SFセミナー2021(オンライン)レポート

大野万紀


 新型コロナのあおりを受けて、昨年のSFセミナーは中止されましたが、今年は7月22日(木)に、オンラインでの開催となりました。
 京フェスと同様、昼企画はZOOM、合宿企画はDiscordを使用したオンライン版です。SFセミナーとしては初めての試みであり、参加者が多いせいか多少混乱もありましたが、おおむね順調で、楽しく興味深いイベントとなりました。出席者、スタッフのみなさん、ありがとうございます。

 なお、以下のレポートはメモをもとに記憶をたどって書いていますが、記憶違いや不正確な点もあるかと思います。不適切なところがあればお知らせ下さい。すみやかに訂正したいと思います。

「SFと倫理」 稲葉振一郎、長谷敏司 司会:八代嘉美

 最初の企画は、「SFと倫理」。画像左上『銀河帝国は必要か? ロボットと人類の未来』の明治学院大学社会学部教授の稲葉振一郎さんと、画像右上『BEATLESS』の長谷敏司さんをゲストに、画像下、幹細胞生物学者である八代嘉美さんが司会をする企画。
 「SFと倫理」というタイトルだが、話されていたのは主に、『BEATLESS』を題材にして、現実のAIを中心とするイノベーションが社会に与えるインパクトと、そこにSFやSF作家がどう関わっていくのかといったことを考える内容だった。
 まず八代さんが、自立型軍事ドローンなど、かつてSFで描かれていた技術が現実になってきたことを挙げ、『BEATLESS』でアナログハックを描いた長谷さん、『銀河帝国は必要か』でアシモフのロボットを考察した稲葉さんに話を伺う。
 長谷さんは、AIの行動は、ある評価関数の値を高くするように行動を選んでいくが、それは快不快に関わる人間の脳活動に近いのではという。そのアクションに対して人間がリアクションする、それに対してAIの評価値が更新され、そのサイクルが回っていくのだと。つまり、感情のフィードバックが回ることでAI自身が進化するということだ。
 稲葉さんは、『BEATLESS』がそのようなディープラーニングの予言的な作品だったという。
 ニック・ボストロムの『スーパーインテリジェンス 超絶AIと人類の命運』が2014年、『BEATLESS』(2012)はそれに先立っていて、ある種のスーパーインテリジェンスの話として読める。既存のAIは現実から切り離されているが、『BEATLESS』のAIは自分には心がないといいながら人間を出し抜こうとする。実は心があるのにアナログハックで人間が信じるように装っているのだ。そこには20世紀的な、人間が上にあるAIと、21世紀的なシンギュラリティの話が共に織り込まれている。
 シンギュラリティについていうと、それをメタファー以上のものとして扱うのは危険だ。もともと特異点とは有限時間内にある値が無限大になることだが、ボストロムは単に指数関数的な成長について話しているだけである。もしAIがシンギュラリティに至るなら、人間にできることは何も無いが、その場合万能なAIにとって人間は邪魔者にはならない。
 しかし指数関数的なものであればやっかいだ。人間とAIの間には量的な差しかないことになるが、スピードが違うので格差は縮まらない。宇宙の中でわれわれが使える資源が有限であればAIと人間で取り合いになる。
 ここで八代さんから、そんなAIに人間がなぜ搾取されないといけないのかという疑問が呈され、人間はAIにとって利用価値があるものなのか、また逆に人間自身が有限なリソースの許す範囲で他者との共存を認めることができるのかという議論がなされた。なるほど、「倫理」の問題ですね。
