みだれめも 第211回

水鏡子


 遅くなりました。十文字青のまとめ読み。今回はいつも以上にネタばれやります。

『薔薇のマリア(1)』 (2004) ★★
『薔薇のマリア(2)(3)』 (2005) ★★★
『薔薇のマリアver0』 (2005) ★★★☆
『薔薇のマリア(4)』 (2006) ★★★☆
『薔薇のマリアver1』 (2006) ★★★☆
『薔薇のマリア(5)〜(7)』 (2006〜7) ★★★★☆
『薔薇のマリアver2』 (2007) ★★★★
『薔薇のマリアver3』 (2007) ★★★★
『薔薇のマリア(8)〜(10)』 (2008) ★★★ 『ANGEL+DAIVE(1)〜(3)』 (2008〜9) ★★★☆
『薔薇のマリアver4』 (2008) ★★★
『薔薇のマリア(11)〜(13)』 (2009〜10) ★★★★ 『いつも心に剣を(1)〜(5)』 (2009〜10) ★★★
『ANGEL+DAIVE CODEX (1)〜(3)』 (2009〜)未完 ★★☆
『ぷりるん』 (2009) ★★★☆
『純潔ブルースプリング』 (2009) 未読
『ばけてろ(1)(2)』 (2009〜)未完
『ヴァンパイアノイズム』 (2009) ★★★☆
『絶望同盟』 (2010) ★★★☆
『ぼくのうた』 (2010) ★★★
『薔薇のマリア(14)』 (2010) ★★★ 『萌神』 (2010) ★★★☆
『黒のストライカ(1)〜(5)』 (2010〜)
『シャギーロックヘヴン』 (2010) ★★★
『薔薇のマリア(15)(16)(17)』 (2011〜)未完 ★★★★ 『メガクルイデア』 (2011) ★★
『薔薇のマリアver5』 (2011) ★★★★ 『全滅なう』 (2011) ★★★

 刊行順に並べたら何か見えるかなと思ったけれど、それほど変化は見てとれない。
 というか、変転するには期間が短すぎるのかもしれない。デビューから8年間で47冊。内、最初の2年で3冊だから6年間で44冊ということになる。幻狼ノベルズのあとがきが事実なら、小説家を志して数年間頭の中で揉みに揉んで煮詰まった一連の妄想を吐き続けている過程であって、それをまだ出尽くしていないのだろう。(出尽くしかけている気もしないでもない)。出し尽くした後、作家としての正念場がくる気がする。執筆量はかなりのものだが、頭の中で煮詰まった妄想を爆発的に吐き出すタイプに思えるので、『薔薇のマリア』の完結がたぶん一つの区切りになるだろうと思う。再度違うつもりの同じ何かを頭の中で煮詰めることができるかどうか。

 結論から言うと、駄目な作品であっても読んでなにかは残る。けれども一連のぐちゃぐちゃの妄想から生み出される作風なので、作品のレンジはせまい。5冊くらい読んだ時点で、これは全冊読まねばと、読んだことを書き残しておかねばと思いつつ、40冊近く読んでいくうち、読み飽きてきた。慣れて飽きてきたのか、近作の著者のテンションがたれてきたのか微妙なところであるのだけれど、なんとなく感想を書くのが億劫になってずるずるここまで延ばしてしまった。もっとも、これまで読んできたライトノベルの作家のなかでも資質で十指に入る評価はしている。これから読む人は、とりあえず、『薔薇のマリア』を読んで判断すること。このシリーズだけで20冊を越えるのだけど。

