第47回日本SF大会 DAICON7 レポート

大野万紀


 今年のSF大会は8月23日(土)と24日(日)に大阪(岸和田)で開催ということで、本当に久しぶりの参加となる。
 はじめは近場でもあるし、車で行くつもりだったが、天気が良くないのと、夜に仲間と宴会をすることになったので、電車で出発。大阪からの環状線内回りは久しぶり。暗黒星雲賞にもノミネートされたJRゆめ咲線(ぼんやりしているとUSJへ連れて行かれてしまう)にも惑わされず、無事に新今宮へ。南海に乗り換えて、岸和田まで、家から1時間半くらいだった。
 岸和田で電車を降りるのは初めて。駅からは商店街をまっすぐ進むと、目指す浪切ホールへは10分くらい。歩道と車道に段差がないのは、だんじりを通すためだとか。町はすでに祭モードに入っていて、いかにもだんじりを引くぜみたいな兄ちゃんたちが目につく。その中をこっちはいかにも往年のSFファンやねんみたいなちょっとメタボなおっさんたちが、ぞろぞろと歩いていく。

会場の浪切ホール ディーラーズルーム ROBO HUB in DAICON7

 会場の広場ではホビーロボットの競技会が開かれ、子供たちも目立つ。親に無理やり連れてこられた子が多いのだろうが、中にはすでにSF大会の雰囲気にすっかり溶け込んでいるような素質満点のちびっ子もいる。
 京フェスなどで毎年のように会っている人もいれば、SF大会ということで本当に久しぶりに会う人もいる。軽くあいさつし、ちょっと立ち話をしては別れていく。ディーラーズルームを覗いたり、これまた暗黒星雲賞に輝いた4階への階段(実際はとんでもなく長い、ほとんど屋上へ続くのかと思うような階段だった)を上ってみたり、すでに人がいっぱいの企画部屋を見て回ったり(ほとんどの企画部屋はガラス張りで、外から何をしているか覗けるのだ)。

手作りプラネタリウム

 最初に入った企画は工房ヒゲキタさんの「手作りプラネタリウムと立体映像」
 これは凄い、ぜひ見るべきだと教えられていたので、さっそく整理券をゲットして会場に並ぶ。何しろビニール袋をつぎはぎして球形のテントのように膨らませた、写真のようなプラネタリウムなので、一度に入れる人数は制限されているのだ。
 狭い入り口から四つん這いになって中に入ると、車座になって座る。真ん中に、台所のボウルを貼り合わせて作ったという本当の手作りプラネタリウムがある。暗くして、ヒゲキタさんがいつものように星座を映し、プラネタリウムの解説を始める。ヒゲキタさんはこのプラネタリウムをもって全国を回っているそうだ。暗くなると泣き出す小さな子もいて、お母さんが連れ出したりと色々ハプニングはあるが、同じような小さな子でも食い入るように見ている子もいる。
 しかし、これが手作りというのは確かに素晴らしいのだが、大きなお友達にはそれだけでは物足りない。そこで出てくるのが驚愕の手作り3D映像。
 まずは観客に赤と緑のセロハンが貼られた紙の眼鏡が渡される。昔の雑誌の付録についていたようなやつね。赤と緑の点光源の中で、ヒゲキタさんがワイヤーフレームの宇宙船や原子模型や恐竜などを動かし、観客はその影絵を見るのだ。これが想像を絶する迫力。単に宇宙船が3Dで見えるといったものではなく、原子模型の中に入り込んだり、恐竜に呑み込まれたり。あんまり凄かったので、他のみんなにもぜひ見るように宣伝してまわったくらい。

円城さん、堀さん、瀬名さん 「iPS細胞」の八代嘉美さんも飛び入り

 次に見たのは、「サイエンス・イマジネーション 科学とSF の最前線、そして未来へ」と題された、瀬名秀明さん、堀晃さん、円城塔さんのパネル。これは昨年のワールドコン「Nippon2007」にて開催されたシンポジウムから生まれた企画で、科学者とSF作家のコラボレーションによる同名の書籍が出版されている(こちらにオンラインで読める関連ページあり)。
 パネルは、シンポジウムで出た科学者からのSF作家への質問に答えるという形で、パワーポイントのプレゼンテーションをスクリーンに映しながら話を進める。例えば、今後100年での劇的な変化は、とか、コンピュータやインターネットのような社会的影響力のある次の仕組みは、とか、SFは正しい疑似科学を広められるか(これは水が言葉を解するというような困った疑似科学ではなく、正しい科学へ接続可能なSF的で面白い疑似科学をSFは広められるかという意味だろうと思う)、といった科学者からの問いかけに対して、堀さんは「重く受け止めて、粛々と対処します」と答えていた。その具体的な回答のひとつが、先の本に掲載されている円城さんや堀さんや、飛さんらのSFということになるのだろう。また、宇宙船、ロボット、タイムマシンといった通俗的・古典的なSFのアイデアを再評価することもそのヒントとなるのではないか、ということだった。
 それを聞いて思ったのは、この会場にも来ておられた小川一水さんの『フリーランチの時代』など、まさにそんな話じゃないかなあ。今の倫理観への衝撃もあるし、何より宇宙船もロボットもタイムマシンも出てくるし。
 途中、会場にいた科学者代表として『iPS細胞』の八代嘉美さんも飛び入り参加し、生殖細胞やマウスを使った実験に関する現場の科学者の倫理観みたいな話をされた。iPS細胞の話も簡単にまとめて図解され、大変わかりやすかったが、この前Youtubeで見てびっくりした、ネズミの脳細胞を使って動かすロボットの実験についても詳しく説明があり、疑問に思っていたことが解消してすっきりした(別に脳細胞じゃなくてもいいのでは、ということ)。 

