みだれめも 第181回

水鏡子


作品 著者 出版社 総合 作品性 興味度 義務感
『ハイドゥナン 上下』 藤崎慎吾 ハヤカワJコレクション ★★
『サマー/タイム/トラベラー』 新城カズマ ハヤカワ文庫JA ★★★☆
『天のほとりの愚神ども』 新城カズマ 富士見ファンタジア
『ヴィーナス・プラスX』 シオドア・スタージョン 国書刊行会 ★★★☆
『ランクマーの二剣士』 フリッツ・ライバー 創元推理文庫 ★★★
『彩雲国物語 欠けゆく白銀の砂時計』 雪乃紗衣 ビーンズ文庫 ★★★
『ブラックベルベット 縁を継ぐものと海へ還る少女』 須賀 しのぶ コバルト文庫

 『ハイドゥナン』最新の知見と実体験の厚みが盛り込まれても基本の骨格は古い皮袋に盛られた古い酒。見知った風景が立ち上がり予想の利く展開のなかを見慣れたヴィジョンがくり広げられる。定番作品である。定番作品が陥りがちな形骸陳腐やおざなりさからは逃れているが、魅力的な定番作品が持ち得る力強さにも欠けている。沖縄の人と文化を救うというお題目を掲げていても、グループのやってることは地球生命とのコミュニケーションを確立する方策を喜々として思い巡らすだけであり、それがなぜ琉球を救うことになるのかは、たとえかれらが信じていて、結果としてそうなったにしろ、とても周囲を納得させられるものとは思えない。資源問題に血道をあげる政府上層部も、いわば「神様が助けてくれる」という前提のガイア風理論の検証で成果を出そうとする科学者たちも、距離的には似たようなものだ。まともに住民避難を心配するグループからはもっと地に足のついた計画を、という怒りに満ちた反応が返ってきてこそあたりまえで、そんな<まっとうな迫害>のなか信念に殉じて頑張り続けるぐらいでないと、沖縄住民は救われない。結果的には「神様に助けてもらう」きちんとした「お話」になるわけだけど、主軸はむしろコンタクト・テーマで、破滅ものや擬似イヴェントの臨場感やアクチュアリティが希薄だ。主人公の大映ドラマ風出生の秘密にしても、ありがちな「お話」なら「お話」で、もっと泥臭くやらないとドラマチックにはならない。サブ・エピソードのいろいろも、そんな「お話」が強い支配権を持っている。そのぶん安定感があるのだけれど、南西諸島沈没や、東シナ海権益をめぐる国際情勢の緊張とかが、「お話」に奉仕する小ネタといった感じにしかならない。「デネブサテライト」とか「お兄ちゃん」とか伏線を張りまくった気配の話がとくに盛り上がりもなく開陳される。そのあたり、物足りないといえば物足りないけれど、それらが仮にきちんと処理されていても、すっごくよくなったと思えないところが、この作品の限界であると思うのだけど、同時にそうした不満を抱かせつつも一応読ませる、安定感・安心感は評価したいとも思う。

 『サマー/タイム/トラベラー』の印象は逆。いろんなことを盛り込みながら、この素材の処理として、あるいは仕上げかたとして、ほんとうにこれでよかったんだろうか、もっとよく、もしかしたらぜんぜん別の物語にもなっていたんじゃないんだろうか、そんなもやもやした思いを抱かせる作品だ。
 時間旅行をテーマにした海外SFファンとしての薀蓄は付け焼刃でなく、あきらかにひとつの時代を共有してきた経歴を語ってくれてて、著者略歴で年齢不詳と書かれているものだから、つい世代調査的読み方に嵌まってしまった。早川文庫SFシリーズ復刻青表紙が一定の冊数並んだあたりの世代みたいで、『ゲイルズバーグの春を愛す』は単行本でなく、FTで読んでいるみたい。ポイントは「ウィネトカ」を読んだのが、SFマガジンか『タイムトラベラー』かというところかな、とか。
 そしてそれが高校か大学くらいのことだったのかと考えてしまった。
 ユートピアとしての高校生活。友人関係。自分の高校生活を懐かしむというよりも、あってほしかった高校生活、人間関係を愛惜をこめて描き出してみたかった、そんな印象を受ける。地域通貨といったけっこう地味めなネタが意外と重きを占めていて地に足のついたリアルさがあるのに、全体の雰囲気は夢にも似たふわふわした印象がある。断片的にふりまかれたアイデアも「もうひとりのタイムリーパー」とかエンダー仕様のネット天才児など魅力的なものが多く、それらがとっちらかされご都合主義的に散りばめられるある意味贅沢な小説でもある。年を経た未来の自分から現在である高校時代の自分たちを語るという仕掛けも、「未来」という概念が、夢の世界あるいはノスタルジーの対象としてしか語れないというような諦観につながっていて好感度高し。それにしても『ハイドゥナン』も本書も同じような病気が出てくるのは時代の要請なんだろうか。
 主戦場作品も読んでみる気になっていくつか買い込んだ。
うーむ。とりあえずあと何冊か読んでみよう。

 ヒロイック・ファンタジイといいながら、ファファードとグレイ・マウザーって意外とキャラが立たないのだね。ライバーが愛してやまないのはランクマーの都であり、ネーウォンという世界である。主人公二人は世界を差し出すための狂言回しのような役回り。本書はオールスターキャストの顔見世興行で、鼠の国や古き神々の復活、骸骨女や爛れた王宮風景など、ランクマーとネーウォンのエキゾチックな風景が舐めるような筆致で描き出される。作者が悠悠自適に楽しんで書いてる風情が伝わってくる。『魔の都の二剣士』を読めばわかるように緩急自在に読者を翻弄する技巧の持ち主だけど、ここでのライバーはある意味だらだらシーンをつないでいくだけでそちらの部分はかなりなげやり。作品性に2をつけたのはそのためだけど、鼠の姫様はじめ魅力的な女性陣(女監督のサマンダ含む)は生気にあふれ、世界は猥雑で退嬰的で美しく、不満を補って余りある魅力にあふれている。
 冒頭、魔導師の雷の呪文を、剣からたらした針金で<アース>してしまう対処法に笑ってしまったのだけど、そんなアンノウン的ロジックはいくつか披露されるけど、小ネタレベルで終わってしまってSF的な楽しみには残念ながらならなかった。まあ、この作品ならそれでかまわないのだけどね。

 幻の名作として名のみ高く、その一方で先駆的作品としての値打ちしかなく、もう今読んでも意味がないといった評価もあった『ヴィーナス・プラスX』。作家という立ち位置から書かれたスタージョン哲学の総括本とでもいうべき本。ディックでいえば『ヴァリス』にあたるか。もっとも神学というよりは倫理学。もともとスタージョンには説教癖があって、そのあまりに理想主義的大上段でまっとうの理屈が本人の変質者的資質とあいまって、つながり方が不可解で、なんともアンバランスな魅力と苛立たしさを味あわせてくれるのだけど、本書においては純粋の思想書といった趣に均整が取れている。ユニセックスのユートピアといったジェンダー論的紹介がなされてきたし、事実そういうものではあるけれど、スタージョンには倫理は天より降りてくるというちょっと宗教的なヴィジョンがまとわりついていて、そのヴィジョンには天使的存在がちらついている。本書の場合も、むしろ天使の国の描写ととればいいのかもしれない。最後の処理には評価が分かれるところだけれど、これはこれでかまわない。むしろエンターテナーとしての衿侍みたいなものを感じて好ましい。ただ、スタージョンの作品としてはあくが抜けてきている気もしないではない。


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