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続・サンタロガ・バリア (第278回) |
半年ぶりに広島からKさんが来呉、またもや音楽仲間の誘いで呉名物のヤキトリ屋で飲んだのだけれど、Kさんは久しぶりに食う呉のトリ屋の刺身はうまいなあと一頻り感激されてました。当方も久しぶりにトリ屋の天ぷらを食べて、そういやこの味だったなあと思いだした。年寄り4人の集まりなので一品2~3人前で頼んだ大皿の刺身とてんぷらとトリ串で腹いっぱい。最初の中ジョッキに付け出しの名物トリ皮味噌煮のあとは、焼酎湯割り3杯で一人5000円ちょいなんだから安いといえば安い。
で、今回Kさんが、これあげると当方に差し出されたのが、E. H. Carr “A HISTORY OF SOVIET RUSSIA SOCIALISM IN ONE COUNTRY 1924-1926” VOL.1 のハードカヴァー。London MACMILLAN社から1964年に出た2刷(初版は1958年)。Kさんが学生時代に買って読もうとしたらしいけれど、結局みすず書房から出た翻訳本で読んだとのこと。で、当方なら読めるだろうから持っとけ、ということらしい。
ウィキによると「ソビエト・ロシアの歴史」は全14巻。このうち「一国社会主義」は第1部「ボルシェビキ革命」3巻と間に「1923年から1924年の空位期間」を挟んで、第3部にあたり、3巻4冊構成らしい。翻訳は第1部と第3部がみすず書房から箱入り全5冊で出たようだ。古書価はバラだと300円からある。デジコレでも入手可能。
パラパラっとめくったところ、印字のかすれた東京丸善のレシートが挟まっていて、3780円だったらしい。日付は2月26日だけど年表記が不明。本文は読みやすそうな英語で書かれているようだけど、読むかどうかは未定(多分読まない)。次回Kさんにお目にかかるころには忘れられていることを祈ろう。
正月早々新刊SFが途切れたので、竹書房文庫から出たホラー・SF・ファンタジー短編集だという、チョン・ボラ『呪いのウサギ』を読んでみた。大活字が乱舞する目次が読みにくいことこの上なしで、タイトルを確認するのが面倒だ。
冒頭の表題作「呪いのウサギ」は、親友がある企業の経営者に苦しめられて死んだので、仇を討とうと兼業呪術師が、自分のために呪いを使ってはいけないという原則を破って、呪いのウサギを作り起業家一族を地獄に追いやった男の話。この話を孫が聞いて書いている。
この作品が印象に残るのは、20ページ余りの長さで、いわゆる「人を呪わば穴二つ」のスケールを超えてエスカレートしていく「呪い」の話を、さらに落とし噺にしていることによる。
次の「頭」は、ある日トイレで用を足したら、便器の中の何かから声をかけられた女の話。ウケる人にはウケそうな反転落ちのホラー。
「冷たい指」は、目を開けたら真っ暗で自分がどこにいるかわからない女が自分を「先生」呼ぶ声を聞く・・・。一人称視点で状況が語られていくホラーの典型。
「月のもの:月のものが来る、月のものを迎える」は表題から分かる通り、月経と妊娠、出産にまつわるもので、ジイサンの当方にはやや難物であった。
「さようなら、愛しい人」は、アンドロイドを持つのが当たり前になった時代、3体目を手に入れた語り手が、アンドロイドを起動して前のアンドロイドと同期させるところから始まるが、語り手には最初に手に入れた古いアンドロイドが忘れられず押し入れにしまっていた・・・。これがホラーになるんだけれど、3原則には言及がない。
「罠」は、猟師と罠にかかったキツネの民話のバリエーション。狐の流す血が黄金だったら、ということで猟師の貪欲さがもたらすマイダス・タッチなお話。
