内 輪   第170回

大野万紀


 矢野徹さんがお亡くなりになりました。矢野さんとは毎年年賀状を交換していたのですが、ここ数年お返事がないのを心配しておりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 今年は毎週のように大型台風が上陸し、まるで怪獣の襲来のようです。といっていたら今度は大地震。まったく大当たりの年なんでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『象られた力』 飛浩隆 ハヤカワ文庫JA
 飛浩隆のSFマガジン掲載作4編を収めた短編集。傑作である。「デュオ」は肩から下がくっついた双子のピアニストと調律師をめぐる、技と体と意識の物語。「呪界のほとり」はちょっと毛色の違う、ライトノベルのファンタジーにでもなりそうな、キャラクター重視のユーモラスなSF。そして「夜と泥の」と「象られた力」は同じ未来の宇宙を舞台にした本格SFで、そしていずれの作品にもその中心にあるのは、カオス的な形象のはざまから自己組織される〈意識〉というものである。物質やエネルギーと情報の関係といってもいいかも知れない。ハードSF的な言葉で書かれてはいないが、その問題意識は深い。まさに現代SFというべきものである。また視覚、聴覚、触覚といった五感で捉えられる世界の描写、リアルな〈もの〉とバーチャルな意識・情報の界面(インタフェース)としての感覚のディテール豊かな描写がとても魅力的だ。「象られた力」の圧倒的な目くるめくパワーもすごいが、ぼくには「夜と泥の」のSF的ガジェットの描き方がとても気に入った。ここにはJ・G・バラードの残り香といったものがある。

『審判の日』 山本弘 角川書店
 SFマガジンに載った1編を除き、書き下ろし短編ばかり収録された短編集。SFとホラーが半々くらい。しかし、意外に素朴な味わいのある短編集で、ストレートというか、とっても素直な小説ばかりだ。頭の中で思いついたこと、自分の中でディスカッションしたことをそのまま描いているような感じで、ちょっと物足りない。ストレートなのが悪いとはいわないが、もっと突っ込んで欲しい気がする(でもそうすると大長編になってしまうのかな――テーマがテーマだけに)。「闇が落ちる前に、もう一度」のテーマなんて、SFファンなら一度は考えるようなテーマだが、それを突き詰めればまさに著者が『神は沈黙せず』で書いたようなテーマとつながっていく。また実際にイーガンのような現代SFの最先端が思弁を凝らし、科学者の間でも議論がされているものなのである(無限大の時間の中での宇宙のふるまいや安定性についてのびっくりするような論文が、以前SF大会で紹介されていたことがある)。この手のテーマは、今やアイデアだけでは意外性がないものとなってしまったのだ。後、わかりやすさを重視したのだろうと思うが、科学用語の使い方や説明方法に大胆なところがあるのが少し気になった。

『異型コレクション30 蒐集家』 井上雅彦編 光文社文庫
 異型コレクションも痛感30巻。すごいものだ。今号の注目は中島らもの遺作となった作品が収録されていること。その作品「DECO-CHIN」はさすがにインパクトのある印象的な作品だった。DECO-CHINって、そういうことかい。飛浩隆の「デュオ」が同じくフリークの音楽を扱っていても、感性よりは理性に、つまりSFに向かうのに対し、こちらはもろに感性の物語。理屈じゃない分インパクトは大きい。ここに流れる音楽は、どんな音楽か想像できるような気もするが、実際に聞いてみたくなる。その他では早見裕司の「終夜図書館」がホラーというよりジュニア小説/ライトノベル論の趣があって面白く、また朝松健の一休さんのシリーズ「尊氏膏」もいつものように面白く読めた。「尊氏膏」にも残虐な描写が出てくるが、その極端なのが平山夢明「枷」で、読んでいて気分が悪くなりそうな残酷描写がこれでもかと出てきてインパクトが強い。でも物語としてはもうひとつ感がある。他に印象に残った作品は草上仁「ディープ・キス」、冲方丁「箱」、朝暮三文「參」など。

『ケルベロス第五の首』 ジーン・ウルフ 国書刊行会
 やっと読み終えたぞケルベロス。訳者の苦労はわかるが、話としては決してそんなに難解だとは思わなかった。あいまいで、ストーリーが追いにくく、多義的でとらえどころのない小説ではあるが、ビジョンはくっきりとしているし、イメージも豊かだ。その昔、小松左京から今西錦司や梅棹忠夫の流れで人類学や文化人類学、民俗学に興味があった時期があり(今でも興味だけはたっぷりある)、アボリジニのドリームタイムの話など読みふけったことがある(映画もあったなあ)。本書(の元の短編)や、同時期のマイケル・ビショップの作品なんかもそんな文脈で、いわばフィールドワークSFとして読んでいたように思う。そういう意味では、本書は第一にもうひとつのドリームタイムを扱った物語であり、そこでは個人と民族の意識が溶け合い、集団的なもうひとつの時間が流れ、因果関係が逆転したりあいまいになったりする。だからぼくには多くの人が退屈だという第二の物語が一番面白かったし、それと直結する第三の物語(の断片)も面白かった。第一の物語はそれだけでほぼ完結しているが(そして一番SFっぽいが)、その後の物語のプロローグとして読むことができる。訳者や他の人によると、かなり深読みすれば謎解きができるそうなのだ。でも、そんなめんどうなことはしたくないよなあ。この、どこかの民族のドリームタイムと、そこに飲み込まれてしまった人々の物語として、ほんわか頭で、理屈抜きに読んでもいいんじゃないだろうか。

『熱帯』 佐藤哲也 文芸春秋
 これは面白い。誉め言葉として「バカSF」という言い方があるが、それなら本書は「かしこSF」だ。とても知的な(そして楽しく物悲しい)小説である。今年の夏みたいな、暑い暑い東京。都合の悪いことを不明事象として〈事象の地平〉の向こうへ送ってしまう不明省という役所がある。そのコンピュータシステム開発を請け負い、3年の予定が9年かかっても終わらない泥沼プロジェクトがある。CIAがおりKGBがいる。氷山にぶつかって沈んだ島とその生き残りが出てくる。このくそ暑い中、エアコンを爆破してまわる極右テロリストがいる。謎の水棲人まで登場する。全体がギリシアの古典の構成をもっていて、弁証戦隊ヘーゲリアンやら、プラトンファイトやらをテレビでやっている。哲学しています。めちゃくちゃリアルなシステム開発プロジェクトの延々と続く進捗会議の描写が、ホメロスだというのはびっくり(ちゃんと作者が解説してくれる)。なるほど、得体の知れない神様がちょっかいを入れるから、まとまるものもまとまらないんだなあ。勉強になります。このあたり、笑って読める人ばかりじゃないと思う。これってきっとうちのプロジェクトのことじゃないか、と青ざめるプロジェクトリーダーさんも多かろう。


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