内 輪   第304回

大野万紀


 毎年、青心社主催のSF忘年会に参加しているのですが、歳を取っても気のあったSFファンが、あーだこーだと夜通し語り合うのは楽しいものです。
 で、そんな中でひとつ出ていた話題が、マイナンバー、個人情報、プライバシーの問題。いくら法律で個人情報保護が定められており、またモラル的にも人に知られたくないプライバシーは保護しなければならない(それには単にダイレクトメールにさらされてイヤだというレベルのものから、本当に致命的だったりするようなものまで、様々なレベルがあるわけですが)ということを理解していたとしても、システム的な目で見れば、それは必ず破られるものであり、現実の利便性からいっても、ますます脆弱性の高い方向へ、リスクの高い方向へと環境は変化していくわけです。この利便性とリスクをはかりにかければ、いずれその乖離には限界が来て、ある時どっとオープン化されるように思えてなりません。さすがに内容によっては訴訟、刑罰といった面での歯止めをかけるでしょうが、そこまでいかない情報はみんな公開されてしまう。そんな時代が来るのでは。
 トマス・スウェターリッチの『明日と明日』に描かれているのも、それが現実になった世界なのでしょう。スタニスワフ・レムにも似たような社会の描写がありましたね。イヤな世界だけれど、そのうち本当になりそうな気がします。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『世界の涯ての夏』 つかいまこと ハヤカワ文庫JA
 第3回ハヤカワSFコンテストの佳作受賞作。佳作というが、これは新人離れした、なかなかに優れた読み応えのある作品である。突然不可解で巨大な球状の異次元存在〈涯て〉が地球に現れ、ごくゆっくりと少しずつ世界を侵食していく。物語は、3つのパートと1つの断章からなり、それらが次第に重なっていく。
 一つは〈涯て〉からの疎開/実験のために親から離れて子供たちが暮らしている島での、少年と少し不思議な少女が小学生最後の夏に出会う、ボーイ・ミーツ・ガールの物語。これがいい。美しく、甘酸っぱく、微妙な時期の子供たちの心情が描かれている。後書きとなっている作者インタビューで、『ハローサマー、グッドバイ』への言及があるが、なるほどと思われる。
 もう一つは、その少年が老人となって、〈涯て〉の進行を遅らせるための被験者となっている、〈接続された老人〉パート。少年と少女の物語は、この老人の記憶の中のものなのだ。
 三つめはそれらと少し距離を置く、ゲームの3Dデザイナーを職業とする青年の物語。著者自身、ゲームデザイナーということなので、これは部分的に本人を反映したパートかも知れない。ゲーム会社の元同僚や上司との人間関係や、ゲームキャラクターのおっぱいについて悩んだりと、なかなかリアリティがある。その彼が、老人の依頼で、あの思い出の少女の3Dモデルを作ることになるのだが……。
 そして、はさまれる断章は、〈涯て〉と出会った〈世界〉が語る、時間と人の意識についての物語である。そして、すべては人の記憶と、その中に生きるあの少女へと収束していく。
 いやあ、ある意味、すごくストレートですね。少年のロマンティシズムが全編を覆い、悪意や暗黒面は描かれない。意識、記憶、時間、情報としての世界といった、イーガンや円城塔も挑んでいる現代SFの最先端のテーマを、ごくさらりと扱っていて、とてもわかりやすく読みやすい。ただし、〈涯て〉の侵食を人間の脳の活動によって抑えようとするという、本書の中核にある設定は、あまり説得力があるように思えない。まあ、そういう話ではないので、かまわないのだが。

