内 輪   第185回

大野万紀


 インフルエンザにかかってしまいました。普通の風邪かと思っていたら急に9度近い高熱。これはやばいと思って医者にいったら、しっかりA型と診断されてしまいました。待合室には小さな子供もいるので裏口から出るようにといわれ、タミフルを処方されてこそこそと逃げるように病院から帰り、でもさすがは特効薬、一日で熱も下がり、回復。別に存在しないものが見えたりすることもなく、嘘みたいに直ってしまいました。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『星界の戦旗 IV 軋む時空』 森岡浩之 ハヤカワ文庫
 久しぶりに星界シリーズを読む。どこまで読んでいたか忘れていた。今度は戦争だ。それも大きい戦争。前半の宇宙戦闘シーンはなかなか緊迫感があって、読み応えがある。銀英伝もかくやという感じ。でも、物語が立ち上がってくると、これが何だかもっさりとしているのだなあ。悠然としているといってもいいのだが、その割には広がりがなく、キャラクターたちがばたばたしているだけで、あまり歴史や大宇宙帝国の重量感が感じられないのだ。こんなはずじゃなかったのだが。しばらく続くであろう連続したストーリーのプロローグにすぎないからか。しかし、もう一年たつのに続きはまだなのか。

『われら以外の人類』 内村直之 朝日新聞社
 朝日新聞の科学記者が書いた最新の化石人類の本。2年前にインドネシアで見つかった小人のようなホモ・フロレシエンシスの話題から始まって、最古の猿人からネアンデルタールまで、そしてホモ・サピエンスまでが、発見のエピソードを交えてドラマチックに語られている。ある面ではジャーナリスティックで奥行きや深さには欠ける(もっと詳しく知りたいと思うのに、もう話は次へ移っている)ところがあるのだが、とにかく情報量は多く、この分野の最新の動向を知るにはちょうど手頃な本となっている。

『天の声・枯草熱』 スタニスワフ・レム 国書刊行会
 サンリオで出た『天の声』と『枯草熱』の二つの長編の一部訳し直した合本。昔読んだときは傑作だと思ったし、今も評価が高いので、ずいぶん久しぶりに読み直してみた。しかしこれが思いの外難物で、読み終わるのに大変時間がかかった。ミステリである『枯草熱』はずっと読みやすかったが、『天の声』がねえ。昔はもっとすんなりと頭に入った気がするのだが、これも年のせいなのか。もちろん傑作であり、ファースト・コンタクトSFの極北という評価は変わらないのだが、今読むとハードSFというよりは、むしろ文学的な「誤読」に関する思索が中心だったように思える。科学の普遍性の限界についてとか、それはその通りなのだが、今や物理学で人間原理が云々される時代、この宇宙がプログラム的である可能性すら論じられる時代である。認識論や、科学的・数学的普遍性に関する不可知を強調してもあんまり衝撃的には感じられず、イーガンの、考え得る事は全て可能な宇宙の方が真っ当にSFっぽい感じがするのである。本書の中でも『枯草熱』の方がやはり新しい気がするのは(実際に新しいのだが)、偶然と必然に関する考え方が、こちらの方がより現代的で、イーガン同様、納得しやすいからだろう。バカミステリとの評があるが、こういうのはバカミステリというの? よくわからない。すごく正しい謎解きだと思えるのだが。で『天の声』だが、メッセージと思われる情報に関する具体的な言及がほとんどなく、主人公である数学者の思索が延々と続くのであるが、その議論は科学や数学そのものより、人間の認識の方に主題があり(もちろん主題−コミュニケーション−からいって当然そうなのだが)、うっかりすると相対主義の罠に落ちてしまいそうな危うさを感じる。そうはならないのは、「蛙の卵」や「蠅の王」といった、信号の解読により現れた具体的な存在にある。しかし、レムにしてはこの具体物に関する論考が否定的側面からばかりであって、どのようにしてそれが「解読」されたのかさっぱりわからないところに、この小説の一番の不満点がある。例え「誤読」であっても「読む」ことができたのであれば、そしてそれが(冷戦構造を反映した本書の一番ドラマチックな部分でもある)物理的SF的な効果を持つものであるのなら、そこには語るべき情報の構造があったはずだ。だがレムはそれを語らない。今となってはそこが本書の一番の弱点に思えるのだ。まあ1968年にそこまで求めるのは無理だと思うが、レムにならできたかも知れないという気がするのである。しかし、この文章は「〜だが」ばっかりだな。

