みだれめも 第173回

水鏡子


最近読んだ本(無印は普通。○は好き、△はちょっと)

  1. グレッグ・イーガン『万物理論』○
  2. エリザベス・ムーン『くらやみの速さはどれくらい』△
  3. 飛浩隆『象られた力』○
  4. 鈴木いづみ『ぜったい退屈』○
  5. ノルベルト・ジャック『ドクトル・マブゼ』(HPB)△
  6. ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』
  7. 小林泰三『ネフィリム』△
  8. 福井晴敏『6ステイン』
  9. 夢枕獏『新・魔獣狩り 9』
  10. 茅田砂胡『嘆きのサイレン』
  11. 金原瑞人『大人になれないまま成熟するために』(洋泉社新書)△
  12. 『日本一怖い!ブック・オブ・ザ・イヤー2005』
  13. 『このミステリがすごい!2005』
  14. 『ライトノベル完全読本 2』△
  15. 『このライトノベルがすごい!2005』
  16. 大森望・三村美衣『ライトノベルめった斬り』◎
  17. 豪屋大介『A君(17)の戦争 1〜7』◎寄りの○
  18. 豪屋大介『デビル17 1〜4』△&○
  19. 須賀しのぶ『天気晴朗なれど波高し 1・2』◎
  20. 須賀しのぶ『女神の花嫁 前・中・後』
  21. 須賀しのぶ『暗き神の鎖 前・中・後』△
  22. 今野緒雪『マリア様がみてる』△

 うーむ。しばらくさぼっていたせいもあるけれど、冊数にして36冊。並べてみると結構読書家にみえる。
 もっともその大半がライトノベルとその関係書。『王狼たちの戦旗』に費やす時間で10冊読める。

 あたまの4つはSFベスト選びの最後の追い込み本。自閉症的心象や世界創造テーマやら書かれた時代も場所も異なるものが、妙にシンクロした。

 グレッグ・イーガン『万物理論』はACの説明がはいったところで、その後の展開の小説的構図が見えてしまうところが減点要因。ドラマ的に退屈になる。もっとも、根本的なアイデアについて、京フェスの合宿で志村先生の指摘を受けるまでわかっていなかったのだから、大きなことはいえない。指摘されてみると、物語のなかでばらばらに繰り広げられていたいくつもの事件が、周到に配置された結末への伏線を成していたことに気づかされる。けれども逆にいえば、指摘を受けるまで、ぼくを含めたすれっからしのSF読みのかなりのものが本意をつかみそこねるようでは、小説としてどうかという言い方もできる。伏線として機能してることにならないじゃん。AC理論とある意味反対の結論であるのだけれど、一見AC理論の結実ととれなくもない書き方で掻痒感の残る結末、と書く程度なら許されるネタばれレベルと思うのですが、いかがでしょうか山岸先生。

 執筆に先立ち、『万物理論』を読んでいたのでないかと感じられるのが2.のエリザベス・ムーン『くらやみの速さはどれくらい』。万物理論と逆の結末だけど、主人公の<成長>は、むしろイーガンのラストの人間像と重なる。息子が自閉症でと聞かされると、作品のなかに反映された著者の祈りや願いを受けとめながら、読まねばならない気にさせられて重たくなった。個人的な△で作品のできが悪いわけではない。

3.『象られた力』飛浩隆の中編集。4作並ぶと作者の興味の方向が明瞭に見えてくる。唯心論的世界創造神話といった、哲学的SFの王道ともいえる作品がならぶ。短い「呪界のほとり」が意外と好き。

4.鈴木いづみ『ぜったい退屈』の表題作は傑作。ただし収録作品には出来不出来がある。不出来な作品でも鈴木いづみが宿るところがスタージョンといい勝負。

5.ノルベルト・ジャック『ドクトル・マブゼ』は『フー・マンチュー』よりは読み応えあり。内容的価値よりコレクターズ・アイテム的価値の本という意味で、『フー・マンチュー』と同格。

6.ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』はある意味普通の幻想談。読んでよくできてるねで済ませばいいのであるのだけれど、作者が作者だけにねえ。ティプトリーの作品のなかでどう位置付けるか。(無垢性無名性への復古的感傷とかね) ぼくにとっての重要度では『ジャングルの国のアリス』と同程度。

7.小林泰三『ネフィリム』は『AΩ』とは密度がちがう。字で書いた漫画。小林泰三という才能の無駄遣い。
 それにしても、浦沢直樹を小説的だと文句をいい、小林泰三を漫画的だといってけなすわたしゃいったいなんなんだ。

8.『6ステイン』福井晴敏も短篇が書けるんだ、というのが第一印象。不満は少ないが、それでも粗っぽさはいなめない。うち2篇は前後編の連作中篇。長さ的に中途半端。最後の話は『亡国のイージス』の番外編。ラブ・ストーリーをからめた単発の2篇「畳算」「サクラ」が好み。

