上初!と言われる女性作家のみの書き下ろしSFアンソロジー『NOVA 2023年夏号』をテーマに、編者大森望さん(アンソロジスト、翻訳家)と、執筆者の方々、揚羽はなさん(作家)、池澤春菜さん(作家、声優)、溝渕久美子さん(作家)、藍銅ツバメさん(作家)が出演されました。
 写真はZoomの画面ですが、左上から反時計回りに、、大森さん、揚羽さん、池澤さん、溝渕さん、藍銅さん、みいめさん(SFファン交流会)です。
 以下、発言のダイジェストです(一部補足しています。発言そのままではありません)。

大森:『NOVA』はテーマアンソロジーではないが、『走る赤』を見て女性作家SFアンソロジーもいいなと思った。女性作家優先で頼んでいたらあっという間にいっぱいになった。
みいめ:作家は名前では女性かどうかわからないこともあるが、大森さんは知り合いだからわかっていたのか。
大森:依頼する時は特に女性のアンソロジーということは言っていなかった。
揚羽:SF大会の帰りに駅で大森さんにそういうの出ないんですかと聞いたらアリだと聞いた。え、書かせていただけるんですかという感じで。
池澤:ゲンロンの創作講座で書いた後、編集の伊藤さんとこれで行きましょうと決めていたら、済みません、大森さんが考えていたのは違う作品でしたと言われた。
溝渕:京都から東京へ行って受講し、休憩時間に大森さんと話をした。当時創元で短篇集を出そうと書きためていたが、今回は別のものを出した。
藍銅:SF創作講座で書いたもののリメイクでいいよと言われて。
大森:色々な事情で載らなかった人もいたが、ここにいたような人はすんなりと決まった。
みいめ:全員女性だというのはいつ知ったのか。
揚羽:出版しますというツイッターでは気づかず、編集からメールが来て初めて気づいた。
池澤:編集からの最後の最後くらいのメールで女性号ですと聞いた。発売の一月前だった。性別を明らかにしていない人もいるんですが、大丈夫なんですかと聞いたら、まだみんなには言っていないと。
大森:女性ばかりと言わないで出すという考えもあって、ギリギリまで悩んだがコンセプトをしっかり出せばSFを普段読まない人でも手に取るかも知れないと。
溝渕:初稿を出した後で改稿の打合せを大森さんと話したとき、他に誰が載るんですかと聞いたら今回は女性中心でと聞いた。
大森:別に秘密にしていたわけではなく、聞かれたら答えた。
藍銅:私も秋頃には察していた。菅さんに他のメンバーと京都を案内してもらった時、最近の仕事の話をしたら、みんな私も私もと。
みいめ:作品の話を。
池澤:「あるいは脂肪でいっぱいの宇宙」は最小の嘘で最大の効果をというお題で書いた。話言葉でボケとツッコミ。ツッコミ役に変な生き物。電車の中でiphoneで4時間くらいで書いて、1日半くらいでまとめた。ダイエットは個人的テーマでもある。
大森:持ちネタというかリアリティのある題材はいい。日常的なよくわかるところから出発してとんでもない所まで行く。入りやすい作品として最初に置いた。
揚羽:「シルエ」は難産だった。もともとハッピーエンドが書きたいのだけど、子供を亡くした親はどうやって立ち直るのかというテーマがあり、一度それで書いて大森さんに出したらSFとしてどうかと言われた。それを改稿して出したらこのハッピーエンドは安易じゃないかと言われた。そこへ最後の光景が浮かんで書き直したら○をもらった。ハッピーエンドじゃないけど読後感は悪くないのでは。
大森:昔クラークと小松左京が対談したとき、クラークが最後には科学者が日本を救うんだろうと言ったという話がある。子供を亡くした親がアンドロイドでハッピーになるのは嘘っぽいと思った。SFの人はもっとビターにすればいいと言い、SFじゃない人はSFなんだから何とか解決すればいいだろうと言いがち。
揚羽:妥協したわけじゃなく、自分で納得した終わりだ。
溝渕:どんなアンソロジーが読みたいかというアンケートがあり、齧歯類アンソロジーが読みたいと言うのがあった。私も齧歯類が書きたいと思って企画書を書いて別のところに出したらボツになった。大森さんから声をかけていただいたとき、齧歯類で出したのが「プレーリードックタウンの奇跡」。
大森:短篇集の話もあって台湾ものの話を書いてもらおうかと思ったのだが、齧歯類ものも面白かったので問題なかった。
溝渕:「神の豚」がSFじゃないと言われたので、今回はもっとSF作法に合ったものを書こうと思った。
藍銅:私も生き物(「ぬっぺっぽうに愛をこめて」)。
池澤:私のも生き物。
大森:「ぬっぺっぽう」は「脂肪ちゃん」かも知れない。
藍銅:お題が生き物を育てるだった。妖怪を育てて食べようという話にした。NOVAに載せられるということで少し余剰な描写を減らしてスッキリさせた。
大森:最後の方はホラーパート。さすがに「ヒュプリスの船」(斜線堂有紀)で終わると辛いので、ハートフルに「ぬっぺっぽうに愛をこめて」で終わらせた。

