続・サンタロガ・バリア  (第60回)
津田文夫


 今年の暖冬を実感したのは1月末に東京に出張したときで、着ていったコートを手に持って歩いていた。今回サントリーホールで聴けたのはバロック・チェロの鈴木秀美のサントリー音楽賞受賞記念コンサート。S席4000円は安い。1曲目のバッハの無伴奏チェロ組曲1番は聴けなかったけど、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタはいい雰囲気だった。音が小さいのは、後半のバロック・オーケストラ、リベラ・クラシカも同じで大ホールの空間に音が消えていってしまう。その分耳を傾けないといけないので、それはそれでいいことか。曲はハイドンの交響曲60番で初めて聴いた曲。モーツァルトもベートーヴェンもその響きの中に埋まってるように聞こえる。ハイドンの交響曲の楽器編成は曲ごとに特殊なのでオケ曲のアンコールができないと鈴木秀美が解説していた。で、アンコールは弦だけをバックにソロを演奏。ハイドンの初期交響曲(14番だったかな)の一楽章ということだった。

 神田のディスクユニオンでエマーソンのサントラ3枚組を買って帰った。自分でヴォーカルを取ったヨレヨレの「アイム・ア・マン」が可笑しい。最近聴いたCDで印象に残ったのは、職場の若い友人から借りた「メセニー/メルドー」。これは昨年のジャズ界の話題作だけど貸してくれた友人がメルドーがどうもピンと来ないといっていた作品。メセニーにもメルドーも初めて(あ、メセニーは「ディファレント・トレイン」とかで何回か聴いてるか)同然だったが、悪くない。デュオとしてはビル・エヴァンス/ジム・ホール「アンダー・カレント」よりはチック・コリア/ゲイリー・バートン「クリスタル・サイレンス」に近い感触。クォリティはメセニー/メルドーが先輩を上回りそうな勢いで最新録音技術のありがたみも大きい。ただメセニーのフレーズにはジャズの歴史が感じられるのに対し、メルドーはテクニックやアイデアが素晴らしくてもジャズの歴史にはまったくこだわりがない、というかこの人は50年代ジャズを聴きまくった経験がないのではなかろうかと思えるぐらい通念としてのジャズ感覚に乏しい。それにしても2曲のカルテットでエルヴィン・ジョーンズがフュージョン叩いているようなドラムは何とかならんかね。椎名林檎の「平成風俗」はサウンドが耳にオーバーフローする。3回聴いて椎名純平とのデュエット曲が良くできているのが分かる。「夢のあと」は相変わらず泣けます。

 全然本が読めない中、新幹線で読んでいたのが海猫沢めろん『零式』。ラノベタイプといえばラノベタイプで、読んでいて厚みというものがほとんどないけれど、それは以前のエロゲ・ノヴェライズでも感じられたので、この作者の持ち味なのだということが分かる。女の子キャラの強さと弱さがへんてこな米軍占領が続く日本という舞台の中でかなり強い印象を残す。自分の好きなものだけを並べて物語にしているともいえようが、それが作品の魅力になっていれば読み手として支持しようというレベルには達していると思う。

 東京で買った本では吾妻ひでお『逃亡日記』をまず読んだ。ほとんどマンガがないじゃないか、ちょっと肩すかしだぞ。とは思ったものの生身の吾妻ひでおも十分面白い。メイド役の女の子とのグラビアもそこはかとない可笑しさを醸している。それにしても週間チャンピオン連載の人気作「ふたりと5人」に対する不満とこだわりはすごいなあ。あの頃のチャンピオンは毎週読んでたので、読者としては「ふたりと5人」はとても好きな連載だったように記憶している。でも吾妻ひでおを文庫で集める気にはならんのだ。

 ハヤカワの異色作家短編集の若島正編『狼の一族 アンソロジー/アメリカ編』は、この叢書らしいバランスの、パッと読めて面白くそしてすぐ忘れてしまいそうな作品が揃っている。実際には改めて目次を眺めていると一つ一つの短編が読んだときの印象とともに甦るんだけど。とにかく個性的なアイデアやストーリーテリングが好まれる現代の短編よりはどことなくほのぼのとしていて、その軽やかさがうれしい1冊。「鶏占い師」とか「スカット・ファーカスと魔性のマライア」あたりがお気に入りかなあ。初々しい感じのエリスンとか、いかにも意地の悪いクーヴァー、ヘンテコを地でいくコツウィンクルもいいなあ。いやこんな風に挙げていくと最後は全部になっちゃうか。

 訳者の独特な翻訳流儀がちょっと鬱陶しいスタニスワフ・レム『大失敗』は、これを書いて小説家としての筆を折ったことを思うとやはり感無量という気がする。レムがここまでSFにこだわり続けたことが感動的なのだ。自ら描いてきたSFを回顧しつつ、すさまじいまでのイメージ構築に力を注ぎながら、SFでしか描けないことを描こうとして、それでも遂にはSFでしかないことがレムの無念のように思える。巨大レイバーでタイタンの氷原を進むトラヴェローグの美しさ、何度も繰り返されるスーパースケールの破壊行為がスペース・オペラの気楽さとは無縁な形で凄惨かつ崇高さを保って描かれる。とても大団円とは思えない最後の章で惑星に落ちてくるピルクスの運命は断念の斧なのか。
 マイクル・カンデルがレムのコメントとしては不名誉だという理由で原書からの英訳時に削除してしまった部分は確かに唐突なんだけど、その少ないとは云いがたい作品群の中で女を遠ざけたことが今後レムの作家論が書かれるときに重要なテーマとなるんだろうか。


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