「傷痕」は、集中一番長い作品。50ページ以上あって24章からなる1篇。村人によって洞窟にいる“それ”にささげられた少年は、手足を鎖に繋がれたまま洞窟で育つが、時折“それ”に連れ出され骨の髄を啜られるのだった・・・というのが第1章のはじまり。少年は成長して“それ”に掴まれて空を行く途中で落下、気が付くと手枷足枷ではあるものの傷だらけの裸体は無事だったので青年は歩き出した・・・までが4章でプロローグ。5章からは人里へと出た青年が騙されて格闘士に仕立て上げられ見世物試合をやらされるようになる・・・ここからが本編ですね。青年の遍歴は、最終的に自分が“それ”にささげられた理由そして村の存在理由自体が明らかとなったところで閉じられる。
この手の作品としては充実した1作。
「楽しい我が家」は、自分自身や夫の借金に振り回された不幸な女性が、家賃収入で稼げるかとよく調べもせずに買ってしまった中古ビルの地下室に住み着いたものに惹かれていく話。ホラーだがある意味ハッピーエンド。
「風と砂の支配者」は、他の収録作と違って「砂漠の上空に、黄金の歯車でできた船が浮かんでいた」と始まる、おとぎ話系の純然たる無国籍ファンタジー。よくできている。
トリは「再会」、これはエンターテインメントというよりは文芸的な作品。舞台はポーランドの街に留学した女性と現地の特殊な性癖を持った青年との愛の物語で、第2次大戦の影に覆われているロシア文学翻訳者でもある作者の体験を反映しているのかも。
当方は、ホラーは評価しないけれど、この短編集はそれだけに収まらないバラエティがあって楽しめた。
本屋で見てタイトルに気が付いたのが、樋口恭介『何もかも理想とかけ離れていた』。短編6篇を収録。
冒頭の表題作「何もかも理想とかけ離れていた」は7ページの掌編。デザインドベイビーが当たり前の時代に自然分娩で生まれた女性がやはり子供を産み、病弱なため誕生時からあらゆるデータが取られ、「論理双子」ともいうべき人格データが形成されていた。しかし、子供は成長途中で死ぬ。タイトルはそのあとの母親の決断を示す一節。
「踊ってばかりの国」は、「オンラインゲーム『サイバー郡上八幡』のユーザーたちによって立ち上げられた電子国家」の発展を描く1篇。開発者の言い分が重要視されているのはこの手の物語では典型。新型コロナ禍の非接触励行時代のアイデアであるが、その時代背景は忘れられても読めるだろう。ただし、経済論の説得力に乏しいのは難。
集中一番長い100ページ越えの「1000億の物語」は『SFマガジン』2019年4月号掲載作。
冒頭は「アルゴリズムが作動して、任意の空間に一つの宇宙が発生する」の一文で始まり、「グロタンディーク・ユニバース。人工の、自律運動する小さな宇宙」が設定されて、一つの小瓶に1000億の私たちがいて、無数の小瓶があり、宇宙は私たちに愛せよという・・・。
グロタンディーク・ユニバースをググれば集合論を利用した数学的宇宙の説明であるらしいことがわかるけど、ナンノコッチャ、という感想しか湧かない。そしてこの「宇宙は私たちに愛せよという」のを受けて長い「あなた」の愛の物語が始まる・・・。
論理宇宙のスケールインフレと現実の人間愛のエピソードが延々と語られてはいるものの、当方の興味は残念ながら長続きしなかった。
「時間の中のホテル」は、ナノAIによる本人にとってのみ現実であるタイムトラヴェル。登場人物が自分だけしかいない話はやや退屈。
「ニュー(ロ)エコノミーの世紀」は、ニューロネットワークがインターネットにとって代わって「バビロン」システムが出現。そこからの世代は「幸福」であることが当たり前になっている。「バビロン世代」へのインタビューと「バビロン」の歴史を示す「リブラ」による短編小説で構成される。
「幸福」などと云う言葉は定義したところで無意味だし、物理的実体のすべてをデジタルデータに置き換えたとしてもデータ保持物質が必要なことは変わりない。ここではそのようなことを無視して話が進められるので、退屈してしまう。
最後の「沈黙する星系」は、「地球重力系を模した疑似物理環境によって維持されている」外宇宙コロニーの演算ノードの外郭センサーが「私」である記憶を保持していることから始まる母恋物語。これは読めるけど、話としては既視感が強い。
