内 輪   第316回

大野万紀


 年が変わり、今月はいよいよトランプがアメリカの大統領になります。無責任なことをいうなら、何が起こるかわからなくて面白いんだけど、面白がってばかりもいられない。まるでフィリップ・K・ディックか筒井康隆が書いたようなドタバタな世界が現実になるのではと、戦々恐々です。
 年末には恒例のSF忘年会に参加しました。京都のホテルに一泊し、懐石コースとビンゴ大会を楽しみました。呉から津田文夫さんも来ていて、「この世界の片隅に」の話で盛り上がり、原作者のルーツがすごいという話や、映画は呉の町をほとんどそのままに再現しているが、実は住人なら確実に事実ではないとわかるところがいくつかあるとか、色々と興味深い話を聞けました。堺三保さんには「ローグ・ワン」の秘密や、堺さんがホラー映画が苦手な本当の理由(とても怖い)も聞けて、一同「えーっ」となったところへ、冬樹蛉さんがPCをホテルのTVにつないで、映画の予告篇やら怖い映画のダイジェストなどを上映するものだから、もう大変。なかなか愉快な時を過ごしました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ヒュレーの海』 黑石迩守 ハヤカワ文庫SF
 第4回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作。今年のハヤカワSFコンテストは大賞受賞作がなく、優秀賞2作と、特別賞1作となった。本書は「小説家になろう」サイトでも同じ世界設定の物語が掲載されている。
 地球は”混沌”(ケイオス)というノイズ情報の海に呑まれ、人類は生体コンピューターとなって、いくつかの序列国家が形成されている。序列国家イラの地下に住み、国家には属さないギルドの親方の子、天才発掘屋(サルベージャー)の少年ヴェイと、少女フィは、過去の映像にあった本物の海を見たいと、”混沌”の中へも入り込める力を持つ、人工知能をもった戦闘用モビルスーツを再起動して、その座標へと向かうのだが……。序列国家イラの軍人クロノがそれを察し、ギルドへの攻撃を開始する……。
 まあ、設定は(まるで飛浩隆「海の指」みたいな)現実が情報に呑み込まれた後の、仮想と現実が混在する情報空間というもので、ストーリーはラノベ的(なろう系的といった方がいいのか)な世界の謎と個人的に対峙する少年少女の、中二病的冒険――とんでもない異能バトルあり、といったものである。それはそれでいいのだが、本書の一番の特徴は、やたらとルビを多用して、プログラム用語や哲学的・科学的――というか、ハードSF的な、用語や概念がひたすら飛び交うことだ。
 それぞれの概念は現代SFでよく見かけるものだ。でも本書のは明らかに過剰で、用語のレベルが合っていない。中二病満開のうざったい女の子が、そういう用語を使って世界を語ろうとし、途中でわけがわからなくなって「もうイヤっ」と自爆する。ストーリーを語るよりも明らかにそんな設定語りが大部を占めており、正直言ってとても読みにくい。しかもその設定に対する作者の視点があまり一貫しておらず、矛盾したりレベルの違う概念をごちゃ混ぜにしている。
 作者はまだ20代の若いプログラマーということだが、オブジェクト指向の用語で世界の構造を語ったりする。プログラムを知っている人間にはイメージしやすいところだが、この世界はそんなプログラム言語で記述されるようなチューリング的なものじゃなく、むしろ物理法則を無視する魔法で構成されているように思える。後半で炸裂する魔法科学は、プログラム的な時系列を破壊し、一見ハードSF的な世界設定を無効にしてしまう。
 本書の流れからすれば、ややこしい説明は大幅にカットして、魔法は魔法でいいから、もっとメインキャラの動きを見せて欲しかったように思う。主役のはずのヴェイとフィは途中から影が薄くなり、バトルの中心は別のところで進行する。ちょと残念な気がする。