司会の菊池さん 関西のSF作家が顔を並べる

  1日目の最後に覗いたのは「完全な真空」アジア初のSFワールド・コンヴェンション−ベトコン−思い出話という企画。菊池さんが司会で、堀さんがゲストというと何だか凄そうだが、「NIPPON2007がアジア初のワールド・コンヴェンションだ!と開催さたれが、実は2回目だったという事実が発覚しました。ベトナム戦争時、従軍慰安で行われた「ベトナム・コンベンション」( 通称:ベトコン) が開催されていた!しかも、筒井康隆氏がNPO法人「ベトナム観光公社」を立ち上げ、日本SF作家クラブ主催でツアーを組んで参加したことが、解りました。」という企画の案内文からわかるように、つまりそういう企画。こういうのは和室かなんかでうだうだとやるのが似合っていそうなものだが、大きな会議室でやったので何だか凄いことに。けっこうな人数が集まったのに、会場の人もみな大まじめにのってくれて、ちゃんと疑似イベントSFになっていました。
 途中からは北野勇作さん、田中啓文さん、田中哲弥さん、小林泰三さんといった関西のSF作家たちを壇上に上げて、それぞれのベトコンの思い出話を語るという、ぶっつけとは思えないボケとツッコミが交錯し、会場からの質疑応答も含めて、何ともシュールな世界が展開していた。ちょっときわどかったけれど、面白かったし、成功だったのではないでしょうか。

 1日目はここまでで会場を抜け、堺でいつもの関西勢と宴会。しかし菊池さんはずっと企画に出ずっぱりだよ、りっぱだなあ。
 関東勢もどこかで宴会していたようだが、水鏡子はどちらにもおらず、行方不明状態に。こういうとき、携帯も持たずネットもできないおじさんには困ってしまうのだなあ。まあ、最終的にはちゃんとホテルにたどり着けたようで、一安心。夜は大雨。でも何とか無事に帰宅。

月の人面クレーター? 近藤陽次さんと松浦晋也さん

  2日目の最初に行ったのは「宇宙探査の未来〜アポロからかぐや・ケプラーまで〜」というちょっと真面目な宇宙探査企画。笹本祐一さん、松浦晋也さんに、はやぶさの画像解析で有名な平田成さん、NASAで太陽系外の地球型惑星を発見しようとするケプラー・ミッションを進めている近藤陽次さん(というより、『彗星爆弾地球直撃す』のSF作家エリック・コタニさんといった方がわかりやすいかも)が、かぐやが撮影した月面の写真や太陽系外惑星探査について、色々と語る企画だった。
 始めは平田さんがかぐやの月面写真についてスライドを映しながら説明し、それに皆がツッコミを入れるという形で、真面目な話がほとんどだったが、モノリスを置くには本当はどこがいいのかとか、かぐやの写真に写った人面クレーターとか(これは会場で写真を映しながら、その場で発見(?)したものだ)、楽しい話題も多かった。とはいえ、近藤さんのおやじギャグは、アメリカンがかなり入っていてちょっとわかりづらく、松浦さんが解説を入れたりしていた。その他、天体の地名の付け方とか、色々な裏話も面白かった。   

かつての青少年ファンたち

 続いて、本来ならばクラーク企画を見る予定にしていたのだけれど、ついついオールド・ファンの昔なつかし企画「ぼくたちはなぜファンジンを作ったのか?」へ。これも菊池さんが司会だ。
 出席者は菊池さんのほか、「科学魔界」の巽孝之さん、「イスカーチェリ」の波津博明さん、関東と関西を結ぶネットワークを作り上げ、やっしを知らないともぐりだとまでいわれた高橋(岡本)安司さん、そして今や青心社社長のパンパカ集団青木治道さん。
 本来は「科学魔界」50号記念の座談会企画だったということだが、やっしさんの力の入った年表が用意され、60年代終わりごろからの、かつて青少年ファンダムと呼ばれた人たちの武勇伝(まさに武勇伝というのが相応しい)が熱気いっぱいに語られる。
 中学や高校でSF仲間を見つけたり、SFマガジンに載ったファンジンの住所にお手紙を書いたり、しまいに自分でガリ切りしてファンジンを作ったり、というのはぼくも全く同じなので、共感しながら聞いていた。ぼくと彼らとは数年程度の違いしかなく(うちのSF研を作ったのは72年の終わり)、大阪の死ぬほど冷房をきかせた喫茶店(いつまでもコーヒー一杯でねばるSFファンどもを追い出すためだ)で語り合っていたこともあるので、あのころの雰囲気は良くわかる。とはいえ、関西のことは同時代的にわかるけれど、東のことはよくわからなかったので、今日の話はとても興味深かった。
 ファニッシュ・ファンとサーコン・ファンの対立みたいな話もあったけれど、まあなかったわけでもないけれど、ぼくらのころは立場が逆で、こっちの方が肩身が狭かったのだから。それにぼくらも翻訳ばかりやっていたわけではなくて、イベントもやったし、米村秀雄がアンタレス星人をやり、ぼくがセリフをつけた謎のスライド・ショーなんてものもあるんだよ(今持っているのは誰なんだろう)。
 しかしまあ、聞いている方も見たところ同年代の仲間が大半。おっさんおばさんになっても、SFファンはSFファンだねえ。