みいめ:後半は女性作家について。
池澤:かつてのSFMの女流作家特集に「きめ細かな情感にあふれたSFのお好きな男性諸君のために」とあって、それが女性SFというイメージだった。それは現代でも続いている。NOVAの作品を作家名を見ないで読んで、女性SFと思うだろうか。
大森:編集後記も帯も読まずに作品だけ読んだら特別女性SF的な特長は感じないだろう。でも全体的に読みやすいと言われた。
揚羽:どれも面白いが、SFのゴリゴリした感じがあまりなかった。
池澤:面白さに男女変わりは無いが、書き方や描写に違いがあるかも知れない。
揚羽:池澤さんの作品には、心の叫びが聞こえました。
池澤:韓国のSF作家は半分が女性で、そこでは抑圧されていたものが発散できる。言いたいけれど言えなかったことを発言できる。
みいめ:大原まり子を同時代的に読んだ印象では特に女性的な感覚はなく、新井素子には女子高校生の感覚があった。それは小松左京とは違ったものだった。
池澤:大原さんは当初からフェミニズムを意識していたと思う。
みいめ:書き手として女性ということの意識はあるか。
揚羽:私は意識しているわけではないが、自分の置かれている立場、子供がいて仕事をしてといったところが反映しているかも。自分では男性主人公の視点の方が書きやすい。
池澤:書きやすいのは自分が演じられるもの。女の子や男の子、女性ならお祖母ちゃんでもわかるが、壮年男性はどんな声でしゃべるのかというのが自分の中から出てこない。昔、性別を明かさずに男性っぽいものを書いていたが、それは自分を離れることができて楽だった。どんなものを書いても自分に結びつけられることがないので。
溝渕:作品の内容に関しては気にならないが、自分の年齢は意識していて、文化的なものに関わる人間としてどうあるべきかは気になっている。ある程度の年齢の主人公を登場させるのは意識していた。内容的には気にしていないが立ち位置は意識している。
藍銅:男性主人公の話を書くことが多い。30手前の男性の目線から見るヒロインの人魚の女の子を書きたいと思った。自分がというのではなく、現実に存在しない美しい可愛い女の子を書きたかった。
みいめ:少女マンガならありえない美しい男性を書こうとするところだけれどね。

 7月のSFファン交流会はZoomはなく、7月15日(土)に「トキワ荘ゆかりの地めぐり」街歩きとして現地集合で開催されるそうです。詳しくは公式サイトをご覧下さい。また8月は、日本SF大会の企画の1つとして、SF入門書で「SF再入門」と題して開催されるそうです。


 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
 なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。


井上雅彦監修『超常気象 異形コレクション54』 光文社

 このシリーズも54冊になった。井上さんの序文によれば、この巻が出た2022年12月は第1巻『ラヴ・フリーク』が出てからちょうど25年目になるという。雑誌じゃなくオリジナル・アンソロジーのシリーズで四半世紀も続いているって、すごいことだ。ちなみに巻数の表記はローマ数字になっていて、ぼくは以前に50巻の『蠱惑の本』を手に取ったとき異形コレクションLとなっているのを、「L」って何だろうと思ってしまった。アホです。この巻も15人の作家による15編が収録されている。テーマの「超常気象」について、序文では「異常気象」という言葉が日常となった「異常」な現代、それすら異化し、相対化するほどの〈超常気象〉をイメージして提示するのがミッションだと書かれている。