11.金原瑞人『大人になれないまま成熟するために』。『ライ麦畑』や『アウトサイダー』といった小説、「暴力教室」「理由無き反抗」などの映画を手がかりに若者が<発見>された50年代アメリカ文化の系譜から、音楽シーンを中心にした日本における受容状況、団塊の世代批判、ヤングアダルト(ライトノベル)の台頭まで、個別的には興味深い指摘もあるけど、全体に恣意的で大雑把な放言集。「青雲賞を受賞した秋山瑞人」という誤植が印象に残った程度。

12.『日本一怖い!ブック・オブ・ザ・イヤー2005』、13.『このミステリがすごい!2005』。恒例の年末出版回顧本。SFがたくさん出たせいもあって、今年の「このミス」の顔ぶれにはいまひとつ興味がわかない。12.は分野別対談を中心に構成した回顧本。対談自体はやや平板。

大森望・三村美衣『ライトノベルめった斬り』。一挙に3冊並んだライトノベル関連本。遠慮のなさで大森・三村本が飛び抜けていい。京フェスでゲラで読んだときには、お互いの気心と立ち位置が知れすぎてるせいで、『文学賞メッタ斬り』と較べて中身が内向きすぎる気がしたのだけど、こうして本になったものをみると、一般性も充分合格点だった。脚注の効果というのも大きいのだろう。
 ジャンルの時間軸と空間軸をきちんと整理し、社会状況と関連づけながら個々の叢書の特質と背景を抽出する作業内容は、幾度となく聞き及んでいるものだけど、それだけ吟味もなされている。
 この歴史的系譜の紹介を読むとぼくのぼくのライトノベル歴はじつに狭く偏っていることがよくわかる。中学時代、「時代」や「コース」に連載された『夕映え作戦』その他のジュヴィナイルSFを読んでいたあと、もっぱら一般向けの海外SFに向かっていたぼくが、実際に読んだライトノベルは社会人になってから。獏の「キマイラ」、菊地「エイリアン」が最初である。周りで話題になっていた「クラッシャージョー」はタイミングを逃してじつはいまだに読んでいない。その後何冊か読んだソノラマは失望が大半でスニーカーやファンタジアもほとんどパスしている。次に嵌まったのが氷室冴子。そこから久美沙織に移行して失速。しばらく間を置いて、前田珠子、若木未生、樹川さとみ、小野不由美と、もっぱらコバルト・ホワイトハートの女性陣主体に渉猟し、上遠野ブギーポップでやっと男性系の電撃に目を転じた。ノベルズ本は茅田砂胡を除くと大部分が男性作家だか、文庫本は7割方コバルト・ホワイトハートに占められる。コバルト文庫はライトノベルズとはいえないという説もあるようで、そうするとぼくはほとんどライトノベルズを読んでいないことになる。

『ライトノベル完全読本』の第2集は期待はずれ。第1集に較べて煮詰め方が足りない印象が強い。前回明らかに弱かった少女ノベルを特集しているけれど、通読して、コバルトやホワイトハートの輪郭はいまひとつ浮かびあがらない。しかも本全体の造りはあいかわらず男性系ライトノベル読者に向いており、本全体が焦点ボケになっている。

 『このミス』の実績を引っさげた宝島社の新規参入『このラ2005』は手馴れた本作りですなおに楽しめる。ベスト投票結果も男女両レーベルがバランス良く散らばり、『マリみて』ぶっちぎり1位の気持ち悪さはない。(『楽魔女』に続く15位)
 考えてみると『完全読本』に対する反感のかなりの部分が巻頭掲載人気投票の『マリみて』1位に起因しているようにも思える。
 第1号ということで、ジャンルの総括的紹介など、そうとう頑張っている。個別事案に展開していく必要のある第2号以降も、この密度を維持してもらえればありがたいのだが。

 京フェスで一読を薦められた豪屋大介
 『A君(17)の戦争』はおたく嫌いのおたくによる「最近の若いオタクは」ネタで組み上げた魔界戦争ファンタジー。魔界に飛ばされた高校生が魔族の王として、人間族に立ち向かう。ある意味オーソドックスな設定に、敵もも味方もかわいい女の子だらけの「ねぎま」状態とか、ガンダムおたくの前魔王とやおいに目覚めた人間族の王の心温まる交流(戦争そっちのけでの同人誌作り)とか濃いネタを散りばめながらライトノベル暗黙の了解への批判的見解を撒き散らす。
 第一作は批判的見解を小説のかたちに組み上げた逆設定をてんこもりにしただけのあまり褒められたものではないのだけれど、書いてるうちに作者に世界に対する愛が芽生えて、オタク批判とオタク心の全開のアンビバレンツがなんともいえない味を生む。
 こちらでやっていることは高く評価したいのだが、エロと殺戮と説教満載の『デビル17』はライトノベルの『ゴル』シリーズ。意図はわかるけれども、木乃伊取りが木乃伊になりそうな危険性を孕む問題作。問題意識に欠ける便乗品がどかどか出そうで、いや。


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