『叛逆航路』 アン・レッキー 創元SF文庫
 2013年のヒューゴー賞、ネビュラ賞、クラーク賞、英国SF協会賞、ローカス賞、英国幻想文学大賞、キッチーズ賞の7冠に輝く、デビュー長編として破格の話題性をもつ作品である。ちなみにキッチーズ賞(The Kitschies)とはあまり聞かない名前だが、英国で1年間に出版されたスペキュレイティブまたはファンタスティックな小説の中から、最も進歩的(プログレッシブ)で知的で、かつエンターテインメントな作品を選ぶ賞だということだ。2009年に始まり、現在はゲーム会社がスポンサーになって続けているという。過去の受賞作にはチャイナ・ミエヴィルなどの名前もあるが、SFプロパーの賞というわけではなさそうだ。
 それはともかくとして、大時代なスペースオペラでミリタリーSFっぽい、しかも三部作の第一巻がこれだけ評価を受けるとは、どんな作品かと思うだろう。
 舞台は遙かな未来の銀河系。強大で専制的な宇宙帝国ラドチが軍事的な支配を数千年にわたって続けている。対抗できるのは〈蛮族〉と呼ばれる異星人プレスジャーのみ。それも千年ほど前に協定が結ばれ、大きな衝突はない。人類の惑星はほとんどが帝国に併合され、厳格な階級社会に組み込まれている。何とも大時代な設定であるが、普通のスペースオペラと違うのは、個人の人格を複数の体に分散させることが当たり前に可能となっていることであり、本書のヒロイン(?)である「わたし」も、実は宇宙戦艦(兵員母艦)〈トーレンの正義〉のAIであり、それが属躰(アンシラリー)と呼ばれる数千の肉体(捕虜などの人格を奪って分散意識の容れ物としたもの)に分散して存在している、その一人なのである。そして約3千年前にラドチ帝国の絶対的支配者となったアナーンダ・ミアナーイ皇帝自身も、同様に数千の肉体に分かれて存在し、ひとつの集合人格として数千年にわたる支配を続けているのである。このことが物語の重要な要素となっている。
 それで思い起こすのは、一昔前に話題となった〈ニュー・スペースオペラ〉と呼ばれる作品群だ。アレステア・レナルズ、チャールズ・ストロスなどが有名だが、ワイド・スクリーン・バロックから続く伝統に、より現代的ハードSF的な視点を加えた作品群だ。本書も、内容的にはその系統に属するものだといっていい。しかし、それだけではこんなに評判にはならなかっただろう。もう一つの大きな特徴が、文章から登場人物の外見や性別に関する描写を排除し、三人称をsheに統一しているというところだ。セックスはあるが、ジェンダーはほぼ存在しない世界なのだ。その特異さが英語圏で評価された理由かも知れない。もっとも、多くの人が指摘しているように、日本語ではその特異さがわかりにくい。sheを「彼女」と訳していることから(日本語では「女」がそこに直接現れてしまう)、どうしても女性的なジェンダーを投影してしまいがちだ。
 ストーリーは千年にわたる陰謀と復讐の物語であり、千年前に〈トーレンの正義〉の副官であったが、今はその属躰(アンシラリー)である主人公ブレクに従属する存在となったセイヴァーデンの、独特な人間関係(いっそツンデレ・ロマンスといってもいい)の物語である。帝国に関わる大きな展開もあるが、ほとんどその二人の物語に終始しているといっていい。ただ、そこにこの作品の世界観や設定の面白さもうまくからめられている。
 なかなかに骨太な、読み応えのある物語であり、続編にも期待できるニュー・スペースオペラらしい作品には違いないのだが、それでも「7冠」というのは大げさな気がする。4冠をとったギブスン『ニューロマンサー』のような、SFの骨格を揺るがすような作品とは比較できない。あと、ネタバレになるから詳しくは書けないが、結末に至る展開にはちょっと納得のいかないところがある。ただこれも、2巻以後に続く伏線なのかも知れないが。
 それにしても、宇宙空間に主体を置くこの宇宙帝国のあり方には、ぼくは森岡浩之のアーヴの帝国を強く思い浮かべた。そして同時に思い浮かべたのが、艦コレという言葉なのだが……うん、気のせいかも知れない。