『薔薇のマリアI 夢追い女王は永遠に帰れ』(2004)
 デビュー作品である。前年に『純潔ブルースプリング』で角川学園小説大賞特別賞を受賞した著者だが、この作品が初の商業出版。ちなみに受賞作品は本になるのが2009年で、現在時点でぼくが読んでいない唯一の十文字青本である。相当数の古書店、新刊書店を廻ったもののみつけられない。注文で本を買うのがきらいなのです。
 ある時、世界に大異変が起きる。異変の後、世界は激変する。天に神々が坐し、竜が舞い、悪魔族が跋扈し、異形の群れが徘徊する。超絶な力をもつ無慈悲なものどもに蹂躙されながら、それでも人類は居汚なく生にしがみつき、小狡く生き延び、種族内闘争を繰り返しながら種々の力を身につけ、勢力を整備していく。
 そしてついに人類が世界の覇権を取り戻す時がくる。竜の王を使役する大魔導王キング・グッターを筆頭に7人の仲間が率いる軍勢が、地上から悪魔族と異形のものたちを一掃し、使役していた竜の王の遺骸を核に「古代九頭竜の呪い」を用いて地の底に封じ込める。
 キング・グッターの打ち立てた国はサンランド無統治王国と呼ばれる。国境や各種公的機関といった要所に永久自立型機械の魔導兵を配備するだけで、いかなる政府もおかず権力を行使することなく、王は首都エルデンの宮殿の奥深く引きこもり、「古代九頭竜の呪い」の維持を続けている。このエルデンこそが、竜の王の遺骸で魔界を封じる地であり、その地下は一種の緩衝地帯となり、地上と魔界をつなぐ唯一の場所となっている。

 こうした背景設定はほとんど説明がなされない。舞台は建国から長い歳月を経た首都エルデン。キング・グッターは何代代替わりしたかわからないがあいかわらず宮殿から姿をあらわすことなく、街はクランと呼ばれる多くの生活共同体の集合体によって一定の秩序が保たれる死と暴力と自由にあふれた無法都市になっており、居場所を失くした様々な人間が流れ込む坩堝のような土地である。最大の産業は、地下迷宮に潜り、異界のものどもを倒して彼らの装備や宝物を持ち帰ること。彼らは侵入者〈クラッカー〉と呼ばれる。
 というわけで、第1作は裏設定を意味ありげにちりばめただけのウィザードリイ小説。ZOOというクランに属する主人公が戦士、アサッシン、シーフ、魔術師、治療士の仲間と地下迷宮に潜り、ボスキャラを倒してお宝を手に入れる話。
 こう書くと身も蓋もないのだけれど、そんなある意味単純な話を、俯瞰的な視点を排し、身の丈のキャラクターの日常的な視点に立って、断片化され馬鹿ほど伏線を散りばめて世界の成り立ちや仕組みといった全体を整理して語ることなくテンションの高い文体で綴っていく。
 立派な姿勢であるのだけれど、そんな手ごわい筆法で読者を引きずりまわすには第1作は筆力に欠けている。細部の密度が濃く、キャラの造形に余念がなく、文章のテンションが高い割にはドライブ感に乏しくイメージがまとまらない。
 じつは、本書を読むのにぼくはこれまで二度挫折している。三度目でやっと読み終えた。それくらい読みづらく、それでいて無視するのは気が咎める、そんな作品だった。
 同じクランの一癖も二癖もあるメンバーに囲まれ、自らの非力に落ち込みまくる主人公マリア・ローズ。薔薇のマリアというタイトルの所以である。女と見まがう美しさで、それゆえ女と間違われると逆上し、罵詈雑言をまき散らす。ただし「ぼくは女じゃない」と喚き回るが「ぼくは男だ」という台詞は一度も見ていない。そのマリアローズに懸想してつきまとうのはエルデン有数のクランの頭目〈昼食時〉のアジアン。虐殺人形の異名を持つ。一応、男である。これにZOOの仲間たちとの掛けあいを重ねながら物語が進む。当初の主要メンバーはそんなものだが、話が長くなるにつれ、主要キャラの数は膨れあがっていく。