『世界の終わりの壁際で』 吉田エン ハヤカワ文庫SF
 『ヒュレーの海』と同じく第4回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作である。『ヒュレーの海』に比べると小説としての完成度は高く、内容的にはオーソドックスで物足りない面もあるのだが、どちらかを選べといわれたら、ぼくならこちらを選ぶだろう。
 気候変動で破滅が迫っている東京。そこには巨大な壁で囲まれ、選ばれた人々が平和に暮らす〈シティ〉と、その外側で、貧困と暴力に満ちたスラムとなった〈市外〉に暮らす人々がいる。東京以外の日本がどうなっているのかは、よくわからない。主人公は〈市外〉で育った少年、片桐。彼はVRコンピューターゲームの〈フラグメンツ〉で賞金稼ぎをしているが、高価なハードを入手できないため、あるレベル以上には行けない。彼はまた、裏稼業の組織から仕事を受けたりもしているが、そのヤバイ仕事の結果、特殊なAIを搭載するブラックボックス〈コーボ〉をこっそり入手して、目の不自由な(だが聴覚に優れた能力をもつ)雪子という少女と知り合うことになる。二人は力を合わせて〈フラグメンツ〉のランキング戦を駆け上がる。だが、そこに謎めいたコーボの正体と、壁の内側の真実が迫り、二人は強大な敵と戦うことになる――。
 物語はありがちだし、ストーリーや情景描写はまだまだ弱い。とりわけ、強大な敵のはずの〈シティ〉が数人のお友達によって作られた張りぼてのようにしか見えず、それに対する主人公たちの行動も空回りしているようにしか思えない。世界設定やシステム構築のバランスが悪いのだが、そこはまあ新人だから仕方がない部分かも知れない。
 でもゲームの描写には力がこもっているし、雪子や〈コーボ〉はキャラクターとして魅力がある。ちゃんとした小説が書ける人だと思うので、まずはテーマを絞った短編を書いてみればいいのではないだろうか(と、偉そうにいってみました)。

『星群艦隊』 アン・レッキー 創元SF文庫
 〈叛逆航路〉三部作の完結編。第一部『叛逆航路』の衝撃も大きかったが、個人的にはこの『星群艦隊』が一番好きだ。ストーリーは第二部『亡霊星域』からそのままつながっている。
 ややこしい緊張状態の中、ついに皇帝アナーンダ(の片割れ)がアソエク星系へ戦艦と共に現れる。いよいよ星間戦争か、と思いきや、戦争には違いないがほぼ個人レベルでの戦いが繰り広げられることになる……。
 このあたり、このシリーズのかなり特異なところで、本書の巻末に収録されたスピンオフ短編「主の命に我従はん」でも、古代マヤの球技(負けた王は殺される)をベースにしたこの世界の権力のありかたが描かれていて、彼女らの心情を理解する手助けになる。
 それはともかく、本書では、艦長ブレクら属躰(アンシラリー)――つまり本質的にはAIだ――と、AIみたいな人間、そして普通の人間、さらに人間とは異質な(でもとても愉快な)異星人が入り乱れて、互いに複雑なドラマを演じる。中でもアソエクのステーションのAIと、ゴースト・ゲートから来た〈スフェーン〉の属躰、それにすべてをひっくり返すプレスジャーの通訳士がめちゃくちゃいい。これぞSFだ!
 まさに「ヒトであるヒトとないヒトと」というわけだが、ヒトでないヒトの方が主役なんだもの。
 そして茶器とお茶。何よりこれがすべてに優先する。もしかして織田信長の時代なのかな。
 ほんのりしたユーモアと英国貴族風な格式。そこに現代SFの、意識とアイデンティティ、何をもってヒトというかというテーマがかぶさる。プラス、微笑ましくなるような恋愛関係(ジェンダーが曖昧だからよけいややこしい)。いやあ面白かった。

