続・サンタロガ・バリア  (第89回)
津田文夫


 生協のオンライン書店を使えば5%引きだというので9月半ばに大森望『狂乱西葛西日記20世紀remix』を注文したら「お取り寄せで何時になるか分からない」とのお返事。その後月末の配達になりますということに。オンライン書店で新刊がこんなに遅いのではちょっと使えない。

 久しぶりにピンク・フロイドのベスト盤を聴きながら、やっぱり自分の好きなプログレとはなんかこう違うんだよなあ、という感覚がつきまとう。これだけ時間が経った後に聴いているとギルモアのブルース・ロックっぽさが目立つ。演奏それ自体は面白いんだが、ギター・フレーズがブリティッシュ・ブルースの流れから派生した音楽に聞こえるのだ。ピンク・フロイドの基本的なコンセプトはリズムも歌詞もウォーターズにあって、ドラムやキーボードはそれを実現するためにあり、そこにはブルース志向な発想はないように見える。ギルモアのブルース・ギターは音響的異物として存在することでサウンド全体をポップにしているのかもしれない。そんな感想とは別に『狂気』に入っていた「マネー」や「タイム」を聴いていたら、中学生の頃親父のレコードで聴いていた、戦後のボストン・ポップスの人気作曲家ルロイ・アンダーソンの「タイプライター」と「シンコペイテッド・クロック」を思いだし、何十年かぶりにCDで聴いてみたら効果音の使い方としてはとってもよく似ていることに気がついた。いくらなんでもそれはないよなと思うけれど。

 最近はyoutube でいろいろ昔の曲なんかを探して見聴きしているのだけれど、御年17才のジリオラ・チンクエッティの映像を見てウルウルしたりしている。歳だねえ。そんな中、Jad&Den Quintet というフランスのチェロ入りジャズ・クインテットが演奏するELPの「トリロジー」を発見。エマーソンのつくるメロデイがいかにジャズ・イディオムによくハマるか驚くほどで、ここ1週間毎日聴いている。もちろん歌もオリジナル通り歌うが、女性ボーカルがメチャクチャ上手いスキャットでエマーソンのフレーズをなんなくこなしてしまうのは、何回見てもあきれる。まあ、ジャズ・スキャットの超絶技巧ボーカルっていうのは昔からあったけど。Jad&Denはイエスの「ロンリー・ハート」もやっているけれど、こちらはもうひとつ。うむ、贔屓目かもしれない。

 ということで、大森望『狂乱西葛西日記20世紀remix』は未だ読んでいないのだけれど、『本の雑誌』で大森望の評点がとても低かったロバート・チャールズ・ウィルスン『無限記憶』は、やっぱり評価が低い。ヒロインとその相手役と前夫が織りなす恋愛とかサスペンスとかのストーリーはなくてもよかったんじゃないのかね。「仮定体」と「新世界」、「第4期」人と「実験体の少年」で十分面白い話が作れたとも思う。ロワチーの続編やスコルジーの続編よりは期待してたけれど、最初に手を出したというその期待値が高過ぎたか。

 ハヤカワSFシリーズJコレ、岡田剛『ヴコドラク』ははじめて読む作家。『準回収士ルシア』のひとだったのね。人狼ほかのヴァンパイアが主役で狂言回しの主人公が電子の世界を立体的に知覚できるという生身の女性エージェントという組み立て。ヴァイオレンス・アクションたっぷりな上、恐ろしくシリアスに書いてあるように見えるが、やや上滑りな感じもする。作品として出来は悪くないけれど、Jコレで読みたい話かというと違うような気がする。単独で46判のソフトカヴァーで出した方が良かったんじゃないかなあ。まあ、そんな形で出されたら読んでないかも。

 そのまま次なるJコレ、長谷敏司『あなたのための物語』に突入。これまた大シリアスな話だ。人工知性/人格コピー技術の優秀な女性技術開発者が、不治の病で確実に死ぬことを意識しながら会社の方針を無視して孤立し、それでも自らの独自技術に拘泥する。それだけの話を延々と綴っている。見ようによってはイーガンやチャンのように短編で表現した方が印象的だったかもしれない。主人公の偏執的な性格と何度も出てくる進行する病状の描写がエンターテインメントと呼ぶにはあまりにもユーモアのない陰々滅々としたものになっており、結末の自己観察と生死に対する一種の悟りが物語的な肝とはいえ、途中で投げ出したくなるのも確か。SFとしては技術的/哲学的議論が濃くて興趣を添えるが、息の抜きどころがない(いや小説を書くだけの機能を持たされた人工知性はユーモアか)という点はいかにも真面目な日本人作家の特性を思わせる。コニー・ウィリスの『航路』みたいなジェットコースター的語りが必要か。

 で、息抜きに出たばかりの河出奇想コレクションの1冊、ジョージ・R・R・マーティン『洋梨形の男』を読む。やはりこの頃のマーティンはいいねえ。《氷と炎の歌》には手を出していないのだけれど、70年代から80年代のマーティンの良くできた短編は性格こそ違え、60年代のゼラズニイの人なつこい感触を思い出させる。マーティンは何を書いてもサブカルチャー小説の香りがつきまとっていて、ホラー・ストーリーもその例外ではない。考え出すとなんか無理がありそうな「モンキー療法」から、お涙頂戴は嫌いだー、大甘だよー、な「成立しないヴァリエーション(Unsound Variationの響きの良さが訳題に反映されないのが惜しい)」まで、うれしいたのしい(だいすき?)のオンパレード。恐怖小説集なのにそれでいいのか。


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