内 輪   第353回

大野万紀


 1月19日に文学フリマ京都へ行ってきました。文学フリマへ行くのは初めてです。会場はみやこめっせ。コミック系の同人誌即売会に比較すればこじんまりとした印象ですが、それでも広い会場にずらりと机が並び、文学系の同人誌がこれだけ出店されていると圧倒されます。
 目的はゲンロンSF創作講有志による創作同人誌「SCI-FIRE」でしたが、無事にゲットしました。ごめんなさい、まだ読んでません。そのうちちゃんと読みます。
 会場にはアトリエサードのコーナーもあり、その隣では青心社の本も売っていました。後で聞いたところ、青心社の青木さんも、ぼくとは入れ違いに訪れていたそうです。
 プロやセミプロの方も多くおられたようですが、一人でふらっと来たので、ご挨拶もせず帰ってしまいました。お許しください。
 青木さんもおっしゃっていましたが、今の時代に、文章を書き、それを同人誌にして読んでもらおうとする若い人がこれだけいて盛り上がっているとは、頼もしい限りだと思いました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『となりのヨンヒさん』 チョン・ソヨン 集英社
 著者はソウル大学在学中の2005年に作家としてデビュー、卒業後は弱者の人権を守る弁護士として活躍しながら、2017年に〈韓国SF作家連帯〉を設立し初代代表になったという、まだ若いSF作家・翻訳家である。本書は2015年に出た短篇集で、二部に分かれ、一部にはSF/ファンタジーの独立した短めの作品が11編、二部には巨大企業〈カドゥケウス社〉が宇宙航行を支配する世界を描いた連作4編が収録されている。
 読めばすぐわかるが、著者は根っからのSFファンだ。もちろん安易に同一視するのは良くないだろうが、欧米でも日本でも中国でも、そして韓国でも、SFファンには同じ雰囲気を感じるものだ。つまり「わかる、わかる」という感覚。どの作品も短く、そして優しく、人や人でないものへの想いに満ちている。SFもあればファンタジーもあり、奇想小説といった方がいいものもある。柔らかな独自の文体だが、ぼくにはとりわけ昔の少女マンガや、今の日本の若い女性作家の作品を思わせる印象があった。
 宇宙や未知へのあこがれ、変身願望、もう一つの世界、日常の中の(当たり前となった)不思議、差別や抑圧への反抗、隣に住む変わった異星人、人間社会に溶け込む長命族、大きく派手なテーマではなく、そういった身近な生活の中にSF的な(あるいは少し不思議な)想像力を働かせる。そしてLGBTも含む現代的で多様な人間関係。
 そんな作品の中で、並行世界でのジェイムズ・ティプトリー・ジュニア=アリス・シェルドンとの出会いを描く「アリスとのティータイム」が心に染みた。うわあ、これはもう反則です。ぼくにとって、この作品はこみ上げてくるものが多すぎて、もう言葉がない。ありがとう、こんな作品を読ませてくれて。
 ずっと昔の人物ならともかく、亡くなった実在の人物の内面を描写するというのは、ちょっと微妙なところもあるのだが、ここには心からの作家への尊敬があり、愛がある。とてもすばらしかった。
 他の作品も、たとえ厳しい状況を描く場合でも、対象を突き放すことなく、そっと温かく寄り添っている。なのでどの作品も気持ちよく読むことができる。宇宙飛行士に選ばれながら事故にあった主人公の生活を描く「宇宙流」、死者の顔が残留エネルギーとして海に漂う「馬山沖」(ストーリーは地方と都会、そして先輩と後輩の重い思いを描く)、マンションの隣の部屋に住むガマガエルのような異星人との静かな交流を描く「となりのヨンヒさん」、誰からも名前を覚えられない主人公の存在が、まるで伴名練の小説のような変貌を遂げる「雨上がり」、そしてあるとき人の認識能力が突然変化し、存在形態までが変わってしまう「開花」などが特に面白く、印象に残った。
 第二部は宇宙を舞台にした連作SFなのだが、ここでも大きなストーリーは語られず、そこに生きる人々の、ささやかな挑戦や日常が描かれる。その中でも、宇宙飛行士になる重要な最終実技試験で、優秀な成績をおさめていたのにアクシデントによって落とされてしまった恋人との再会を描く「再会」が、とても懐かしい感じのするいい話で、読み応えがあった。

