続・サンタロガ・バリア  (第256回)
津田文夫


正月に神社に行かなかったせいか、どうも今年は厄でも付いているようで、誕生日過ぎてすぐ、自転車で転んで尻を強打して医者に行ったら、骨は大丈夫だが内出血が酷いと言われ、打撲傷用の漢方薬を貰って飲んでいた。
 ようやく痛みが気にならなくなったら、2月29日に長年使ってきたハードディスクがクラッシュ。バックアップしていなかったので、この連載原稿を始め、個人的に撮りためた20年分のケータイ・スマホ写真を始め、個人的にため込んだデータが取り出せなくなった。取りあえずサルベージソフトのお試し版で読ませたらディレクトリを読んだので、こりゃ復活可能かと思い1万円出して復活ソフトをダウンロードしたのだけれど、いまだにデータの検索中しか反応がない。そのことを奥さんに云ったら、思い出だけで充分、どうせアンタ以外に気にする人はいないんだから新しいのを買ってくればと冷たい御返事。うーん、そりゃそうだけど。
 ということで、この原稿の過去分がないので、一から作り直してます(別にそれほどのことではないけど)。やる気もかなり殺がれていて、プロパーSFもあんまり出てないし、今回はパスしようかと思ったけれど、他人にはどうでもいい微細な不幸な記録も書いておけば、個人的には気晴らしになるので書き始めた次第。

 先月は、何年かぶりに堀米ゆず子のヴァイオリン・ソロ・コンサートを聴いた。場所は市内とは云え車で小1時間かかる島の美術館のロビー。ロビーなので天井は低く感謝方の音響なのだけれど、もう20年以上ほぼ毎月のように様々な楽器のクラシックの一流どころ(ピアニスト以外はN響メンバーが多いかな)を喚んできて、島民を中心に100から200名程度の聴衆が集まるコンサートが続いている。当方は車を持っていないので、たまにお誘いを受けて年に1回行くかどうかと云うところである。以前まだバスの便が多かった頃に、ここでクラシックギターの福田進一を聴きに行ったことは以前書いたような気がする。
 今回のコンサートはピアノ伴奏付(占部由美子)だったけれど、前半にバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ2番を入れていた。彼女の無伴奏は前回三原市のポポロホールで聴いている。バッハの無伴奏を除けば、前半は、クライスラー「ベートーヴェンの主題によるロンディーノ」(初めて聴いた)の後にバッハ、休憩を挟んで後半はプロコフィエフの「ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ」(これも初めて聴いた)に珍しやリヒャルト・シュトラウスのソナタというもの。
 印象的という意味ではやはりバッハの無伴奏だけれど、R・シュトラウスもなかなか。クライスラーとプロコフィエフは初めてということもあってよく分からず。プロコフィエフについては堀米ゆず子が、ヨーロッパで活動していると、ロシアのウクライナ侵攻以来ロシアものが弾けなくなったので、ここで弾けてウレシイ、みたいなことを云ってました。さもありなん、ですな。
 これだけ聴かせてもらって、1700円という入場料なのだから、年間チケットを買う人も多いらしい。もう少し近ければ当方も通い詰めてもいいんだが。チケットが安かったので、今回は堀米ゆず子がラロの「スペイン交響曲」と「ロシア協奏曲」を入れたSACDを買って、コンサート後に本人のサインをCDにして貰った。
 因みに、今回はいつもコンサートに誘ってくれる知人の知人が車を出してくれました。アンコール曲はもう忘れた。

