ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜038

フヂモト・ナオキ


ロシア編(その四) ジム・ドル(マリエッタ・シャギニヤン)/広尾猛訳『メス・メンド』Месс-менд, или Янки в Петрограде(Mess-Mend, ili Yanki v Petrograde)(1923)

 『メス・メンド』に言及したまとまった文献というと、長谷部史親氏の『ミステリの辺境を歩く』アーツアンドクラフツ、2002ってのが、あるね。
 粗筋紹介とか中身については、そちらに当たっていただくということで。と、手を抜く。
 ま、職工長ミックの元に労働者が団結して資本家と闘う話やね。ともかく組織された労働者は、こっそり自分の手がけた製品に勝手に特殊な機能を加えるわ、バックドアを仕込みまくるわで、組織員の手が入った建物は合鍵で侵入し放題、下手すると建ててる間に組織専用の秘密通路まで完備させちゃいます。でも、組織されてない壁紙とかが貼ってあると盗聴ができなくて不便。
 ヘンな人類退化説が唱えられていたりするところが見どころ?

 邦訳は1928年『革命探偵小説 メス・メンド』ということで世界社からパンフレットっぽい分冊形式(通頁になっている)で登場。
 第1巻/復讐の仮面、第2巻/記号の秘密、第3巻/戦闘準備、第4巻/獄中の屍体、第5巻/ラヂオの都会。と、五冊までは確認できるが以降の物については現物が残っているという話を聞かないので中断した模様(予告されていたのだと、6巻/敵と味方、7巻/黒い手、8巻/天才探偵、9巻/洋鬼の襲来、10巻/ソヴェト爆破)。

 世界社版の新聞広告を幾つか拾ってみよう。

最新刊 ジム・ドル原作 広尾猛訳 【全廿巻】 
メス・メンド 一名 『ペテログラードの洋鬼』 第一巻―『復讐の仮面』定価金卅銭|送料金二銭 第二巻―『記号の秘密』定価金廿五銭|送料金二銭 第三巻―『戦闘準備』以下続刊 全露のフアン狂喜喝采!出版旬日百万部を売り尽し、今や全世界を衝動す。革命の生んだ、とても痛快な新奇な探偵大衆文学だ。作中レニンも出る、ムツソリニーも出る、仮面の美人も出る。痛快!々々! <東京朝日新聞>1928年4月19日
 ロシア大革命の生んだ探偵映画小説だ。とても痛快な大衆読物だ。ブハリンが作者だと云はれてゐる。プロ文学と大衆文学とを合流させた大規模な、独創的な、深刻な、怪奇な、面白い第一の大作だ。
 作中のモデルには、レニンも出ればムツソリニーも出る。ロツクフエラーもコロンタイ夫人も出る。百万のニユーユーク児を驚倒悩殺した仮面の美人も出て来る。
 出版と同時に百万部を売りつくし、全露のフアンから熱狂的歓迎を受け、今や世界の大衆文学界に一大旋風を捲き起こしてゐる。今までざらにあつた世界大衆文学とは似てもつかぬ不可思議な読物だ藤森成吉、白柳秀湖、蔵原惟人、村山知義、鈴木厚、葉山嘉樹、本庄可荘、橋爪健、木村毅の諸氏悉く感歎激賞す! <読売新聞>1928年5月4日
 フランス大革命は巌窟王をうみ、ロシア大革命はメス・メンドをうむ。大規模のローマンスで綴られが痛快な、清新な、革命的な、大衆に喰ひ入る行動の小説!作者はブハリンだ。レニンをモデルとした労働者ミツクの活躍は目ざましい!
第一巻…復讐の仮面 第二巻…記号の秘密 第三巻…戦闘準備 第四巻…獄中の屍体 第五巻…ラヂオの都会 各冊 定価三十銭 送料各二銭
<東京朝日新聞>1928年6月30日

 木村毅が<読売新聞>に書いた記事から一部分。

併し本文に入つてからは少しゴタゴタした、目まぐるしく局面が転回する。前の人物と後の人物との連絡がつかない。そこで私は一時中途で投げ出さうかとさへ思つたのだが、所々非常に光つた物があるのに引かれて、終りまで読み通した。読み通して行く中に、人物にも一々連絡が付いて来た。そして私は読了していいことをしたと思つた。わが国の大衆文学は今行き詰まつてゐると言はれる。私はどうあつても大衆文学を無産階級文学と連絡させたいと思つてゐる。その際にかうしたロシアの、レニンがモデルにされたり、作者としてブハリンが擬せられたりしてゐるやうな大衆文学が紹介された事は非常な暗示になる。(「寓目抄(完) メス・メンド」4月20日)

