続・サンタロガ・バリア  (第176回)
津田文夫


 10年ぶりに風邪を引いたかと思って医者に行ったら、インフルエンザAだった。38度を超える熱では、さすがに本が読めなかった。

 インフルエンザで倒れる前に見たのが、劇場アニメ『虐殺器官』。県内では1カ所しかやってなくて、車で1時間かけて見に行ってきた。
 『死者の帝国』も『ハーモニー』も見ていないのだけれど、なぜか『虐殺器官』だけ見る気になった。土曜の午後で観客は30人くらい。年齢はバラバラで、若い女性の二人連れは、声優目当てだったのかな。
 公聴会のシーンから始まって、メインの回想ではとにかく殺しまくるので、R-15もムベなるかなであるが、肝心のアイデアを語る所はみな会話劇で登場人物が動かない。伊藤計劃の原作は出版当時読んだっきりなので、ディテールは当然としてストーリーを含め記憶の彼方なんだけれど、映画を見ている内にこんな雰囲気の話だったなあと云う気がしてきた。
 まあ、原作が持っていた本来の「虐殺器官」のアイデアを意識してみるのと、こんな話だったっけなどとボンクラしながらみるのとでは、この映画に対する印象がだいぶ違うだろうと思うのだけれど、少なくとも画面から受ける印象はどこまでも生真面目でユーモアのカケラもないようなものだった。しかし原作には、アイデア自体がブラック過ぎて笑えないんだという感触があったように思う。映画は再び公聴会のシーンで幕を閉じるのだけれど、そこでの主人公の表情が原作の持っていた感触を伝えていたのかもしれない。

 読んでみようかと思って本屋に行ったら姿が見えず、ネットで注文したら再版本だったのが、柞刈湯葉『横浜駅SF』
 最初は設定がよく飲み込めないままだったけれど、いきなり「すべての答えは42番出口にある」などというギャグをかます調子の良さで、すいすいと読める。2章で少年アンドロイドが出てくる頃には、ほぼ作品世界を楽しめるようになった。九州側のメインキャラと少女アンドロイドのエピソードが、本州でのレジスタンス代行作戦物語が成就するタイミングで交差しているせいか、そこから後は、小説がエピローグに向かってト書きみたいに端折られているのが惜しい。
 膨大な人口を抱えているはずの横浜駅内の生活がほとんど描かれていないこともあって、読後いろいろ疑問がわいてくるが、エンターテインメントとしては十分及第点がとれる面白さであった。

 中々読むタイミングが合わなかった閻連科『炸裂志』は、なんと閻連科が、寒村から北京市のような直轄市に成り上がった炸裂村の歴史を書くよう頼まれたという設定で始まる話だった。
 帯の紹介でも「市史」となっているけれど、実際市史を編集していた人間から見ると、この作品の目次の作りは「志」の字義通り、昔風の「市史」で、今の日本では一般に「誌」の字を当てる「市誌」になっている。たとえば江戸時代後期に広島藩が作成した地誌のタイトルは「芸藩通志」となっているが、『炸裂志』はそういう意味で中国古来の地誌をなぞっている。
 などとウンチクを傾けても、実際の中身は、あの爆走する現代中国風マジックリアリズム小説『愉楽』とほぼ同じ作り方がされた物語で、その暴走ぶりは『愉楽』に勝るとも劣らないすさまじさだけれど、衝撃度という点では2度目の経験は最初ほどではない。
 それでも貧しい村が、あらゆる詐欺的行動の結果として大発展していく様子は、マジックリアリズムで強調されればされるだけ、その中身の薄っぺらさが現実の中国の大発展の姿を彷彿とさせる効果をもつ。
 登場人物に感情移入できるキャラが一人も出てこないので、そこが『愉楽』ほど熱中できない理由かも。

