続・サンタロガ・バリア  (第190回)
津田文夫


 豪雨災害で毎日ニュースに出てくる土地に住んでいるので、大丈夫かとメールをいただいたりして、ありがたいことです。
 旧市街の山際に住んでいるのだけれど、断水以外は大きな苦労はありませんでした。旧市街の平地部は断水もなく通常営業の店もあったので、毎日喫茶店で冷たい水と熱いコーヒーが飲めました。
 もっともテレビに出てくる市の東西両端の町は本当に大変なことになっていて、テンション下がりっぱなしです。

 広島市に行く予定の前日に豪雨が来て、陸上交通がすべて不通となったため、本の買い出しが出来なくなってしまった。仕方がないのでいつか届くだろうとネット注文した中の1冊が、創元推理文庫版H・P・ラブクラフト『ラブクラフト全集2』
 「クトルフの呼び声」、「エーリッヒ・ツァンの音楽」に5章からなる長編(といっても短い)「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」の3編を収録。
 「呼び声」は、解説にもあるとおりのクトゥルー神話の入門編で50ページくらいの長さにあれこれ詰め込まれていて賑やかしい。「裸SF」の原典が確認できたのがウレシイかな。「音楽」は昔読んだアイザック・B・シンガーの短編を思わせるオーソドックスなホラー。「奇怪な事件」は、非常に良くコントロールされた文体でかかれた物語。さすがに老医師が一人で地下に下りてしまうクライマックスの始まりは、ちょっと説得力がないが、まあ物語の要請上さもありなんな行動ではある。
 「奇怪な事件」を読んでいて気がつくのは、ラブクラフトのつくる恐怖は雰囲気の醸成までで十分面白さを発揮できていることだろう。そして現代において何より特徴的なことは、いわゆる劣情に訴えるような思惑や行為に関するものがいっさい排除されていることだ。これは純情SF少年(一部女子)が安心してマニアックになれる性質のものだろう。こういう一種ピューリタン的な態度はイギリスやフランスで書かれた20世紀の恐怖小説にはあまり見られないんじゃなかろうか。

 大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 プロジェクト:シャーロック』は、もはや様々なメディアに発表されるSFに目配りのしようもないロートルSF読者には非常にありがたい再録アンソロジー。今回は既読が円城塔と宮内悠介ぐらいしかないというのもお買い得感があって嬉しい。大森望によると打切りの可能性もあるとのことで、ぜひ続けて欲しいです。
 上田早夕里のSFマガジン掲載作が《オーシャンクロニクル》シリーズの短編で、著者のコメントでは、中短編を積み重ねて数冊にまとめたいとのことで、首を長くして待とう。 小川哲の他流試合的1編はノスタルジックな趣味の複雑骨折的掌編、ウェイ・オブ・ライフはいまどうなっているのだろう。
 我孫子武丸の表題作では、AIミステリがSFかどうかというところだけれど、今のところまだSFでしょう(と思いたい)。
 酉島伝法は相変わらずの言語感覚で彗星狩りを仕事とする一族の宇宙ハードSFを書いているが、ハードSFとしては納得できるのに宇宙空間のリアルな肌触りがないのは、たぶん文体のせいだろう。
 久しぶりの横田順彌の新作はカミの「探偵ルーフォック・オルメス」シリーズへのオマージュということだけど、ヨコジュンの古典SF初回のおかげで名前は知っているものの、原作の雰囲気までは覚えていないのは仕方のないところ。シュールな落語みたいだ。
 眉村さんのショートショートは、老人性ペシミスティックSFで分からないことはないけれども、ちょっと悲しい。
 ちょっとビックリするのが、彩瀬丸まる「山の同窓会」。女の世界観による変身譚で吉村萬壱的世界をねっとりしたウニョウニョで包んだような感じがある。設定自体は幻想譚だけれどSFとなじんだ雰囲気がなかなかよい。
 伴名練「ホーリーアイアンメイデン」は拷問具「鉄の処女」といにしえのヘヴィメタバンド「アイアン・メイデン」の両方を思い起こさせる古風なお手紙スチームパンク・ホラー。たしかに商業出版を相手にしていないとも思える。
 加藤元浩の漫画は、月面上で銃撃されて死亡した男の謎をAIのロボット三原則のパズルと月面上の弾道学で解き明かす本格ハードSFミステリ。絵柄やキャラクターにある種なつかしさがある。
 松崎有理はお得意のギャグものだけど、なんと宇宙もの(太陽系内)である。作者本人も言及しているけれどよくあのオチが許されたなあ。
 新井素子の新作短編を読むのは久しぶりのような気がするが、これはホラーに使えそうな設定からノホホンとしたコメディーが紡ぎ出されている。昔ながら新井素子のイメージにふさわしい1編。
 小田雅久仁「髪禍」は本格的ホラー。髪は女の命を地で行く新興宗教の教祖交代式がクライマックスだけれど、これがなかなか鬼気迫る代物に仕上がっていて印象に残る。
 筒井康隆は久しぶりの饒舌体シュール短編。最後には自作の歌の楽譜まで出てきて、実際に筒井康隆の歌がYoutubeで視聴できるというもの。スゴイ。
 筒井康隆の後に山尾悠子って、同志社繋がりかと一瞬思いましたが、たぶん偶々でしょう。ラテンアメリカのバラードみたいに水がひたひたとしている掌編。
 第9回創元SF短編賞受賞作、八島游舷「天駆せよ法勝寺」は人類の宇宙開発が仏教体系の下に行われているという世界で異星での破邪をおこなう話。話の骨格はフレドリック・ブラウンが書きそうなものだけれど、仏教用語の世界観が妙にマッチしていてすばらしい。