 大島清昭「星の降る村」ではタイトルとは異なり、降ってくるのは人間の手足や首である。それは国民的アイドルとして一世を風靡した天宮星(あまみやせい)の切断された身体なのだ。ここ、乙姫村では2、3日に1度、悲鳴とともに「あまみー」のバラバラ死体が天から降ってくる。同じ首、同じ手足が何度も降ってくるのである。まさに〈超常気象〉だ。村には「星人」と称する熱狂的なファンたちが押し寄せ、あまみーのパーツ(ご神体)を拾ってコレクションするようになる。ホラーかと思ったら奇想SFのようになり、アイドル・オタクを揶揄する物語かと思ったらそれも違う。最後に明らかになるミステリ的・超心理学的な「真相」もちょっと驚くというか、えっそうなのという感じだ。そして結末はまたムードが変わり土俗的ホラーで終わる。ただそこはちょっとわかりにくい。

 篠たまき「とこしえの雨」は普通に叙情的なホラー。いわば水蜘蛛という妖怪に取り憑かれ、相手の肉を喰らい自分の肉を喰らわれることの快感に浸る男女の物語。エロティックでグロテスクだが、略してエログロかと言われるとそれは意味が違う。しっとりと降る雨がベールとなって二人を覆い隠す。でもこの雨そのものは〈超常気象〉というよりごく普通の雨にすぎない。雰囲気のある話ではあるが、そこはちょっと物足りないと思う。

 宮澤伊織「件の天気予報」は作者の裏世界ピクニックにあっても良さそうな奇怪で不可解な、それでいて現代風にあっけらかんとした二人の女性の会話で語られる物語。彼女たちの一人は怪談師でもう一人は〈霊のやつ〉がよく出てくる祟られっ子だ。彼女の家では夜中に突然テレビがついて、件が天気予報めいたものを言う。だがそれは「あしたはぁ……いぬのはな。くべいをうけると、わざわうでしょう……」というような呪詛ともつかない不気味な言葉で、そしてそれが奇妙な形で現実となる。かなりイヤっぽいが、今っぽく明るい中にぞっとするような気持ち悪さがある。

 柴田勝家「業雨の降る街」は冒頭の「星の降る村」とタイトルが似ているし、死体が雨と共に降ってくるというモチーフにも似たところがある。だがこちらは主人公の少女と東京から来た転校生の少女(どちらも小学生)の歪んだ愛情(といっていいように思う)をベースに、この街で6年に一度、8月の終わりに降るという奇怪な業雨(自分が殺した相手が降ってくるとの言い伝えがある)を描く現代的なホラーだ。殺した相手は人間じゃなくても、動物でも虫でも同じこと。それがかえって気持ち悪い。業雨についても言い伝えについても一応のそれらしい説明がある。だからといってこのおぞましさは変わらない。嬉々として業雨を待つ少女たちの姿には、一見ごく普通なだけに目を背けたくなる恐怖がある。このところの作者の作品にはどれも凄みがあるといっていい。傑作だ。

 澤村伊智「赤い霧」の主人公は、心霊スポットに出かけて怪奇現象を撮影し記事をアップする「怪スポ突撃隊」の三人組。仕事を持ちながら趣味として活動しているが、これまで本当の怪現象には出会ったことがない。彼らが今回行ったのは廃墟となったニュータウンだ。ネットの時代に実際にありそうな話だが、そこでは確かに怪現象が起こった。野営していた廃マンションのロビーに深夜赤い霧が立ち込め、それが生き物のような動きをしてやがて消える。撮影したが何も映っていない。こんなものかと思っていると……。ホラーである。作品の冒頭に、ストーリーとの関係がわからない留守番している子どもにかかってきた不気味な電話のシーンがあるが、それがじわじわと三人組に関わってくる。三人の心の奥に秘められたもの。恐怖はそこから実体となってやってくるのだ。これはぞっとするよ。

