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続・サンタロガ・バリア (第280回) |
新聞の映画欄を見ていたら、いつの間にか映画版『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(フィル・ロード&クリストファー・ミラー監督)の公開が始まっていて、最初の土日を外してIMAX版を見に電車で出かけた。
原作の細かいところはほぼ忘れていたので、冒頭冷凍睡眠から目を覚ました主人公がちゃんと意識を取り戻して、現状を確認するところから始まるのを見ながら、これは『2001年宇宙の旅』以来の宇宙旅行ものの定番だったなあと、やや期待を削がれた。船内AIのセリフが結構面白かったのに、後半はほとんど出番がなく残念。
主人公がこんな立場に追い込まれるまでのこれまでの経緯は、短いフラッシュバックでぶつ切りに紹介されていく。編集的にはよくできていて忘れていたストーリーがよみがえるが、地上での最後のエピソードがあんな暴力的なものだったなんてちょっとビックリ。全然覚えてないぞ。
あとは異星人側の宇宙船のデザインが意外と新鮮だったのがうれしい驚きだったこと以外は、人情小話的エピソードが物語のメインになっていて、本来原作が持っていた理系知識によるハードSFの設定が端折られて、その点は遺憾とするところ。まあ、人情小話的にしないと観客が付いてこないだろうことはよくわかる。主人公が泣けば、とうぜんもらい泣きもするし。でもSFとしては不満の残る1作。
IMAXで見ないと面白くないかというと、このつくりなら、どういう形で見ても泣けるんだから、むりしてIMAXで見る必要はないようだ。
では読んだ本の感想を。
椎名誠『超巨大歩行機ゴリアテ』は、著者があとがきで「懐かしい未来の断片的風景」と呼ぶ、内扉裏ページの初出にあるように文芸誌『すばる』に掲載した短編6篇を収めた1冊。
うち4篇におなじみの脱走兵(?)「灰汁(あく)」が出てくる。いままでと違うのは、これらの作品には結末らしい結末がなくて、シチュエーションが著者の描きたいところまで来たらそのまま終わっているところ。よくいえば手練の末の飄々とした感じがあるともいえる。
各篇のタイトルを並べておくと、「蓬海人のテーブルダンス」「天竺屋奇譚」「廃棄監視塔」「ガングリオ山脈の垂直壁」「ニンゲン証拠博物館」「キャタピラ牛と鳥人間との旅」。再び内扉裏ページの初出によると、このうち「天竺屋奇譚」以外の5編が雑誌掲載時のタイトルから変更されていて、「ガングリオ山脈の垂直壁」の初出時タイトルが「巨大歩行機ゴリアテ」だったとのこと。
総タイトルがこの短編からとられていることが分かるように、「ガングリオ山脈の垂直壁」はゴリアテに乗って雪に埋もれる山を超えるために集まった人々の物語。ここでは「灰汁」は出てこず、一人称の語り手によって話が進む。もう一つの「灰汁」が出てこない話は冒頭の「蓬海人のテーブルダンス」で、これも一人称の物語。しかしどちらの設定も「灰汁」が視点人物の物語でも利用されていて、これらが同じ世界の話であることが分かる。
椎名誠のこの手の物語はもはや自在の域にあると言っていい。
ロートル海外SFファンの間では昔から訳されないことで有名だったプリーストの”The Affirmation”がクリストファー・プリースト『不死の島へ』という題でついに訳された。訳者はもちろん古沢嘉通さん。
最初の衝撃はなんといっても『不死の島へ』というタイトルで出たことだろう。原題の持つ内容への見当のつかなさが、ここではいかにも伝統的なSFテーマを扱ったかのようなタイトルにすることで、原題とは逆の意味で、そのオーソドックスなタイトル通りの内容を期待してこの物語に誘い込まれた読者への目くらまし効果が生じている。もちろん設定の大枠を使ったタイトルではあるけれど、その設定への目配りは、作品内においてかなり否定的な扱いになっていることに、読み手は戸惑うことになるだろう。
しかし、この戸惑いこそがこの作品のキモであることは、読み終わってからしばらく考えているうちに分かってきた。それを思うと、プリーストが設定した語り手(=《夢幻諸島》世界の創造者兼住人)のキャラクターをこんなにも感情移入しにくい人物に設定したことのたくらみもわかるような気がする。