『GENESIS 創元日本SFアンソロジーII 白昼夢通信』 小浜徹也・笠原沙耶香編 東京創元社
 創元の新しい年刊アンソロジーの第二巻。小説7編と、アンソロジーに関するエッセイ2編が収録されている。
 高島雄哉「配信世界のイデアたち」は作者が実際にやっているアニメの「SF考証」という仕事を近未来と(さらに)宇宙へ(!)展開させた「お仕事小説SF」である。2034年、総合アニメ企業にSF考証担当として就職したいであは、仮想現実アニメの配信サーバのトラブル調査に派遣される。作品に入り込んだウィルスをVR空間の中で探し出すのだ。後半、物語は突然遠い宇宙に飛ぶ。5千億の銀河にアニメを配信している異星人(スライム)ぴこまむの物語だ。二つの物語は結末で量子もつれを持った粒子のように繋がり合う。作者が思いっきり楽しんで書いていることがわかるような、気軽で幸福な小説だ。
 石川宗生「モンステリウム」は、一匹の巨大な怪物が住み着いたある街の物語。怪物は暴れるわけでもなく、ただゆったりと存在している。人々はその存在に慣れ、怪物の上で遊び、物語を紡ぐ。やがて怪物に終わりが来る。そして子どもの時からそれを見てきたわたしと家族にも。静かな物語だ。ぼくはその怪物の存在感に、竜のグリオールを思い浮かべた。
 空木春宵「地獄を縫い取る」は、身体感覚も伝えられるVR空間で、性的対象となるためのAIを開発する二人の女性の物語。小児性犯罪者を摘発するための囮となるような、現実の人間と区別がつかないようなAIを開発しているのだ。そこには倒錯があり、矛盾がある。そしてその物語に、地獄太夫と一休の伝説が重なり合うように語られる。性の多様性と犯罪、非実在の人格問題や、様々な格差、そして最先端技術がからんで、残酷で重い読後感のある作品だ。テーマ的には長谷敏司や山本弘の作品とも共通性がある。
 川野芽生「白昼夢通信」は歌人である作者の書簡体の小説で、魂のある人形つくりに魅せられた女性と、竜の家系につらなるという女性の、互いのやりとりが描かれているが、そこにあるのは現実世界から少し離れた、不思議な夢の中のように足下のおぼつかない、謎めいた日常なのだ。
 門田充宏「コーラルとロータス」は、『風牙』、『追憶の杜』と続くシリーズの一編で、過剰共感能力者である主人公の珊瑚が16歳の時の事件を描く。会社の同僚であるカマラが失踪し、珊瑚が彼女の残した記憶データに入り込んでその謎を解くという物語である。シリーズの読者はカマラが無事に復帰していることを知っているが、ここでは人の共感につけこむ支配・被支配の恐怖と、やはり現代社会にある格差の問題が、珊瑚が探っていく記憶のごくささやかな断片から露わになっていく。
 松崎有理「痩せたくないひとは読まないでください。」は、食欲を我慢できない肥満者たちが否応なく死のゲームに放り込まれるという、グロテスクでブラックなユーモアに溢れる作品。主人公たちが言うように、このシチュエーションはちょっと想像を絶するのだが、田中啓文や昔の筒井康隆に比べれば、まだまともかも知れない。面白かったが、田中啓文なら結末はダジャレで落とすところだろう。
 そして小説のトリを飾るのは水見稜「調律師」。商業媒体での作者の30年ぶりの新作であり、音楽SFであり、宇宙SFである。舞台は火星。重力の小さい火星でのピアノの調律がハードSF的な細かさで描かれ、そこに地球外の環境で生きる人間の、身体性と音楽の関係が重ねられる。いかにも作者らしい小説であり、堪能した。これからももっと書いて欲しい。