『薔薇のマリアII 壊れそうなきみを胸に抱いて』
『薔薇のマリアIII 荒ぶる者どもに吹き荒れる嵐』(2005)
 エルデンのクランは地下迷宮の探索を目的にした集団とは限らない。エルデン最大のクラン〈秩序の番人〉はその名の通り、エルデンの秩序を守ることを目的に設立された苛烈な自警団である。ZOOの園長トマトクンはその若い風貌と裏腹に、伝統あるこのクランの設立に深くかかわっていたのだという。トマトクンの不可解さが重みを増す。一方悪徳の限りを尽くすクランもまた数多くある。そのなかでも「悪徳こそ生」と広言するSIXに率いられたSMC〈加逆的殺戮愛好会〉は同類のクランを併合し、龍州連合など有力クランと提携し急速に勢力を拡大する。トマトクンはこのSIXとも昔なじみらしい。〈昼食時〉のアジアンもマリアローズを助けてSMCの人間を殺したことから、誰よりも信頼していた副長を殺され、続けて他の仲間を殺すと脅され、SMCの傘下に収まる。かくしてエルデンの秩序と混沌を巡る〈秩序の番人〉とSMCの大戦争が勃発する。
 小説は前作からは格段の進歩を見せる。シーンシーンで舌を巻くうまさを見せるのだけど、あちらこちらところどころでぎくしゃくする。まだ習作状態。

『薔薇のマリアver0僕の蹉跌と再生の日々』(2005)
 つらい生い立ちから人と群れることを厭い、エルデンに流れ着いても一人で生きてきたマリアローズがZOOの一員になるまでの話。これは楽しく素直に読める。最初につぼみのコロナを出したのが正解だったかもしれない。

『薔薇のマリアIV LOVE’N’KILL』(2006)
 トリックスター、ルイ・カタルシスの登場編。前後の話と遊離した軽い幕間話と思っていたのだが、じつは、終章に連なる巨大な物語の前触れ編。順番に読んだ時にはそんな意図をあまり気に留めなかった。

『薔薇のマリアver1 つぼみのコロナ』(2006) 
 ドジでボケで常識知らずで常に周囲に大災厄を引き起こし、そのくせなぜか本人はほとんど無傷で切り抜けてしまう天然魔術士コロナとその相棒で一身に被害を受ける少年レニイのほのぼの話。コロナを書くとき、作者がすごく優しく幸せな気分になってるような気がする。気のせいか。続篇が『薔薇のマリアver5つぼみのコロナ2』(2011)で、もしかしたら『薔薇のマリアver0』『薔薇のマリアver1』『薔薇のマリアver5』『薔薇のマリアI』の順番で読むのがこのシリーズに入り込む一番の近道かもしれない。

『薔薇のマリアV SEASIDE BLOODEDGE』
『薔薇のマリアVI BLOODRED SINGROOVE』
『薔薇のマリアVII SINBREAKER MAXPAIN』
(2006〜7)
 これまで読んできた中での十文字青の最高傑作。エルデンにいないメンバーのジャン・ジャック・ド・ジョーカーを見舞うため、ZOO一行はサンランド第3の都市、海に面したジェードリに赴く。そこは人情味あふれるマフィアの一家パンカロ・ファミリーが仕切る平和な町だった。だがそこに邪悪な軍団が舞い降りる。〈血塗れ聖堂騎士団〉。すべての生き物、穢れしものを焼き払い、穢れなき純粋者として作り直すことこそ神の本義とする狂信者の集団である。すべての住民を焼き払わんとする軍団を向こうに回して、ZOOはパンカロ・ファミリーとともに立ち向かう。その中には、自らの力を隠して生きるアジアンと同じ顔をした少年がいた。

『薔薇のマリアver2 この歌よ届けとばかりに僕らは歌っていた』
『薔薇のマリアver3 君在りし日の夢はつかの間に』(2007)
『薔薇のマリアver4 hysteric youth』(2008)
 ZOOメンバーそれぞれのZOOに入る前の物語。アジアンが率いる〈昼食時〉メンバーたちの物語。平和な日常のなかでのZOOメンバーたちの物語。ライトノベル長期のシリーズは雑誌を使った宣伝を兼ねて短篇を一定量作られるが、作家によって気の入れ方がずいぶん違う。十文字青は本編に加えづらいエピソードを本編と遜色ない密度で仕上げるタイプ。『ver4』はやや気楽かも。作者の登場人物たちへの入れ込み方膨らまし方は外伝の方がわかりやすいかもしれない。