 斜線堂有紀「金魚姫の物語」はこれまた作者らしい残酷さと痛みとそれに魅了される心の物語である。ある寺には小野小町の死体が腐敗して骨になっていく様を描いた絵図があるというが、ここにはそれと同様な無残さと哀しさ、そして倒錯した魅惑がある。あるとき、ごく普通の人々の間で、突然その人の上にだけ雨が降り続けるという奇怪な現象が発生する。その人が何かしたわけではない。事故に遭ったかのように唐突に雨に包まれるのである。晴れていても屋根の下でも建物の中でも同じ。どこへ逃げてもその人間だけに雨が降り続け、服の中にも止むことの無い雨が降ってくる。その人は水浸しとなり、やがて皮膚はふやけ、生きたまま水死体となっていくのだ。その現象は「降涙(こうるい)」と呼ばれた。何と強烈でグロテスクなイメージだろう。物語は降涙に見舞われた一人の美少女と、彼女の写真を撮り続ける年下少年の哀しいラブストーリーである。ある意味、難病もののパターンに似ているが、ここでは二人の死に対する意識が強く心を動かす。それが最も露わになるのが、少年が文化祭で彼女の写真展を開く場面である。同情やお涙ちょうだいへの強烈で悪趣味ななアンチテーゼ。タイトルの意味もそこで明らかとなる。

 坂入慎一「三種の低気圧」は〈超常気象〉をテーマにした長めのショートショート3編のオムニバス作品である。1つは雷。意識的にではなく、自分や親しい人に悪意をもったり悪口を言ったりしただけでも相手に雷が落ちて死んだり大けがをしてしまうという少女が主人公。彼女のライバルとなる(そして親友となる)少女が登場し、その子も雷が落ちて重症を負ったが、やがて再会した二人は仲良くなり、彼女の無意識の力を他のことに使おうとする。そして……。2つめは降ってくる骨。死んだ恋人にまた会えますようにと祈ると空から彼の骨が降ってくる。降ってくるだけじゃなく、その骨を組み立てると彼の声が聞こえる。やがて肉がつき彼は復活する。この彼はもうずっと一緒にいてくれるのだ。寂しくない。そう思った彼女は次に……。3つめは恨みを抱いて死んだ霊を核として恨んだ相手に向かって移動する暴風雨。霊体性低気圧。祟り神とも言う。重病になって一生懸命介護したにも関わらず自殺した妻。その妻が祟り神となると気象庁の役人が言う。そんな、彼女が祟り神になるはずがないと戸惑う主人公だが、彼女の霊体性低気圧が向かった先には……。どの話も面白かった。

 空木春宵「堕天児すくい」も本書の他の作品と同じように空から降ってくるのは人間だ。だがそのイメージ喚起力は凄まじく強烈である。舞台はどこともわからない異世界だ。その街では月に一度、青空に伏せた杯のような形状の赤黒い雲が浮かび、そこから百人あまりの〈堕天児(おとしご)〉が降ってくる。〈稚児雨(ちごさめ)〉だ。赤黒い雲の下が瘡蓋のようになり、それが剥がれ落ちて中から現れた人間たちが頭を下にして真っ逆さまに落ちてくる。落下した少年少女はほとんどが地面に激突してたちまちバラバラの肉塊となってしまうが、それを様々な道具を使って掬おうとする者たちがいる。時には先に落ちた人間がクッションとなって生き延びる堕天児がおり、また彼らが身につけている〈人業物(わざもの)〉を拾うことができるのだ。カガリもそうした〈掬い手〉の一人。彼もまた堕天児だったが生き残り、この街で生きるようになったのだ。彼が掬ったのはアオイという少女。「ここはどこなの。天国? イセカイ?」と彼女は言う。大人のいないこの世界で、物語は二人の視点から描かれていく。それはアオイのいたこちらの世界のリアルと異世界の幻想とが混交する奇怪だがしっかりとした手触りのある物語なのである。傑作。

 上田早夕里「成層圏の墓標」。これはSFだ。コンビニで夜勤している私の前に新たに入って来たお客さんは人間のような形をしているが目も口もなく、全身が光沢を帯びてゆらゆらしている。店長に聞くと、今ネットで話題になっている雨坊(あめぼう)じゃないかと言う。異常な降雨が始まってから世界中で目撃されている謎の存在だ。店長は捕まえようとしたが、モップが触れたとたんに破裂し、大量の液体がまき散らされた。私は逃げ出したが、店長は救急車で運ばれていった。私は翌日、ギャラリーで知人の絵を見てそれが雨坊に触れてから見る青い世界を描いたものだと感じる。彼女と話し、雨坊が降雨型微生物叢として科学ニュースになっていることを知る。それは高空で雲の核となる微生物を大量に含む雨水なのだ。そして物語はホラーから完全なSFとして展開していく。成層圏の世界、そこには確かにSF的なロマンがある。