 もうひとつ音楽の話題を。地元にはローカルなチェーン書店が3つあって、その中の一つが数年前にツタヤに買収されて、大分店の雰囲気が変わり、一時足が遠のいていたんだけど、今年になってツタヤのレンタルCDが数千枚市内の2店舗で売りに出されたので、覗きに行ったらアチラコチラの店から集めたせいか、中々面白いタイトルが見つかる。値付けが770円から2週間毎に値引きされていくという方式で、最終的には110円まで下がる。770円で買ったのは2012年に出た「僕たちの洋楽ヒット1970→1972」正・続だけ。ちょうど洋楽にハマった15歳から18歳の時期、毎日ラジオで流行のポップスを聴いていた時代で、CD4枚で80曲以上聴ける。レーベルを超えたコンピと謳ってはいるけれど、カーペンターズなんかは入っていない。気に入ったので1955年から76年まで買いそろえておこうと、550円になったときに云ったら「1964→1969」の正が売れていた。やはり買う人はいるのだなと思った。
 洋楽に関しては数が少なく、基本的には2000年代の超流行り物しかなかったけれど、邦楽はとても目で追えないくらいの膨大なタイトルが10台以上のワゴンに詰め込まれていて、年寄りには背文字が読みにくく疲れるのだけれど、だんだん安くなってくるので大した興味は無いけれど、ちょっと気になった者を物色してみた。いろいろひっくり返してみると大体2000年からコロナ前の2018年くらいまでのものが多かった。昔CDジャーナルやSFマガジンで紹介されていた主に女性ボーカルを中心に選んだのが、DAOKO、クラムボン、東京カランコロン、相対性理論、アーバンギャルド、住所不定無職、チャランポランタン、キノコホテルといったところ。DAOKOは花火のアニメの主題歌が入っていた。110円に下がるころには大分隙間も出来て、探しやすくなったお陰で、男性ボーカルも拾ってみた。僕のリリックの棒読み、マン・ウイズ・ミッション、avengers in sci-fiといったところ。拾いものはR指定「日本沈没」。こんなのがあるとは知らなかったけれど、聴いている間は笑いっぱなしで110円のエンターテインメントとしては出来すぎ。ちなみに冒頭のタイトル曲はブクブクという音が入っているだけ。
 自転車を30分漕いで別のツタヤに行ったのは330円のときで、段ボール箱が崩れたまま放り出されたような並べ方がしてあった。物色してたら知らないオッサンが「今頃来ても買うようなモンはなかろうが」と話しかけてきたのでビックリ。その言葉にめげずに背文字を見ていたら、なんと坂本龍一のソロアルバムが10枚も残っているのを発見。一応中身を検盤して傷の少ないものを7枚選んで買って帰った。「音楽図鑑」「NEO-GEO」「BEAUTY」「sweet revenge」「SMOOCHY」「WORKS1 CM」「A DAY IN NEW YORK」という80年代90年代の代表作と2000年代のCMコンピおよびアントニオ・カルロス・ジョビン・トリビュートまで、なかなかの品揃え。さすがに3000円近くしたけれど、坂本龍一をちゃんと聴くのは初めてだったので、それなりに坂本龍一の音楽の一端が知れて良かった。「NEO-GEO」に入っている「RISKY」を聴いてストゥージズのイギー・ポップが歌っていたことをはじめて知った。曲は覚えていたんだけど。
 その他で驚いたのが、前号のSFマガジンでインタビューが掲載された、ポール・ウィリアムスの元妻で、結婚していた当時ディックと直接知り合った金延幸子「み空」があったこと。URCレコードの発売権がエイベックスに移って、2002年頃に、はっぴいんどなど主要作がCD化された中の1枚。今聴くと初期のジョニ・ミッチェルを思わせるので、ディックの気に入ったのかも知れない。URCのCDはこの1枚しか見つからなかったけれど、セール最初の頃は加川良とか岡林とかもあったのかも。
 もう一枚は洋楽で、セール最終日、さすがにもう買うものは無いだろうと思って、それでもスカスカになった洋楽のワゴンをのぞいたら目に入ったのが、部屋の5面が鏡張りのスタジオの真ん中に黄色いドラムセットが置いてあるジャケットが印象的だった、バトルスのあの有名なフルアルバム第1作「ミラード」。2007年発売当時から評価の高かった1枚だけど、マスロックとやらで横目で見ていた。何回もワゴンを見ていたのにいままで見逃していたのは、黄色だったはずの背文字背景が真っ白に日焼けしていたせいもある。おかげで110円で買って帰って聴いてみたら、このセールで買った50枚近いCDのうちピカイチの素晴らしい1枚だった。ドラムを中心にやかましいことはやかましいのだけれど、全く気にならずかえってヴォリュームを上げたくなるというシロモノだった。さすがに人迷惑なので家に誰もいない大雨の日にしか聴けないが。

