ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜064

フヂモト・ナオキ


フランス編(その三十) ピエール・キュージイ, ガブリエル・ヂェルミネ/川口正人, 浜一訳「三千九百九十二年に於けるヴィクトリア、ニアンザの学芸院会議のラヂオ放送」Transcription radiothelephonique d'une seance a l'Academie des Inscriptions et Belles Lettres de Victoria Nyanza, en l'an 3992

 本連載、第六回でちらりとふれたラジオ・ドラマの話である。その後、詳しい事実が判明するとかいったこともなく、当時見ていた資料も今や地層の遥か彼方に埋まって出てきません。←アホじゃ。

 その時に、<新青年>1927年5月号に「『大ギニョル座』放送」Great Guignol なるラジオドラマ脚本が掲載されていて、「これは訳者が高橋邦太郎なので小山内薫に借りたTheatre Radiophoniqueからの翻訳だろう。」と書いているのはおそらく<劇と評論>1927年4月号に高橋が「キュジイ ヂエルミネ共著「ラヂオ・ドラマ論」(Theatre Radiophonique)」という紹介記事を書いていることによる推測だったと思われ。
 「私は寡聞にしてフランスのラヂオ・ドラマに関する文献を知らなかつた…数日前小山内薫先生から、――かういふ本が届いた。君知つてゐられるか。と貸与せられたのが…「ラヂオ・ドラマ論」である…先生に乞ふて借覧した。今ここにその書の梗概を録していささかなりとも斯道に裨益する事あらば」ということで同書の内容が紹介されていたわけである。
 目次の紹介があり第三部にラヂオ・ドラマの実験ということで「マレモト」Maremoto「西歴(ママ)三千九百九十二年ヰクトリア・ニヤンザに於ける文学院講演の放送」「新大ギニョル座の放送」「ナポリの薄暮」Crepuscule Napolitain の四本の台本が収録されていることが示されていた。
 「マレモト」が懸賞当選作であることにふれ、「いつか、紹介の労を執るを得ば仕合せである。後の三種の台本は一寸日本では放送しても解らないものである。」と書きつつ、「新大ギニョル座の放送」の話を12行書いて、「「ナポリの薄暮」もほぼ同じやうなものである」と紹介。「西歴(ママ)三千九百九十二年」は華麗にスルーである。
 「ラヂオ・ドラマの見本として近くどれかの台本を訳してみたいと思つてゐる」で締めてあるんですが、翌月の<新青年>に載ってますよ>「『大ギニョル座』放送」。

※なんか高橋邦太郎宛の献呈本が出てきたので、載っけとく。

 同作は「「グレート・ギニヨール」新劇場の放送(ラジオ・セナリオ)」として三橋久夫訳が<仏蘭西文学>1929年7月にもあって、その前月には単行本の邦訳がでてます。

 その単行本『ラヂオドラマ―芸術的表現の新らしき方法』『読者の為の翻訳』社として刊行された邦訳版は第二部一、二章と第三部の脚本部分のみの抄訳。
 シナリオの邦題は以下。「マレモト」「三千九百九十二年に於けるヴィクトリア、ニアンザの学芸院会議のラヂオ放送」「「グレート・ギニョール」の新劇放送」「ナポリの夕暮れ」
 ガブリエル・ヂェルミネ Gabriel Germinet(1882〜1969)は、本名モーリス・ヴィノー Maurice Vinot。放送技師でフランス放送協会の技術部長だったとか。ピエール・キュージイ Pierre Cusy に関する情報は得られていない。

 「「グレート・ギニョール」の新劇放送」がオーソン・ウエルズ版「宇宙戦争」と同じ「まぎらわしい」演出で、昔のラジオ・ドラマは野趣に富んどるのお、とか思ってたら、コンテストで入賞したという「マレモト」もひどい。
 これは要するに、海で遭難した人が救援を求めている体のラジオ劇。
 さすがにこれはまずかろうとフランス国内では放送拒否されたらしいが(←放送出来なかったという話自体もドラマの中に組み込まれていて何がなんだか…)、英訳されてBBCが実際に放送したという。
 周波数帯が云々、とか、救難通信は無線電話じゃなくて、無線電信だろ、とか、作中の用語をわざと不自然なものにした、とか言って平然としとるが、いや、断片的に聞いて、わあ大変と思う人は絶対いたはず。BBCではもめなかったのかのぉ。

 そういえば、寺山修司も、ラジオ・ドラマで怒られて逆ギレだったんだとか。
 1960年にRKB毎日放送で放送された「大人狩り」は、小学生が蜂起して大人を狩り立てて強制収容してしまう話で、実在の小学生を出演させて、実在の地名を入れてニュース風にはじめたもんで、パニックにはなってはいないとはいえ、不安にかられた人々からの抗議があり、放送後、いかがなものかと、騒ぎになったのだという。
 その模様は守安敏久『バロックの日本』国書刊行会、2003年、所載の「福岡放送顛末記」に詳しい。

 寺山は「釈明を求められたラジオ九州の管理職が、議会であやまったとき、私は流石に怒った。これは暴力を肯定するものではなく、むしろ逆であり、イデオロギ−を問わず一切の政治権力の中に潜む小児性を拡大したものである。だれがきいてもマンガだと思えるほど誇張しているので、視聴者が事実と思い込むことなど考えられない。」(「黄金時代」)って、書いてますけど、いやいやいや、いもしない火星人で、パニックになっとるんやで、小学生やったら、そこいらにおるがな、そら揉めるやろ。
 いや、まあ国会図書館の本を全部、紙ヒコーキにして空に放て、とか、どんな小学生やねん、とは思うけどな。

 さて、肝心の「三千九百九十二年に於けるヴィクトリア、ニアンザの学芸院会議のラヂオ放送」だが、取り立ててストーリーがあるわけではない。学術会議の模様だしねえ。
 設定はこんな感じ。1925年、火星人の反応をみるためという実に馬鹿げた理由で、アメリカは火星を攻撃する。
 その返礼に毒ガスが地球に送られてくる。ただ、精確にアメリカを狙うことに失敗して、その被害をうけたのはヨーロッパ。ガスといっても全く空中に拡散しない高密度の物質で滞留しっぱなし。それ以来、3992年に至るまでヨーロッパは、ずって死の世界になっている。
 そこへ液体空気を背負って調査に出かけた報告会議の模様が、このドラマ。ドラマ?
 ピエール・ブノアの『アトランティード』を手に入れて、実際の歴史だと思っていたり、いろいろとクスグリがあるようだが、オチも含めてよくわからーん。


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