 田中啓文「地獄の長い午後」の主人公はお釈迦様。地獄の血の池で異変が起こる。何かが池に落下し、それ以来血の雨が降らなくなったのだ。血の雨は地獄の生態系を支えている。血の池に生えた巨大なベンガル菩提樹も枯れていき、それから二百年あまりも続いた異変によって、ついに地獄は地獄のようなありさまとなっていく……。阿弥陀如来に招待されて極楽を訪れた釈迦は、蓮の池の遥か下、地獄から聞こえる声を耳にし、そこで異変が起きていることを知る。阿弥陀が言うには、地獄と極楽をつないでいた超合金ケーブルが切断され、Wi-Fiの電波も妨害を受けて何も情報が届かなくなったとのことだ。釈迦は蜘蛛の糸を伝って地獄に降り、異変を調べようとする。面白い! 新鮮な血の雨が止まって生態系が崩れ、邪神が支配する地獄となった地獄はまさにオールディスの世界だ。釈迦は様々な怪物と戦いながら異変の原因を探ろうとするのだが……。そこには本来の生き物ではない「特定外来生物」が繁殖していた。謎を解き、巨大化して怪物たちと戦う釈迦がかっこいい。ウルトラマンみたい。ウルトラマン・シャカか。地獄の土着生物や「特定外来生物」たちのコミカルながらおどろおどろしい様もとてもいい。作者らしさを堪能した。

 黒木あるじ「千年雪」では銀行強盗を犯した男がいつの間にか山の中の隠れ里に迷い込む。そこはいつも雪の止むことのない、電気もガスもない時間の止まったような村だった。人魚の研究をしている民俗学者で、何日か前にここへ来たという男と、世話をしてくれるチユという名の若い女の他は老人ばかりの村だ。逃げる途中の怪我を癒して何日か村で過ごすうち、次第に違和感が大きくなる。自称民俗学者も含め、彼以外の誰もが毎日同じことばかりを繰り返しているようなのだ。そして毎晩、チユも村人もどこかへ集まり、何かの儀式をしている……。物語自体はよくあるパターンの話だが、語り口はうまい。そして真の主人公といえるチユがいい。異界の存在でありながら人間的で、グロテスクながら美しくそして哀しい。

 井上雅彦「彩られた窓」では廃墟のような古びた旧校舎で開かれた気象天文部の同窓会の様子が語られる。主人公のオッくんこと億野は気象部でただ一人の男子だった。リモート参加の月暈(つきがさ)先生、部長のアーク、アカネにローズにレモンにムラサキ……華やかで宝塚っぽい雰囲気で始まる同窓会だが、どことなく不穏な、不可解な雰囲気が忍び込んでくる。オッくんは映画が好きで、観測旅行に行っては心の中に色々な映像を撮影していた。あの高原の〈キモダメシ〉の夜。洞窟の中で動けなくなった女子を助け出すために何度も洞窟に入り、そして……その思い出は傷だらけのモノクロフィルムとして心の中に残っている。少女の恐怖の顔が別の感情に変わり、それが閾値を超えるとき画面はカラー映像となる。イメージは鮮烈だが、物語の後半、先生の「いい時代になったもの」という言葉から始まる戦前・戦中の話との繋がりは正直いってよくわからない。もっと読み直さないといけないのかも知れない。

 朝松健「怪雨(あやしのあめ)は三度降る」は室町物。6代将軍足利義教が関東公方足利持氏を滅ぼそうとした時の話だが、その命を受けた京の陰陽師、名田那岐麿(なたのなぎまろ)が関東に出向き、関東公方の評判を貶め、民心を離反させて絶望させようと画策する。自信たっぷりで傲慢な那岐麿は、茨城は結城の里にて土地の宮司と住職を呼び出し、この地の神を祟り神と侮辱し、さらには天罰と称して宮司を殺害する。これは人々の信仰を土着神から新たな「強い神」を敬うようにし、同時に土着勢力の権威を落とそうとする策略だった。那岐麿は人々に神社のご神体を侮辱するよう強制する。だが、那岐麿の耳にだけ聞こえる怪しい声があった。「三度降る」とその声は言った。そして激しい雨が……。その後に続く怪異と血の雨。それだけではなく、ついに幕府の軍が攻め込むとさらなる酸鼻が関東を襲う。まさしく室町時代の血なまぐささを存分に描いた「室町ゴシック」である。