ということで、あまりピンとこない話が多いというのは、当方の感覚が古いためかもしれない。
前書きに1年ぶりとあるけれど、ハヤカワ文庫SFから類似品が出たので、あまりそういう印象がないのが、井上雅彦監修『グランドホテル 極(きわみ) 異形コレクションLIX』。
『夏のグランドホテル』は読んだ覚えがあるけど、最初の『グランドホテル』はどうだったかな。どちらにしても掲載作がどんなものだったかは忘れていることに変わりはない。
今回のホテルは、軽井沢を思わせるような郊外の、外観は瀟洒な洋風で内部に和風趣味も凝らされている木造5階建。日時は大晦日から新年にかけてで、運が良ければオーロラがみられるかもしれないという設定。客室はもちろんラウンジにレストラン、バーやシガールームそして空が見える最上階まで、参加作家たちもよくその設定を飲み込んでそれぞれの作品を仕立てている。
巻頭の北沢陶「蛇のナイフ」は、医者の3人家族、夫婦と10代の娘がホテルに向かう車の中から始まる。視点人物は娘で無神経な父親を嫌っていた。そんな娘がホテルの中で不思議な少年と出会いそそのかされて父を・・・。割とストレートな話運びだけれど、このホテルにふさわしく惨劇には至らない。
澤村伊智「ネーブルサンシャイン」のタイトルは便利屋姉妹の事務所名。今回の依頼は一人でホテルに行けないので付き添ってほしいという若い女性客につきあってホテルで同室すること。依頼主は姉妹にいくつかの不思議な条件を付けてくる。視点人物は姉妹の姉。
ということでホテルに着いて、依頼主の条件がいわゆるホラーハウス現象から身を守ることだと判明するが、話は姉妹の方の秘密に及んで、意外なラストを迎える。
背筋「雑な神隠し」は、1月後半の日付から元旦に向かって、視点人物の恐怖な日々をさかのぼっていく形式のホラー。もちろんオーロラへの願掛けが、視点人物の恐怖の原因となる。アイデアとしては面白いかも。
坂崎かおる「ミセス・ベルペディア」のタイトルは、タイトル裏ページの監修者解説によって1950年代のアメ車の名前とわかる(思わずググったぜ)。
話の方は、ほかには1台も停まっていない駐車場に15年間預かりっぱなし当該車を、ドアマンから車回し係へ変わった新人が、ホテル担当から大みそかには駐車場外に出ないでエンジンを温めるように言われて、運転しながら自らの車好きを自分の生い立ちと絡めながら回想するというもの。
それ自体は通常の短編だけど、作者はホラーとして結末を用意した。
王谷晶「大宴会」は10ページの掌編。帰省せずに大晦日のホテルのイベントのアルバイト・コンパニオンになった女子学生の話。会場で昔ホテルのパーティで参加者全員が消えてしまった話を聞いた彼女は、深夜になってオーロラの美しさに見とれていたら、聞いた話の原因となった現象に巻き込まれる。ちょっとゲテモノっぽい1作。
久永実木彦「ジェイルハウス・ロック」はもちろんプレスリー。最初の1行で鳴り響く。この作品は、設定されたホテルとは正反対のスタイルを持つホテルとして作られた刑務所ホテル「刑監荘」から始まる話。ただし視点人物は「極」ホテルを破壊するためにそこへ送り込まれた12人目の「殺し屋」。たしかに型破りでこの作者らしいホラーコメディになっている。変なハッピーエンドだし。
柴田勝家「扉を開いて」は、「俺はドアマンだ」というセリフからはじまるタイトル通りの1篇。ドアマンはホテルに入れていい客と悪い客を見分けることができなきゃいけない。ということで、どんな風な外見でも規定にひっかかるものは入れてはいけないのだが、視点人物は毎回失敗して失敗前の時間に戻り、ドアマンとして試されるのだった・・・。よくできた1作。
宮澤伊織「ホテル・リミナル・アスレチック」は、異形コレクション用につくられた霊感のない怪談師と取り憑かれ体質のパートナーという百合コンビの絶体絶命ノホホン怪奇現象シリーズ新作。今回もホテルの中で絶体絶命状態のまま結末を迎えている。面白い。