『セルフ・クラフト・ワールド1』 芝村裕吏 ハヤカワ文庫JA
 作者の新たなシリーズは、ゲーム世界が舞台。日本国営のオンラインRPG〈セルフ・クラフト〉の片隅、世界の果てに近い砂漠では、コンピューター・シミュレーションから創発した人工生命、A-LIFEじゃなくてG-LIFEが、その生態系の中で自在に適応放散し、開発者である人間の想像を超える急速な進化をしていた。その機構をヒントに、現実世界(リアルワールド)では様々な新製品が開発され、それが日本国の知的財産となっていた。
 若い頃はゲーマーでならしたが、その後生物工学者となり、60歳を越えた今では寂しい独居老人となったGENZは、政府の命を受けて一人のプレイヤーとなり、砂漠でG-LIFEたちの生態を調査している。そこへ、おそらくは外国勢力による侵入が発生した。謎めいた連中が、人工生命の知的財産を横取りしようと攻撃してくる。国益を守るため、GENZは老骨に鞭打って彼らと戦うことになる。味方の自衛隊部隊(からなるプレイヤーたち)があっさりやられてしまったので、今やGENZと、学生時代からつき合いのある老歯科医ワサビ、そしてGENZが砂漠で救った、このゲームのNPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)である村娘のエリスの三人で、謎のハッカー集団と戦わざるを得なくなる……。
 といった背景や設定は、物語の中では少しずつ明かされるが、決して具体的に詳細に描かれるわけではなく、要するにその中で人工生命が勝手に進化するようになった仮想世界の中、現実世界ではだいぶガタの来た老人二人が、現実世界を知らないゲーム内存在のツンデレ娘とともに、知恵を尽くして敵と戦う物語なのである。
 このキャラクター設定がなかなかいい。特にGENZには、ゲームオタク男子の理想的な老後の姿が投影されている気がする。彼は三次元の女性経験に乏しいようで、かといってエロゲーもあまり得意ではなく、恋愛フラグの立ったツンデレ娘のエリスにあたふたとし、恥ずかしがり、「鬼嫁か」とつぶやくばかり。とはいえ、いい歳してゲーム内キャラクターに恋しちゃったのは明白である。
 そしてエリス。なぜか熊本弁の言語エンジンがインストールされている、方言少女である。そのことは最後に重要になるのだが、とりあえずは可愛いという属性が大事。「ここはメンフィス、最果ての村です」と訪れたプレイヤーに話しかけることだけが役割の村娘キャラクターであるエリスが、どうして自意識をもち、プレイヤーと行動を共にし、ゲームシステムとは独立した存在になるのか、本人にも謎なのだ。
 しかし、よくあるラノベのゲーム系小説と同じように見えながら、本書にある決定的な違いは、現実側のレイヤーから見ると、相当にハードなコンピューターSFとなっていることだ。何しろ作者は著名なゲームデザイナーであり、後書きによれば作中の進化モデルを自らプログラムしてみたというぐらいである。細かな描写まで、現実のソフトウェアが透けて見えるくらいにハードなのだ。そして、本書でも最も力を入れて描かれているのが、チクワ型をベースにして様々に進化する人工生命たちの生態系だ。昔、生態学SFというのがあったが、これは仮想生態学SFといっていいだろう。何しろGENZたちのストーリーはあまり重視されておらず(普通のRPG的小説とは全く違う)、コンピューター内での創発的進化を描くことの方に力が注がれている。このあと続編も予定されているようで、楽しみだ。

『世界城』 小林泰三 日経文芸文庫
 ジュヴナイルというか、あちら風にヤングアダルトというか、いつもの作者に比べればずいぶんソフトでひねりの少ないストレートな冒険ファンタジイである。
 でも設定はそんなにストレートじゃない。舞台は「世界城」という巨大な構造物の中。一つの閉鎖環境である。とはいえ、城の外縁にはテラスがあって、そこは外界と接している(空がある)。テラスは主に農地として利用されているようだ。城の中はいくつかの区画に分かれ、そこに村々がある。村は孤立しているが、多少の行き来はあり、商人が村々を回っている。かつて、帝国があったが、分裂し、今は世界を統一するような巨大権力はないという。
 主人公はある日ヴォルタ村(この地の地名は、オーム村やアンペールなど、なぜか電気に関係ある名前がついている)にふらりと現れて去っていった、王女を名乗る少女が産み落とした男の子、ジュチ。彼が11歳の時、村に異変が起こり、上流のオーム村からテラスの農地に流れ込んでいた土や水が止まってしまう。ジュチと、同い年の少年で、村長の孫のダグが様子を見に行くことになる。オーム村は謎の軍隊に占領され、野心的な将軍に支配されていた。少年たちは知恵を絞ってヴォルタ村の危機に立ち向かおうとする……。
 会話がやたらと理屈っぽいところは作者らしいといえるが、全体はジュヴナイルらしく素直に話が進む。しかし、世界城自体の謎、どうしてこんな建造物が造られたのか、いつ誰が作ったのか、といったことには今回は深く突っ込むことはない。だが、これってまさにオールディスの『寄港地のない船』と同様な、閉鎖環境SFといえるのではないだろうか。続編もあるようで、次第にそういった謎が明らかにされていくのかも知れない。
 それにしても悪い将軍にこき使われて死んでいく兵士たちは、かわいそうだね。


THATTA 332号へ戻る

トップページへ戻る