 音楽話が長々と続いてしまったけれど、新刊SFは相変わらず冬枯れで、BL特集のSFマガジンの近刊紹介蘭を見てもどうやら春も期待できないらしい。一時的な「SFの冬」かなあ。イヤイヤ、SFプロパーにこだわらなければSF的設定を使った小説がいっぱいあるではないかと云うことなんだけれど、当方は心が狭いので、プロパー的なものを求めてしまうんだなあ。

 以前、日露戦争に負けてロシア帝国の占領下にある東京での捜査ものを読んだ佐々木譲『帝国の弔鐘』は、親本が2021年で昨年12月の文庫化。設定こそ日露戦争に日本が敗北したという改変歴史はおなじだけど、こちらは東京で女と同棲する中年男が、ロシア側の指令で松岡洋右と同じ役割とおぼしき人物を暗殺するところから始まり、国際謀略小説かと思わせるが、話は一転、日本から極東へ移民した一家の家庭に生まれた主人公の生い立ち話となる。
 話は少年が帝政ロシアからロシア革命の時期に大人へと成長するエピソードからなり、エピローグで冒頭の話の結末を迎える。この作者の物語づくりは非常に安定していて、舞台の造りとしては佐藤亜紀の諸作を思わせるが、こちらはあくまで男子の冒険小説である。SFらしいSFがないときに読むには上質のエンターテインメントとして頼りになりそうだ。

 これも12月刊のJ.L.ボルヘス『シェイクスピアの記憶』はボルヘス最後の短編集とのうたい文句だが、当方がボルヘスを読むのは何十年かぶり。岩波文庫で読むのもはじめて。4編収録で表題作のみ初訳らしいが、当方にはすべて初読。短編4編で緩い字組で本文100ページもないが、訳者の一人内田兆史によるボルヘス略伝と詳細な解題が付いている。それでも150ページ足らずだけど。
 ボルヘスは当然メリルの傑作選で知った口で、学生時代に京都赤尾照文堂(廃業したかと思いググったら令和になって移転してた)で買った篠田一士訳の『伝記集』がなぜか未だに我が家の本棚に埋まっている。いまでも覚えているのは「アレフ」ぐらいだけれど、当時はそれなりに興奮していた気がする。しかしその興奮を冷ましたのが、大学図書館で借りて読んだ『ブロディーの報告書』。ボルヘスの幻想的短編集のカケラもない(と、当時は思っていた)ので、その後は集英社の世界文学全集のラテンアメリカ編を読み、マルケス・カルペンティエール・コルタサル・ドノソに驚かされて、国書刊行会のダンボール紙箱シリーズを集めたりしていたけれど、ボルヘスには手を出さなかった(『ボスたち、子犬たち』は読めたのに『ラ・カテドラルでの会話』を途中で挫折したバルガス・リョサもその後読んでない)。
 本書の作品に話を戻すと、ここにある4編はいかにも『伝記集』を書いたボルヘスらしい作品集になっていた。
 ホテルに帰ると受付で「先ほどお帰りなったのでは」と言われて、部屋に行ってみると80歳過ぎた死の床の自分に会う「一九八三年八月二五日」は、SFファンなので当然『2001年宇宙の旅』を思いだすし、インドで青い虎を探しにいった顛末を語る「青い虎」やいかにもヨーロッパ幻想文学の文脈で醸された掌編「パラケルススの薔薇」は、アルゼンチンの作家というよりは英国/ヨーロッパ文学に属しているように見える。表題作は文字通り「シェイクスピアの記憶」が人から人へ受け継がれているという幻想譚で、まさに英国/ヨーロッパ文学の流れの末端にいる作家としてのボルヘスを思わせる。早くに盲目となって「記憶の人」として紡ぐ「夢の書」は英国/ヨーロッパの幻想文学的伝統だったのかも。