 編者の一人に森下一仁さんがいて収録作家にSFに近い人が多いということで読んでみたのが、日本文芸家協会編『現代の小説2018 短編ベストコレクション』。これはエンターテインメント小説のベストで、ほかに純文学と時代小説のベストがあるらしい。
 収録作家は、川上弘美、雪舟えま、河崎秋子、小川洋子、野崎まど、高野史緖、いしいんじ、小田雅久仁、澤村伊智、恩田陸。深緑野分、藤田宜永、唯川恵、青崎有吾、三崎亜紀、勝山海百合というラインナップ。
 小田雅久仁が『年刊SF傑作選』とダブり。野崎まど「精神性構造相関性物理剛性」と澤村伊智「コンピューターお義母さん」が「SFマガジン」から、どちらもSFとしては変化球で、野崎まどは一見SFに見えないし、澤村伊智はAIものと姑問題を絡めたホラー/コメディ。恩田陸「皇居前広場のピルエット」は実際に見たピルエットから妄想を膨らませたもの。なかなか。
 高野史緖「ハンノキのある島で」は「読書法(新刊以外は古典と認められない限り6年で廃棄)」が成立した時代の作家の体験記。ちょっと強引だけれど気持ちは分かる。
 深緑野分「緑の子どもたち」は荒廃した未来世界の浮浪児たちが写真でしかみたことのない自転車づくりを目指して動きだす話。河野典生を思わせる良作。
 三崎亜紀「公園」は規制だらけで誰も入れなくなった公園の歴史とその結果子どもは公園の外で遊んでいるというオチ。ちょっと為過ぎて不満。
 勝山海百合「落星始末」は古代中国ファンタジータイプだけれど、異星からきた怪物を退治に行く話で、面白い仕上がり。
 そのほか青崎有吾「穴の開いた密室」はおバカトリックミステリ、いしいしんじ「おとうさん」は児童文学だけれど、しみじみとしたファンタジー。藤田宜永「土産話」はいわゆる中間小説の良品。唯川恵「陽だまりの中」もよく出来た小品で、その点では河崎秋子「頸、冷える」が北海道のミンク養殖を題材にした一番普通の文芸小説。川上弘美と「廊下」と小川洋子「仮名の作家」はその作風をよく表した短編。初めて読んで、何じゃそりゃと思ったのが雪舟えま「りゅりゅりゅ流星群」で、うれしはずかし初恋高校生BLもの。ウーン、背筋がムズムズするぜ。
 全体的にはSF/ファンタジー短編が現代エンターテインメント小説のベストに占める割合がとても大きいことが分かる1冊。ま、今回だけかも知れないけれど。