古沢さん、大森さん、山岸さん

 最後に見た企画はコーニイ『ハローサマー、グッドバイ』とプリースト『限りなき夏』記念の(クロウリー『エンジン・サマー』は間に合わず)「SF 翻訳家鼎談〜限りなきエンジンサマー、グッドバイ:70年代SFの夏が来た! 」 。古沢嘉通さん、大森望さん、山岸真さんのパネル。これはまあ、SFセミナーや京フェスでおなじみの、SF翻訳の昔話と、これからの翻訳予定などを語る企画である。
 まずは、これら話題の作品が、みな70年代にSFスキャナーなどで紹介され、ファンジンで翻訳されたり話題になったりしたもので、まるでKSFAの現代SF全集が今実現しつつあるようだ、というネタふりから始まって、70年代のSFシーンの思い出(翻訳SFがほとんど全滅していた70年代前半の暗黒時代の話など)や、75年のSFマガジンの充実ぶり、グーグル以前の翻訳と以後の翻訳の違い、といった具合に自由に話が進む。
 さっきの企画といい、これまたぼくにとってはオールドファンの懐かし企画だよなあ。
 途中から国書刊行会の樽本さんを壇上に上げてこれからの刊行予定や、こんな作家をやってほしい攻撃、また会場にいた翻訳家にマイクを回して翻訳中の作品や出る予定の作品を聞く。
 70年代に名前のみ有名だったような作家が、今評価され翻訳されているというのは、確かに一つの潮流のようにも思える。それが古沢さんのいうように、浅倉・伊藤・安田チルドレンの活躍によるものなのか、単なるタイミングの問題なのか、実際のところは良くわからないけれど、懐かしい名前の作家の新訳が、今読んでも確かに面白く読めるのは事実だ。それだけ力のある作家が70年代に台頭してきていたということだろう。
 会場から、ジョン・ヴァーリイは訳されないのですか、という質問があった。『スチールビーチ』以後のヴァーリイは全然読んでいないのだが、山岸さんによればまたハインラインっぽいSFを書いているという。Red Thunderのシリーズとか、面白いのかな。あらすじを見る限りはあんまり食指が動かないのだけれど。余裕ができたら読んでみようかな。

浦沢直樹さん 海外長編部門代理受賞の鳥居定夫

 最後に大ホールで、暗黒星雲賞と星雲賞の授賞式。星雲賞は大体順当な結果だと思う(もっとも長編部門は国内・海外とも、おやおやなのだけれど、まあこんなものか)。短編部門はどちらも問題なしの受賞だ。
  びっくりしたのはコミック部門を『20世紀少年』/『21世紀少年』で受賞した浦沢直樹さんが、わざわざ岸和田まで駆けつけて来られたこと。そして「私はSFマンガ家です」と高らかに宣言されたこと。会場からも大きな拍手が起こっていた。
 海外長編部門はティプトリーだったのだが、訳者の浅倉さんが来られないため代理受賞を水鏡子じゃなかった鳥居定夫さんが受け取った。
 特別賞が「宇宙大元帥」野田さんに与えられ、野田さんの弟である玲二郎さんが受け取られた。玲二郎さんは野田さんにそっくりな方で、負けず嫌いでやたらと大きなことを言うという故人の思い出を語られた。

第39回星雲賞 (細井威男さんの世界SF情報からはみ出したものより転載)

シール集めに熱中する子供たち こんなロボットが会場を徘徊

 雨にたたられたり、いろいろあった大会ではあるが、全体的には大きな問題もなく、多くの参加者に満足感を与えて、無事に終わることができた大会だったと思う。とはいえ、SF大会も再来年はまだ開催地が決まっておらず、主催者も参加者も高年齢化が進んで、そろそろ危うい状態になっているのかも知れない。けれども参加すればやっぱり面白いし、なくなってしまうのはあまりにも寂しい。会場にはおじさんおばさんばかりでなく、若い人の姿もけっこう見えていたわけで、何とかうまく世代交代ができればいいなあと思う。会場のあちこちで徘徊しているロボットを見ながら、いっそSFという言葉にこだわらないSF大会であってもいいのではないかとも思った。


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