内 輪   第245回

大野万紀


 寒い日が続いていますが、1月になって、わが家の入居当時から使っているガス給湯器の調子が悪く、ついに蛇口をひねってもお湯が出なくなりました。この寒い時に出たり出なかったり不安定で、風呂にも入れたり入れなかったり。
 修理しようにもすでに部品はなく、買い換えが必要とのこと。バスタブも買い換えないといけないことになって、けっこうな出費です。
 先日、やっと工事ができて、安定してお湯が出るようになり、ほっと一息。
 寒い日にお湯が出るっていうのはすごくほっとすることだと、あらためて思いました。でも、震災の時はこんな状態が2ヶ月近く続いていたというのを、久々に思い出しました。あのころは携帯コンロを使ったり、銭湯へ行ったりして、まあそれなりに対処していたのだけれど。

 それにしてもアンソロジーが多いですね。まるで30年前の洋書SFを見るみたい。これをわずか数人(というか、ほとんど1人)でやっているのだから凄いというしか。このバブルが崩壊しないよう、あんまり無理しないで続けてほしいものです。
 ここのところ、新人作家の作品をいくつか読みましたが、新人だけに弱点はあるものの、みんなとても素晴らしく、将来に期待のできる作品ばかりでした。日本SFは今が春まっさかりですね。この人たちが21世紀前半の日本SFを築いていくんだなと感じました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『スティーヴ・フィーヴァー』 山岸真編 ハヤカワ文庫
 やっぱりこの手のSFが好みだな。SFマガジン創刊50周年アンソロジーの第三弾は〈人類の未来、変容する未来〉というテーマのポストヒューマンSF傑作選。グレッグ・イーガンの表題作やブリン、オールディス、ソウヤーなど12編が収録されている。
 しかし、このタイトルは呼びにくく、書きにくいなあ。スティーヴ熱でもよかったのでは。
 人工知能やバーチャルリアリティ、ナノマシンやポスト・シンギュラリティ、クローン、意識のダウンロードといった、とても現代的な(といってもジョン・ヴァーリイだってそうだから、もうずいぶん昔からあるテーマである。サイバーパンクが始まりというわけではない)テーマの作品群だ。どれもそれなりに面白いのだが、クローンや仮想人格やダウンロード意識に倫理的な問題をからめた作品が多く、そういうのを続けて読むとちょっと疲れる。日常の倫理感との連続からとらえる(だからどっちが本物かといった話になりがち)のではなく、むしろ日常倫理と断絶したところから語られる話の方が、SFとしてはぼくの好みだ。
 なので、ブリン「有意水準の石」やマルセク「ウェディング・アルバム」、アン・グーナン「ひまわり」、ストロス「ローグ・ファーム」のような話が好き。イーガンの表題作も良い。今度のイーガンは何ともおかしみがあって笑える。笑っちゃいられない話なのだけどね。
 巻末のオールディス「見せかけの生命」はちょっと雰囲気が違うのだけれど、いかにもオールディスの遠未来SFだ。正直、ぐっとくる。浅倉訳のオールディスというだけで、もうそれだけでオーケーだ。ちょっと古めかしいところもあるのだが、オーケーです。

『NOVA3』 大森望編 河出文庫
 日本SFオリジナルアンソロジーの第3巻。9編(マンガを含む)が収録されている。
 しかし、このシリーズは本当に質が高い。どの作品も面白く読んだ。
 一番の問題作は瀬名秀明「希望」だろう。これは質量と慣性をテーマとして描いた(特に慣性が重要)作品だ。前半は質量と慣性を象徴的に描く本格SFとして読めるのだが、やがて人の内部と外部のインタフェース(コミュニケーション・ダイナミクス)に主題が移り、宇宙はエレガントではないという、反・万物理論へ、そして反・物理学へとテーマが展開していく。ここに至ると、複雑な気分になる。実在の人物や事象を思わせる内容もあり、どう捉えれば良いか悩む部分もあるのだが、とても衝撃的な作品だといえる。
 円城塔「犀が通る」は喫茶店小説だと編者はいうが、別に喫茶店が主題なわけではなく、いわば「理屈っぽさ」が主題な作品で、その理屈っぽさがとてもSFファンの心を揺さぶる変な方向性を持っている。好きです。
 長谷敏司「東山屋敷の人々」も力作。家族制度と抗老化医療をからめた重い話だが、そんなミームはすでにミームとしての力を失っているのではないかと思ってしまう。
 東浩紀「火星のプリンセス」はNOVA2に載った「クリュセの魚」の続編で、アンソロジーで連作長編をやってしまうのね。前作は文句なく傑作といえたのだけれど、こちらは物語の途中という感じが強くて、もう一つ。何だかマンガかアニメの原作みたい。ディテールはいいのだが、全体としてはあまりにも見慣れた火星解放運動の物語に集約されていきそうで気になる。もう一つ別の、ちょっときわどいテーマも現れてきているが、こっちを大きく扱った方が、21世紀の日本SFらしい気もする。
 谷甲州「メデューサ複合体」は久々の宇宙土木SFで、この渋さがいいね。
 しかし、本書で一番好きな作品は何だかんだいっても小川一水「ろーどそうるず」だ。バイクのAIと研究開発用AIとの対話だけで成り立っている作品で、笑いあり涙あり、ポストヒューマンの、でも人間をサポートするけなげな連中のお話で、思いっきりSFである。小品ではあるが、傑作です。

