内 輪   第241回

大野万紀


 東シナ海波高し……。それはともかく、延々と続いた猛暑の後は急に寒くなって、もうわけがわからない。
 先月、地デジ対応のレコーダを買い換えた話を書きましたが、ついにTVも買い換えました。29インチブラウン管から42インチ液晶へ。ついでに故障していたミニコンポも、CD、MD、カセット付きで、USBメモリへ録音・再生ができるミニコンポへ買い換え。近所の電気屋が閉店セールで在庫一掃大安売りをしていたせいもあるけれど、一気にわが家のAV環境はリニューアルされました。しかし、以前の29インチブラウン菅TVも一応ハイビジョン対応だったとはいえ、大画面で見るとさすがに違いがはっきりわかる。もうSDには戻れない感じです。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』 中村融編 ハヤカワ文庫
 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジーの第一巻は、宇宙開発SF傑作選。表題作始め、7篇が収録されている。
 宇宙開発というだけで、すでにレトロなイメージがあるが、ぼくの場合、まさにツボである。編者よりは一回り以上年上なのだけれど(アポロ11号は高校1年生だった)、自分でもいっぱい資料を集めた口だ。実は11号より8号の方が好きだったのだけれど。
 本書の作品の多くが、あり得たかも知れないもう一つの20世紀を扱った改変歴史ものである。決して宇宙開発バンザイではなく、政治や社会や差別などの重い背景をベースに、それでも宇宙への眼差しを――人間の持つひとつの性向を肯定し、その思いに共感し、勇気づけ、感動を呼ぶ作品がほとんどだ。センセーショナリズムに満ちた反科学的なアメリカで、グレイそっくりに生まれて好奇な視線を受ける主人公が、火星をめざす表題作(アダム・トロイ・カストロ&ジェリイ・オルション)もそうだし、ソ連の宇宙開発史に詳しくなければ史実と虚構の差が微妙すぎて、ほとんどノンフィクションのように読めるアンディ・ダンカン「主任設計者」もそうだ。火星でヴァイキング探査機に出会うエリック・チョイ「献身」や宇宙好きな少年の成長物語である「月をぼくのポケットに」も同様である。宇宙開発がアポロの時代からそのまま発展していく素晴らしい20世紀を描いたウイリアム・バートン「サターン時代」は現実との違いを思い知らされるだけに、SF作家や有名人が登場して微笑ましいにもかかわらず、もの悲しさを感じさせられる。本書の中で独特なのは、やはりバクスターだろう。クラークとの合作「電送連続体」は、何とまあ物質電送機を20世紀に実現してしまう。本書のリアリズムあふれる作品の中で、このSFっぽさはユニークに見える。同じアイデアから、6つの並行世界を渡り歩く宇宙飛行士を描いた「月その6」も、失われた宇宙開発の夢が亡霊のように立ち現れ、本格SFの味わいと、深い切ない喪失感を味あわされる傑作である。宇宙オタクの一人として、感動的な話も大好きではあるが、バクスターの視線には強い共感を覚える。

『どろんころんど』 北野勇作 福音館書店
 福音館書店のボクラノSFシリーズの1冊だが、別に子供向けというわけでもなく、しっかりと本格SFしている。
 アリスが目覚めると、世界はどろんこになっており、人間はおらず、泥人形のようなヒトデナシたちが人間の真似をしている世界だった。アリスはセルロイドという一種のアンドロイド。展示会で商品の説明をするのが仕事。今回の商品は亀型ロボット、レプリカメの万年1号。言葉はしゃべらないが、2足歩行し、子供を守る子守ロボットだ。しかし、この世界に観客はおらず、ヒトデナシたちがいるばかり。どうも機能停止している間に何百年もたったらしい。
 というわけで、アリスと万年1号と、ヒトデナシの係長との奇妙な3人組で、このどろんこ世界を巡る旅が始まる。こここは何とも不思議な世界で、不思議なことがいっぱいだが、どことなくレトロな寂しさが漂っているのは、いつもの北野ワールドである。バーチャルリアリティとか、泥の世界に多重化された波となって存在しているものとか、SF的なアイデアもたっぷりあるが、何よりこのむなしさ――仕事とか、生きる目的とか、そういうものがリアリティを失ってしまった時の、もの悲しさが、全編を覆っている。アリスは基本的に前向きだが、つきまとう喪失感が胸に染みる。
 鈴木志保のイラストと、所々のタイポグラフィも面白く、効果を上げている。おじさんにはじんわりと来るいい話なのだが、若い読者、特に子供たちにも楽しめるのかなあ。ちょっと心配。カメがけっこうかっこよく活躍しているから、大丈夫かな。