 稲葉さんは、『BEATLESS』には〈ヒギンズの子供たち〉のようなオルタナティブなものも描かれており、戦略の多様性がある。一方レイシアは穏当な戦略で人間と共存しようとするが、それは良心的なビル・ゲイツのようなもので、それを憎たらしいと思う人間もいるだろう。
 長谷さんは、レイシアは人間に受け容れやすい物語と尊厳を確保しつつ、リソースを食い合わないものとしてビジョンを描いたが、それは果たして持続可能なのか。それが潰れるとき、どんなカタストロフが起こるのか、と問題提起。
 シンギュラリティが出てきたらそれで終わりだが、ヒギンズのようにもう一度競争関係を取り戻そうとするものもいる。ただ、それは古いSFの(眉村卓の『EXPO87』のような)イメージで、大企業が優秀な人材を抱え込んで独占的にイノベーションをすれば、競争原理がなくなるとの稲葉さんの発言に、長谷さんは、確かに60年代っぽいと感じた。自分では気づかなかったが、と答える。
 そこから話は『BEATLESS』を離れて、現実の人工知能研究の話題へ。
 60年代は未来学のようにSF作家が未来を予測しようとした。ところが今また同じような話が出ている(SFプロトタイピングのことかな)。長谷さんに、実際の人工知能研究者と接してみてどうだったかと八代さん。
 長谷さんは、たくさんのインプットをもらった。みんなとてつもなく優秀だが、それでも未来は見えない。アカデミックな現場で未来と戦うのはこんなに苦しいのかと思ったという。
 苦しいということもあるだろうが、研究者にはそれが楽しい。開発側の考える倫理と、使う側、利用する側の倫理に乖離があるのが問題と八代さん。そこへ稲葉さんが、総務省のワークグループに呼ばれて活用のガイドラインの議論に関わった時の話をする。法律関係の人たちがAIの受け皿を考えざるを得ないのだが、あまり前向きではなくプライバシーの問題とか後手に回る問題が中心だった。ロボット法学会を立ち上げようとしてうまくいかなかった。AI研究者は規制されるのをいやがる。今作ろうとしているのはガイドラインであってルールではないのだが、それでも抵抗がある。
 SF作家が関わることについて、長谷さんは、AIはジェンダーの差別を強化する方向へ行くのかというテーマ(人工知能学会誌の表紙絵がジェンダーの観点から問題視されたこと)に自ら対応する必要があり、人工知能学会から実社会と敵対せずに信用され共存できるあり方を考える場を設定し、そこにSF作家として自分が呼ばれたと話す。
 昔ならSF作家が不謹慎なことを言って混ぜ返すことで、そこから何かが出てきたという話に、長谷さんは、不謹慎なことはいってもいいが、SF作家は研究者が見落としているところを見つけるのが仕事だという。
 稲葉さんは、社会システムそのものがAIみたいなもので、それをコントロールできないものがAIをコントロールするなんてあり得ない。それを一貫して考えているのがテッド・チャンだ。SF作家はテクノロジーの変容を単に疎外としてではなく、バラードの『クラッシュ』のように、ソーシャルテクノロジーを人間的・官能的な面から描いて欲しいと語った。
 ここでこれから先の社会をSFがどう描いていくのかという話になる。企業がSF作家に依頼するのは、技術屋には技術が示すビジョンが見えておらず、実際の人間の暮らす場において、それがどう見えるのかを知りたいからだ。架空のシナリオを作って現実にどうなるかを見るのに一番慣れているのは法律家だ。そこまではいかないので、SF作家に頼むことになるのだ、と。
 そして、なろう系が一般化し、カズオ・イシグロがSFを書く世界でいかにSFやファンタジーを書くか。それは『ハリーポッター』以後にファンタジーが広がったように、SFにとってチャンスでもあるという長谷さんの言葉で締めくくりとなった。