『原色の想像力』 大森望・日下三蔵・山田正紀編 創元SF文庫
 第1回創元SF短篇賞の候補作品9編と、受賞者の新作1編が収録された、「新人作家」アンソロジー。巻末の最終選考座談会がばつぐんに面白い。ただこれは、収録作品を読んだ後で読まないといけないな。
 収録作はいずれも改稿されているということだが、さすがに読むのが辛いような作品はなく、どれも面白く読めた。
 もちろん好みかどうかという問題はあり、これはちょっと、と思う作品もあった。全体にSF短編集として相応しいかどうかという議論があって、結果的には広い意味でのSFらしさがあればOKとされたようだ。
 例えば、本書の中でも小説的な面白さがずば抜けている(でもちょっと古めかしく、始めは戦前が舞台かと思った)宮内悠介「盤上の夜」は常識的な意味ではSFと呼ばれることはないだろう。選考者の評価が高い高山羽根子「うどん、キツネつきの」もとても面白いのだが、SFというには微妙だ。永山驢馬「時計じかけの天使」はいじめの日常描写がすごく印象的なのだが、SF設定にリアリティがない。しかし、これらはいずれも本書の中で特に面白く読めた小説である。また、笛地静恵「人魚の海」は神話・伝説的ファンタジーで、独特の語り口があり、これもけっこう好みだ。
 問題はやはりSF度が強い、というか、ちょっとエッジのきいた現代SFにチャレンジしたと思われる作品群だろう。亘星恵風「ママはユビキタス」は好きなタイプの作品なのだが、そうなるとあと一息と、注文をつけたくなる。大森望賞の坂永雄一「さえずりの宇宙」は、意図は買うけれど、はっきり言ってこういう文章にはついていけない、というか好きじゃない(あくまで好みの問題だが)。もっと違った書き方をしていれば印象が違っただろう。
 さて、受賞後第1作の松崎有理「ぼくの手のなかでしずかに」だが、ぼくは前作「あがり」よりずっと好きだ。大学の研究室小説であり、はっきりと恋愛小説であるのだが、雰囲気の作り方がとても良い。でも、何で数学SFじゃなくてダイエットSFになるのでしょう。この人ならしっかりした数学SFを書けるんじゃないかと思った。学生時代をちょっと思い出しつつ、気持ちよく読めた。

『シンギュラリティ・コンクェスト』 山口優 徳間文庫
 第11回日本SF新人賞受賞作。文庫で出ていたのでしばらく気づかなかった。
 戦闘美少女がスーパーコンピュータ(何と陽電子頭脳)で宇宙的な危機から人類を救うお話。しかし主に描かれるのはもう1種類のスーパーコンピュータ(人間型をしていない)との宇宙での艦隊戦という、まさにラノベ的、アニメ的なストーリーのお話である。だが、実際に読んでみると、むしろ本格SF、ハードSFとしての作りがしっかりとしていて、オールドSFファンにも面白く読むことができた。
 いきなり、太陽系近傍の宇宙の背景輻射が増大し、宇宙が紫色になるというハードSF的で魅力的な状況が描かれる。このままでは人類は破滅してしまうので、それを解決するためにシンギュラリティを越えるようなスーパーコンピュータを建造し、その能力によって人類を助けてもらおう、というのがエデン派と呼ばれる人々。一方、そんなのに頼らないで(シンギュラリティはそれ自体が人類への脅威だから)人類自らの力で危機に対処しようというのがノア派。両者は対立しており、さらにエデン派の中でも、人間型でない巨大スーパーコンピュータを宇宙空間で建造する一派と、アマテラス(アム)という名の超美少女アンドロイドのスーパーコンピュータを作った一派がある。もちろん主人公はアムで、凄い戦闘能力をもっている。二者は競い合い、さらにはノア派がそこに軍事介入してくる。
 こんな設定の中で、人類の一員としての「人間らしさ」をもったコンピュータであるアムがひたすら戦い、人類と自分との関係に悩む姿が描かれる。スピード感があり、面白く読めるのだが、アニメのノベライズといった感じで、派手な演出を無理やりSF設定したように見えてしまい、せっかくの本格SF的設定がほとんど生かされていないのが残念だ。一番のテーマであるはずのシンギュラリティにしても、それが実際に起こっているのかどうかすらはっきりしない。日本神話を下敷きにしたわかりやすいストーリーは悪くないし、ラノベ的暴走(それがいつでも悪いわけではない)をもう少し抑えるならば、本格SFの書き手として大いに期待できる作者だと思う。

『ミミズからの伝言』 田中啓文 角川ホラー文庫
 タイトルからして脱力するようなダジャレがいっぱいの、ホラー短編集。
 ダジャレがいっぱいでも素直には笑えず、ホラーではあっても怖いというよりは気持ち悪い方が勝つ。実に作者らしい、ぐちゃぐちゃどろどろげろげろ、気持ち悪く、糞尿の臭いたつ、イヤな小説ばかりだ。こんな小説を誰が喜ぶのか、というと、けっこうみんな嬉しがるのだなあ。アホちゃうか。もちろんぼく自身もそうです。本当は作者が一番喜んでいるのだろうが。
 表題作は「水からの伝言」を知らなくても問題なし。しかしイヤな話だなあ。「見るなの本」は学校の都市伝説ホラーで、「兎肉」は仏教説話をここまでぐちゃぐちゃにできるものかとあきれる。「秋子とアキヒコ」はちょっとひねりのあるミステリ風ホラー。「牡蠣喰う客」は作者お得意の悪食もので、おぞましい。「赤ちゃんはまだ?」もイヤなホラーだが、途中からさらにとんでもない話になり、何だこの結末は? 脱力というか、何というか、唖然とする。中編「糞臭の村」は糞尿どろどろの気持ち悪い話だが、話の作りはかなり本格的で『水霊』にも通じる伝奇ものの味わいもある。とはいえ、結末の無理やりさはやっぱり脱力だ。何はともあれ、心して読むように。人に勧める時はよーく相手を考えて勧めないと、人間関係が壊れます。要注意です。


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