みだれめも 第204回

水鏡子


 最近ルビコン川を渡ったという人がいた。「るびこん!」という記念ファンジンを入手した。柴野さん浅倉さんが亡くなられたり、大病を患う同年代の友人知人も増えてきてなんとなく何十年変わることなくあたりまえに思えていた風景も移り変わっていくものなのだなあと思いをあらたにすることが増えた。そんなことどもに必ずしも触発されたわけではないが、ぼくも別の川を渡ることにした。

 自分の人生設計のなかで、どこかで親の介護が中心になる時期があるという計算があった。
悲壮な覚悟といったものではなく、ごくあたりまえの来たるべきもの。何十年も学生時代の延長みたいな生活を続けた人間が支払うべき当然のツケであると思っていた。
 同時に5年が限界かなという冷たい思いもあった。
 嫁さん子供の類がなく、兄弟親族とも遠く離れて暮らしているので、最終的に自分一人で介護し、ヘルパーを雇うしかない。介護費用として月30万、年間で生活費と合わせて600万程度の支出が必要だろう。これでもたぶん甘い目算でないかと思っていた。
 5年というのは、心身の疲労・摩耗に耐えられる期間、預貯金の枯渇を重ね合わせた限界だった。5年過ぎれば、資産は枯渇し、自分と親との年金だけで生活するしかないだろう。それ以上に心身の摩耗の方が先にくる可能性がある。いずれにしても、長期的な将来設計は、この時期を過ぎないことには計算できないと考えていた。

 3年前にその親が亡くなった。

 風邪をこじらせ、ほんの数日、医者通いもままならないまま亡くなった。
 亡くし方に悔いる部分は多々あるのだけど、結果的に想定していた最長の5年間が消失した。逆にぼくと同様の懸念を抱えていた親も、そういう事態を想定し生活費として渡していた額から相当部分を貯えに回してくれており、介護想定資金をまるまる自分の人生設計に活用できる余剰ができた。
 生まれて初めての一人暮らしはそれなりに新鮮だった。ものめずらしさも手伝って、いろいろ遊んでみたりもしたが、根本的に甲斐性なしなので、遊びのレベルがとにかくせこい。スーパーの半額タイムサービスや100円の古本漁り、株主優待狙いの外食株の購入などなど。
 この前、古着屋を初めて覗いて、上着一律300円、ズボン一律200円とかいった値付けに驚く。家の中にまだ着ることができる服があるので、ネクタイ(50円)を5本ほど買うにとどめたが、活用すれば、新品で買うしかないシャツ・パンツといった下着類の半額で賄えることがわかった。中古ゲーム屋では、屑カードを大量に仕込んでいる。最近の収穫(?)はリセ・カード(ブロッコリー系列の美少女ゲーム系カード)約1万枚を3,000円弱で仕入れたこと。買って帰ったカードの種類分けに数十時間を潰してしまい、こんな人生でいいのかと自問自答したりした。
 とりあえずわかったことは、本を千冊買い込み、パチンコに百数十時間、年に4,5回遠出(SFセミナー、SF大会、京フェス等々)をし、ゴミ買いを繰り返し、毎週大阪まで例会に足を運ぶといったつつましい生活を送るのに、インフレ・事故・大病といった激変状況に見舞われない限り、年間300万円(税込)あれば暮らしていけるということだった。