平山夢明「237号室」は、スプラッタな戦場で何とか生き延びた軍曹と召集兵2人の3人組が、いつの間にか迷いホテルを見つけて逗留する話。物語は召集兵のゴトーが、「俺」視点で語る。タイトルが部屋番号なのは明らかだけど、理由は読んでからのお楽しみ。21世紀も戦争の世紀であるからには、これからもこういう話が紡がれるのだろう。
斜線堂有紀「スウィミングプール」は、ホテルに滞在しているライターズブロックに苦しんだ作家が、プールでおぼれ死にそうになるまで泳ぐうちに拷問を受ける人物の迫真の情景が頭に浮かび、そのおかげで毎回スランプを脱していた・・・。この作者の残酷趣味ぶりがストレートに発揮されている1作。感心するというか呆れるというか、よくやるよ。
篠たまき「雪まつげ」は、ホテルの大浴場が舞台。泡湯に入ったヒロインのオーロラへの願いが叶う。話のメインはファンタジーだけど、現実的には浮気夫への復讐譚。タイトルは冒頭でホテルに着いたヒロインのまつ毛にかかる粉雪から。
芦花公園「イカボドの栄光(オーロラ)」は「イカボド」って何と思うタイトルがモノを云う。監修者解説によると、旧約聖書「サムエル記」に出てくる名前で、「栄光がない」という意味らしい。おなじく「栄光(オーロラ)」の最古の目撃記録が「エゼキエル書」で、預言者エゼキエルが空に神の栄光(オーロラ)を見た(ウーム)ことからという。「 サムエル記」も「エゼキエル書」も数年前に親父の岩波文庫(関根正雄訳)で読んだけど覚えてないや。
話の方は、「私」が語る展望ホールでのオーロラ鑑賞会での出来事。同席した何人かの人物が一方的に自らの人生を「私」に語っては、姿が薄れ消えていく・・・。特に種明かしらしいものもなく、最後は「私」がホテルから出て歩いていく。救済の物語、なのか。
斜線堂有紀がいるならこの人がいると毎回期待される作家、空木春宵「見えざる光の、その先の」は、集中最長の作品で50ページ以上ある。そしてこれは夜を描く画家シバが主人公並みのわき役として登場するシリーズの1篇。
内容に触れないけれど今回のアンソロジーで最高の1篇。バー「アウロラ」やシガールームも舞台に使われている。いい話を読ませてもらった。
ラス前は上田早夕里「忘却のグランデセール」。フレンチのフルコースなど知らないので、ピンとこないが、ググるとコース最後のデザートで、シェフの腕の見せ所らしい。これは腕の良いシェフがコンクールで優勝できなかった時のスーパーシェフ、すなわち「極」のシェフの招待を受ける話。デザートのことがわからなくても読ませる。
幕引きは井上雅彦「極(きわみ)のチェックアウト ―あるいは長逗留の危険」。この話の語り手は英語ネイティブ、そしてそれなりの年よりらしく、5階にあるという読書室が大のお気に入り。そして見つけたタイトルがアンソロジー『グランドホテル』・・・。さすが監修者の書く幕引きだけのことはある。
舞台縛りの窮屈さにもかかわらず、収録作家たちがよく応えたバラエティに富んだアンソロジーになっている。
《異形コレクション》より前から読み始めたのに読み終わったのは大分後になったのが、ケイトリン・R・キアナン『溺れる少女』。鯨井久志の翻訳で河出書房新社から出たハードカヴァー。ということにびっくりして読み始めてしまった。
これがねえ、難物だった。つまんないとか訳文が下手とかいうんじゃなくて、とても一筋縄で読めるようなつくりの話じゃなかったのだ。母も祖母も精神を病んで最終的に自殺した家系のやはり精神的な問題を抱えた女性の書いたものいう設定のおかげで、その内容が甚だしく通常のナレーションを逸脱しているため、読み進めるのに非常に時間がかかるのだ。読んでいる間中、多重人格ものの話題作だったマット・ラフ『魂に秩序を』が思い浮かんでいたけど、『魂に秩序を』に比べても、こちらはエンターテインメント的な配慮がされていないつくりなので、とにかく数十ページも読むと疲れがどっとたまる。それで読むのに時間がかかったわけ。
