内 輪   第291回

大野万紀


 SFマガジンが(ミステリマガジンも)来年から、隔月刊になるという話。まあ色々と事情はあるのだろうし、じっくりと特集が組めるといったメリットもあるのだろうけど、でも創刊からずっと続いていた月刊がここで途切れるというのには、寂しいものがあります。何しろ高校生の時に初めて買ってからだから、もう40年以上のつきあいです。
 雑誌には長編連載もありますが、やっぱり短篇やエッセイ、コラムが読めるというのが読者にとっては大事でしょう。日本作家の短篇は、このところ大森望アンソロジーなどで読める機会が増えていますが、海外の、よく知らない作家の新作短篇などは、SFマガジン以外ではなかなか読めないと思います。隔月刊となっても、ここはがんばってほしいところです。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『2312 太陽系動乱』 キム・スタンリー・ロビンスン 創元SF文庫
 2012年のネビュラ賞受賞作。キム・スタンリー・ロビンスンにしては娯楽性が高く、いつもの政治性は背景に留まっている。
 300年後の未来。太陽系は開発が進み、火星も金星も、土星の衛星系までテラフォーミングが行われている。地球にはいくつもの軌道エレベータが立ち、水星では太陽を避けながら地表を周回する移動都市が築かれている。宇宙に暮らす人々はすでに男女の区別もなかったり、肉体改造を加えていたり、長寿化もされていたりと、肉体的にも文化的にも地球人とは異なった価値観をもち、依然として古い国家に支配され、環境破壊と膨大な人口と保守的な価値観に縛られた地球人とは別の存在になりつつある。さらに進化したAIの存在があり、かれらはすでに意識をもった異種の知性体となっているのではという疑惑もある。
 主人公のスワンは水星の政治家で太陽系の政治的指導者の中でも大きな存在だったアレックスの孫にあたる。一応女性として描かれているが彼女も両性具有で、さらに芸術家としてかなり異端的な変容も遂げている。アレックスが急死したことにより、スワンはその遺言をイオまで届け、さらにかつてのアレックスの仲間たち、土星連盟の外交官で、ヒキガエルみたいなワーラムや、子どものような小さい体で、惑星間警察のベテラン捜査官であるジュネットらと、地球を訪れたり、金星へ行ったり、太陽系全体を巡る政治的な動きに巻き込まれていく。そんな時、突然水星の移動都市が謎の隕石衝突に見舞われ、スワンはワーラムと地下に閉じ込められる。二人は苦闘の末、何とか脱出し、恐るべき陰謀の謎をとき、迫り来る大災害を防ごうとする……。
 といったわりあいストレートなSFサスペンスなのだが、例によっておまけがいっぱい。とりわけ、ジョン・ヴァーリイの〈八世界〉を思わせる、太陽系名所めぐりが楽しい。小惑星に重点を置いて描かれているのは、小川一水の〈天冥の標〉もそうだし、地球文明と太陽系文明の主として文化的な対立は林譲治の作品にも出てくる。そういう本格宇宙SFのおいしいところがいっぱいで、それがストーリーそのものより魅力的に感じる。というか、主人公のスワンが、他の登場人物からもあきれられるような極端で自己中心的な人物として描かれているので(それにはまた理由があるのだが)、単純にストーリーを楽しむ上ではひっかかってしまうのだ。
 それに、大きな事件を追う一方で、それとは直接関係ない登場人物たちの活動にもたっぷりページがさかれているので、時々あの謎はどうなったのと思ってしまう。まあそれはそれで、未来世界の広がりや奥深さがしっかりと描かれることになり、SF的にはとても満足度が高いのだが。
 本書はまた、スワンとワーラムのぎごちなく進むラブストーリーとしても書かれている。二人とも両性具有者(一応主となる性別は固定しているが)なので、特に水星の地下での二人の姿など、ル=グィンの『闇の左手』を強く思い起こさせるものがある。解説で渡邊利道さんが書いているとおり(この解説はとても読み応えがある)、結末のつけ方にはちょっと強引なところがあるが、いやこう無理やりにでもハッピーエンドに落ち着かすのは、それはそれでアリだと思う。『レッド・マーズ』のような、ああいう悲惨な物語からの揺り戻しなのだろうか。