SF作家だったはずのプリーストが当時こんなに野心的な作品を書いたことは、原作の刊行から45年も経った21世紀の今だからこそ、そのすごさが分かるけれども、もしも80年代に訳されていたら、当方はこの作品を「イマイチ面白くないよなあ、向こうの世界の話があんなに面白いんだから枠物語にした方がよかった」と思っていただろう。なので、この作品を文学的野心に引っ張られすぎて、SF/ファンタジーとしてはイマイチという感想が今でも出てくるだろうと思われる。
ということで、物語のあらすじに関する感想についてはパス。
漢字の作者名から中国系かと思ったら日系の女性だった北清夢『漂泊の星舟』は、文庫で600ページの大長編だけど、基本的に乗組員が全員女性という人類初の星間世代宇宙船を舞台にした、女性による女性のためのスペースオペラとして書かれている1作。
主人公は、作者の出自を反映して、日系の20代の女性。物語はこの星間世代宇宙船での殺人事件とヒロインこの宇宙船の乗組員に選ばれるまでの生い立ちと地上での数年にわたる候補生選抜訓練校での日々が交互に描かれている。
SFとしてのメインストーリーは、10年ほどのコールドスリープから活動期間に入った女性だけの星間宇宙船で、船外活動に駆り出された代替要員(何でも屋担当)のヒロインと相方が、たまたま目的の場所に相方が先に行き着いたところで爆発が起きて相方は死亡。ヒロインが船に戻るとその爆発によって船長他1人も死亡。そうする内にこれが事故ではなく殺人事件の疑いが生じて、その秘密捜査に駆り出されるのがやはりヒロインだった・・・というもの。
一方、メインストーリーと同じ分量でカットバックして語られるヒロインの地上時代の話は10年以上にわたり、乗組員選抜訓練校を目指すまでの生い立ち(母親との軋轢)と訓練校での友情と嫌悪感それにすべて競争であることのプレッシャーに終始する。とくに同世代の女子が大集団で過ごす訓練校のエピソードは超エリート女学校のそれとほぼ同じように思える
地上での話が10年以上の長期間なのに対し、宇宙船での殺人事件調査をそれをもたらした爆発による針路ズレの大ネタは、わずか4日間の出来事として語られている。
同世代の女性訓練校卒業生たち100名余りで構成され、ヒロイン以外のほぼ全員が妊娠している(人工授精)という乗組員の設定は、確かに今の時代の女性のためのスペースオペラを感じさせるけれど、殺人事件や針路ズレの危機は男ばかりの時代と同じだし、LGBTQのことを思えばやや保守的かもしれない。それに全体としてヒロインの心の動きに大きな比重がかかっていて、その点ではヤングアダルト小説として読むのが正しい気がする。
カジシンの新作を読むのは21世紀になって初めてだったような気がするけど、読後感は、やはりカジシンだなあというものだったのが、梶尾真治『おさご幻奇譚 仏原騒動異聞』。もとは2024年に熊本日日新聞に一年間連載、その後加筆訂正して河出文庫に収録とのこと。3月刊。
帯には「不思議な伝承がのこる一揆」とあって、六冬和生の『松本城、起つ』を思い出したので、手に取った次第。松本の方は「貞享騒動」で1686年の一揆を題材にしていたけど、こちらは延宝2(1674)年の熊本藩「手永仏原(ほとけばる)騒動」というのを扱っている。ウィキによると、加藤清正家が断絶した後に入った細川家が手永(てなが)という独自の農民管理制度を持ち込んで締め付けたため起きた騒動らしく、処罰が厳しかった割には詳細が伝わっていないらしい。
ということで、読んでみた感想が冒頭のようなものだった。現代人がタイムスリップするのは『松本城、起つ』と同じだけど、あちらの女子高生と違って、こちらは過去のヒロインを救うためにヒーローにならざるを得なかった若い会社員。彼がヒロイン側の事情によってのみ何度もタイムスリップを繰り返す受動的タイムスリッパ―であるところがカジシンらしい。
物語構成としては結末の大風呂敷の広げ方がやや性急で、突然「日本むかし話」になったような印象が残るため、あまり高評価はできないのだけれど、カジシン節を愉しみながら読めることは間違いない。
昨年の刊で読むかどうか迷った作品のひとつが、チャールズ・ウィリアムズ『ライオンの場所』、へんてこな読み味が独特の叢書ドーキー・アーカイブの1冊。