『薔薇のマリアVIII ただ祈り願え儚きさだめたちよ』
『薔薇のマリアIX さよならの行き着く場所』
『薔薇のマリアX 黒と白の果て』
(2008)
 この章がシリーズの胸突き八丁。ジェードリ篇の高揚からこの章に入って挫折した人間はかなりの数になるのでないか。そう思うのは僕自身、ここでけっこう読みあぐねたから。アジアンの率いる〈昼飯時〉のメンバーが次々行方不明になる。犯人は、アジアンの生みの親である魔術師ルヴィー・ブルーム。彼もまたZOOの園長トマトクンとは昔からの知り合いらしい。彼は捕えた〈昼飯時〉のメンバーの命を代償にマリアローズを含めた7名の選手による命を賭けた7つのゲームを強要する。異能バトルで、しかもアジアン・サイドがひとりも死んではいけないという無理筋設定で、他の章に比べ、作り物臭い不自然さが際立つ。作者は選手7人の設定に過去の歴史的事件にからんだ暗示を込めたかったようなのだがあまり功を奏していない。いろんなメンバーの恋愛模様が一歩進んだりはしているのだが。『IV』と同じく終章へ連なる物語への伏線的要素の強い作品で、それがエルデンの現実から浮き上がる理由であるように思える。
 なお、このあたりで自明になってきていることに、宮殿に籠るキング・グッターが数百年前に王国を建設した当の本人であるということ。その時の7人はなぜかみんな死なずに生きていること。それが、トマトクンやルイ・カタルシス、ルヴィー・ブルーム、それに第1話の地下迷宮でマリアローズが出会ったりりいなどであり、SIXもそうだったかもしれない。そしてマリアローズは本人の知らないところで彼らと深いつながりがあるらしいことがほのめかされている。
 なおこの時期に、作者は初めてシリーズ外作品に手を染める。(『ANGEL+DAIVE』)

『薔薇のマリア11 灰被りのルーシー』
『薔薇のマリア12 夜に乱雲花々乱れ』
『薔薇のマリア13 罪と悪よ悲しみに沈め』
(2009〜10)
 母親を病で亡くし、父を尋ねてエルデンにやってきたルーシー。マリアローズに助けられ、彼に懐いて少しづつZOOに馴染んでいくルーシーはある日ファッション雑誌の表紙を飾る父を発見する。それは死んだはずのSIXだった。
 死ねない男SIXと秩序の番人の新たな戦いが始まる。最後の最後で〈とても善い人〉が誕生してちょっと安直な気もしないではないが、やっぱりこの種の集団地域戦がこの作者の持ち味だと思う。

『薔薇のマリア14 さまよい恋する欠片の断章』(2010)
 大戦前夜のエルデンの点景描写を重ねていくなか、トマトクンの生涯とこの世界の歴史とを交互に挟み込んでいく巻。はるかな過去を顧み、来たるべき時代の予兆を孕む佳品である。

『薔薇のマリア15 愛も憎しみも絶望も』
『薔薇のマリア16 さよならはいわない』
『薔薇のマリア17 この痛みを抱えたまま僕らはいつまで』
(2011〜)未完
 大陸最大の軍事強国ラフレシア第三帝国が地上世界の制覇に乗り出す。その目的は地上の再生。尖兵となるのは血塗れ聖堂騎士団。軍団の矛先はサンランド無統治王国に向き、国境線の魔道兵を大魔術で一蹴し、サンランド第2の都市カリオサークを破壊し尽くし首都エルデンに向かう。その熾烈な闘争のなか、キング・グッターはエルデンを宙空に浮上させ、「古代九頭竜の呪い」を解除する。悪魔族と異形のものどもが地にあふれる時代が再び到来したのである。かくして物語は最終章に突入する。『15』『16』はオールスターキャストの大バトル。この2冊でひとつの章としてもいいのだがそうするにはいくらなんでも尻切れトンボ。で、その後少し時間を置いての『17』最新刊はかなりたるい。このあと陣容を整え、テンションを高め、最終決戦にたどりつくまでの道のりは最低でも3冊以上必要だろう。期待して待ちたい。

