続・サンタロガ・バリア  (第25回)
津田文夫


 まだ耳がドルチェに違和感を持っている。スペックはすべてリヴァプールを上回っていると思うが、ドルチェの音は柔らかいのだ。毎日2時間ぐらい鳴らしているのにリヴァプールのカンカンと乾いた音がまだ耳から消えない。気長に待とう。

 3月6日の夕方『イノセンス』を見に行く。地元の新しい方の映画館で1週間、後は昭和33年築の古い方でかかるらしい。前回客がでてくるのを待っていたら誰もでてこない。扉を開けたら無人だった。前回上映は観客なしの上映だったらしい。次は10人足らずはいたようだ。『SF JAPAN』の大森望の記事は読んでいたと思うが、それでも「北端」に入って中華風な祭りあたりから、近頃珍しく自分が強く反応していることに気がついて驚いてしまった。何にそんなに反応しているのかよくわからないのだが、その数日後にベンヤミン『パッサージュ論』第2巻にある「有機体に対する機械的な見方を発見することが、サディストの変わらぬ傾向である。サディストの目指しているのは人間の有機体〔人体〕に機械のイメージを押しつけることだ(p428)」の一文を目にして腑に落ちるモノを感じ、2週間後、映写機がカタカタとなる古い映画館で再見したときは、自分がこの映画に反応したことに満足がいったのだった。
 満足の理由を考えるのは面倒くさいのでやめとくけれど、素子の存在空間と「葛藤が存在しない」というセリフに昔(20年以上前だ)読んだゼブロウフスキー『マクロライフ』の一場面を思い出した。ストーリーはほとんど何も覚えていないが、ポンと浮かんできたのが、ゼブロウスキーお得意のヌースフィアの大宇宙版/マクロライフが完成してしまってこのままじゃ話が進まないじゃないか、というところへ主人公がマクロライフから分離されて対話をはじめるというシーンで、これが素子登場場面とつながったんだろうと思う。素子の存在形態にはひとつの希望が感じられるとともに、バトーくんの人間であるためのテンヤワンヤは続いていくんだよな、というのがとりあえずの安心のもとだなぁ。士郎正宗押井守の志向するところはかなり違うと思われるが、「縁」については共通認識があるようだ。
 しかし、短期間に同じ映画を2回以上見に行ったのは35年前にテアトル東京でみた『2001年宇宙の旅』以来のような気が(学生時代に『未知との遭遇』を1ヶ月に2回見たが、2回目は動機不純だったからなぁ)。

 ディヴィッド・イーリイ『ヨットクラブ』もまた楽しめる短編集だった。皮肉の効いたちょっと不気味な感じのする話が多いが、作家の腕が達者で全く飽きない。ただし、長い間心に残るかといわれればちょっと疑問なところ。ま、忘れたらまた読めるんだからいいじゃないか。話題の「タイムアウト」はアイデアに比べ話がしんみり調なので期待ほどではなかった。アイデア的にはビッスンのイギリスが漂う話よりもバカ度は高いだろうが。

 そのテリー・ビッスン『ふたりジャネット』は読み終わってまず、目次の作り方が旨いのに感心してしまった。「熊が火を発見する」からわりと取っつきのいい短いのを並べていき、表題作と「冥界飛行士」とひねって少し長めの「万能中国人ウィルスン・ウー」シリーズを3連発となかなか愉しい本になっている。愉しい短編集としては『不思議のひと触れ』以上かも知れない。

 ウォルター・テヴィス『地球に落ちて来た男』がいままで翻訳されてなかったなんてちっとも知らなかった。てっきり古澤氏は新訳しているのだろうとばっかり思ってた。いつから翻訳がでているものと勘違いしたんだろう。きっとボウイのイメージが強すぎて映画原作として当然文庫ぐらいにはなっているだろういう思い込みがあったんだね。作品はいかにもテヴィスらしい孤独感を強く感じさせるもので、主人公が本来の任務さえ放棄してしまうところはエンターテインメントらしくない物語といっていいだろう。SFとしてはいわゆる昨日の未来だけれどテヴィスの真骨頂として未だ古びることのない感情が伝わってくる。久しぶりのボウイ人気に便乗して売れたらいいのにね。

 プラチナ・ファンタジー・シリーズ第3弾がケリー・リンク『スペシャリストの帽子』。こんなに性格のバラけたシリーズもめずらしい。あらゆる小説はファンタジーだっていう意味でのファンタジー短編集で小説は何をどう書いたっていいんだという見本。その意味ではケリー・リンクはビッスンよりもイーリイよりも技巧派なのかも。それにしても「女と女の世の中」な話が多いなあ。男の自分にとっては、といっちゃいけないが(『エイリアン・ベッドフェロウズ』はまだ途中)、つぎつぎと不透明な世界が現出する。SFマガジンの書評ではあっさりと透明化されていたけれど。「飛行訓練」とか「人間消滅」(このタイトルは工夫の余地有り)が好きな話。振り返ってみると女性作家の翻訳短編集なんぞSF以外では最近読んだことがない。これはもしかしたら年間ベスト級の短編集なのか。 


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