実際読み始めると、イギリスの片田舎の町で、サーカスから雌ライオンが逃げ出したという設定で始まる冒頭は、茂みの中に雌ライオンが潜んでいるところへ主人公の青年とその友人が通りがかるが、雌ライオンだったはずのものが、二人は見るも立派な怪物級の雄ライオンを目撃。読者にはこの現象はどうやらその近所の老人がこん睡状態にあってその現象にかかわりがあるらしいと感じられる。
が、話の進行はその謎に向かわずに、中世キリスト教哲学の学位論文を書こうとしている若い女性研究者(哲学雑誌編集者の主人公の恋人でもある)が、神秘主義を奉じる団体の女性から講師(昏睡状態になった老人)の代わりを頼まれ、その会合に出るとやはり怪異な現象に巻き込まれるのだった。
そのころから主人公の周囲にはあやしい人物たちが現れ、新プラトン主義のキリスト教学者の書に記されたような怪物が現実化し始める・・・。
物語自体はかなりケッタイなつくりだけど、エンターテインメント的な小説の作法(勧善懲悪)はしっかりしており、扱っている題材ほどのアヤしさはなく、狭い町の一時的な騒擾として終始する。
「確かにヘンな話だねえ」というのが当方の感想なので、訳された意義は十分果たされているのだろう。
ところで、ヒロインの学位論文のテーマはアベラール。で、当然書きあぐねていたんだけど、物語後半、恋人の助けを借りて大活躍することで、自分の学位論文に足りなかったものを発見する。そんないかにもエンターテインメントな筋立てを読みながら、当方がアベラールの名前を知ったのは、半世紀前の大学SF研のメンバーで中世哲学を専攻した江口氏からだったことを思い出した。もっとも、ここ数年は親父の本を整理する中で何回も目にした名前(『アベラールとエロイーズ』とか)でもある。
原書は2024年刊で翌(昨)年のヒューゴー賞と世界幻想文学大賞を獲ったというロバート・ジャクソン・ベネット『記銘師ディンの事件録 木に殺された男』は予備知識なしに読んで、十分に面白かった1作。翻訳ハードカバーなので4000円近いお値段だったけど値段分の楽しさはあったと思う。
原題は‘The Tainted Cup’で、読了後もなんでこのタイトルかよくわからないのでググったら、原書で読んだ人のnoteとかいくつかあってみんな褒めているんだけど、タイトルについて解説した人はいなかった。で、スクロールする内にreddit.comが拾い上げた、「なんでこのタイトルなんだ(特に「Cup」)」と疑問の声あった。同類はいるもんだね。でも正解はわからないまま。
ということで、日本語版タイトルにも原題の意味を表す言葉はないのだった。でも、メインタイトルがシリーズ名でサブタイトルがこの巻の本来のタイトルという風に見えるのはちょっとヘンだけど、なにより日本語として明快至極なので、これはこれでいいタイトルなのだろう。
あと、原書で読んだ人のnoteにあった、ディン君の上司でアームチェア・デテクティヴの役割を果たす女性が「榎木津」みたいだという感想を読んで、当方も京極堂シリーズを思い出したのであながち的外れでもなかったらしい。ということで、ミステリとしても京極堂同様SFファン向きといえる。
じゃあなんでヒューゴー賞と世界幻想文学大賞の受賞作で、MWA賞は最終候補なのかという点は、ハイ・ファンタジーとして作られた世界設定の面白さがミステリ部分を支えているからなんだろう。
異世界ものの難しさは、その世界設定が読み手の腑に落ちるまでかなり時間を要する(もっともテンプレ設定の場合もあるが)、または設定の全体がわからないまま進むところにあるので、通常のミステリのような日常的叙述のなめらかさが前提で事件と謎解きの物語を読む読者には、余分な負担を強いる点でミステリとしては変種扱いになり、オーソドックスな感動的ミステリに比べ評価が低かったのかもしれない。
長くなったので世界設定を含め内容の紹介はパス。
平凡社ライブラリーから出たズデニェク・ランバス編・平野清美編訳『チェコ21世紀SF短編集』は、これまで平野清美編訳で2冊出たチェコのSF短編小説を紹介するアンソロジーの3冊目。たぶん最終巻。
収録の7編は2007発表作が1篇あるほかは、2016年から2024年というからバリバリの21世紀の作が選ばれている。しかも7編で400ページ弱なので平均で50ページ以上という中編が多い。