 コミック版『薔薇のマリア』(是美三々 角川 全3巻)は作品の1シーンを抜き出してアレンジを加えたオマージュ色の強いオリジナルのコミック。色恋系過多のギャグタッチ。とくにお勧めはしない。
 『ザ・スニーカー100号記念アンソロジー S BLUE』に収録された「薔薇のマリア」はシリーズ・キャラを掻き集めて作った現代学園もの。わりとよくあるくすぐりもの。シリーズ本体の読者以外読む必要なし。
 エルデンを舞台にした作品にはあと二流クラッカー三人組を主人公にしたちょっとだけ年寄り向けの幻狼ファンタジアノベルズ『シャギーロックヘヴン』(2010)がある。それなりに面白い。

『ANGEL+DAIVE(1)〜(3)』(2008〜9)
 最初のシリーズ外作品は一迅社文庫から。地方の小都市。高校生の夏彦は、廃屋で少女トワコを見つける。トワコは次元跳躍者で、大異変にあった世界からまだ異変の生じていないこの世界に、近い将来異変が生じることを知る組織から呼ばれ、彼らから逃げている人間だった。大異変の兆候はすでに夏彦の周辺にも表れていた。ANGEL+DAIVEと呼ばれるさまざまな異能をもつ人間が何人も生まれてきているのだ。組織はそんな人間たちを狩り集め、世界の新たな時代に対応しようとする錬金術師の集団だった。そして隣家の主人で夏彦の幼なじみの父親は、彼らと一線を画している稀代の大錬金術師だった。
 といった設定の密度の高い「学園ドラマ」として始まる物語はオカルト系のネルフみたいな組織とのサード・インパクトみたいな世界の命運を背景にした異能バトルに姿を変えていく。小説的としても構想においてもたぶん『薔薇のマリア』の次くらいの密度を保っている。トワコの出現で主人公との仲が歪み、精神的にも壊れていく幼なじみ、ANGEL+DAIVEで日常から弾き出されていく異能者たち、ネルフに対する碇とゲンドウみたいな立ち位置となるトワコと幼なじみの父親たち。そして明示はなされていないが、どうも『薔薇のマリア』の前日譚と思しき気配がある。

『ANGEL+DAIVE CODEX (1)〜(3)』(2009〜)未完
はその続篇。心やさしき高校生だった夏彦は、いまはかって戦ったイコンに属する恐怖の査察官となり、異能者狩りを行っている。ストーリイは、イコンと戦う異能者集団北極星の少年少女を中心に物語られる。前作に比べ少年少女が幼くて、バトルの比重が高過ぎる。そのぶん評価は下がるのだけど、中断してからまる三年。このシリーズはぜひとも再開してほしい。

 こうやって見ていくと、シリーズものできちんと結末がついているのは『いつも心に剣を(1)〜(5)』(2009〜10)だけだということに気がつく。著者の作品のなかでは数少ない中学生に読ませたい異世界ファンタジイ。同型の作品では『ぼくのうた』くらいか。
 村を出奔した少年と少女。ある街で少女は魔女と間違われ火炙りの刑に処せられることになる。その執行の時間、街は魔女の軍団に襲われ、街は破壊され多くの人々が殺される。少女を助け出そうとして失敗した少年は、この攻撃で少女が魔女に殺されたと信じこみ、魔女狩り隊に参加し頭角を現し、次々魔女を屠っていく。じつは少女は魔女に助けられ、彼女たちと行をともにしていたのだ。魔女狩り隊が正義のために魔女を殺していくように、魔女にも戦うべき正当な理由があったのである。やがて魔女の本拠を襲った少年はそこで少女と再会する。捕えられた少年は、少女の命を救うため今度は仲間だった魔女狩り隊の盟友たちを殺していくことになる。