 川を渡ることにした。

 今年度を区切りに仕事を辞めることにした。

 転用可能になった介護費用を親からの最後の贈り物と思い、当座の生活費用に充てながら、趣味ざんまいの生活をしてみたい。気力体力にまだゆとりのある50代の間にひとつ仕事を仕上げてみたい。なまけぐせの塊みたいな性格だから、日がな一日寝転がってコミックとラノベを読む生活になったり、デイトレードにうつつを抜かしたり、さらにはパチンコ漬けとかいった道も、うっすら見える気がするけれど、そこはそれ、定年まで勤めあげるつもりであった時間について親が買ってくれた大切な時間とみなすこと、それにこうしてこういう場所でなんかやります!と表明することによる縛りなんかを支えに、気負わず自然体にかつ前向きに遊んでみたいと考えている。
 酒色に溺れる心配はたぶんない。スーパーのタイムサービスを趣味としている人間が酒で身を持ち崩すことはないし、メイド喫茶はおろかアニメ、映画類ですら、向こうのリズム、時間支配に合わせる必要性に若干不満を感じる性格からして、まず関わることはないはず。そもそも年額300万円の上限を踏み外すことができない甲斐性なしの性格は、現状生活にそんなものを加える余地を生みだせない。「もののはずみ」というのがまるっきりないとはいえないけれど。
 「飲む」と「買う」は怖くないけど、やっぱり問題は「打つ」である。株、競馬、パチンコ、宝くじ、(福袋)、その他のバクチ系。
そもそも中古屋での安物買い自体が、ばくち好きの性格の補償作用みたいなものである。冒険心のなさ、甲斐性なさが、大けがを避ける方に出るだろうと思ってはいるのだけどね。
 たぶん競馬、パチンコは怖くない。給料収入がある状態でも被害額合わせて年額50万円を超える度胸はなかった。定期収入が入ってこないとなると、おそらく縮小方向に向かうことだろう。危険性の高いのが株遊び。現金勝負をしているので、借金生活の心配はないが、資産の大幅減と時間の無駄遣いの可能性が常にある。昔コナミで大けがをしたのが、最近そこそこ好調で、通算収支はほぼトントン。へんに自信をつけているのがかえって危険。
 本を作りたいという気もちは、親が亡くなり自分一人の身の振り方だけ考えればよくなった直後から、一定の思いとして培ってはきた。腹案はいくつか持ったりもした。ただ、前著を出して20年。自分の劣化度、手持ちネタの腐食老朽化、ネット情報の高度化、等のなかで、能力的に可能であって、面白がってもらえて、一定の売り上げが想定できる、製作可能な本のイメージを浮かべることができないでいる。当面ここ半年くらいは頭の中でほわほわともてあそぶだけであると思うのだけど、2年をめどにかたちを整えられればとのんびりかまえてみるつもり。興味があれば声をおかけください。

北方謙三『楊令伝』が完結した。『水滸伝』に比べて金国、西夏まで広げた地図と楊令の超人ぶりに当初小説として粗すぎる感をもったが、江南の宗教一揆、呉用/方臘編の鬼気迫る展開から小説に大きく色つやが増した。個々の人物像に焦点が強まった分、『水滸伝』と比較して、結果的に描き切れない、語り残した部分は多いが(とくに李富と青蓮寺にかかる物語など)、小説としてはこちらの方が好ましい。後半出現する自由市場による梁山泊の盛隆と南宋瓦解の絵図面は、出色のユートピア小説という見方も可能で、今年のSFベストに押し込もうかと本気で悩んだくらいだ。
 ただ、これで完結ではないだろうと思う。小説の作りに、大きなちがいが生じたが、『水滸伝』と『楊令伝』は宋江の死で区切られた地続きの物語だ。最終巻のたたみ込みの余韻の薄さは『水滸伝』のときと同じで、日を置かず『岳飛伝』が立ちあがるとみてたぶんまちがいな。生き残った面々に再び相まみえることを心して待つ。

籘真千歳『スワロウテイル人工少女販売処』。食指をそそらないタイトルにセクソイド系の量産品と決めつけてスルーしていたのだけど、京フェスで聞いていると評判がいい。読んでみたら傑作だった。作り込まれた設定の中で魅力的なキャラが飛び交う。揚羽もいいが、鈴蘭がいい。赤色機関の扱い方が好ましい。
 第3部がせわしない。かといって、盛り込みすぎで、これでも長すぎるといった意見もある。謎解き部分であるけれど、1部2部にエピローグをつけ、1冊本にしたうえで、椛子視点を多用してスケールアップした別枠本として、2部作にしてもよかった気もする。
 うーむ。やっぱり1冊本の方がいいか。


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