 あんまり、ほめてないよねえ。しかもこの時期だと、ゲラで読んでいるの? ほとんど最初の方しか出ていないよねえ。<大学左派>1巻1号:1928年7月の随想欄に出た加賀迪雄「メス・メンド」評は二巻までの感想だったよ。

 本国の分冊版の装丁はロトチェンコ Aleksandr Rodchenko がやっていて、その画像はニューヨークのMoMA(The Museum of Modern Art)のデータベースで見られる。いまいち使い方がよくわからず、ただMess Mendで検索してもうまく10冊分は表示させらなかったんだが、Aleksandr Rodchenko作品の一覧ページ(バーをスライドさせて下さい)だと10冊とも見られる。

 分冊版の中絶の翌年末、普通の単行本として『メス・メンド 第1巻 職工長ミツク』が登場する。これはソビエト連邦じゃ映画が大ヒットだせっ、と売り込んだのか。<東京朝日新聞>の杉本良吉「映画と映画」では「「パチュムキン」は二百十万「メス・メンド」は七百九十六万の観客を一年の間に吸集して、」(1929年11月3日)とか書いてます。「パチュムキン」って、ポチョムキンのことだよな。その三倍以上の観客動員を記録してたんやね。
 奥付だと12月20日発行なわけだが、杉本の記事が出る以前に話はすすんでいたようで、<読売新聞>が夏場に行った「この秋にはどんな新著を何を選んで出版しますか」というアンケートで、同人社は「労農探偵小説メスメンド叢書「職工長ミツク」」を挙げている(8月28日掲載)。
 この昭和四年版は表紙等だと「希望閣・同人社版」となっているんだが、これが正しく共同出版で同一発行日同一印刷者ながら奥付が希望閣書店となっているのと同人社書店となっている二種類があるのでややこしい。
 納本された内務省では、18日に希望閣書店、19日に同人社書店のが届いて、同じ本やが発行者が違っとるのお、とかいってた模様。後者が帝国図書館へ行って、国会図書館に現存しとるんやが、希望閣は内務省でうやむやにされたのか、帝国図書館でダブリ本扱いでうっちゃられたのか不明。
 1巻とかいってるので、3冊とも出す気だったのか。分冊版では中途半端になっていたお話が完結したのはいいけど、結局正編一冊しか刊行されません。しかし、広尾猛(大竹博吉(1890〜1958))先生はめげません。1931年3月、ソヴェト・ロシア探偵小説集として『メス・メンド』正編、職工長ミックの巻、続編、鉄工ローリーの巻、内外社から同時刊行ですってよ。
 ちなみに、鉄工ローリーの巻が続編のLori Len Metallist[Laurie Lane, Metalworker](1924)の訳で、兵器利用すると凄いことになるという新元素をめぐっての闘いの話なんですが、世の中は新兵器で変わるのではなくて、人民の力で変わるんだ、みたいなオチ。続く第三部はDoroga v Bagdad[The Road to Bagdad](1925)。

