SFを少し離れて

第4回

菊池誠


 二ヶ月続けて原稿を落としちゃったし、今月も既に締め切り遅れてて、すみませんすみません。

 というわけで、『いちから聞きたい放射線のほんとう』(菊池誠、小峰公子、おかざき真里)が発売されて、二ヶ月半。おかげさまで好評をいただいているようでうれしいかぎり。生まれて初めて朝日新聞やダ・ヴィンチにも書評が出たし、毎日新聞やテレビユー福島などのインタビューも受けたし、あ、『SFマガジン』も700号でカラーで紹介してくれたしね。東京電力福島第一原子力発電所の事故から丸三年経って、こういうやさしい放射線の本が今さら需用あるかなという不安と三年経った今だから落ち着いて基本的な本を読む余裕もできるんじゃないかという気持ちと両方あったのだけど、需用はあったみたい。放射線の知識のうちで今知っておきたいことだけをこれだけやさしく書いた本はないと思うので、ぜひ手に取ってみてください。やさしく書けたのは小峰さんの質問力のおかげで、対話形式じゃなければこれは書けなかったと思う。質問力についても、いつか書いてみたいな。そうそう、ダ・ヴィンチで書評書いてくれた西田藍さんはアイドルで、しかも同じ号ではディックの『時は乱れて』のすごく的確な書評を書いてて、これはすてきだ。

 さて、この本の最後で、僕達が2013年6月に福島県の富岡町を訪ねたときのことを話している。震災の後、福島には7,8回、それから仙台には2度ばかり行っていて、それぞれ短い時間ではあったけど、被災地を見て回ったりした。富岡に行ったのもそのひとつ。記憶が薄れないうちに、そういった話を書いておきたい。

 話は遡って、2011年の6月11日、僕たちは秋葉原でガイガーカウンターミーティングというイベントを開いていた。震災から三ヶ月でイベントをやったのだから、がんばったんだよ。これはメディア・アーティストの八谷和彦さん(例の実際に飛ぶメーヴェを作った人)が素早くコーディネイトしてくれたおかげだ。八谷さんやたくさんの物理学者のほかに、野尻抱介さんもパネリストとして参加したから、まんざらSFに関係ないわけでもない。野尻さんは自他ともに認める「放射能オタク」として、いち早く福島を訪ねていて、すぐれたルポを既にネットに発表していた。このガイガーカウンターミーティングの様子は今でもネットで見ることができる。残念ながら、これをそのまますぐに福島に持っていくところまでは手が回らなくて、いったんは秋葉原だけで終わった。
 僕は2011年中にもちょっとだけ福島県に行って、友だちの車で福島市内の様子を見せてもらったりしていたのだけれど、結局、ガイガーカウンターミーティングが福島県に行ったのは2012年の夏のことだった。このときには、しりあがり寿さんや鈴木みそさんにも参加してもらったり、小峰さんに自作の詩を朗読してもらったりした。福島市と郡山市で1日ずつやったこのガイガーカウンターミーティングでは、福島に住んでいるかたがたとお話をする機会が得られて、とてもよかった。むかーし、僕が東北のSFファンダムにいた頃の友人たちともここで再会した。ちなみに、この時のご縁で、僕はその後、しりあがりさん主催の謎のイベントに何度か出ている。今年の夏も、福島で開かれる「クダラナ庄助祭」という音楽イベントに出る予定。福島に行って、まじめなことをしたりくだらないことをしたりするのはだいじだと思うんだ。

 富岡を訪ねたのはそれからさらに10ヶ月ほどあとのことだ。僕達は津波被害のひどかった久ノ浜から四ツ倉を経由して富岡に行った。富岡はそのちょっと前に区域が再編されて、一部が避難指示解除準備区域、一部が帰還困難区域に指定されていた。僕たちは帰還困難区域には入れないので、その境界まで車で連れていってもらった。帰還困難区域との境界には写真のような看板が立てられている帰還困難区域は年間の外部被曝が50ミリシーベルトを超えそうな地域で、許可がなければ入れない。この境界では警察の検問が行われていた。

 いっぽう、避難指示解除準備区域には昼間なら誰でもはいることができる。JR常磐線の富岡駅はこの避難指示解除準備区域にある。ここは津波被害がとてもひどかったところで、富岡駅も駅舎が流されてホームだけが残っている。震災から2年以上経っても倒れかけた柱が撤去されることもなくそのままなのは、放射性物質による汚染で立ち入れない地域に認定されていたからだ。津波と放射性物質汚染の複合災害というのは、そういうものなのだ。ここから海に向かってはすべてが津波に洗われてしまっていて、振り向くと津波で壊れた建物がそのまま残されている。

 駅から車で少し行くと、桜並木で有名な夜ノ森地域がある。ここも途中にバリケードが立てられて、そこから先は帰還困難区域になっていた。さらに車を進めると東京電力福島第二原発、いわゆる「にえふ」を遠めに見ることができる。このあたりもやはり津波被害を受けた家屋がそのまま残されている。

 2013年の夏休みに、僕は児嶋佐織とやっているandmo'というバンドで東北ツアーをした。ツアーといっても、仙台・福島と東京の三ヶ所でライブをしただけのミニツアーなのだけどね。このうち、高円寺の「円盤」で小峰さんとクリテツさん(from あらかじめ決められた恋人たちへ)をゲストに迎えて演奏したときの音はネットで公開しているので、聴いてみてください。ライブは夜だったので、昼は被災した地域に連れていってもらった。仙台では津波で被災した閖上に、福島では渡利・飯舘・川俣といったあたり。閖上では、青い青い空の下で、見渡す限り家の土台だけが残されていた。僕が仙台に住んでいたのはもう四半世紀も前なので、もともとここがどんな感じだったのかは思い出せない。今はとにかく何もない。飯舘にはなぜか馬がいた。

 そして、今年の3月、ちょっとしたイベントが福島市であって、そのあと二日かけて飯舘・南相馬・浪江とまわった。富岡が帰還困難区域の南側にあるのに対して、浪江は帰還困難区域の北側にある。人がいない駅前の町並み、海岸から遥か内陸の畑に打ち上げられたままの漁船、片付けられていない瓦礫。そして、帰還困難区域との境からは遠くに「いちえふ」が見えた。ここでも、帰還困難区域とはバリケードで隔てられているだけだ。

 こうやってただ見て回るだけでいいのかどうかわからないのだけど、見ないよりは見たほうがいいのだと思う。想像を超えたものが目の前にある。もちろん、阪神淡路大震災のときにも僕たちは想像を超えたものをたくさん目にした。でも、ここではまた別の意味で想像を超えたものを目にする。ほんとうに何もなくなってしまっていて、ただ境界だけが存在していた。

(2014/06/06)


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