 積ん読にしたまま読んでないことを忘れていたのが、小川一水・柴田勝家・野尻抱介『ILC/TOHOKU』。帯の「国際リニアコライダーを東北の地へ」という惹句を読まないと、タイトルの意味が不明というのはいかがなものかと思う。帯が外れたら何の本かさっぱり分からないぞ。
 収録作の方は三者三様のそれぞれの作風を生かしたILC関連SFということで、1番バッター野尻抱介はILCが東北に出来たらという設定を更に未来に伸ばして晴れがましい展開をしてみせるし、柴田勝家は東北民俗学の知識を生かした量子論的ファンタジー、そして小川一水は得意の土木作業現場に平泉伝説を絡めたエンターテインメントSFで締めくくる。
 3作品とも面白く読めるけれどもやや遠慮があるような気もする。

 積ん読というよりは大森望の推薦作が気になったので読んでみたというのが、彩瀬まる『くちなし』。なんか高校生にも人気の短編集らしい。
 収録作は表題作、「花虫」、「愛のスカート」、「けだものたち」、「薄布」、「茄子とゴーヤ」そして『年刊SF傑作選』に採られた「山の同窓会」の7編。
 表題作は川端康成「腕」にヒントを得たかのような造りだが、そこはR-18文学の作家だけあって、結構ノホホンとした語りだけれど女性視点の嫉妬のコワさが充満するファンタジー。
 「花虫」は人体に寄生した虫の本能に人間の心身が左右されるという設定がSFっぽく、結末は本物/偽物の存在論へとたどり着く。描写の方はやはりちょっとヌメーッとしている。これがこの作者の作風なのかも。
 「愛のスカート」は天才デザイナーとなった同級生の男に恋する女が、その男のヘンさを思い知らされて、一方通行と納得して愛していく話。作風はちょっとヘン。
 「けだもの」人間が各自の性質によって「けだもの」になる世界での夫を食い殺しそうな女の猛々しい物語。発想はともかくやはり作風がヘン。
 「薄布」は難民の美しい少年少女が性的アビューズの道具にされている世界で、主人公の女がそれに手を出す話。ちょっと山本弘の作品を思わせるが、ここではモラル的判断が容赦なく切り捨てられている。
 「茄子とゴーヤ」は、妻に逃げられた男が経営する美容室で日よけ代わりのゴーヤが育ち、それをもらった主人公の女性が美容室で髪を茄子色に染めて貰う話。普通小説だけれど、作風はコワい。

 偶々積ん読になってしまったのが柞刈湯葉『横浜駅SF 全国版』。『横浜駅SF』は大変楽しませて貰ったのだけれど、このての本がなかなか地元の本屋には入らないので、昨年ネットで買って、そのまま積ん読になってしまったもの。
 スピン・オフもの4作の短編集ということで『横浜駅SF』の雰囲気をそのまま踏襲していて、いまさらなにも云うことはないけれど、JR北海道が開発した子ども型アンドロイドが魅力的だなあ。

 と、思っていたら柞刈湯葉『未来職安』が地元書店にあったので、どれどれと読んでみた。
 これは、ベイシックインカムで働く必要が無くなった社会で、どうしても働きたい人にはその性格に向いた仕事を紹介する私立職業紹介所があり、そこに事務員として就職した女の子が語り手となって、各種依頼人が引き起こす問題を解決していく短編集。解決するのは、経営者の大塚さんだが、所長はただの猫だ。収録された6編のタイトルはそれぞれ「未来○○」と付けられている。
 『横浜駅SF』からするとえらく地味な題材だけれど、柞刈湯葉の語り口はなめらかで、コメディタッチの中でなかなか現実をうがったケースをいくつも作り出している。語り手の女の子がいつも悩んでいるのに、大塚さんはあっけらかんとしている。パターンといえばパターンだけれども、うまく使えればそれなりの効果はある。

 倉田タカシ『うなぎばか』は5編からなる短編集。1編の長さが大体50ページで揃えてある。2番目の「うなぎロボ、、海をゆく」が今年のSFマガジン8月号に掲載されたほかは書き下ろしという。
 デビュー作『母になる、石の礫で』がもたらしたシリアスなイメージがまったくうかがえないほどのコメディ/人情小話ぶりにビックリする。
 日本ウナギが滅びてしまった社会で、ウナギを巡って展開するするあれやこれやのドタバタ劇は、それでもSF的なスケールで風呂敷を広げたりしていて、どれを読んでも楽しい。来年の『年刊SF傑作選』には、きっとこの中のどれかひとつが入るのだろうな。