この語り手ヴィジョンで報告される個々のエピソードは、常に読者を引き付けるだけの魅力を備えてはいるのだけれど、常識的な思考しかできない当方のような者にはいちいち引っ掛かりが生じて、それ自体が作者のたくらみであることはわかっていながら、馬鹿みたいに罠に落ちるのだ。キアナンという実作者と設定されたヒロインが書いたというこの一種の回顧録の多重性に頭がクラクラする。この「クラクラ感」それ自体がエンターテインメントなのかもしれないな。キアナンはマット・ラフ以上に精神を病んだ状態に対する想像力が強烈なのだった。
鯨井訳は、たぶん原文の持つ特異なキャラクターをよく日本語に移しているのだろう。
どうもこの正月はSFらしいSFが出ないなあ、と思っていたら出ました。早川書房からソフトカヴァーで出たが林譲治『地球壮年期の終わり』がそれ。早川からから出たのにこのタイトルはなかろうと笑ってしまったけど、読めばどうしても「地球」が必要だったのかよくわかる。これはもちろん創元推理文庫SFの沼澤洽治訳のタイトル『地球幼年期の終わり』(ちなみに当方は中2でこれを読んで号泣した)で、作者は「老年期」として現代世界を描いて、クラークにオマージュ/パロディを捧げている。
話の方は滅茶苦茶面白くて、あっという間に読んでしまうが、設定にこめられた今現在の世界状況への怒りと救いへの希求が、面白かったという感想以上の強い衝撃を残して印象的である。
まず主要視点人物3名のうち、男女2人がパレスチナ難民孤児として日本で育つが、日本名を与えられ(いわゆる創氏改名)、学校の教師からはお前ら日本に来られて幸運だったから感謝しろと云われて育ったという。これだけでも作者が日本の政治状況に対する態度が分かろうというもの。もう一人は地中海で政治的中立を掲げる難民保護の病院船で医師資格を持つ日本人女性のヘリパイロット。このキャラクターも作者が何を支持しているかよくわかる設定だ。
そしてクラークのオーバーロードに対応する宇宙からやってきた「侵略者」(人間に対して使う自称は「スカベンジャー」)は身長3メートルで宇宙服を着て、自動通訳機を使ってあらゆる地球言語でコミュニケートできる(にもかかわらず、最初のうちは、「侵略」のための調査活動という名目で、地球側の各国家にはバレないような行動をとっている)。作者がこの自動翻訳機の口調をノホホンとしたボケ突っ込み漫才にした効果は、圧倒的な説明力というパワーを獲得している。
ここで描かれる地球側の現状は、文字通り現在の状況をストレートに反映しているので、内容的には陰々滅滅なのだけれど、物語の体裁としては、とびっきりのエンターテインメントにしてしまっている。「スカベンジャー」に様々な疑問を投げかける日本育ち難民男女とそれぞれに対応した「スカベンジャー」たちの回答は、徹底的に国家/民族エゴの愚かさをオチョくるものになっていて、笑える一方で絶望的な気分を読者に醸すことにも成功している。
「スカベンジャー」の皮肉な視点は、例えば、人類は同族の死体を大量に作りながら食べないのはおかしい(食べるため以外に何のために殺すのか)、「スカベンジャー」も進化の過程で同族食いした歴史があるが、人類が同族を殺すだけなのは理解できないという言葉に表されている。この伝で行くと『紅色海洋』の水棲人の食人は当たり前の行為ということになる。また、「スカベンジャー」という自称も、人類が植物と動物の死体を食べることで生存していることへの皮肉のようにも見える。
ソフィスティケートされたSFエンターテインメントに、昔、キューバ危機の時にアメリカSFが見せたある意味ナイーヴな現実反映を、いま現在の視点でしたたかに埋め込んで見せた作者の手腕はいくらでも褒められるべきだろう。
林譲治の達成した水準に興奮しながら、同時に出た第13回早川SFコンテスト特別賞受賞作という土形亜理『みずうみの満ちるまで』を読み始めたら、林作品から受けた躁的な気分が一気に沈静化してしまった。これは林作品と正反対の、それでいて今年これから出るだろう優れたSFに伍して、印象に残った作品として記憶される1作であった。