『量子魔術師』 デレク・クンスケン ハヤカワ文庫SF
 カナダ生まれの新進作家の第一長編だが、ローカス賞など各賞にノミネートされた作品である。作者はなぜか中国でも人気があり、中国の星雲賞にもノミネートされた。
 ハードSFかファンタジーか迷うようなタイトル(原題も同じ)だが、ハードSFでもファンタジーでもなく、純然たる娯楽宇宙SFである。
 主人公のベリサリウスは天才的な詐欺師で魔術師の異名があり、実は遺伝子操作で生み出されたホモ・クァントス、量子力学的に世界を見たり量子もつれを操作したりすることのできる新人類なのだ。だから量子魔術師なのだが、その能力はどうやら量子コンピューターを超能力的に拡張したようなものらしい。作中に結構な量で彼の視点からの描写やそれらしい説明もあるのだが、よくわからない。とにかく数学的・幾何学的な思考能力がものすごいことになっているらしい。
 そんな彼だが、ホモ・クァントスたちの世界からは離れて、一人で暮らしている。そこに、とんでもない仕事が舞い込んでくる。覇権国家が独占しているワームホール・ネットに、12隻からなる艦隊をまるごとひとつ、秘密裏に通り抜けさせて欲しいというのだ。この時代、いくつかの巨大宇宙国家、コングリゲート、アングロ=スパニッシュ、中華王国といった国々が、銀河の先史文明が残したワームホール・ネットワーク〈世界軸〉を支配して、銀河の覇権を握っている。ベリサリウスに仕事を依頼したのはコングリゲートをパトロンとする小さなクライアント国家、サブ=サハラ同盟だった。その艦隊が遠征先で世界の権力構造を揺るがすような大発見をしたらしい。その秘密をパトロン国家に知られないように持ち帰ろうとしているのだ。これはとても困難な課題だった。依頼を受けたベリサリウスは、まず仲間を集めることから始める。
 というか、分厚い本書の大半は、その仲間集めの物語だ。みんな一癖も二癖もある連中で、自分が聖マタイの生まれ変わりだと信じているAIとか、爆発物にオタク的な愛をそそぐ超危険な元女性兵士とか、深海の水圧に適応するよう改造されたマッチョで魁偉なパイロットとか、彼の幼なじみでもあるとりわけ量子能力に優れたホモ・クァントスの女性とか、彼の詐欺の元師匠だった男とか、そもそもこの危険な任務の仲間にするのにも、一筋縄ではいかず様々な策略を巡らさないといけないような連中ばかりだ。
 とりわけ異常なのが、問題のワームホールが存在している惑星の人間たちで、パペット族という。子どものような小柄な種族だが、彼らを奴隷種族として作り上げたヌーメン族を宗教的に崇拝するよう生化学的に生まれついているのだ。そのヌーメンたちは今やほとんど滅び、逆にパペットたちに囚われて崇拝の対象にされるという、何というか性的ではないがサドマゾ的な関係にある。それをうまく利用しようとベリサリウスは考えて計画を立てるのだが――。
 そして後半、実際に作成が開始されてからは波瀾万丈、想定外な出来事が次から次へと起こって危機また危機。手に汗握る展開となる。一応お話は無事に決着するが、まだちょっともやもやするなと思ったら、やはり続編が出ているようだ。
 面白かったが、人集めのパートがちょっと長すぎてテンポが良くない気がした。色々と描き込みたくなるのはわかるけど、この半分くらいでも十分面白かったのではないかな。


THATTA 381号へ戻る

トップページへ戻る