『AIと人類は共存できるか? 人工知能SFアンソロジー』 人工知能学会編 早川書房
 人工知能学会創立30周年記念出版とのこと。「倫理」「社会」「政治」「信仰」「芸術」をテーマに、AIとヒトの関わりを描くオリジナルSFアンソロジーである。それぞれのテーマで五人のSF作家の作品と、同じテーマでの五人のAI研究者のエッセイが収録されている。
 具体的な経緯はよくわからないが、ちゃんとテーマに沿った作品となっていることに少し驚く。枠組みを無視してもっと好き勝手に書いているのかと思った。
 「倫理」は早瀬耕「眠れぬ夜のスクリーニング」。この作品と「政治」テーマの長谷敏司の「仕事がいつまで経っても終わらない件」は、デスマーチと呼ばれるIT労働者の過酷な労働を描いている。早瀬がシリアスにリアルに描いているのに対して、長谷はもっとカリカチュアライズされているが、身につまされる点は同じである。早瀬の作品は、巨大システム開発に携わる主人公が深夜にスカイプでカウンセリングを受けるストーリーだが、近未来の話というよりほとんど現代のプロジェクト現場の状況が描かれ、ジェンダーや差別の問題も含む、まさに今の倫理問題がシリアスに描かれている。でもこの結末はありきたりで問題意識にそぐわないと思う。えっそっち? という感じだ。
 長谷敏司の「仕事がいつまで経っても終わらない件」は傑作。ここでは政治をAIでコントロールするというテーマが、戯画化されながらも、シンギュラリティなどではなく、今のコンピューターの延長で可能なものとして、とてもリアルに描かれている。高度で知的な作業はAIがやって、人間は力仕事的な(でも人間の判断を必要とする)膨大な手作業のルーチンワークに従事するというのは、あり得るというより、すでに一部の現場ではそうなっているような気がする。怖い話だ。相澤彰子の論考も作品の解説となっていて面白い。
 藤井太洋「第二内戦」も面白かった。これは「社会」テーマだが、実にストレートなSFだ。まるでトランプのアメリカを先取りしたような分断された近未来のアメリカ。先進的な合衆国と、保守的で人工知能を原則禁止しているアメリカ自由領邦。合衆国の証券取引所で使われている高度なAI技術が、領邦内で不正に使われているのではないかと、開発者のアンナは探偵のハルと領邦に潜入し、調査を開始する。冒険小説的なエンターテインメントとしても面白いが、キモとなるのはAIの独自の進化というSF的なビジョンだ。現実的かどうかはともかく、シンギュラリティとはまた違う観点から、SF的なAIの可能性を描いていてとても興味深かった。
 「信仰」テーマの吉上亮「塋域の偽聖者」は近未来と10万年後のチェルノブイリが舞台。AI信仰というテーマも面白いが、それより盲目の少女を守って戦うチェルノブイリの案内人が圧倒的にいい。ただ、設定はもうひとつよくわからないところがある。遠未来の話との接続にも疑問が残った。
 倉田タカシ「再突入」は「芸術」がテーマ。AIが創造性をもったなら、人間にのみ可能な芸術はアバンギャルドで一般的な理解を超越したハイ・アートのみとなるという。物語はそのハイ・アートの巨匠と若者との対話、さらにその2年後の、宇宙空間から地球への再突入を芸術作品としたアート・イベントの現場が交互に描かれる。この作品も面白かったが、結末の展開は唐突な感じがした。

『ゴッド・ガン』 バリントン・J・ベイリー ハヤカワ文庫SF
 ベイリーの短篇集。単行本未収録作品(初訳も含む)10編が収録されている日本オリジナルの傑作選である。ベイリーといえば奇想SF。まさしくその名にふさわしい作品が多いが、中にはこれもそうなの?と思える作品もある。ただしいずれにせよ、やっぱりどこか変というか、ストレートじゃないのだ(そこが彼の魅力だ)。
 表題作の「ゴッド・ガン」もそう。何しろ、神を殺す銃を作ってしまった男の話で、本当に神が殺されてしまう。すると世界はどうなるか。
 「大きな音」は宇宙で一番大きな音とはという話。大体発想がおかしい。編者によればこの2編が短い「ロンドン編」。その後は「船編」が続く。
 「地底潜艦〈インタースティス〉」はこれこそベイリーという傑作。地球内部を潜っていく戦闘艦。だが地中を進んでいるはずが、いつまで経っても抜け出せない奇怪な空間を進み続けているとわかる。この絶望的な閉塞感がたまらない。結末のひと言の凄み!
 「空間の海に帆をかける船」は落ちぶれたマッドサイエンティストが宇宙空間でとんでもないものを発見する。しかし彼のやることときたら……。
 「死の船」は全体主義的なヨーロッパで未来へと飛ぶ船の実験が行われる。これまた閉塞感がはんぱない話だ。
 「災厄の船」はムアコックの〈エルリック〉に影響を受けたという幻想的なファンタジーだが、これまた行き先の見えない海を航行する無慈悲で高慢なエルフの船の物語。
 ここまでが「船編」で、この後は「異星生物編」ということだが、ウエルズの「モロー博士の島」をちょっとエロいスタイルに変えたユーモラスな「ロモー博士の島」には異星生物は出てこない。
 「ブレイン・レース」は死体を生き返らせる奇怪な異星人の話だが、何でこんな話になるのかねえ。グロテスクというか、やっぱり変だ。
 カニたちの青春(!)を描く何ともいえない傑作「蟹は試してみなきゃいけない」は、うん、ティプトリーの「愛はさだめ、さだめは死」みたいに異星生物の話といってもいいだろう。でも雌に夢中な雄蟹たちの青春は、どこか懐かしく切ない。
 巻末の「邪悪の種子」はおそらく百万年以上も生きているだろう不死の異星人と、その秘密を得ようとするマッドサイエンティストの話だが、これぞSFという壮大なワンダーがある。やや大時代なところも含めて、これも手塚治虫「火の鳥」にも通じるSFの大きな魅力だろう。


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