 やはり12月刊の森岡浩之『プライベートな星間戦争』は読み逃していた1冊。この人作品も久しぶりに読んだなあ。
 前半は、ある星系の宇宙空間を舞台にして、いわゆる天使ヒエラルキーが軍隊の階級になっている惑星防衛軍みたいな設定で、最下級の天使の少年が戦闘訓練に励むところから始まり、すぐに敵である「悪魔」を憎むことで天使のパワーが発揮され、そのために死ぬことは栄誉であると教えられる・・・。
 なかなかハードな設定で、疑似家族の一家が軍隊でいえば分隊よりも小さい班レベルの戦闘単位として扱われる。主人公の家庭は父役がおらず、リーダーは母役でそのほかは姉役ばかり、男子は主人公のみというもの。訓練を終えたあとの本格的戦闘のエピソードは面白く読めるが、この世界の設定の謎は明かされないまま、主人公の意識は「悪魔」との大戦争の中で閉じてしまい、第2部へと移る。
 第2部は、一応通常のテラフォーミング系ストーリーが、常識的な語り手によって語られるが、第1部の主人公とのコンタクトによって第1部の物語の種明かしが行われる。いわゆるスペースオペラとしてはアンチクライマックス的な話が展開して、それでもハッピーエンド的な結末が用意されて、ブラウニングの有名な詩の1節の引用で終わる。
 このタイトルは、デニス・E・テイラーの「オレ宇宙」ほどではないにしろ、コンピュータ宇宙は広いようで狭いということですね。

 林譲治『知能浸蝕1』は、早くも新しいスペースオペラ・シリーズの開幕編。
 今回は一応、改変近未来の日本を主な舞台として開始するので、スペースオペラとしてはまだ地味な感じだけど、いきなりスペースデブリが一つの軌道に集まり出すなどという、すわ宇宙からの侵略かと思わせるはじまりから、すごいスピードで話が展開していく。まだ詳細は全くわからないけれど、エーリアン・テクノロジーがそこここで発揮されてワクワク感があってよろしい。
 すぐに続刊が読めそうなのもうれしい限り。

 岡本俊弥さんが紹介していたので、フーン、どれどれと読んでみたのが、芥川賞受賞作の九段理江『東京都同情塔』。タイトルをついつい「東京同情塔」と打ってしまうんだけれど、この作品のヒロインに怒られそうだな。
 ザハ・ハディド設計のオリンピック会場があるという設定で始まるので、改変近未来ものSFと云っていいけれど、もちろん作者の狙いは、そのような未来では「東京都同情塔」という、受刑者の福利厚生を重視した思想によって建てられる刑務所タワーの存在も許されようというための舞台設定ということになる。その意味では世界が狭いが、21世紀も4半世紀が過ぎようかという現代に書かれるSFは大抵世界が狭いので無問題ともいえる。
 AIを使った文章が埋め込まれているとかは、まあそうですか程度で、ヒロインの感じ方/考え方もピンとこないけれど、少年側の反応はそれなりに面白い。ただどんな結末になっていたかさえもう忘れているので、とてもこの作品を読めているとは云えないな。

 わりと好き作家のような気もするラヴィ・ティドハー『ロボットの夢の都市』は、太陽系狭しと行われた戦争が終わった後の遠未来のパレスチナと紅海周辺を舞台にした1作。著者あとがき、巻末用語集、渡邊利通の解説を入れて250ページ足らず。本文は200ページしかない。原書が2022年刊というからバリバリの新作ではある。
 原題はNEOMで、解説によると元々はサウジアラビアの王子が建設しようとした未来都市らしい。またティドハーは、この作品を含む未来史を構想しており、これもそのうちの1作とのこと。
 物語の方は、氏族(家族)を失った少年がキャラバン的な一族の少年と仲良くなって旅する話と、宇宙戦争の生き残りの殺人ロボットが地球に帰ってきて、ネオムの町で花を売っていた女性から花を一本プレゼントされ、その彼女は生活のためにいくつかの仕事を掛け持ちしていたという、3人(?)のラインでクルクルと入れ替わりながらそれぞれのエピソードが進む。SF的な醍醐味は印象的な表紙にあるようにロボット大行進だけれど、全体的な印象は、ヤングアダルト向けのサイエンス・ファンタジーのような感じがある。
 たった200ページに詰め込まれた物語としては数多くのエピソードが埋め込まれていて、この作品も含まれるという未来史の背景が巻末用語集で補足されていることもあり、見かけよりはずっと厚みがある。この作者のこれまでのややコワモテする話からすると、大分一般性に富むSFになっているんじゃなかろうか。