林作品でも設定されていた、極端な気候変動と強欲資本主義/覇権主義国家に振り回されたその挙句、富裕層がそれ以外の人々を置き去りにした世界は、ここでもスタンダードなデフォルト設定として使われている。
最近作に限っても『頂点都市』に『ターミネーション・ショック』に『摂氏千度、五万気圧』それに『地球壮年期の終わり』も含めて、この設定がド派手な現代SFの一大ジャンルであることはあきらかだろう。
それがこの作品では、先に挙げたような作品に出てくる一切の派手な仕掛け、未来の革命やスーパーエリートたちの活躍や隔絶した宇宙人テクノロジーといったものから遠く離れ、SF的テクノロジーという意味ではすでに手垢にまみれた人格アップロードしかないという、それら作品とは対極的なものになっている。しかも笹原千波『風になるにはまだ』とは反対に、アップロード世界の人生に対しては一エピソードとして扱っているくらいの関心しか示さない。
舞台設定も、人格アップロードではなく安楽死を選んだ富裕層に、その全財産と引き換えに望みの終わりを迎えさせる「ヘヴンズガーデン」という施設内での出来事に終始する。そして物語も、安楽死を求める富裕層の望みを聞いて最後の舞台を整える安楽死プログラムコーディネーターで、陰々滅滅思考がループするような性格のヒロインの一人称で進められている。ヒロインを囲む「ヘヴンズガーデン」の同僚も登場人物も元エリートだった施設創設者の「三毛猫」を除けば、みな優しくおとなしいキャラばかりで、顧客である富裕層のキャラもまた基本的に静かな最期を望むタイプばかり。富裕層が難民を寄せ付けない壁を築いて暮らしているようなこの世界の悲惨さは、話の途中で見え隠れはするが最終話のヒロインの出自が明かされるまで、その残酷さが強調されることはない。この設定に対して、人間にここまでの善性があるかという疑問が生じるのも当然な作品構成ではある。
こんな風に紹介すると、これだけ読んで面白そうに見えない作品もないが、それでもこの作品はエンターテインメントであり、キャラクター小説として成り立っているところにその良さがある。
当方は読んでいるうちに落涙してしまったのであるが、読みおえたあとでもその理由が思い浮かばなかった。もちろんお涙頂戴エピソードは安楽死を求めた金持ちたちのエピソードなどに埋め込まれているが、そんなものに涙が出るわけもなく、ちょっと考えてしまった。
で、ヒントになったのが、小川一水の選評。
いわく、「(この作品の最後の数行に)希望が残っていることに気がついた。(中略)未知を残した余韻に感嘆して、改めて大賞に推した。」と絶賛していたこと。この作品の最後の数行は、タイトルの意味が明かされるこの作品のキモなのだが、他の選考委員から分からないと批判されたところでもある。おまけに、「みずうみは満ちる」ものなのかというタイトル自体への疑問もわく、満ちたから湖になったのでは、と。その点は、このタイトルの表現はヒロインの想いの象徴であって、現実の湖を指しているわけではない、と云うことで了解可能)。
小川一水は「希望が残っている」と云ったが、当方は、この数行に込められた、フツ―に読むと「滅び」を予感させるヒロインの想いが、この作品が全体としてエンターテインメントでキャラクター小説として組みたてられたことによって、「希望」へと傾いていることに気がついた。
そう考えると、小川一水がこれを大賞に推した理由がよくわかる。これはSFであることによって多くの欠点が目に付くにもかかわらず、エンターテインメントとしては文句なく読めてしまう奇跡的な一作だと思う。
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今回最後に読み終わったのが、読み始めの時期は『溺れる少女』とほぼ一緒だったのに、3週間も抱えることになったマリアーナ・エンリケス『秘儀』上・下。昨年10月刊の新潮文庫。1月は中旬まで新刊SFがなかったので、岡本俊弥さんの書評を参考にホラーの中では一番読めそうなものをと思い、これに手を出したのが運のツキ。