冒頭のパヴェル・フリッツ「アーサー・ブルックスを愛したもの」は、亜空間航行をを支える中性子星を利用したビーコンにある日石ころみたいなものが飛び込んできて、それが実は他者を知らずに成長した超知性だった。一人しかいない駐在員の男はAIの助けを借りて意思疎通に成功するが、超知性は初めて他者を知り「自分」を発見、人類の男との会話に熱中していた。そこへ貨物船が到着、若いクールな女性パイロットが下りてきて、男は彼女に首ったけ・・・。これで結末がホラーになっているんだから、現代スペースオペラとしてはちょっと首をひねるけど、50年代アメリカSF短編を手本にストレートな面白さを求めたという点ではよくできている。
ヴィルマ・カドレチコヴァー「ラマリス炎上」は、一種の魔導士ファンタジーゲームを宇宙的スケールで置き換えて、歴史的スペクタクルの舞台として古の大魔導士が築いたという異星の古代都市ラマリスをキャラクターとして経験する疑似タイムトラベル企画を売りにした魔術旅行社2社の争いを描いた1作。動きの遅い大手旅行社の先手を打って新規開発の時間エリアを試みるヒロインと彼女の会社をつぶして彼女を部下にしようとたくらむ敵役の男の対決が、ラマリスの炎上を背景に描かれる。これも設定的には冒頭作同様21世紀SFだけれど、物語としてはストレートで、読みやすい。
この短編集で唯一2007年発表とやや古いのが、ヤン・ポラーチェク「英雄の道」。これは一読すると、第2次大戦下のナチスドイツの支配下にあるチェコで、理解のない両親のもとで育ち、学校ではドイツ系の大柄なイジメっ子にイジメられっぱなしの少年が、あることをきっかけにイジメっ子の陥れることで、「英雄の道」へと踏み出す話に見えた。
まったく暗鬱としか言いようのない1篇なんだけど、解説によるとこれは歴史上この時代に存在しなかった「ボヘミア帝国」が舞台で、ナチと日本が大戦に勝利したあとの改変世界のエピソードだとあった。なるほど。
ヤン・フラーフカとヤナ・ヴィビーラロヴァー「人生は一度きり」は、特別な輝きを持つ人間の血を奪って古代から生き延びてきたヴァンパイアの棟梁一味と人間と共存を望む一族のヒーローが特別な輝きを放つ少女をめぐって攻防を繰り広げる1編。もちろんヒーローが少女を守り切って終わる、やや紋切型なエンターテインメント。2009年の作を24年に改作したという。タイトルは冒頭のエピソードで少女を追いかける主人公が一瞬目にした、ビールの広告にあった宣伝文句。
ペトル・スタンチーク「中空の七角形」は、あるきっかけで煙突掃除人の秘密結社の存在を知って、その親方の一人に誘われて弟子入りする青年の話。いかにもチェコらしいオーソドックスなファンタジーで、秘密結社の地下世界が素晴らしい。
ユリエ・ノヴァーコヴァー「インスタンス インテリジェント検索エンジンのケーススタディ」は、利用者の質問に答えるAIの視点でつづられた質問者の人間についてのコメント集。楽しく読める。
巻末のマルチン・ギラル「融点」は、なんとソ連製の太陽調査船で太陽へともぐりこむパイロットの経過報告。太陽内部へのトラヴェローグは典型的なハードSFのそれだけれど、そのアイデアが量子論の波動/粒子現象を宇宙船に適用して、地球への帰還を果たすことになるという点が現代的。
これを読む直前に、スマホのYahooニュースをトイレで読んでいたら、「「F=maは嘘」は、実験的に証明されたか?」という記事があって、絶対零度近くまで温度を下げてほぼ真空状態をつくって実験してみると、光子(素粒子)ではなく原子核の大きさでも、2重スリットを通り抜けて干渉縞ができるという話だった。ひいては完全な真空では原子レベルでも2重スリットの干渉縞ができるだろうということだった。
で、この話は科学的厳密性を無視したらSFのもっともらしいアイデアとして使えそうだなあと思っていたところへこの作品だったのでビックリした次第。
このアンソロジーの21世紀チェコSFは、21世紀に書かれたSFとしては非常に読みやすい作品がそろっていて、その題材のバラエティも手伝って、珍しく短時間で読み終えることができた。これに比べると、次に取り上げる英語圏現代SFアンソロジーに収められた作品群は、読者にかける負担の大きいことが分かる。
そのアンソロジーが、ジョナサン・ストラーン編『星の海を駆ける 新世代スペース・オペラ傑作集』。傑作集とあるように既発表の作品を集めた1冊。まあ、ストラーンだし、選択眼は確かだろうと思って読み始めた・・・。