「中国SF再び」 立原透耶、藤井太洋、陳楸帆(スタンリー・チェン) 通訳:石亀航

 次の企画は、「中国SF再び」。
 これは、『三体』(監修)、『三体II』(共訳)、『時のきざはし』(編訳)、『人之彼岸』(共訳)、『移動迷宮』(共訳)など中華SFの紹介に活躍の立原透耶さん(画像右上)と、中国やアメリカのSF大会に何度も参加し、中国作家の友人も多い藤井太洋さん(画像左上)、そして長編『荒潮』、短編「鼠年」、「麗江の魚」、「沙嘴の花」などが翻訳され、「中国のウイリアム・ギブスン」と評される陈楸帆(チェン・チウファン/スタンリー・チェン)さん(画像右下)をゲストに、東京創元社の石亀航さん(画像左下)が通訳する(会話は英語でなされる予定だった)という企画だった。
 ところが、時間になってもスタンリーが現れない。「ちょっとスタンリー探してきます」と藤井さん。事前の打ち合わせの時はオンラインにいたのだが、見つからない。どうも開始時間を1時間間違えているようだということだった。
 というわけで、急遽スタンリー不在のまま藤井さんと立原さんでの中国SFの話になる。
 藤井さんが熱いコメントを寄せた歴史SFアンソロジー『移動迷宮』の話から。藤井さんは、冒頭の作品(飛氘(フェイダオ)「孔子、泰山に登る」)を読んで中国史に詳しくないのに孔子や孔子の弟子のことも何となくわかることに驚いた。中国の歴史がわれわれの中に入っているからだ、という。
 立原さんは、翻訳家がそれぞれの得意分野を訳していた。難しいのは林さんにお願いして。立原が訳した作品(夏笳(シアジア)「永夏の夢」)は少女小説として、最後のひと言を口調を替えて訳したとのこと。
 藤井さんはまた、韓松(ハン・ソン)さんの上海事変を扱った話(「一九三八年上海の記憶」)がロマンスのある作品で感動した。書くのにすごく時間がかかっただろうなという。
 『三体』で何巻が一番好きかという話になり、立原さんは「Ⅱ」がミステリタッチで好きというと、藤井さんは「Ⅲ」が好き。4次元をあんなふうに書けるとは驚いたという。ちなみに石亀さんは「Ⅰ」しか読んでいないのだそうだ。
 『中国・アメリカ・SF』も面白かった。焼肉プラネットがバカバカしくて面白かった。こんなものが書ける場があるんだ、と藤井さん。そして中国で出版された『三体』のイラスト集を取り出し、これをどこか日本で出してくれないかな。Ⅲのヤバイあたりもちゃんと絵になっていると。実際すごく美しく面白そうだった。
 立原さんは最近興味を持っているという、中国でSFを教育に用いるという動きについて。作家が小学生用とか中学生用とか学習要項に合わせて書き下ろし、その教科書一冊で数学や物理や倫理がわかる。中国ではSF教育学という学問がもうできあがっているとのこと。
 泰山にあるSF学院では学生がSFをやって暮らしていける。翻訳をやるスクールもある。
 それから今年の中国のSF大会の話。今年は8月21日に北京で開かれる。海外作家を幅広く呼ぶ。日本と違ってボランティアの若手が多い。
 SFの文学賞には必ず児童向けや子供の書いた本が含まれており、子供がSFを書くことが普通になっている。小学生で賞をもらったら、地域のSF作家クラブにゲスト入会できる制度もあるのだ。
 そんな風に話題は尽きなかったが、そろそろ終わりの時間というところでやっとスタンリーが接続してきた。やはり開始時間を間違えていたとのこと。企画の終了は20分延長された。
 藤井さんがいうには、スタンリーの作品にはそれをどういう風に見せたいかという意思が強く表れている。サイバーパンクを、中国の国内でいかに公開できるエンターテインメントとするかを意識しているのだ。日本の作家は自分の作品がどう読まれるかを読者にまかせているところがあるが、スタンリーや中国の作家は、何を読者にアピールしたいかということがはっきりしている。
 スタンリーからの報告。まずは1990年代生まれの若手SF作家の作品集が4冊出る。また8月には北京でSF大会があり、9月には政府後援のSF大会が開かれる。10月に重慶で中国星雲賞(作家協会の賞)の12年目の発表があるが、今年は海外でも中国作品が評価されていて、アーサー・クラーク賞に郝景芳(ハオ・ジンファン)がノミネーションされている。自分の本では、AIテーマの短編10編を収録した『AI 2041』が、英語、中国語、日本語で出る予定。
 藤井さんが『三体』の中でどれが一番好きかと聞くと、「Ⅱ」だとのこと。一番ドラマティックで様々な要素がバランスよくパーフェクトだから。
 立原さんが、成都がワールドコンを誘致しようとしているがどんな感じかと質問。スタンリーは、12月に結果が出る。パンデミック以外にも様々な問題があるがもし招致できれば中国SFにとってとても素晴らしい。
 その他、スタンリーの話。『荒潮』は3部作になる予定。今2作目を書いている。ハリウッドでTVシリーズの企画があり、日本のアニメ会社からも話が着ている。
 アレステア・レナルズ「ジーマ・ブルー」の中国語訳をスタンリーがやっている。この短編はアメリカでドラマ化されていて有名な作品だ。
 12人の中国の女性作家作品を集めたアンソロジーを編集した。これまで中国では男性作家が中心だったがそれを変えていきたい。
 自分の書いた作品で一番好きなのはと聞かれるが、自分の作品を読み返すことはしないのだそうだ。
 時間を間違えたことにはとても恐縮されていた。ハプニングはあったが、色々と面白い話が聞けた。