 平山夢明「いつかやさしい首が…」もまた空から首が降ってくる話だ。物語は小学6年生の女の子の手記として描かれる。街に首が降ってくるようになり、ぶつかって怪我をしたり死んだりすることが多発して、人々は出歩かなくなる。首雨というこの現象はこの国だけで発生しているようだ。外出する人がほとんどいないので、女の子の家も商売があがったりとなる。それでも彼女は友だちとこっそり家を出て外で遊んでいたりするのだが、遊んでいるときに首が降ってきてその子が怪我をしてしまう。首の雨はそのうち1日に何度も降るようになり、さらに巨大な首が降って家をつぶしたりするようになる。金持ちは海外へ脱出していく。主人公の家でもお母さんと自分と妹のチケットを入手し、お父さんはお前たちだけでも先に海外へ逃げろと言う。お母さんは決心し、ついに移住の日が来たのだが……。この物語はウクライナの戦争が背景にあるという。確かに空襲下の子どもたちという風に捉えれば、この不条理感も納得がいくだろう。

 加門七海「虚空」は不思議な天気予報の物語。主人公は学生時代に住んでいたアパートの上の階の男から謎めいたラジオをもらった。そのラジオは毎日決まった時間に気象庁の天気予報が聴けるというものである。だがそれは普通の天気予報ではなく「裏天気予報」だという。彼にこのラジオをくれた男は、インドの山奥で修行したヨガ行者からもらったという「空のカケラ」の入ったガラス瓶を持っていて、その開いた隙間から漏れ出した水で部屋を水浸しにしてしまったのだ。主人公はその水を止めようと部屋に入り、誤ってガラス瓶を割ってしまう。そこから出てきた「空のカケラ」は開いた窓から飛んで行ってしまった。男のくれたラジオの天気予報は、高気圧や低気圧、前線だけでなく「コクウ」の予報もしている。それはどうやらあの「空のカケラ」と関係があるようだ。今ニュースをにぎわす様々な「異常気象」。それは「コクウ」が発生させているものなのかも知れない。インドの山奥はともかく、なかなか面白いSF的なワンダーのある作品である。


ユーン・ハ・リー『蘇りし銃』 創元SF文庫

 『ナインフォックスの覚醒』『レイヴンの奸計』に続く三部作の完結編。
 しかしこの三部作、それぞれの巻で雰囲気がずいぶんと異なっている。ぼくは『ナインフォックスの覚醒』の異様な暦法の宇宙観とそこから描かれる奇怪な宇宙戦争に魅了されたのだが、その後は暦法が宇宙を統べる原理というよりも取替可能なローカルな魔法みたいなものとなり、権謀術策が中心のわりと普通の宇宙SFとなってしまったた(それでも十分面白いが)。
 この第三部ではその後の世界を描くのだが、さらに範囲が狭まって、ほんの数人の登場人物たちがそれぞれの個人的な目的を果たそうとする物語が中心となっている。こう書くと何だということになるが、その一人一人の掘り下げが深いので、読み応えのある物語となっているのである。何しろ最大の敵は不死人のクジュンで、本書に出てくるジェダオは以前とは別の、クジュンによって復活させられた、こちらも不死の肉体をもつ人間なのだ。
 『レイヴンの奸計』でチェリス=ジェダオが暦法を改新し、専制的な六連合の体制を打破してから9年後、旧六連合の宇宙は民主制を標榜する新暦の共和派と六連合の復活を目指す旧暦の護民派が割拠している。本書では9年前のシュオスの総裁ミコデズとプレザンの関係性(及びプレザンと家族との関係性)を描く章がメインストーリーの間に挟まれるが、それは共和派の根っこの部分にある弱みと、ケルたちの強さと脆さ、そしてこの戦いの本質が実はミコデズとクジュンの陰湿な確執にあったのではないかと思わせるものだ。
 さて復活させられたジェダオ(これまでのチェリス=ジェダオではない)はクジュンのしもべとしてケルの一艦隊を率い、共和派はおろか護民派のケル・イネッサーとも戦うことになる。ジェダオは自分自身が宇宙艦を動かすモス駆動と関係があることを知り、この戦いが多数のモスを殺すことになることも知って苦悩する。ジェダオの本心では何とかして残酷な暦法を敷くクジュンを抹殺したいのだが、不死人を殺すことがどうやってできるのか。
 そしてようやくチェリスが登場する。チェリスはチェリスで死なないクジュンを滅ぼす方法を探っていたのだ。ここにきて単なるロボットと思われている僕扶たちが(以前の巻でもほのめかされてはいたが)独自の意識を持ち、チェリスやジェダオと意志の疎通ができることが重要な要素となる。そしていよいよ最終決戦が始まるのだが、それは旧六連合の宇宙をどうするかということよりも、クジュンを滅ぼすことができるかどうかが大きな問題となるものだ。そして恐ろしく屈折し複雑なものとなったジェダオの心は……。まあその分、本書のチェリスは軽めに描かれているからバランスは取れているのかも。派手な宇宙戦争ものの側面は背後になって、異様で怪物的な人間ドラマが中心となってはいるが、このシリーズはむしろ様々なサブストーリーや小さなスピンアウトを生む素材となるものかも知れない。