ストラーンの序文は、これまでのスペースオペラの歴史を振り返るもので、それ自体はきちんと整理されたまっとうなもので、「2020年代において、ニュー・スペース・オペラの影響は消化され、スペース・オペラそれ自体は、広大なテイクスカラアン帝国と『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の輝くパルプマガジン的活力のあいだのどこかに存在している」としている。なお最後に「(収録)作品の解説をするつもりはない」とあって、編者が解説したくないものをわざわざストーリーを紹介するのは止めておこう。とはいえ各収録作のタイトル裏ページに日本側編集部の簡単な内容のリード文と作者紹介が付いているんだけど。
収録作品は以下の通り。
トバイアス・S・バッケル「禅と宇宙船修理」、ユーン・ハ・リー「課外活動」、アーカディ・マーティーン「あなたが王だと思っていたすべての色」、アリステア・レナルズ「ベラドンナの夜」、T・キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」、チャーリー・ジェーン・アンダーズ「時空の一時的困惑」、アリエット・ド・ボダール「包嚢」、セス・ディッキンソン「モリガン、光へと落ちる」、ラヴィ・ティドハー「背教者たち」、ベッキー・チェンバーズ「善き異端者」、アーニャ・ジョアンナ・デニーロ「クィーンズスロートへの旅路」、アン・レッキー「審判」、サム・J・ミラー「惑星執着者」、カリン・ティドベック「スキーズブラズニルへの最後の旅」、以上14篇と盛りだくさん。500ページ超の1冊だけど、1作あたりは平均40ページ弱。
すでに代表的長編のシリーズ物が訳されている作家の収録作はそれらのスピンオフがほとんど。また既訳のあるものはキングフィッシャー以外再読。
既読では何といってもアンダーズの作品がベスト。今回も笑ってしまったぞ。初訳ではサム・J・ミラーがお気に入り。こちらは少年のような男娼が主人公のシリアス・コメディで、スペースオペラ的ドンパチを含め、まさに2020年代風の政治的テーマを前面に押し出した1作。ほかにデニーロはル=グィンを彷彿とさせる老女の話で、ティドベックは生体が育ちすぎて船体に合わなくなった生体宇宙船の話。などと説明してはいけませんね。ほかに、ティドハーとチェンバーズが「背教」と「異端」で似たタイトルだけど、ティドハーはユダヤ教の教理用語を使ったガチガチのハードな宗教もの、チェンバーズのは宗教的というより慣習に反しているという意味で、その作風の通りホンワカしている。
チェコSF短編集と同時進行で読んだけど、こちらの収録作は1篇読んでは休み、という形で読んだので2週間近く抱え込んだ。設定と構成が複雑化した作品が多く、気楽に読み進めるものが少ない印象だ。
そういえば、渡邊利通の巻末解説にあるように、おなじく創元推理文庫SFからでたJ・J・アダムズ編『巨大宇宙SF傑作選 黄金の太陽』の収録作とバッケルとアンダーズがダブっているけど省いていないのは良かった。あと、このJ・J・アダムズ君がジョン・ジョゼフ・アダムズだったことをイギリスで買ったアンソロジーを見たときはすっかり忘れていたのでした。
全然その気がなかったのに買ってしまったのが、マルセル・シュオップ『黄金仮面の王』河出文庫。まあ、同じ月にちくま文庫から出た山尾悠子編『構造と美文』の目次を見たせいもある。アマゾンでも同時購入のオススメになっていたくらいだし。
シュオップの作品は昔、澁澤龍彦のアンソロジーで読んだ様な気がするくらいで、敬して遠ざけていたんだけど、わずか230ページの文庫に22編も入っている上、1篇だけ40ページの作品(これ自体が21の掌編とプロローグ、エピローグで構成されている)があって、本当に短い作品が多いので、これなら数日で読めるかと思ってたら大間違いだった。
10ページ足らずのものばかりとはいえ、3篇くらいを読むと休憩したくなって、結局1週間近くかけて読み終えた。40ページの作品「擬曲(ミーム)」も一気に読めず2日がかりだった。