 以下は先月積み残したノンフィクションと最近読んだもの
 それなりにベストセラーになりつつある白井聡『国体論 菊と星条旗』は4月に出た新書で6月に買ったときは4刷になっていた。
 『永続敗戦論』が面白かったので、あれからどん風な展開をしたのかを見てみようと思って読んでみた。
 読んでみると副題に象徴されるように、一点突破の全面展開(懐かしい)だった。敗戦後の占領下、日本人はそれまでの国体(天皇=菊)を新しい国体(マッカーサー/GHQ=星条旗)に乗り換えたのだけれど、それが自覚できないまま(内心では自覚しているんだけど)いままでやってきてしまった。
 そのことがはっきりしたのが、1957年に東京の米軍立川基地周辺でおきた砂川事件の論点、安保条約は憲法違反という訴えに最高裁が憲法判断ができないといって逃げてしまったことだという。すなわち、安保条約が日本国憲法に優先することを最高裁が認めてしまったということになり、以来国体としてのアメリカが日本の保守(というかほとんどの日本人)の頭にたたき込まれてしまっている。だから保守政党は国体としてのアメリカと一体化を熱望せざるを得ない。
 この本は2016年8月8日に全国放送された今上天皇の「お言葉」が何を語っていたのかというところからはじまっている。そして最終ページでは、「お言葉」が歴史の転換を画するものでありうる、そしてそれを実現することが出来るのは民衆の力だけである、と結ぶ。それはそれで感動的なのだけど、しかし実際「国体」を再び改めることが何を意味するかは分からない。昔ミリタリー大好きの友人が、もう一回アメリカと戦ってやっつけないと日本は誇りを取り戻せないと冗談交じりに言っていたけれど、「NOといえるニッポン」になるための道筋はいまのところ見えない。
 ついでに文庫になった白石聡『増補「戦後」の墓碑銘』も読んでみたけれど、こちらは時事評論のコラムを集めたもので、基本的な視点は『国体論』であきらかなので、それほど新鮮な感じはない。

 筒井康隆『読書の極意と掟』は、新聞連載の時に読んでいたので、新書になったときは買わなかったのだけれど、記憶も大分薄れてきたので、読んでみた。Ⅰコラム3ページという短さなので、あっという間に読めてしまう。小説家が出来上がるのに読書がいかに強い影響を残すかということは当然にしろ、ここでの筒井康隆の語りはいかに小説家として栄養分になったかというところに力点があるので、読書ガイドになっているかどうかはちょっとあやしい。
 もちろん筒井康隆が熱中した本を語るときの面白さは、十分誘いを感じさせるけれど。 そういえば朝日新聞の池澤夏樹がコラムで、大江健三郎は『同時代ゲーム』だけあればいい作家(それだけ『同時代ゲーム』は飛び抜けた傑作)と書いていたのにはビックリした。

 本の雑誌社から出た『謎の独立国家ソマリランド』が面白かったので、文庫で出た高野秀行『恋するソマリア』を早速読んでみた。
 ソマリランド社会の衝撃はさすがに前作ほどではないけれど、それでも高野の冒険は相変わらずデンジャラスで、よく生きているねえ、と感心する。今回は後半の冒険でホーン・ケーブルテレビのモガディショ支局を切り回す22才の美人支局長ハムディが出ずっぱりなので、表紙が彼女なのはとても頷ける。
 高野秀行が考えるよその国をよく知るための3原則は、言葉、料理、音楽だそうで、今回はソマリランドの普通の家庭料理を学んでいる。もちろんソマリ語の勉強も怠りない。しかし今回の目玉は高野でさえこれまで行けなかった南部の取材である。高野の乗ったアフリカ連合軍(アミソム)の装甲車(ハムディ嬢も一緒)がついにイスラム過激派アル・シャバーブの攻撃を受けてしまうのである。別の装甲車が炎上して高野の車も攻撃を受けて機関銃手が負傷、あわやというところで援軍が来て助かっている。
 前作同様クスリ葉っぱのカートの噛みすぎで激烈便秘に脂汗を流しているところもあるけれど、バリウムで似たようなことを経験したした身にはちょっと笑えない。


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