ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜054

フヂモト・ナオキ


ドイツ編(その十七) テア・フォン・ハルボウ「紀元二千年の世界を描く「メトロポリス」」

 フリッツ・ラングの『メトロポリス』といえば、それはもう大変な大作映画だったわけですが、「『メトロポリス』、ああ、それならうちにあるよ、見に来る?」などとほざいていたボンボンが戦前、既にいた…のかっ。

いや牧野守御大の『日本映画検閲史』パンドラ・2003年を読んだら「我が国に於ける小型映画の検閲…既製映画の方面では「ラ・ルー」「ヴアリヱテ」「メトロポリス」…等が挙げられる、之はスタンダードでカツトされた個所は小型でも同様にカツトさるのであるから或は小型映画検閲受難には入れられないかも知れない」などという引用文(<パテーシネ>1936年11月)が。

 

 ええっ、『メトロポリス』って小型映画版が作られてんの、そんな話きいたことあらへんぞ。これは、もしラング作品が縮写販売されたら、という譬え話なのか。と、スルーしとったんやが、<映画評論>の1936年回顧号を何げなく読んでいたら、その年のアマチュア映画界をふりかえった記事の最後に「主要発売映画一覧(一九三六年度)」というリストが掲載されていて伴野貿易株式会社提供(九ミリ半)の項に「『メトロポリス』特大五巻(ウーフア作品の縮写)」って出とるがな。
 この九ミリ半というのはフランスのパテーが出してきた小型映画のフォーマットで日本では関東大震災のあとぐらいから流行してたけど、戦時の物資不足ですたれて、戦後は八ミリがブイブイいわせたため、ほぼそのまま忘れ去られることになったもの。
 ちなみに、『スーパー8』のおかげで、今の人でもかろうじて知っているであろう八ミリはコダックが1932年に投入して来たフォーマット。よほどのマニアはすかさず取り寄せてるんだろうが、その時点では日本発売されてなかったはず。なので、渋沢篤二(1932年没)が八ミリ映画撮ってたという証言に突っ込んでいない(『渋沢家三代』文芸春秋・1998年)時点で、佐野真一、映画に詳しくないヤツ認定。甘粕が満映が、といって偉そうなこと書いていても、信頼感ゼロなんで、なんとかするように。


 ともかく、売ってたんなら、どっかに広告が出てそうなもんだが、見つけられてません。とりあえず小型映画雑誌<パテーシネ>の1935年分を見てみると、一応、試写室という新作ソフト紹介ページはあるんだが、あくまで自主制作趣味の雑誌なせいか、このページにはそれほど力が入ってなくて『メトロポリス』も出てこない。ただ北陸の小型映画サークルの例会でトリに『メトロポリス』を上映していたことは判明。
 発売ったって買ってたのは個人じゃなくてレンタル業者だったんやろうけど、何本ぐらい出たもんなのかねえ。珍しいフッテージは入ってないと思うけど、どっかに残っとらんのか。
 さて、ハルボウ Thea von Harbou(1888〜1954)『メトロポリス』Metropolis の翻訳といえば秦豊吉訳の『殿方は金髪がお好き』とカップリングで刊行された改造社『世界大衆文学全集』1928年なわけですが、まあ、メジャー過ぎな気がしたので<大阪時事新報>1929年3月16日〜29日の連載版(全八回)をタイトルに。いや、これは例えば<平凡>1929年1月掲載「映画物語|メトロポリス」といったものと同じ映画会社が用意したはずのダイジェスト版のストーリー紹介冊子かなんかを元にしたもんなんやろうけどね。
 日本における同時代の『メトロポリス』受容については会津信吾&松中正子「メトロポリス伝説―または帝都映画戦」『妊娠するロボット』春風社・2002年という研究があって、ほぼそれに尽きるわけなんですが、<大阪時事新報>のことは書いてないよな、しめしめ。

 『メトロポリス』は本来、アナザー・ギャラクシー、アナザー・タイムな『スター・ウォーズ』の如く未来の話として語られてないと会津氏が指摘されてるんだけど、まあ、そんなことはおかまいなく未来じゃ未来じゃ、と広告されちゃってるんだよねえ。だからもう、そこいらの客は、あー、未来ね。と納得させられていた模様。
 <大阪時事新報>も「百年後の人類社会は何うなる? その資本主義は? その機械文明は? その恋愛は?」と最初に銘打たれて、序には「物質的精巧を誇るこの世界が科学と発明と機械的智識の熟練の偉大なる発達を遂げる。之が果して何処まで続くのか――吾々の精神と心とはどうなるのか――ここに描き出す未来の想像都市の如きものが実現するのであらうか。」と。
 ともかく幻のフッテージを加えた復元版が出るは、新訳は出るは、まあ旬といっていい時期かと思うので未体験の方は、この機会に是非、メトロポリっちゃって下さい。

 ところで<大阪時事新報>は翌1930年5月からジヨージ・コール/霧島譲次訳(初回は諸次と誤植)「百万長者の死」を連載してるだけど、ええーっ、霧島譲次って、1924年に同名の訳者が<国民新聞>でセクストン・ブレーク(「銀貨をにぎる骸骨」)を連載してたよ。同一人物なのかねえ。いかにも筆名っぽいけど、一体何者っ。左翼大衆雑誌<大衆>の1929年10月に「骨が二つになつた話」ってのも載っているそうな(未見)。で、さらに1932年に<伊予新報>で「不死鳥の翼」を連載と、探せばもっと見つかって点が線になったりするのかのお。



 関係ないけど、さっき松村みね子訳「銀の皿」の原題は何? クイズってのが、出題されているのに気づいたよ。はいはいはいっ。
 って、若者限定で、おっさんには解答権がないのか。なるほど、ちょっと調べりゃすぐわかる問題で、答えを出した若者を褒めそやしてその気にさせ、書誌地獄に引きずり込むという罠やね。さすがはペガーナロスト界を統べる男。知将といえよう。ま、原題がわかってもテクストの入手が、相当無理ゲー、ってところがミソか。


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