『環八イレギュラーズ』 佐伯瑠伽 中央公論新社
 大森望絶賛。だから買ったわけじゃないが。クレメントの『20億の針』の数多いトリビュート作品(大原まり子『エイリアン刑事』は良かったな)のひとつといえるのだが、そのサスペンスに主題があるかというとちょっと違う。
 宇宙の超生命体である逃亡犯とそれを追う刑事が、地球のウェブに飛び込み、光回線をサーバからサーバへとジャンプし、そしてそのサーバにアクセスしていた人間に乗り移る。乗り移られた人間の意識はそのままでは短時間で消滅してしまうが、自閉症患者に乗り移った場合だけは、上書きされず、両者とも生き残ることができる。都内の進学校に通うちょっとオタクでコミュ障な喚子に入り込んだ刑事は、他人には見えないタロットカードのようなカードを使うコミュニケーション手段によって、彼女の同級生である邦治の、自閉症の弟、泰弘に転移する。泰弘の意識は喚子に移り、喚子と泰弘はひとつの体に同居することになる。邦治と、その時居合わせた彼の幼なじみの茜は、喚子と話し合い、刑事とコミュニケーションして、おそらく同級生の中に紛れ込んだであろう犯人を追うことになる。
 とはいえ、そういうSF的なシチュエーションやサスペンスは本書の中心にはない。はじめ、ずいぶん雑というか、強引な印象を受けた。細かいことは気にせず、そういうものだとして読め、と作者に言われているような気がした。現実にある固有名やアニメやラノベへの言及(水着回まであるよ)、時おり作者が現れるメタな視点、まずはこのルールを認めて、それに従って読めという感じで。
 登場する高校生たちはとても頭が良く、この制約とルールをたちまち理解して、これがゲームの中の物語であるかのように、論理的に話を進めていく。まあ確かに進学校の高校生というのは世の中で一番頭のいい存在かも知れないとは思うけれど、こちらはそんなに頭よくないので、時おりついて行けなくなる。例えばそもそもどうしてこの少年少女たちはこんな事態に平静でいられるのか。言葉を介さない、タロットカードのようなものを使うコミュニケーション手段で、本当にどうやって相手の意図をすぐさま理解できるのか、さっぱりわからない。
 しかし、そんな疑問は、すぐにどうでも良くなる。本書の大半は(後半、ど派手な立ち回りもあるのだが)、屋内でのディスカッションが占めており、それが実に頭の良さそうな若者たちの会話であって、強引ではあるけども、小気味いい。そのうえ学園ものの、甘酸っぱい思春期の雰囲気もあり、さらにあとがきで作者が述べているように、自閉症の障害者がみんなを幸せにするという嬉しいファンタジーでもある。
 きわめて知的でリアルな描写と、無理やりなルール設定、頭のいい高校生たちのファンタジー、障害者と介護者のリアルで厳しい現実、都合の良すぎるストーリーなのにそれが論理的だと思わせるマジック、そういった異質な要素が混ぜ合わされて、不思議な魅力をかもし出している小説である。

『地球が寂しいその理由』 六冬和生 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 六冬和生の二作目は、やはりAIの話。地球を統べるAIのアリシアは姉、月を統べるAIのエムは妹。品行方正で優等生タイプの姉と、わがままで脳天気で感情的な妹。双子の姉妹なのだが、とても仲が悪く、いつも口汚く罵詈雑言を浴びせるケンカばかりしている。それも、仮想空間で、AI人格とは思えない、普通の人間の姉妹がやるようなケンカばかりだ。何でそんなシミュレーションをわざわざするのかと思うのだけれど。
 二人の間に家庭的な愛情のようなものがあればまだいいのだが、憎しみというわけでもないけれど、むしろちょっと危ない病的なレベルの感情があって、読む方も少し気が重くなる。
 その背景には宇宙的な大災厄(ただし人間的スケールではない)が迫っているということと、疲弊し、崩壊寸前な地球の環境と社会、エリートが集まったコンパクトで人工的な月の社会という対比、それに文字どおりのトリックスターである地球のロックスター、オパールの存在がある。また、AIと人間の違いといったことや、コンピュータ・ネットワーク上の人格、宇宙論にいたるまで、様々なSF的テーマも描かれている。とはいえ、どれもあまり決定的ではなく、とにかく対照的な二人が、はた迷惑でうっとおしいケンカばかりしていた、という印象だ。二人だけでやればいいのに、なんでまわりのみんなを巻き込むかなあ。だれか、叱ってやるやつはいなかったのか。
 人々を実質的に支配している巨大コンピュータ(まあ今はネットワーク中に分散されたイメージだが)といえば、昔からSFのお決まりである。ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』のマイク、ヴァーリイの〈八世界〉のCCなんかが印象に残っている。でもあいつらは本質的にいい奴で、こんなヤンデレな奴じゃなかったなあ。
 人間から見ればほぼ全能に近い彼ら・彼女らだが、本書ではむしろギリシア神話の気まぐれで人間くさい、そのうえ残酷な女神たちのように見える。そう思えば、勝手に神に見いだされしヒーローたるオパールの存在も良くわかるし、まわりの人間にとってのはた迷惑さも当然だと思える。男神なら良かったかというと、いやあゼウスなんてもっと凄まじいもんな。
 細かなディテールには面白いところが多く、読み応えもあるのだが、前作と同じスタンスで読むとしんどいかな、と思った。