『アリスへの決別』 山本弘 ハヤカワ文庫JA
 書き下ろし1編を含む7篇を収録した短編集。
 SFには社会批評の力がある。ある種の傾向を極端化したり、エクスポラレーション(もし〜だったら)や相対化、思考実験をすることにより、社会の変化や深層に潜むもやもやとしたものを暴き出す力がある。とはいえ、SFファンにはまた、あからさまなプロパガンダや政治的主張には顔をそむける傾向がある。絶対より相対を好むということだ。けれど、いざ外部の力が自分たち自身に向かってくるとき、そんなに達観していられるものか。
 というわけで、本書はかなり政治的主張の強い短編集となっている。東京都の「非実在青少年」問題や、ネットでの排他的、差別的言論、反科学や多数の暴力といったものに、批判の矛先が向けられている。書かれている主張に特に異議はないのだが、何編かではその思いを語るのに小説としてのバランスを無視しているところがあり、それはやはり醒めてしまうといわざるを得ないだろう。しかし、そのことを強調するのは片手落ちだ。本書にはまた、まさに「非実在」対「実在」、「虚構」と「現実」という大きなテーマがある。作者はフィクションに現実と同じだけの「リアル」を託しているのだ。そこで、本書には、きわめてディック的というべき、悪夢やパラノイアックなイメージが漂っている。以前、飛浩隆『ラギッド・ガール』について、小説の登場人物であっても、読者が感情移入して読むとき、彼/彼女には意識があり生きているのだ、と書いたことがある。本書でもまさにそのモチーフが描かれており、とりわけ「オルダーセンの世界」と「夢幻潜行艇」の2篇は興味深い。作者はここで〈亜夢界〉という魅力的な舞台を見いだしている。量子力学的なタームを使いながら、フィクションの世界とリアルの世界が、あるルールの下に混じり合う世界。夢オチやご都合主義の合理化が可能な世界でもあるが、決して何でもありというわけではない。ドリーム・ハンターものや「インセプション」や、そういう作品を思わせる言葉ではあるが、むしろサイバー・スペースのように、新たな世界を創出する大きなアイデアの一つであるといえる。ちょっとララ・クロフトを思わせるヒロインのシーフロスもかっこいいし、このシリーズはもっと読みたい。

『天空のリング』 ポール・メルコ ハヤカワ文庫
 ローカス賞の第一長編部門を受賞したアメリカの新人作家の初長編。
 SF的な設定が面白い。赤道上空に地球を一周する巨大なリング状構造物を構築した未来の人類。それは〈共同体〉と呼ばれる人類とAIが融合した知性体だった。ところが30年前、〈共同体〉の人々は突然死に絶える。〈共同体〉の外にいて生き残った人々はそれを〈大移住〉と呼び、彼らはシンギュラリティを越えて肉体を捨て、超越的存在になったのだろうと噂した。荒廃した地球の文明を再建したのは、ポッドと呼ばれる2人から5人で一体の人格を形成する(一人一人の人格も残っている)人々による〈統制府〉だった。遺伝子工学から生まれた彼らは、匂いによって互いに思考を交換し、まるで集合知性のようにふるまうことが出来るのだ。
 主人公たちは宇宙船船長になるべく育てられていた5人ポッドのアポロ。知性担当のモイラ、力担当のストロス、器用さのマニュエル、会話が得意なメグ、数学的思考が得意なクアントの、それぞれ特殊な能力を持つ5人で1人の少年少女たちだ。こういうのって、わくわくするよね。スタージョンの『人間以上』であり、石の森の『サイボーグ009』だ。ストーリーは彼らが訓練中に事件に巻き込まれ、宇宙空間からアマゾンの奥地、さらにアメリカの荒野やアフリカの砂漠を駆け巡り、恐るべき陰謀から地球を救おうとする話。と要約しても間違いじゃないと思う。
 まあ、設定が魅力的なわりにはストーリーがとっちらかっていて、枝葉が刈り込まれていないし、敵はかなりなおバカさんなのかと思わせるヘンテコな行動もあって、正直ちょっと残念なのだけれど、いや、これはこれでいいんです。力は強いがすぐ気絶するストロスや、ちょっと引きこもり気味で、何でも数学的構造に見てしまうクアントが印象的で、面白く読めた。最後に出てくる(やっぱり)リングのAIも、なかなかかっこいい。


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