『ロックンロール七部作』 古川日出男 集英社
 古川日出男の新作は、ロックンロール(ブルースやタンゴまで含まれているけれど)をキーにした七つの(実は八つの)作品からなる連作で、またもや20世紀の歴史を語り直す試みでもある。ぼくは庄司薫の昔から饒舌で同時代的な一人称というのが大好きで、本書もそのツボにぴったりとはまった。だからぐいぐいと引き込まれて読み終えたのだけれど、それでも時にはこの語り口がうざいと思えたくらいだから、ダメな人にはとことんダメな文体だろうなと思う。しかし、それさえ気にならなければ、本書もまたヤッタね、という傑作だ。しかもしかも、最後まで読めばわかるとおり、本書は実にしっかりとSFなのだ。21世紀から逆照射して浮かび上がらせる、20世紀の地球史。七つの大陸をまたにかけて無国籍な音楽が熱い人々(熱すぎるぜ、何しろすぐ人が殺される、盗まれる、食われる、落ちぼれる、神になる)をさらに熱くし、世界を、歴史を変えていく。そこにある因果の糸はまさに偶然と必然の重なり合いであり、それを熱い人の意志が無理やりにでも繋げていくのだ。レムの謎解きが大数の法則によって現れる必然的な偶然にあったとすれば、ここにあるのは偶然を無理やり必然に変える人間原理の世界だ。それがロックだ。熱いけどクールだ。ロックンロールが主題ではあるけど、音楽の話ばかりじゃないよ。ロシアの秘伝の味付けの話もあれば、ブラジルの格闘技による復讐譚もある。ちょっと乱暴ではあるけど(でも池上永一ほど乱暴じゃない)とにかく面白かった。

『蒼穹のファフナー』 冲方丁 電撃文庫
 冲方丁の書いたアニメのノベライゼーション。1年前に出た本である。何故か今頃読む。このアニメは見ていないし、ぼくにとってこの本を読むポイントは作者の名前だけである。宇宙からか異次元からか、謎めいた敵の侵略がある。人類は人型巨大メカ(ロボットといっていいのかどうかわからん)ファフナーをもって、かろうじてその攻撃に対峙している。それに乗り込むのは、日頃は平和な竜宮島で中学生活を楽しむ少年少女たち。何だか溜息の出そうな設定である。本書はさすがに作者の力量が発揮され、悲劇的で致命的な痛みのある敵との戦闘シーン、平和な中学生たちの生活と、そこに暴力的に割り込んでくるまさに不条理な戦争の恐怖、あらゆる日常的な枠組みが破壊され再構成される気が遠くなるような感覚、その中での主人公たち主要人物の個性のぶつかりあいなど、見事に描き出されている。にもかかわらず、設定のもつうんざりするような「お題」感覚が全体を矮小化し、ゲーム化し、盆栽化しているように思える。なぜ中学生なのか、なぜこんな武器があるのか、なぜ敵は戦力を出し惜しみするのか、きっと答えは想定されているんだろうなと思うけど、それを聞かされてもぼくにはあんまり楽しめないのだろうなと思う。

『上海哀儚 BLOOD THE LAST VAMPIRE』 藤咲淳一 角川ホラー文庫
 アニメ「BLOOD+」の監督でもある著者による、サイドストーリー、というか、アニメの方がサイドストーリーなのかしら。実はアニメ版はほとんど見ていない(2、3回は見たけど)ので、あまり語るべきことはない。それでも本書は、定番の設定なので、アニメを知らなくても問題なく読むことができると思う。歴史に隠然とした影を残しながら表には出てこない不死の血を持つバンパイアたちと、ここでは日本刀を持つ美少女の姿をしたバンパイア・ハンター、その戦いに巻き込まれる普通の人間たち。本書ではバンパイアの中の、能力を捨て、戦いを捨てて生きることを選んだ者の悲しみを中心に物語りが展開する。『攻殻機動隊』のシリーズでも思ったが、この人は作家としての才能がある。アニメ監督の余技ではない。設定はお決まりだが、キャラクターには独自性があり、しっかりと生きた個性を持たせている。心の動き、アクション描写、劇的な構成など、エンターテイメント作品のツボを押さえている。物足りないと思ったのは、町や風景描写の不足。日中戦争の上海や、労働者を集めた夜学校といった魅力的な舞台が、通り一遍な描写のためにその匂いや人々の息づかいといったものが伝わってこない。横浜や中華街にもスナップ写真以上のものを感じられない。また、主要キャラクター以外の人物造形が弱く、関係性が見えてこない。このあたりの力がついてくれば、作者はもう敵なしじゃないのかとさえ思える。


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