 新聞広告はこんな感じ。

ソヴェト・ロシア探偵小説の第二弾!!
メス・メンド|職工長ミツクの巻 続メスメンド|鉄工ローリーの巻
読みはじめたら読み終るまで眠れないといふ本はまたとあるものではない――メンド・メス―メス・メンドこの「山と川」との合言葉で結ばれたメス・メンド組合は全世界を舞台にして暗殺―追跡―闘争―男―女―葛藤を展開する! まづ店頭で立ち読みしたまへ! 作者ジム・ドルは世界中で疑問の人物だ。ムツソリニ、ルデンドルフ等の世界的政治家は、ジムを見つけ次第直ちにぶち殺せ!などとどなつてゐる!
ジム・ドル著・広尾猛訳 メス・メンド 五百頁・四六判・素晴しい装幀 上下各冊一円(送料十銭) <読売新聞>1931年3月14日
ソヴエトロシア探偵小説
全世界の政治家はいふ
ポアンカレー(仏蘭西)「ナゼ国際連盟がジム・ドルの小説のがときアンチ・アンチパーチーな文学を取締る規約を設けなかつたのか」
マクドナルド(英国)「まだ遅くはない、ドルに大臣の椅子を与へよ、――これが私の意見だ!」
フーバー(米国)「清新だ! 溌剌たるものだ! 政府はあとで誤解が起らない為にジムの石油政策に関する点を資料として保存の必要あり」
ルデンドルフ将軍(独逸)「ジム・ドルの小説に就ては、これがアベコベに書かれたものだつたら我国で大いに歓迎すべきものだらう。だが自分は彼を電気椅子にかけることが出来たら、大賛成である!」
ピルスドスキー元帥(波蘭)「ジムが貴族出身であつたとしたら私は彼に決闘を申込むであらう」
ムツソリニ(伊太利)「ジムが小説の中でやつてゐる皮肉は愚劣だ、どんな馬鹿者でも吾輩がグレゴリオ・チツチエに似てゐるなんていひはしまい!」
これほど痛快な小説はまたとない! なにはともあれ店頭でなりと手にとつて御覧下さい! <東京朝日新聞>1931年3月17日

 本の巻末にも同じような広告が出ているんやが、そこから新聞で略されたスターリンの言葉(…はいふだらう←って、実際には言ってないのか)として紹介されている一文を引いておこう。
『メス・メンドを読まない奴は馬鹿だ!』

 当初ジム・ドルの正体はブハーリンだとかいろいろ噂されていたのだが、昭和4年版の「合本版への訳者のことば」には「シャギニャン女史だといふ説がある」と記されているが確証は得られていない。ようやく昭和6年版の「訳者のことば」で「モスクワの対外文化聯絡協会…解答をあたへてくれた。」と、その正体がMarietta Sergeevna Shaginian(1888〜1982)であることがあきらかにされたのであった。

 ともかくプロレタリア文学の人たちは、プロレタリア階層にアピールするもんを書かんといかんしなあ、といって、大衆文学の研究にとりかかり、その中で本場でウケてるヤツ、ってことで『メス・メンド』は注目を浴びたという。
 で、徳永直も『太陽のない街』を書くにあたって参考にした、って、そんなオモシロな本なのかっ>『太陽のない街』。
 「「太陽のない街」は如何にして製作されたか」では、こんな風にいってます。

「労働者は多く、どんなものを読んでゐるかと云ふことを考へなければならぬ。先ず第一に、キング、富士と云つた講談社ものから、朝日、文芸クラブと云つたやうなもの、…私は、ロシアの大衆的支持を受けたといふ「メス・メンド」を読んだ。それから、グラトコフの「セメント」を読んだ。そして私は、従来創作人が執つた、思索、瞑想と云つた態度を、全然捨てた。」(『プロレタリア芸術教程 第三輯』1930年)

 もっとも、すぐに自己批判してるんやけどね。

「探偵小説では、ソビエートの探偵小説で『メス・メンド』が示してゐるので明らかなやうに、あの中から階級的に啓蒙されることも、アヂられることもないのだ。吾々が探偵小説をつくつたところで、貴司や其他の人がいふ『政治的必要』にこたへることは絶対に不可能だと私は思う。」(「大衆文学形式」の提唱を自己批判する」<プロレタリア文学>1932年5月)

 小林多喜二も、「メス・メンド」に言及してたりするんやが、こーゆーものは恥ずかしいものとして、なかったことにされてきたのかのお。まあ、今ならかえって、眼をひくためにヘンなものが取り上げられたりするので、プロレタリア文学研究云々で、こっそりリプリントすれば、ミステリの人やSFの人に、そこそこ売れるのでは。

 前田河広一郎は「神聖冒涜の小説―「シュベイクの冒険」(下)」で、『メス・メンド』に言及。

「何人も、この物語を読んで思ひ出すのは『メス・メンド』であらう。それは、この作者の持つ通俗性からである。だが『メス・メンド』が、どことなくぎこちなく非人間的であるに反して、この作には深いヒユーマンネスが在る。」(<読売新聞>1930年6月7日)

 やっぱりほめてないよ。たははは。


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