『プロジェクトぴあの』 山本弘 PHP
 9月に出た本で、『地球移動作戦』の前日談にあたる。超科学的タキオン駆動エンジン〈ピアノ・ドライブ〉発明の物語だ。発明者である結城ぴあのは、物理学をひっくり返すほどのノーベル賞級の超天才。宇宙に行くことがただひとつの生きる目的。一種のミュータントだとさえいわれ、普通の人間的な感情には乏しく、愛や恋や日常的な会話も不得手だが、なのに歌って踊る美少女アイドルグループの一員。家族はおらず義務教育しか受けていないが、子どもの頃から数学や物理の専門書に読みふけり、目立たない格好をして秋葉原でパーツを買ってはガレージで実験装置を組み立てている。おまけに昔のSFにもとても詳しいのだ。こんなぴあのの造形はいかにもあざといが、作者はもちろんそれを意識してやっているので、嫌な感じはしない。
 とはいえ、ぴあのの実在感はとても希薄である。まさに(ある種の)オタクの夢の存在、嫁ではなく、姫。語り手のボクも同じで、女装が趣味のいわゆる男の娘なのだが、ジェンダーは完全に男で、内面的な描写もほとんどないので、姫につきそうオタク男の代弁者として記号的に作られたキャラクタだと思える。ところが、そういう内面に乏しいぴあのにしろ、ボクにしろ、ところどころでどきっとするような人間的な熱っぽさを見せる描写があり、それは本来あるべきキャラクタ設定とは矛盾しているように見えるのだが、そここそが作者が本音で書きたかったところでは思えるのだ。それは本書のトンデモと科学とのせめぎあいについても同様で、科学的な描写をしようとしながらむしろトンデモへと近づいていくような背反性がある。
 本書の最初のクライマックスはぴあのとメカぴあのが対決するライブシーン。これがとてもかっこよく、熱っぽく描かれていて、ライブ感がよく伝わってくる。その一方で、本来のぴあののキャラクタとの違和感も大きいシーンである。ぴあのにとって感動とは何なんだろう。
 第二のクライマックスは、既存の物理学をひっくり返す超理論をついに完成させ、大学の先生に説明するところ。とんでも科学に詳しい作者らしく、いかにもな科学用語、数学用語で読者をけむに巻く。だがホーガンのハードSFみたく、ウソだとわかっていても、そこには確かに発見のセンス・オブ・ワンダーがある。さすがによく知っているタームが不思議な文脈で出てくると違和感があるが、ほとんどは何をいっているのかさっぱり理解できない。でもね、二十歳前後の子が物理学を根本からひっくり返そうとするのだから、壮大ですごいじゃないですか。超理論の中でいろんなものがつながっていき、統一されて説明される。そこにはわくわくするような楽しさがある。
 ぼくにも少しはわかるのが前半のポイントである「第二種永久機関」の発明。これはすなわちマクスウェルの悪魔そのものである。しかし、マクスウェルの悪魔のパラドックスが情報理論と熱力学を結びつけることでほぼ解決したのは20世紀も後半になってのこと。第二法則はそれまで決して盤石のものじゃなかったのだ。本書に言及のある東大と中大の実験もその成果といえる。
 さて後半は、ついに資金を得てぴあのドライブを実現し、その実用試験を行うところで、巨大太陽フレアの発生という危機が地球を襲う。そしてぴあのの意表を突く決断という結末へと向かうのだが、ここでは再び本来の彼女らしさが戻っていて、まさにぴあのらしいハッピーエンドだといえるだろう。無茶な決断だが、わくわくするよね。
 本書が野尻抱介『南極点のピアピア動画』と比較されるのはやむを得ないところだろう。野尻が今から地続きなリアリティのある、それでいて夢にあふれた未来を描く現代的なSFであるのに対し、本書はE・E・スミスにまでさかのぼるスーパー・サイエンス・フィクションで、そもそも土俵が違う。しかし最も違うのは、野尻が体温が低く、どこか適当でゆるさのあるキャラクターを描くのに対し、ぴあのたちは一見おとなしくても、強烈で一途な、激しい情熱とパワーをもっていることだ。まさにスーパーなヒロインである。どちらが好きかというのは人による、いやその時の気分によるといえるだろう。いやほんと「第二種永久機関は、あります!」ってか。

