ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜035

フヂモト・ナオキ


ドイツ編(その十二) ワルテル・バーゼンクレーフェル「ペスト/黒死病」(Die Pest : ein Film (1920))

 Walter Hasenclever(1890〜1940)、戦前はハァゼンクレヱフェル(ハーゼンクレーヘル、バーゼンクレーフェルetc)という表記だが、戦後だとハーゼンクレーヴァー(ハーゼンクレーバー)。
 戦前と戦後でドイツ語表記が結構違ってるような気がするが、そこで知識の断絶が生じてたりはせんのか?
 基本、戦後の研究者も、戦前教育を受けた人に教えを受けとるはずやから、連続しているはずなんやが、なんか「ハーゼンクレーヴァー」について書かれた論文を見ると、だいたい「バーゼンクレーフェル」として読まれて来た歴史はなかったことになっているような…。単に昔のことに興味がないだけかもしれんが。
 ま、ベッヒャーについて書いている人が、ベッヘルを無視しているようにみえるのはドイツが東西に分断されたことも関係してそうやが。

 ふむ、軍事クラスタだとモーゼルがマゥザー、ザウエルがザゥアーとか、ティーガー/ティーゲル、パンター/パンテル問題が生じてたりするの?
 これって何なんだ。と、そこはかとなく思ってたわけですが、ははあ、−er、−rの発音が変化していて、アメリカナイズ云々といわれてるのか。
 見た目の変化にひっぱられ、あるいは検索に引っ掛からないということで、いろいろなかったことにされがち、というか折角、埋めてあるのに何で掘るんだよっ、なの? すいません。

 で、ハアゼンクレエフェルが2000年の未来を舞台に描く、破滅映画の脚本が Die Pest : ein Film (1920)である。

 邦訳はこんな感じ。

 秦豊吉訳「ペスト(表現派映画脚本)」
<演劇新潮>新潮社、1924.11.1(11月号) 所載
 小山内薫訳「黒死病(五巻の映画劇)」
『人間 他決定黒死病』金星堂、192[5].6.25(先駆芸術叢書10) 所載
 麻生義訳「黒死病 映画劇」
『戯曲集 世の救済者』至上社、1925.10.19 所載

 一年の間に三種類も訳が、って君ら、どんだけPestが好きやねん。
 なお、単行本版の巻末付記を訳してるのは麻生義のみなので、引用しておこう。

黒死病は書物の形に印刷された最初の映画脚本です。これは草稿として存在するものです。この本と同時に、番号をつけ、且作者自身の署名をしブツテン紙の印刷された特製本が世に出てゐる筈です。この二種類の印刷物に関する処分方法については、ライプチヒのPoeschel und Trepte出刷所に処置をお願ひしました。

 <演劇新潮>の編集後記には「翻訳には在伯林の秦豊吉氏からハアゼンクレヱフエルの「ペスト」の寄稿を得た。映画脚本ではあるが、表現派の重鎮としての彼の特質を知るに足る傑作である。」とあり、その新聞広告につけられていた惹句は「独逸表現派の映画脚本。本国に於いて好評を博しつつある名篇。日本映画界に対する頂門の一針であらう。」だった。
 で、これを読んだ井東憲、「これはワルテル・ハアゼンクレフエルの作を、秦豊吉氏が訳されたものだ。なかなか面白い。機智縦横といふ観がある。かかるものを紹介した時は、翻訳者はほめられていい。」なんて書いている。
 あれれっ、小山内先生の本は奥付だと大正13年6月25日の発行になっていて、図書館の目録等もそれに準拠して『人間』は1924年の本扱いになっている。なもんで、最初、井東憲の感想に違和感を持ったんやが、調べると金星堂の本は大正14年を誤植して13年としてしまったものと結論づけて良いようです。いや、油断も隙もあらへんのお。

 それはそうと、空に彗星、破滅の予兆。そして船を舞台に次々と人死に。それから舞台を陸に移して疫病の広がりが描写され、劇場での踊り子と貴族の間に死が。そして発明家とその発明を巡っての資本家の暗躍とカタストロフ。そして最後の場面は火災…なんてものを、今読めば、クリシェの連続のような作品に見えるんやが、これが評価されていたとはねえ。アーキタイプってこと? それに同時代の話にしてもええ気がすんのやが。2000年を舞台にする理由もよくわからんのお。

 ともかく、ヤセンスキーにデルテイユにハアゼンクレエフェル。ほんま「黒死病」人気やねえ。ブリューソフも本来は系統を異にしているはずなのに、スペイン風邪の猛威を背景に、疫病パニックものとして、他国で受容されとるみたいやし、いっそ黒死病アンソロジーを出してはどうか。もちろん、タイトルは『黒死巻』。←それがいいたかっただけやな。


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