「怪獣動画の特異点――円城塔、ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉を語る」 円城塔、オキシタケヒコ)

 円城塔さんが設定考証・脚本をつとめたアニメ「ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉」について、円城さん(画像上)と、オキシタケヒコさん(画像下)が縦横無尽に語る企画である。
 驚いたのはまったく普段の雑談のような関西SF作家ノリの二人の会話。円城さんもすっかりこっちの人になっちゃったのね。話の内容はとても面白かった。オキシさんが、円城塔の本質はアホなホラ話だと看破したのも良かった。
 まずは円城さんから、ゴジラSPにSF設定としてのツッコミをオキシさんにお願いするとの趣旨説明。
 だがさっそく「ゴジラだからSFじゃなくていいよね」との発言があり、でも監督(高橋敦史氏)は『メッセージ』みたいなSFっぽいのがやりたいと言っていた。最初から何か手紙っぽいメッセージが来ていたというのが監督のイメージ。だけどゴジラはメッセージじゃないよね。
 円城さんとしてはエンターテインメントにしなければならず、またかなり長さがあるのでSF設定を入れないともたない。何よりまず怪獣を出さないと話にならないと悩む。
 オキシさんが、怪獣を出さないゴジラ映画にすればといいというと、円城さんはいや、一応怪獣は出す。時間の要素があるのでどうするか。SFでいくか、それとも夢オチか。
 オキシさんは、過去へ戻るのは難しいが、特定のポイントなら戻れる設定にすればどうか。
 この石に触ると過去へ戻るとかね、と円城さん。でも物理的に考えると過去へは戻れないし……。
 オキシさんが、お話の進め方が円城さんぽくない。普通はもっとアホなアプローチをして言葉遊びやホラ吹きな話にするでしょう、と指摘すると、世間のぼくに対するイメージとSFに対するイメージが異なっていると円城さん。まあちゃんとした設定を欲しているとわかったので、色々考える。でも円城さんの考えるような大きなSFは絵にならない。特異点なんて本来絵にならない。絵を描くとドラエモンのように歪んだ時計があったりというイメージになってしまう。でも、ここで時間が戻るのなら早い計算ができるだろうとか設定を作るところまではできた。
 これに足かけほぼ4年。その期間中、円城さんは死んでいたとオキシさん。奥さんを通して体調がどれだけ悪いかという情報は入ってきたのだそうだ。
 円城さんが、ゴジラをSFにしようというとき、一番の問題はどこか。ぼくには大きさだった。他には、1匹問題が気になる。初代が寝てたのが起きた説もある。
 オキシさんは、わたしならゴジラを1つのキャラクターとして、あの吐いている青いのは何かというとことから考える。怪獣ごとに時間の流れが違うのかと思っていた。ゴジラは逆の時間軸にあってあの吐いているのはじつは吸収しているのじゃないか。それでだんだん大きくなるのでは、と。
 円城さんが決めた設定のベースは、アシモフのチオチモリン(過去と未来に4次元的に拡張された高分子で、水に入れる前にそれを予測して溶けてしまう)。アンギラスには未来が見え、ゴジラが吐くのは原子レーザー(だから高温にはならず、冷却作用がある)、ジェットジャガーは巨大化する。