 ピーター・ワッツ『エコープラクシア 反響動作』上下は、いきなりスペクタクルな戦闘シーンから始まるので、ちょっとワクワクする。
 前作『ブラインドサイト』が宇宙密室劇的な印象が強いのに対し、今回はオープンエアな砂漠で始まり、途中が前作同様宇宙船の中だけれど、エピローグもオープンエアな舞台なので、前作ほどの閉塞感がない。女吸血鬼も前作ほど不気味ではないし。
 視点人物は物語のリポーターなので、その他の登場キャラと違って、肉体的精神的な加工が最低限の生物学者になっており、その他のスーパーマンキャラたちからは、ベースラインとか「ゴキ」(!)と呼ばれている。で、場面転換のたびに気絶したりしているので、一種のギャグみたいに見える。
 物語は前作のファーストコンタクトの続きの話になっているけれど、ベースラインの視点では実際に何が起きているのかはほとんど判らないので、スーパーマンな他のキャラの話を聞いて回るというだけの形になっている。それでも情報量は圧倒的で、取り上げられている題材はたぶん半分も読み手の頭には入ってきていないと思うけれど、それでも面白く読めるのは、リポーターが振り回されているばかりなので、読み手も話の先が全く予想できず一応ハラハラドキドキ出来るためだ。
 だからメインの長編を読み終えた後で、おまけの短編「大佐」を読むととても読みやすい。
 ところで「全裸SF」って『ブラインドサイト』の時にギャグになっていたんだっけ、すっかり忘れていたよ。

 デビュー作のナイーブな感覚が印象的だったつかいまこと『棄種たちの冬』は、人類が電脳世界に移ってしまったあとに取り残された人類の物語と云うことで、ありがちな設定ではあるが、つかいまことは持ち前の叙情的な雰囲気を醸しながら、少女と少年の冒険譚を紡ぐことで読める物語を展開している。
 食料にもなる菌類の海やそこに住むカニが、じつは電脳世界の人類と密接につながっているという設定や、電脳世界からこの世界に降りてきた人物などはけっこう魅力的なのだが、その見せ方が書き割り的になっていて、興ざめな感じは否めない。それでも少女たちの冒険は読み手を惹きつけてくれるので、悪くはない。この作者の、もっとじっくりと書き込まれたヤングアダルトSFが読みたい。

 柳下毅一郎監修『J・G・バラード短編全集2 歌う彫刻』は、バラードらしさが横溢する作品が増えて、充実した作品集になっている。
 発表年代順に並べられた作品を読んでいくと、バラードはブラッドベリと共通する「郷愁の情」を彷彿とさせる作家であることがよくわかる。もちろん「郷愁」の対象はブラッドベリとは大違いだが、「郷愁の情」自体に変わりはない。いわゆるシュール・レアリスム的な精神世界も実際、その明晰な視覚的文体が描き出すところは一種の過去志向である。
もちろんバラードは作家として様々なジャンルの物語を書いているが、一番代表的な感触はやはり「郷愁の情」ということになる。
 とはいえ、視点のひっくり返し的なアイデアストーリーも多いし、「永遠へのパスポート」みたいな抱腹絶倒のギャグSFも書いてしまうバラードは、引き出しの多い作家であることも間違いない。ここでのバラードはすでに短編作家として安定した力を見せている。

 ノンフィクションは、昨年前半に岩波新書で4巻シリーズが完結した「シリーズ日本中世史」を取り上げようとしたら、もはや記憶が曖昧になっているので、とりあえず最後に読んだ村井章介『分裂から天下統一へ シリーズ日本中世史4』の話だけ。
 戦国時代後期から家康の江戸開府までを対象としたこの本の特徴は、東アジアの変動はもちろん大航海時代から爆発的に広がったヨーロッパ勢力の動きが、この時代の日本の歴史と如何に密接に連動していたかという視点の強調だろう。
 戦国時代後期の日本は、この世界史的な変動の影響下にあるだけでなく、銀の輸出を通じてその変動自体を引き起こしていた。また、鉄砲が伝来した年を1542年と割り出して見せ、1542年頃の東南アジアや中国大陸そして朝鮮半島での出来事は、それぞれ当時の日本が置かれた状況と密接な関係を有していたという叙述は印象的である。
 秀吉の大陸侵攻を扱った後半では、当時の東アジアの地政学的状況において、秀吉の誇大妄想と思われてきた行動が、漢民族王朝である明から異民族王朝である清へと変わる時代に呼応していたと説かれており、日本史と世界史が同時進行していることが、当たり前だけれど、よくわかる。
  


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