ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜053

フヂモト・ナオキ


フランス編(その二十五) ヴォルテール/不知庵主人[内田魯庵]訳「巨人談」

 ヴォルテール Voltaire(1694〜1778)でSFといえば「ミクロメガス」とゆーことになってるんやが、俺の年代だとあまり馴染みがない気がする。というか、荒俣宏御大がカンディード、カンディードゆーたはったなー、という印象の方が強い。
 もっとも、エル・ドラドからの脱出シーケンスでどうもビックリドッキリメカが活躍しているらしいんやが、具体的な描写がないしなー。という間抜けな感想だよ>カンディード。
 描写がないことを逆手にとって「俺の考えたエル・ドラド・マシン」コンテストが開かれたりはしとらんのか。

 で、今回ざっと戦後の邦訳ミクロメガスを並べてみると、なるほど俺等の育った年代がちょうどミクロメガス日照りの時期やったんやねえ。

進藤誠一訳「ミクロメガス」<人文>1〜2号:1947年1〜6月(未見)
石川湧訳「ミクロメガス」<東北文学>3巻1号:1948年1月
森下辰夫訳「ミクロメガス」『白と黒―哲学的物語』大翠書院・1948年
石川湧訳「ミクロメガス」『地球訪問記』改造社・1949年(改造選書)
池田薫訳「ミクロメガス」『浮世のすがた―他六篇』岩波書店・1953年(岩波文庫)
中川信訳「ミクロメガス」『世界短篇文学全集5―フランス文学/中世・18世紀』集英社・1963年
川口顕弘訳「ミクロメガス」『ミクロメガス』国書刊行会・1988年(バベルの図書館)
森下辰夫訳「ミクロメガス」『ちくま文学の森13―旅ゆけば物語』筑摩書房・1989年
植田祐次訳「ミクロメガス」『カンディード―他五篇』岩波書店・2005年(岩波文庫)

 戦前訳を探すと見つかるのは
井原彦六訳「ミクロメガス」<麺麭>6巻8号:1937年9月
と今回とりあげた明治に溯る内田魯庵(1868〜1929)訳である。
 内田魯庵は洒落たモンを訳すんやが、どうも純文学と通俗文学の峻別のために裏で色々動いていて、そのとばっちりを受けた作家も結構いるのではという疑念も。偉いのはわかってても、ゲートキーパー的に情報を操作してた部分がどうも引っ掛かる。人を繋いでたってことは、選択的に切られていた人もいるはずで…。
 ともかく山口昌男によって大々的に持ち上げられたんで、その後研究は進んでそうやが。

 いや昔は、『鳥留好語』にウエルズが訳されてるとか書いてある本があったんだよ。で、調べると実際に載ってるのはエッジワース=エツゲウオルス→エツヂウエルス→エツチヂウエルズ→H.G.ウエルズ。ばんざーい、ばんざーい。ということだった模様。ま、『鳥留好語』だって確かに昔は現物を見るのは中々大変だった気がする。
 ちょっと魯庵作品で怪しそうなところを見てみるか、と『近代文学研究叢書』のリストを見てたら「巨人談」(<三籟>1893年4月〜7月)ってのがある、なんじゃそりゃ、と見ると、おおっ、「ミクロメガス」やがな。でも当時は誰も魯庵がヴォルテールを訳しているという話を書いている人はいなかったよなあ。
 流石に気がついた人がいたようで、今は『内田魯庵・嵯峨の屋お室集』(明治翻訳文学全集 翻訳家編13)にもちゃんと収録されてるわけですが。

 しかし、その昔の『内田魯庵全集11』の解説、『イカモノ』収録作についての記述を見ると、「原作から自由に翻案しているので、決して登場人物の名前や状況だけを日本化しているのではない。つまり、単行本『イカモノ』にわざわざ原作があることを断らずにすむ筈だが、それを書きつけたのは、魯庵の正直なところである」って何。俺、原作のこと調べてないけど、そのことをわざわざ書いてるのって、これと同じで正直でしょ、褒めてっ、褒めてっ、の意なのかっ。
 ところで、同じ巻に収録されとる「矮人巨人」って、ナサニエル・ホーソンのタングルウッド物語(The Pygmies)やで。
 あとヴェルヌの「2889年」を皇紀で翻訳したヴァージョンを連載していたことで御馴染みの<新国民>には不知庵主人[魯庵]の「貪婪鬼」ってのが載ってるが、これはワシントン・アーヴィングのThe Devil and Tom Walker (『天使と悪魔の物語』に「悪魔とトム・ウォーカー」の邦題で収録されてるやつね)。「矮人巨人」ともども『内田魯庵・嵯峨の屋お室集』の魯庵翻訳リストには落ちてます。

 だいたい皆、おとなしく「ミクロメガス」と邦題をつけてるのに(←いや、とりあえずミクロメガスで探すから、見つかるのもその題のものばっかりなのでわ)、魯庵だけが「巨人談」って、尖がってるなあ。しかも最後の一節、俺が見た他のやつは全部、「どーせそんなことだろーと思ってたよっ」という訳なんだが、魯庵だけが「是れ恰も余が望みしものなりき」という不思議な訳。謎だ。

 <三籟>掲載時の惹句は「万古を凌ぐ文豪ボルテーイルの筆に成りたるものを「罪と罰」との著書に於て世に其大腕を示されたる不知庵主人の訳せられたるもの、大文字八極を穿ち、巨人乾坤に跨る、読み来て地球豆の如し」(本文ではヴオルテール)。
 「無辺際の虚空に懸る一大星あり、名けて狼星(シリアス)といふ。狼星に一人の青年住めり、曾て蟻楼に等しき吾が地世界に遊べる時余は相識るを得たり。名をミクロメガスと呼び、身の高さ二十四哩あり、…」と、シリウスからゼントラーディどころではない無茶苦茶な巨人が太陽系にやってくる話ということは皆様、御存知かと。ま、御存知でなければ現行の岩波文庫『カンディード』は「ミクロメガス」付きなので、中身については、そちらをあたっていただければよいかと。

 シリウスでなくてシリアスって書いてあるので、突然、ヤッホー・シリアスという名前が浮かんだが、なんだっけ、と検索。『ヤング・アインシュタイン』か。しかし、ヤッホーって、Yahooだったのか。

 なお寺田寅彦も明治時代に読んでたらしく、1912年1月の<学生>に載せた「地球の年齢」という随筆のなかで、「ヴオルテールの小説にあるミクロメガスの様に、宇宙間を股にかけて歩く怪物でもあつて地球の誕生から今日まで、其の公転の数を勘定して居なかつた限りは、[地球の年齢を]到底精確に知り難い訳である。」なんて書いてるね。
 ところで、花田清輝は「科学小説」で「わたしが、サイエンス・フィクションの原型を十八世紀の小説に――それも、ヴォルテールの「ミクロメガス」のような小説にではなく、スウィフトの「ガリヴァ旅行記」のような小説に求めていることを意味する。」なんて書いとるな。うーむ、ヴォルテールって、一般的にスウィフトをふまえた小説ってことになってたはずだが、この分け方は何。文脈からすると、ガジェットが出てくるかどうかというところに分岐点があるみたいだが。


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