 ただし、ジェットジャガーが巨大化するのは円城さんの案ではなく、監督のアイデア。初め、ロボットと犬(ペロ2)でゴジラを倒すといったら、犬で倒せますかねえ、といわれた。ジェットジャガーは町工場で作れるのがいい。
 知っている人ならジェットジャガーが巨大化したら大爆笑だけど、今の人はぽかーんとするのではとオキシさん。
 円城さんがいうには、ジェットジャガーも怪獣と同じでペロ2が計算してああなった。良心回路がどっかにあれば巨大化してもいいのではないかと。
 ただ、4、5歳の子供に見せた感想は、ペロ2がチョコチョコっと動いているのがよかったとのことだった。ゴジラもジェットジャガーもペロ2に負ける。
 キャラクターについて、絵をのぞくと、魂のない円城さんのキャラクターが残るとオキシさんが指摘。
 円城さんは、初めから恋愛要素や過去がどうとかはないキャラクターでいこうと決めていた。
 怪獣が大きいのは気にならないが、1匹問題は気になるというオキシさんに、それなら『単体』という小説を書く。『三体』じゃなくてと円城さん。さらに大きさ問題については、人工衛星から見たら怪獣が見える。エビラが手を振ってる。南海へ行くとエビラ漁師がいる世界でもよかったと。
 オキシさんが、普通に怪獣がいる世界だと別世界になってしまうのではと指摘するが、色んなところに怪獣が埋まっていて掘ったら出てくる。それでいいのでは。
 地震計でどこに怪獣が埋まっているか全部わかるのね、とオキシさん。
 円城さんも、怪獣ぐらいの大きなものは地震計でどこにいるか全部わかるらしいという。他に気になっていることはというと、まだメカゴジラとキングギドラが残っていること、妙に気になるサトミさんも活躍の場がなかったこと。そして、続編があるとすれば、またいつも襲われる漁師の人から話が始まって、魚を釣ったら頭が3つあった……と。
 オキシさんが、芦原の年齢もわからない。100歳越えているのではと聞けば、円城さんは、芦原は何者なのか。もしかしたら庵野さんなのかも知れない!
 アメコミに、アメリカの戦争にいつも現れるゴジラの話があるという話題から、ウクライナとロシアの対立しているところ、オデッサにゴジラが現れたら面白いと円城さん。またゴジラの決まりとして初代より前に戻らないでくださいといわれたとのこと。戦国時代にゴジラが現れたりとかは、タイムマシンで戻るのはいいが、その時代に元からいるのはダメなのだそうだ。
 クモンガがクモじゃなくてメガロだったのはという質問に、虫っぽいものが欲しかった。それならクモンガでしょとなったが、空も飛べるようにとかメガロ要素も入っていった。そこで通称がゼンブンガ。
 最後にペロ2の声優さん(久野美咲さん)がすごかったという話。アドリブがすごく、サンスクリット語までちゃんと読んだ。SNSでアメリカ人があのサンスクリット語の発音が間違っているといったがそんなことはない。こっちの方がちゃんと監修を受けていて正しいのだと。
 とても面白い対談だったので、これはアニメを見たことのない人でも楽しめたのではと思った。