そういう意味では、ストラーン編のアンソロジーのところで書いたように、現代英語圏SFは読者に想像力と知識の点で負担をかけるのだけど、シュオップの場合も現代英語圏SFとは全然違うとはいえ、かなり重い言葉への想像力を要求されるために読み手の負担は大きいように感じる。その負担こそが愛着の理由でもあるんだろうが、当方はこちら向きの想像力の負担はあまり好まないというのがファンタジーを読まない理由でもある(その割にはファンタジーに行き当たるが)。
そういえばヤン・ポトツキ『サラゴサ手稿』も岩波文庫の第1巻を半分読んだところで止まっているなあ。シュオップの作品の中には『サラゴサ手稿』のエピソードを思わせるものもあるし、似た感覚があるのかも。どちらもフランス語で書かれてるしね。
扉ページに表示がないが、編者らしい西崎憲の巻末解説は面白く読めた。
そのきっかけの方の山尾悠子編『構造と美文』は、編者もいうとおり幻想文学ファン(特に翻訳系)によく知られた作家と作品が選ばれている。散文詩ともいうべき詩集からの掌編が複数収録されているのも特徴か。
収録作家を目次順に並べておくと、ボルヘス、バラード、ラヴクラフト、ブッツアーティ、マンディアルグ、金井美恵子、モラヴィア、コルタサル、塚本邦雄、澁澤龍彦、三島由紀夫、ユルスナール、シュオップ、高橋睦郎、多田智満子、時里二郎、高柳誠、山尾悠子と、18作家の18篇を本文290ページ足らずに収めてある。これまた掌編ばかりという選択だ。
この並びではまったく世に知られていないと思われる、時里と高柳は山尾が同志社大学に在籍していたころに知り合った同じく同志社出身の詩人たち。そういえば山尾のエッセイ集にこの名があった。
それにしても偏愛作品ばかり集めたアンソロジーの冒頭に「バベルの図書館」、「時間の庭」、「アウトサイダー」の3作を並べて、このような作品に憧れ、影響を受け、この「三作をどうしても並べてみたいという無茶苦茶な野望が形となった。充分満足なのである」と「編者あとがき」に書くような人間が、50年前に『SFマガジン』でデビューしたのは、当然と思われてもしかたないよねえ。
あと塚本邦雄「冥府燦爛」。この戦前ヨーロッパ文化のゴージャスに憧れた絢爛かつ死臭が薫る作品からは、敗戦後の貧しい時代が身に染みた世代だからこその悲しみが感じられる。
これまで読んだことがあるのは、『異常論文』収録の「ザムザの羽根」だけだった大滝瓶太『花ざかりの方程式』は「SF連作集」とうたわれている1冊。
まあ巻末の表題作は『SFマガジン』掲載作だし、「ザムザの羽根」も初出は同誌だったので、SF志向は確からしい(ググったら作家のnoteに純文学・ミステリ・SFが好きとあった)。
収録作9編は、2017年に出た電子書籍『コロニアルタイム』に収録されたその表題作を含む4篇を中心に、2021年までに発表された作品で構成されている。そういう意味では短編群が単行本にまとめられるまで5年を要したともいえ、いわゆる商業作家であることを目指してはいないことがわかる。
収録作品のタイトルは目次順に、「未来までまだ遠い」、「騎士たちの可能なすべての沈黙」、「ソナタ・ルナティカ Op69」、「誘い笑い」、「ザムザの羽根」、「演算信仰」、「コロニアルタイム」、「白い壁、緑の扉」、「花ざかりの方程式」と、タイトルからでは内容の見当がつかないものがほとんど。
ただ表題作や「演算信仰」というタイトルからは数理的世界への愛着が窺われるし、実際に演算や方程式がテーマとなってドラマが進行している。それ以外の作品でも「騎士たちの可能なすべての沈黙」のエルゴード仮説やブルバキをはじめ、頻繁に数学や物理学関連のテーマが顔を出すので、当方みたいな文系読者にはデビュー当時の円城塔のような印象をもたらす原因になっている。でもこちらは読んでいるうちに数学系プラトニズムというような言葉が頭に浮かんでくるなあ。
また「連作」とあるのは、いくつかの作品に出てくる数学系の研究者たちの研究テーマが各作品に関連してたり、まったく違うシチュエーションで書かれた他の作品の登場人物への言及や似たようなシチュエーションが全く別の文脈で出現したりすることで示されているようだ。たとえば架空のギター曲名をタイトルにした「ソナタ・ルナティカ Op69」の主人公の名が数学的な話がメインの「演算信仰」にでてくるとか。
