続・サンタロガ・バリア  (第39回)
津田文夫


 暑い5月だったなあ。4月23日に開館した「大和ミュージアム」が早くも20万人を越える来館者を数えている。担当者に聞くと来年が怖いとのこと。もちろん入場者数が急降下したら困るという意味です。でも来年ぐらいはまだいけると思うけど。あの10分の1「大和」はハンパじゃないからねえ。ということで軍艦オタクなひとがいたら是非ご覧あれ。

 地元の大型家電のDVDコーナーを眺めていたら、ナンシー・シナトラの60年代TVショーらしきものを発見。「らしきもの」というのは英語とハングル表記しかないため。値段からしてバッタもん臭いが、ELPの後楽園ビデオ並の画質だとしても腹を立てるほどの値段ではないので購入してみる。ケースを開けるとディスクのみで印刷物はいっさいナシ。中身は今や忘れ去られたコーラ会社がスポンサーのTVショーで、コマーシャル自体もナンシーをメインに使って、ゆるいストーリー性を持ったビデオクリップ集だった。テレシネはデジタル補正をしてないようで近くで見るとモアレが目立って気持ち悪いが、少し離れてみれば60年代半ばのナンシーがたっぷり見られる。中学生の時にNHKで見たものと同じかどうか確認できないのがもどかしいが、「UP UP AND AWAY」から始まっているところを見るとたぶん同じものなのだろう。鮮烈であるべき35年あまり前の記憶が怪しいのが悲しいよ。60年代ファッションに身を包み分厚いアイラッシュで魅せるナンシーはやっぱり当時のポップ・アイコンだったのだ。

 パトリシア・A・マキリップ『影のオンブリア』は、自分の中にあるファンタジーとはこういうものという決めつけにかなり近い上質の幻想小説。やや薄味だけど、プラチナ・ファンタジー・シリーズのなかでこれほどオーソドックスなファンタジーは初めてだ。ちなみにここでのオーソドックスはゴーメンガスト三部作に代表されるようなファンタジーのことです。いにしえの影の国、幼少の王位継承者、悪役の後見役、影のある守護者、若く美しい先王の妾姫そしていつから生きているか分からない魔女と使い魔みたいな少女。まったくオーソドックスである。

 なぜか読みのがしていた清水マリコ『ゼロヨンイチナナ』。「れ、恋愛ものでも、いいかもしれない」と作家志望の高校一年生明智君が夏の終わりの恋にいそしむ一編。明智君は「浮気者」と呼ばれちゃうんだが、ま、しょうがないか。というわけで清水マリコ女神のフェロモンがたっぷりで、ますます萌えるのだった。

 で、なぜか田中啓文『UMAハンター馬子 完全版』1、2巻を読んでしまう。「おもしろうてやがてかなしき」という田中啓文の得意技がよくわかります。えっ、どこが「かなしき」やねんと思われる方も多いでしょうが、私見では馬子もイルカも結構かなしいヒロインだということになっている。

 さて今月の真打ちは、誰が読んでもそう思うはずのジョージ・R・R・マーティン『タフの方舟』。やあ、上手い上手い、「サンドキングス」も「ナイトフライヤー」もちゃんと肥やしにして極上のエンターテインメントを作り出している。少々先が見えていてもまったく問題なし。きっと話を忘れてしまってもまた楽しめるに違いない。

 そこへいくと2003年度P・K・ディック賞受賞で、へっ?てなタイミングで出たリチャード・モーガン『オルタード・カーボン』の前半はまったく退屈。誰だよこんなのに賞やったのはっ!と怒ってググると現れたのは、なんとアーサー・バイロン・カヴァーだよ。まだ生きていたのかこのオッサン。学生時代になんか訳したような記憶があるが、なんの話だったか全然思い出せない。そうか「オルタード・カーボン」てネーミングの勝利だったのね。まあ、ギブスンはともかくチャンドラーへのオマージュはあるのかも。大森望が「火星」シリーズやスターウルフ・シリーズを引き合いに出していたが、大枠にしても古いような。ヴォクトの『非Aの世界』なんかどうって、あれは死んで若返るんだった。あ、これイギリスSFだったよ、ふーむ。

 ここから新訳だというのでライバー『妖魔と二剣士』を読む。昔読んだときよりもまったりした感じが強くて、いかにも浅倉さんの好きそうな雰囲気だ。「星々の船」に出てくる険しい山がパラマウント映画のタイトルバックに出てくるような山にしか思えないし、「クォーモールの王族」に出てくる地下世界も『アラビアの夜の種族』並の地下世界が描かれるようになった今では箱庭にしか見えないけれども、別に手に汗握るおもしろさが得られなくてもファファードとグレイマウザーの魅力が無くなったりはしないのだ。タフの一人漫才とファファードとグレイマウザーの二人漫才、それぞれ味があるよ。
 


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