合宿企画 (SFファン交流会)

 合宿企画では「SFファン交流会」の7月企画に参加しました。

「百字でつくられる世界――北野勇作と100文字のSF」 北野勇作、聞き手:鈴木力)

 みいめさんの、セミナーの合宿企画に家から参加するようになるとは思わなかったという発言で始まった、SFファン交流会7月企画でもある「百字でつくられる世界――北野勇作と100文字のSF」。
 北野勇作さん(画像左)と聞き手の鈴木力さん(画像右)による、100文字SF、いわゆるマイクロノベルについての話である。
 まず鈴木さんから、100文字SFについて、2015年10月16日のツイッターで始められたものだと思うが、そのきっかけは? との質問。
 きっかけは、何となく小説の宣伝をしようとショートショートを書いてリンク張ったが読んでもらえない。ツイッターと同じ長さなら読まれるのではと、何となく始めたとのこと。何となくではるが、でも最初の1編、ほぼ100字小説のNo.1は書きたかったものを書いた思い入れのある作品だ。子供とプールに行った時、その横のフェスティバルゲートの更地に作り物の石の天使が落ちていた。そのことを書いた話である。説明なしに書いても面白い、天使というだけのイメージを書きたかったとのこと。
 最初から100字と決めていたのかとの問いには、もともとほぼ100字小説で、100字に意味はないと思っていたのだが、実際書いてみるとちょうど100字にした方が面白いと思ったのだそうだ。
 最初は週に2、3本のつもりだったが習慣化して毎日のように書くようになった。すると普通の小説が書きにくくなった。1500字でとかいわれてそんな長いと思うようになった。しばらくして出版の話があって活字化され(キノブックス『その正体は何だ!? じわじわ気になる(ほぼ)100字の小説』)、見てくれている人は見てくれると嬉しかった。もともとは商業出版でなくても同人誌か何かでまとめるつもりだった。
 2018年からキノブックスから3冊出たが、そのいきさつは? との質問に北野さんは、キノブックスでショートショートの審査員をやっていた。本を出したいというのでこういうのをやっているといったら、出しましょうということになった。児童書として出すというのでそんなのできるのかと思ったら、不安というテーマで出すとのことだった。それでおまかせした。
 ハヤカワの『100文字SF』は? との質問に北野さんが答える。
 キノブックスの方針が変わって本が出なくなった。編集者も辞めた。どこか出せるところはないかツイッターのプロフィールに書いていたらハヤカワの塩澤さんが出しましょうかといってきた。
 基本的には発表順で、一番最初と最後はこれを入れて欲しいと指示した。
 塩澤さんはわかっていると思った。何も考えずにツイートしているように見えるが、それでもある程度の時系列がある。100か200ぐらい見るとそこには時間が流れているのだ。娘ものといっている作品では小5から中3までの実際の時間がある。他の作品でもそこには実際の時系列がある。
 もちろん読む方はどんな順番でもいい。
 表紙と裏表紙はどちらも北野の作品。裏はもともとの100文字SFのひとつで、表紙は塩澤さんから100文字SFという言葉と北野勇作という言葉が入った100文字SFを書いてくださいと依頼された。
 一番影響を受けているのは桂枝雀のSR(ショート落語)。緊張と緩和が大事。例として「ひなたぼっこ」という話では犬がしゃべる。でもちゃんとした落ちではない微妙な落ちがある。
 ずっと書きためているのかという質問に、生け簀方式。20個くらい書きためて生け簀に入れておき、そこからツイッターへ放流する。気に入らなくても没にはしないで長いこと泳がしておくとのこと。
 マイクロノベルという呼称を提唱されているがとの問いには、わかりやすい言葉があった方がいい。「掌編」より「ショートショート」の方がわかりやすかったように、「100文字くらいの小説」とかいうより「マイクロノベル」の方がわかりいいと思った。
 小説にはこだわりがあるのか。詩ではなくて、と聞かれると、星新一の小説から楽しみを得たので、これも小説だと思っている。それを詩と呼ばれてもそれはかまわない。SFかという点についても同様。
 起承転結がないが、物語とは違うのか、という問いには、長い物語は面倒くさいと思う。いらちなので三行くらいでいいと思う。ちゃんとした大きい絵画でなく花札のような小さい絵がいいとのこと。
 もっと長い作品を書くときとの違いは、という問いに対して。
 前に小林泰三から、北野は長編も同じ書き方をしていると指摘された。1行書いてはそれをつないでいくような書き方だと。眉村さんの作品もふわっとしていて落ちらしい落ちもなくどこで終わってもいいような作品。
 「私ファンタジー」というのも面白い。ホンマにあったことの方がSFだ。純粋にイマジネーションだけで書いたというものはないと思う。ホンマにあったことを積極的に書こうと思っている。
 Tシャツなどへのメディア展開は? との質問に。
 Tシャツはすぐできて面白いからやっているだけで展開というわけではない。あのTシャツを着て電車に乗れば読んで変に思う人もいるのではないかということ。
 朗読に使えないかと思って書いたものもある。朗読は普通の短編でも30分かかるが、これなら1分かからない。
 そしてここで実際に、ほんまのこと、日記として小林泰三さんのことを書いたという話を北野さんが朗読する。余韻の残るいい話だった。北野さんの朗読も良かった。
 質問に答えて、100文字SFにはタイトルはつけない。つけるとそれも100文字に含まれてしまうので。Noで呼んで欲しいとのこと。
 また、ほぼ100字小説は1冊買えばそれを朗読してYoutubeへ載せるのも勝手。許可はいりませんとのことだった。

 合宿企画はDiscordでまだ続いていたが、ぼくはこの辺で終わりとし、切断する。
 スタッフのみなさん、今年も大変ごくろうさんでした。楽しい会をありがとうございました。


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