続・サンタロガ・バリア  (第57回)
津田文夫


 月の前半がバタバタしてほとんど本が読めず。しかし、コンサートには行ってしまうんだなあ。
 モノはアーノンクール/ウィーン・フィル。そのスジに繋がりのあるヒトに大枚払ってチケットを入手した。モーツァルトの39番とベートーヴェンの7番というウィーン・フィルで聴いたらさぞや天国であろうというプログラム。結構期待してホールに着いてみると嫌な客層が目につく。中にはいるとテレビカメラやコントロール・デッキがあちらこちらにある。地デジ記念うんちゃらかんちゃらが仰々しい。そういやそのスジはテレビ屋さんだったんだよな。仕様がないかと開演を待つ。これまで2回聴いたホールは残響が心地よい1600人ホールだったが、今回はデッドな2000人ホールだ。でも満席。モーツァルトの39番はウィーン・フィルの弦が聴くのに最高の演目だと思っていたのが、アーノンクールの棒(持ってなかったけど)はそんなことお構いなしでギンギンに進んでいく。楽章間ごとに拍手が入るのはご愛敬だが、第3楽章演奏中の休止符で拍手が入ったのには驚いた。さすがにアーノーンクールもムッとしたようだ(アンタが見得を切るからだよ)。ベートーヴェンになるとますますギンギンにオケをドライブするので、ウィーン・フィルのイメージがどんどん崩れる。コンマスのライナー・キュッヒルは身体を大きく揺らしながら速いパッセージをさらっと弾いてみせる。アーノンクールの挑発に楽々対応して見せているかのよう。おいおい、鋼のウィーン・フィルかよ。帰りに一緒に行った連中と飲みながらあれこれ話したのだが、そのうちの一人の感想が「アーノンクール/ウィーン・フィルのCDを買うことは一生無いだろう」というもの。推して知るべし。

 飛浩隆『ラギッド・ガール 廃園の天使U』はてっきり長編が読めるものと思っていたので、ちょっと肩すかし。でも作品集としてはまず最高レベル。作者自ら最高作という表題作や彫心鏤骨の作品から思い浮かぶのは、ドリームシアターの昔の出世作「ワーズ・アンド・イメージズ」というタイトル。作品の感触はSF以外の何者でもないのに、読後の印象は「言語彫刻」みたいなものになっている。凄いことはスゴいけどちょっとシンドい。ここまで想像力で作品世界を追いつめるとSFの紋切り型という共通認識が破れてしまうんだろうな。「蜘蛛の王」みたいな型に嵌った展開の中で見せる想像力の絵の方が愉しめる。

 『ゴールデン・エイジ1 幻覚のラビリンス』は今月数がこなせなかった元凶である。なにしろ寝床で読むと20ページ読むだけで意識を失ってしまうのである。ようするにチンプンカンプンなのだ、こいつは。半分読むのに1週間かかっているうちに思いついたのは、きっと最初に原書を読んで版元に面白いよこれと薦めたヤツが確信犯で、昔大野万紀がSFスキャナーでリチャード・ルポフの作品を実際より遙かに面白く紹介したように、おもしろい梗概を作って渡し、編集部はデキる訳者に発注、デキる訳者は一読これは手の施しようがないと判断して弟子任せ、上がってきた訳稿をSF用語だけそれらしくして編集部へ、それを読んだ編集部はそのチンプンカンプンぶりにこりゃSFマガジンで前宣伝が必要だと的確に判断し特集を組んで売りに出した、というもの。ところが300ページを超えたあたりで、まったく妙ちきりんな科学的説明を読みながら、ようやく帯の宣伝文句に思い当たったのである。いわく「黄金時代のSFのおもしろさを21世紀によみがえらせる」。そう、そうなのだ。この「黄金時代」こそこの作品のカギ、読むための心構えを促している警句だったのだ。いわく「黄金時代」とはいつか。それはアシモフが13才だった時代、アシモフが編んだあの「黄金時代」アンソロジーに収録されたSFこそが「黄金時代」のSFだったのだ。こいつは現代ハードSFで使われる科学用語を使って「黄金時代」の作法で書かれている驚くべき作品なのである。ショボい超未来のちゃちな筋書き。それを現代SFのタームで膨らませるだけ膨らませたものがこの 『ゴールデン・エイジ1』なのだった。チンプンカンプンで当然、そのつもりで書かれているんだから。訳者がそのことに気付いて訳しているかどうかはわからないが、原文はかなり質の悪いシロモノだったかも知れない。この真面目な訳文でよかったのか。編集部はそれを分かっててこのオビの文句を付けたのか、だったら素晴らしい意地の悪さだぞ。

 ブログで芸を売ってるせいか、ずいぶん待たされた森見登美彦『きつねのはなし』。一見『太陽の塔』と打って変わったかのような怪談集に見えるが、むしろ森見登美彦にとって『太陽の塔』がいかに充実した世界だったかを証明する作品集でもある。いかにも老成したかのような文体で描かれる学生を語り手にした怪談連作は、骨董屋「芳蓮堂」で繋ぐ構成も含めて『太陽の塔』の世界にすっぽりと隠されていたもののように思える。『太陽の塔』で描かれた幻想の京都の町は奥が深いのだ。


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