続・サンタロガ・バリア  (第45回)
津田文夫


 今月は仕事の方がなんやかやとやたら気ぜわしく、飲みも多くて師走でもないのにとため息を付いていたが、振り返ってみるとオケも聴いたし、本もいつも以上に読んでいた。まあ、そんなものだよね。

 今回聴いたオケは九州交響楽団。広島交響楽団同様秋山和慶が音楽監督をしているらしい。ただし振ったのは渡辺一正でメイン・プロはチャイコフスキーの4番。ちょっとくすんだ音色でゴリゴリした感じのオケである。九響は黒岩一臣指揮の時代に一度聴いたような気がするのだが、ずいぶん昔のことなので何も覚えていない。

 大森望『現代SF1500冊 回転編1996〜2005』は、しばらくの間トイレ本として読みふけった。『本の雑誌』連載分はリアルタイムで全部読んでいるので、最初の2年分が新鮮だった。それにしてもこの2年間のSFマガジンベスト10の作品については国内・翻訳のどちらも読破率が5割を切っている。最低でも年40冊は読んでいたろうに、いったいあのころは何を読んでいたんだろうなあ。巻末の作品インデックスのタイトルを見ていくと4分の一しか読んだものがない。読んだことさえ忘れているのかも。大森望の本としてはやや誤植が多い。

 『デカルトの密室』が腑に落ちないおかげで文庫になった瀬名秀明『ハル』を読んでみた。これはわかりやすく愉しく読める連作短編集だった。出てくるロボットもわかりやすい存在として描かれているし、登場人物たちの思いを反映した形で取り上げられている。『デカルトの密室』は様々な仕掛けが読み手に緊張を強いるし、ロボット自体が作品の中でどのような役割を振られているかということも一読では分からなかった。『ロボット・オペラ』の文章なんかも読んでから再挑戦するかな。

 桜庭一樹『ブルースカイ』は、京フェスで姿と声を見聞きしたけれど読むのははじめての作家の作品。リアルフィクションもそういう意味での効果はある。はじまりは魔女狩りの時代のドイツが舞台。魔女狩りの頃もうドイツってあったけ、などという疑問を持ちつつ読んだせいか、いまいちレンスの街のリアリティに欠ける。まあ、それは作品全体に共通する雰囲気なので特に欠点でもないのだろう。この作品を読む限りでは少女であることの運命みたいなものが切迫感をもって伝わってくるけれども、面白いかどうかは微妙な感じだ。

 池上永一『シャングリ・ラ』を読もうとして、未読の『レキオス』も読んでしまおうと思い立ち『レキオス』から読み始めた。沖縄を舞台に黒人とのハーフの女の子をヒロインにあれよあれよのジェットコースター。登場人物も各種入り乱れてテンヤワンヤ。以前は「字で描いたマンガ」といってたけれどこれは「字で描いたアニメ」だった。後半になって大ネタが分かるようになるとさすがに興ざめなところもでてくるが、まずおもしろさで満腹できる作品といっていい。

 で、そのまま『シャングリ・ラ』になだれ込んだわけだけれど、今回はこれが逆効果を生んでしまったようだ。地表がジャングル化した東京、そびえ立つアトラスと舞台装置は十分魅力的だったし、始まりも順調だった。しかしヒロインやその取り巻き、アトラス側のライバルたちの描き分けがほぼシンメトリにつくられていることが分かってきた時点で「字で描いたアニメ」のご威光が力を失ってしまい、所々光るアイデアや描写を除いてほぼ惰性で読むことになってしまった。アトラスが宇宙空間にまで伸びていってしまえばもっと面白かったかも。意外なことにキャラに魅力を感じないんだよな。

 アヴラム・デイヴィッドスン『どんがらがん』は、殊能将之のホームページである程度予想はしていたもののここまでとは思わなかった。アイデア・ストーリイと世界文学がこんなにも簡単につながっているなんて誰が信じるんだ。SFを読み始めたころに読んだ表題作や「さもなくば海は牡蠣でいっぱい(やっぱり「あるいは・・・」で覚えてしまっているよね)」は当時高校生だった自分にそのおもしろさが分かっていたんだろうか。「奇想コレクション」恐るべし。

 その「奇想コレクション」に劣らず恐ろしい叢書になりつつある「未来の文学」。もはや何もいうことがないラファティ『宇宙舟歌』。柳下毅一郎の訳をもってしても分かりにくいところはあるものの、初期短編集のあの破壊力をこの初期長編も十分体現してくれている。どの章も素晴らしいけれども特にライストリュゴネスとアトラスあたりが好きかな。

こうしてみると今年の翻訳SFもすさまじいレベルだねえ。

 ハヤカワSFシリーズJコレクション最新作の林穣治『ストリンガーの沈黙』を読み終わったところなのでこれも入れておこう。連作短編集だった前作もよかったけれどこのAADDシリーズの長編もよくできている。なんの不安もなく読める小説というのもいいものだ。そりゃ、地球側を戯画化しすぎな感もあるけれど実際毎日のニュースを見聞きしてるとこんな風に描かれてもしょうがないか、という気分になる。その伝ではAADD側があまりにもうまく行きすぎでリアリティに欠けるという面があるのかもしれない。でもそう感じること自体が地球的なのか。ファースト・コンタクトの第3部がやや弱いけれども、これ続きが書けるのかなあ。

 おまけ。清水マリコ初のオリジナル・ジュヴナイル・ポルノ『あなたに胸いっぱい メガネっ娘☆初恋』はエロゲ・ノヴェライズで鍛えたスタイルのまんまだけれど、「ちいさな愛の願い」ともいうべきお祈りははっきり出ている。これは男の子より女の子向けじゃなかろうか。


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