 今回最後に読んだ1冊は、宮内悠介『国歌を作った男』。ノン・シリーズの短編集ということで2016年から2022年までに発表された短編・掌編が13編納められている。掲載誌は講談社系が多く、この短編集も講談社から出ている。
 珍しく著者解題が付いているので、何も言うことはないのだが、表題作を含めMSXパソコンをベイシックで動かす3編は、どれも『ラウリ・クースクを探して』につながるように思われる。著者解題では2022年発表の表題作が原型だと云っているけれど。
 アメリカでの子供時代や麻雀の役を口ずさんでしまうクセの話は作者本人のエピソードらしい。各短編のジャンル性は様々で普通小説や殺人事件が起こるミステリもあるけれど、SFとして読めるのは、開高健のヴェトナム行方不明事件を扱った「パニック―一九六五年のSNS」くらいで、これは再読。それほどとは思えないのに印象に残ったのが、近所の中国人女性マッサージに自らのアイデンティティーを思い知らされて、精神科医がマッサージ師に転身してしまう「三つの月」。このタイトルは3人の主要登場人物の名字に「月」が入っているという意味。タイトルは忘れても作品の印象は残りそうな変な感覚がある。
 巻末の1編「十九路の地図」は、まるでどこぞの名作をもじったようなタイトルだけど、もちろん碁盤のことで、AI深層学習を絡めての棋士だった祖父と孫娘の話。ちょっと出来過ぎタイプですね。
 ということで、作者本人は自らを半端者と意識していると云ってるけれど、当方は超優秀な器用貧乏だと思います。

 ノンフィクションはポパーの続きで、納富信留のプラトン本を取り上げるつもりだったけれど、冒頭に書いた事件もあって、気力がないので、気賀沢保規『中国の歴史6 絢爛たる世界帝国 隋唐時代』の方を書いておこう。ちなみに著者は「けがさわやすのり」と読むらしい。親本は2005年で、2020年の文庫化。
 前巻で、北方系の民族が中国の中心部を手に入れて、隋になる直前の王朝で自らを中華とする意識に至ったとあって、この巻でも隋・唐は、特に唐の安史の乱以前までは北方系の民族の文化的習慣が、儒教的な縛りを意識していた以前の漢民族帝国よりもハイブリッドな文化を築いていたという視点が新鮮だった。その一種の非儒教的な道徳律があの則天武后を成立させ、安史の乱以降それが消えていったという説明が興味深い。あと有名な刑法の「律」それ以外の祭祀・行政を含む法の「令」、すなわち律令は現実的にはあまり厳格に施行されなかったんじゃないかといっているのが面白かった。この時代に遣隋使・遣唐使を派遣して律令制を取り入れた日本でも朝令暮改だったし、云われりゃそうだよなと思うのであった。
 巻末近くの章では、この巻でも視野を東アジア・西アジアに広げて「国際都市」および周辺国との「羈縻政策」や「冊封」を詳しく取り上げ、また日本との関係では、円仁の「入唐求法巡礼行記」によって中国の新羅人社会とのつながりや「会昌の廃仏」時代の長安を描写している。また2020年のあとがきでは、コロナ真っ最中の報告をしながら、当時最新情報として、吉備真備が「日本国朝臣備」として唐の役人の墓誌を書いていたことを報告している。本文で同年に唐で亡くなった日本人留学生の墓誌の話があったが、吉備真備となるとビックリする。
 ということで『三国志』時代以降の『中国史』シリーズを読み終わってしまった。あとは漢以前の3巻を残すのみだが、手元にないのでいつか買って読もう。そういえばこのシリーズを読み出すきっかけとなった『泣き虫弱虫諸葛孔明』の作者酒見賢一が昨年亡くなっていたんだった。お世話になりました。合掌です。


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