まあ、小説としては重厚で、基本的に20世紀後半の10年にわたる軍政時代の暴虐を作品の背景に塗りこめた、暗い家族小説として読めるように構成された全6部からなる、文庫上・下で1000ページ超の作品。その重厚さのおかげで、当方のようなホラー不感症の読者でもホラー設定の由来と描写シーンには辟易するものの、最後まで読み通すことができた。
しかし、読むスピードはいつまでたっても上がらないままで、一度に読めるのが数十ページというペース。3週間かかったのもムベなるかな。
ホラーの基本設定は、はるか以前にイギリスからアルゼンチンに渡ってきたある一族は「闇」を開くことで力を保持し教団を維持してきたといもの。第1部の視点人物フアンは、子供の時に「闇」を呼び出す霊媒能力を見込まれて親から引き離され、一族に飼われて一族の娘と育ち、のちに彼女と結婚して男の子を儲けた(この設定は当分明らかにされずに話が進む)。しかし彼は事故で最愛の妻を失って、今は父子だけで一族から逃れて暮らしていた。父子生活を続ける男の日常から始まる第1部はシリアスで、まだ設定の詳細が分からないまま、ホラー部分を含みながら進行する物語は緊張感にあふれている。
この緊張感は、幼い息子のガスパルの視点で語られる親子(と友人たち)の物語である第3部でも維持されており、全体を貫いている。
ただし、当方のホラー不感症により、下巻冒頭に置かれた第4部、フアンとともに育てられ、結婚することになる一族の娘(ガスパルの母)の一人称で語られる物語には、ホラーファンタジー的なものが強く漂っているため、あまり熱心に読むことができなかった。特に1960年代後半のロンドンで学生生活を送る部分は、当方の当時のロンドンのイメージと重なる部分に来ると、ホラー要素が邪魔になって仕方なかった。
それでも全体としてマリアーナ・エンリケスの作品の持つアルゼンチンの悲劇的な出来事への鎮魂が感じ取れることは間違いない。
ノンフィクションは新書が2冊。
小川哲『言語化するための小説家思考』は、昨年10月の刊だけど、当方は最近買ったので、11月ですでに3刷がかかっていた。人気作家なんだなあ。
これは、文字通り小説を書くとはどういうことかを、自分が作家を志向することになったきっかけからデビューするまでの試行錯誤、デビュー以降書き続けることで分かった自分の小説の出来方など、この作者らしい真摯さとわかりやすさで説明したもの。短い章立てにすることにより、あっという間に読めるものになっている。
巻末には自らの作例として、能登半島支援のチャリティのため出版された、「おもてなしを」テーマにしたオリジナルアンソロジー『あえのがたり』のために書き下ろした「エデンの東」を収めていて、お得感もある。とはいえこれを読んで、小説家入門する人は多分いないだろう。
もう1冊は2024年12月刊のブルーバックス、櫻井武『SF脳とリアル脳 どこまで可能か、なぜ不可能なのか』。当方には、このタイトルはちょっとうさん臭く思えたので、スルーしていたが、そのあとにハヤカワ新書で出た信原幸弘・渡辺正峰(まさたか)『意識はどこからやってくるのか』を読み始めて、そこで論じられている人格アップロードにうさん臭さを感じ、途中で読むのをやめたことも本書を遠ざけた理由だろう。
しかし、SFにおける人格アップロードのスタンダード化はどこまで現実味があるのか知りたいと思っていたので、読んでみた次第。
結論から言うと、この作者の説明の方が当方には納得のいくことが多く、著者がSF通であることで引用例も面白く読める。特に身体機能の信号を受けない脳は沈黙せざるを得なくなるという説明にはとても納得感がある。この「意識は大脳だけで形成されるわけではない」という説によって、現在SFで盛んに使われている人格アップロードテクノロジーが、まだ当分SFの中にとどまっている状態であると確認出来て何よりであった。