 はじめてのノベルズ本として幻狼ファンタジアノベルズで出版された『ぼくのうた』(2010)も、年少読者を対象においた目線の作品で、2002年の初稿を基本そのままの構想で書き直した作品だという。甦った魔王を倒すため、魔王を殺すことができる神剣を手にできる18歳以下の少年少女だけからなる「王国献身隊」が魔王の軍勢に立ち向かう。そこには塗り潰された暗い真実があった。暗い寓話で、メッセージ色が強く、話としては荒っぽい。『薔薇のマリア』で登場するがほとんど説明のなされない、神を裏切った神ソウルがそのままの名前で重要な役割を果たす。この世界と『薔薇のマリア』の世界を作者はつなぐ意図があるのかないのか。

 この2作を中学生目線とした場合、高校生目線といえるのが〈第九高校シリーズ〉。小野塚那智という女生徒が通学する第九高校を舞台にしたノン・ファンタジイの学園小説である。ただしこの女生徒は超然とした傍観者的態度を貫いていてほとんど活躍をしない。
 第1作『ぷりるん』(2009)は、クラスの女の子と交際を始めたら、彼女がセックスを通じてしか人とのつながりを実感できない人間で、交際を続けるうちに壊れていく少年と、奇妙な言動を繰り返す幼なじみとの物語。『ヴァンパイアノイズム』(2009)は死んで吸血鬼になって甦ろうと思い定めたクラスメートと付き合うことになった少年の話。『絶望同盟』(2010)は、いろんな意味で人生に絶望している4人の男女の物語。いずれも重苦しい閉塞的な状況をコメディタッチの軽快さでハッピーエンドに導いていく。お勧めです。4作目の『萌神』(2010)5作目の『全滅なう』(2011)はファンタジイ要素が加わって少し残念。もっとも『萌神』のお約束のラストにはすこしホロリときた。『全滅なう』はバトルシーンのない『ANGEL+DAIVE』みたいなもの。現代ものを長く続けていくとどうしても『ANGEL+DAIVE』のヴィジョンに引きずり込まれていく感じがある。幻狼ノベルズ『メガクルイデア』(2011)も、この系列の暗い重たい版といえる。

 十文字青作品で萌え要素もしくはエロ比重の高いのがオカルト・コメディと銘打った『ばけてろ(1)(2)』(2009〜)と、夜の王、夜魔の最後の生き残りの復活劇『黒のストライカ(1)〜(5)』(2010〜)。前者は伏線を貼り回り風呂敷を広げ回って収拾の気配もなくバランスを欠いたまま中断している。後者はエロとバトルを連ねただけの作品で十文字作品らしい重たい情念がほとんどない。作者の将来性にはじめて不安を抱いた。

 たぶん杞憂だと思う。昨年書かれた短篇2つが円熟味を感じさせる秀作だったから。  
 今年のSFマガジン2月号に載った「小さな僕の革命」(2011)と『星海社カレンダー小説2012 上』に収録された「猫の日」(2011)。どちらも読み応えあり。この作者はSFを書くと個性が殺されそうな気がしていたが「小さな僕の革命」はそんなことはなかった。ネットを通じて世界を壊そうとする少年たちの物語。「猫の日」は自伝的要素の強い生活小説。女と猫2匹との先の見えない生活がたんたんと描かれている。邪険に扱われる主人公の猫のすばらしくいい。

 後半駆け足になったのは、読んだ本の中味がかなりあいまいになってしまったせいもある。半年以上前だもんなあ。やっぱり読んだ本の感想は1週間以内に書きつけないと。

 最後に、十文字青の前にまとめ読みした瀬尾つかさの本を評価だけ。

『約束の箱舟』 ★★★★ 『くじらのソラ』 ★★☆
『征王の迷宮塔 1・2』 ★★☆ 『調停者サファイア1・2』 ★★
『琥珀の心臓』 ★★ 『白魔』 ★★
『円環のパラダイム』 ★☆ 『放課後ランダムダンジョン』 ★☆

 あと2作あるけど、未入手。『約束の箱舟』以外は古本屋。まとめ読みのため半額本を買い集めたけど、新刊で買うのは少しつらい。『約束の箱舟』にも習作的な一面があり、まだ化けるのはこれからの作家だと思う。


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