『凍りついた空 エウロパ2113』 ジェフ・カールソン 創元SF文庫
 百年後の太陽系探査で、木星の衛星エウロパに発見された生物。分厚い氷の下の世界に生きる彼らは、果たして知的生物なのだろうか。最初の科学探査チームは氷の洞窟に壁画のような文字のような刻印を発見する。しかし彼らは落盤で命を落とし、一人生き残った女性エンジニアのボニーは、サンフィッシュと名付けられたエウロパの生物に襲撃され、からくも生還する。彼女はサンフィッシュに知性を見、共存をめざして、サンフィッシュを医薬品などの生物資源としか見ない人たちと闘争することになる。いっぽう落盤で死んだ中国人の生物学者ラムは、ボニーによって仮想人格となり、パワード・スーツのAIとなって再生され、氷の下で独自の活動を始める。後からエウロパに到着した、EU、ブラジル、中国、アメリカの探査チームは、地球の国際情勢をこの世界にも持ち込み、特にブラジル隊とボニーの属するEU隊は一触即発の危機に陥る。そこへ獰猛なサンフィッシュの攻撃と、ラムの独自の行動がからまって、ますますややこしい事態が……。
 とまあそんな宇宙SFなのだが、読みどころは何といってもサンフィッシュという、知性があるように思えるが、とても凶暴で異質な異星生物の造形と、エウロパの環境の中でのその生態や社会の描写にあるだろう。地球でいえばイルカというよりシャチとか、そんな感じかな。
 ヒロインのボニーはまた癖のある女性で、命からがらな目にあったにもかかわらず、サンフィッシュたちを知的生物として対等に扱うべきだという信念から、命令も無視し、勝手な行動をとる。実際に暴力はふるわないにしても、何かといえば相手を「殴ってやりたい」と思うような、怒りっぽく感情的な人物でもある。組織の圧力に反抗して自分の意志を貫こうとするのだから、そういう人物であることは納得できるが、しかし、正義のため、目的のためなら手段は選ばないというところは、あと一歩で急進的なテロリストや、グリーンピースの過激派と変わらない論理だといえるだろう。
 本書には、サンフィッシュを金儲けの手段とみなす、典型的な悪役も出てくるが、むしろどちらともいえない、現実的でバランスのとれた人物も多く登場し(その一番かっこいいのが、EUチームの隊長ケーブッシュだ)、それがボニーの突っ走る正義感を中和する。実際、本書は、複雑な背景を描きながらも、環境保護と開発の対立といった単純化されたテーマに近づいており、取り返しの付かない悲劇になったかも知れない決断が、あまり論理的ではなくその場の感情で決定されていくさまが描かれている(しかし実際の現場も、そんなものかも知れないね)。
 だが何といっても一番興味深いのは、冒頭でいきなり事故死しながら、仮想人格として機械の体に勝手に復活させられ(それもボニーがやらかしたことだ)、たった一人で壊れかけたメカに次々と憑依しながら、エウロパの厚い氷の下で生き延びてきたラムの活躍だろう。彼の冒険が(残念ながらあまり描写されないのだが)とても想像をさそう。そして、ほとんど独自の知性をもっているといえるパワード・スーツやメカたちの活躍。本筋よりも、そういうところの方が印象的だった。しかし、そうか、続編もあるのか。


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