シチュエーションという意味ではバラエティ豊かで、「ソナタ・ルナティカ Op69」はクラシック・ギターファンならある程度見当がつくような歴史的に実在したギター奏者や作曲家が織りなす実話に基づいた架空のドラマだし、「演算信仰」は東京オリンピックでの自爆テロ、「白い壁、緑の扉」はH・G・ウェルズの有名短編「塀についたドア/くぐり戸」を著者が改めて訳しなおしてそのまま作品に埋め込んで、そのシチュエーションを友人の身の上話として再話するという1作だ。「誘い笑い」にいたっては大学生の就活話だったりする。このすべてに数学的テーマが絡んでいるところがミソ。
「白い壁、緑の扉」では「わたしの小説という営みは翻訳からはじまった。それは文学という意味づけからやや重心をずらした、数学的な操作だ(図2)」と書いていて、これがまるでこの作品集全体の成り立ちを暗示しているかのような文章になっている。
複雑骨折した面白さの質がつかみにくい難点はあるものの、ヘンテコな作風のSF(?)作家がまた一人増えたようだ。
今回のノンフィクションは1冊のみ
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ノンフィクションは、なんといってもジュリー・フィリップス『男たちの知らない女 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの二つの生涯』上・下。本文だけで800ページ近くあるうえ、大量の原注と索引がついている。でも訳文(北川依子訳)は読みやすく、なんといっても本書で描かれたアリス/ティプトリーの魅力が読み手を飽きさせない。
上下巻の分量は大体同じだけど、上巻がSF作家としてティプトリーがデビューする前の50年間を、下巻がティプトリーとして過ごした20年ほどを扱っている。
下巻のティプトリー時代は、1974年のSFマガジンに掲載された「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」と「苦痛指向」で名前を憶えて以後、また大学でSF研に入り、その部室で神戸大学SF研が出した『れべる烏賊』シリーズを読んで熱狂的なファン(大野万紀さんのこと)がいることを知って以来、ティプトリーに関する大まかな情報はある程度頭に入っていることもあって、スラスラと読めた。
でも今回は、伝説的なエピソードばかりが記憶に残っているSF作家デビューまでのアリス/アリの濃厚な実人生の詳細が初めてわかる上巻の方をじっくりと読んだのだった。
アリスの両親の話から6歳、9歳、15歳の時の3回にわたるアフリカ行きの詳細から、女学校時代の孤独、21歳でのスラップスティックな結婚生活までの面白さ。そして母メアリへのコンプレックスと自らのレズっ気入り男性気質が自覚されないまま成長していくことへの畏れと混乱が痛ましい。
これだけの才能と覇気を持ちながら、それが翼として広がらない人生はつらいものだったろう。それが第2次世界大戦の陸軍婦人補助部隊と終戦後のロンドンでのシェルドン大佐(愛称ティング)との出会いによって、ある程度緩和されるところは読んでいてホッとするところ。ちなみにこの頃アリスが得意としていたB29偵察専用機が撮影した敵国の垂直写真の分析の場面を読みながら、当方は現役時代に調べたB29による昭和20年3月以降の呉市の偵察写真や戦後の22年と23年に米軍が実施したB29による呉市を含む日本全体の垂直写真(戦後のものは国土地理院のHPで低解像度映像が公開されている、高解像度は有料)を思い出していた。
シェルドン夫人となってからのアリスはささやかながら落ち着いた時間を持てたようで何より。それにしても40代で大学院に入りなおして心理学の学位を目指すとはさすが常人ではないアリスのエネルギーが感じられる。でもそれさえアリスの本来の仕事にはならかったところに問題の根はあったんだけど。
で、ひょんなことからあの有名なエピソードのもとにティプトリーがこの世に生まれて下巻に移り、あの世界が展開する。長生きした母メアリとの関係が最後まで尾を曳く中で、ティプトリーをめぐるアメリカSFの騒動は大変楽しく読める。特にハーラン・エリスンの『危険なヴィジョン再び』に関連して、エリスンがティプトリーに出した励ましの手紙を読んで、そのテンションに思わず涙が出た。いやあ、こういう時のエリスンで最高にいいヤツなんだよねえ。
なお、50年代に原型が書かれたという掌編SF「タイムマシンをオモチャにしないでください・・・」は何度も出来るけれど、前回SFマガジンで読んだ時の疑問はこの本でも謎のままだった。