田中空『未来経過観測員』 Independently published

 ツイッターで年季の入った何人ものSF者が大絶賛していたので購入した。作者はマンガ家だが、カクヨムで小説も書き始めている。本書はその連載をまとめた超遠未来SF小説である。
 超長期睡眠保存という技術が確立された未来。主人公のモリタは独り身で借金があり、今の時代に未練がないので、未来経過観測員という仕事に就くことにする。仕事の目的は今後の国家の歴史を同一観測者の視点によって記録することだというが、正直モリタはあまり深く考えてはいない。重要なのは5万年以上動き続けるという定点観測の拠点となる時計台。観測員は100年間眠っては1ヶ月間滞在し記録を書いてまた100年間眠る。それを500回繰り返し、5万年後には定年退職となるのだ。というわけでまず最初の定点観測を行い、次にまた100年後に目覚め……だがそこで大きく世界が変わっていることに気づく。そこからとんでもないスケールで話が展開していくのだ。
 確かに面白かった。作者がSFが大好きで、科学的なイメージが好きで、自分で本当に未来を見たいのだという気持ちが強く伝わってくる。志は高く、知識も豊富だ。始め単調に思えた物語も、途中からかなりひねった展開となる。とはいえ、小説としてはまだまだ課題が多いと言わざるを得ない。まず長い。たぶんこの半分以下でも十分だろう。そうすればちゃんとした説明がなくても科学/数学ファンタジーとして細かいところは気にせずに読めたかも知れない。正直言って文章には問題が多く、伝えたいイメージが読者に十分には伝わってこないきらいがある。例えば後半に出てくる超宇宙のイメージなど、とほうもないものだが、スケール感が不十分で単調な繰り返しとなっている。
 その一方で、キャラクターたちにはとても魅力がある(特に主人公のバディとなるロエイがいい)。このあたりはぜひマンガで見たい気もする。しかし、モリタとロエイのその強い意思がどこから来るのか。作者自身の遠い未来を見たいという意思ははっきりしているが、キャラクターたちがそれを共有するにはもっと何か内面的なものがないと説得力に欠けるように思う。それが使命だから、仕事だからやらないといけないみたいなところに落とし込まれているのは、ちょっと違和感が残る。
 このキャラクターたち、ネタバレになるが、途中からその多くが宇宙的な巨大な意思を具現化したものであるとわかる。それが人間として(美少女とか口の臭いおっさんとか)擬人化されている。ちょうど昔はやった方程式や元素やそういった科学的概念を萌えキャラにしたような存在なのかも知れない。
 とにかく作者の、遠く遙かな未来を想像し、それを科学的な目で描きたいという思いは素晴らしいと思う。そんな作者には(もしまだ読んでいなければだが)ぜひともルーディ・ラッカーのSF(『ホワイト・ライト:』など)をお勧めしたい。円城塔の初期のSFでもいい。きっと気に入ってもらえるに違いない。


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