みだれめも 第146回

水鏡子


 「ハヤカワSFシリーズJコレクション」のレベルが予想以上に高い。質の平均と年齢層でデュアル文庫のやや上あたりと踏んでたけれど、もう2ランク上位、ファンタジイノベル大賞に近いレベルに落ち着きそうである。おまけに紛うことなき<SF>ときている。黎明期、早川SFシリーズで同時発売され最初に大々的に喧伝された日本SFの成果集、『地には平和を』『宇宙のあいさつ』『墓碑銘2007年』と比較しても、けっして恥ずかしくない陣容である。いずれにしても、今年の日本SFのベストは、Jコレクションがガイドラインにならざるをえない状況にある。その充実はうれしいかぎりであるけれど、同時にベスト5がJコレクションで埋めつくされる事態だけは避けたいと思う。順調に年を重ねる『SFが読みたい』には、『このミス』に並ぶ権威と売上げを確保して欲しい。それがSFというジャンルを俯瞰する外部に開いた窓となり、ジャンルの興隆に帰することにもなるのだと思うだけど、早川書房の出版物で、早川書房の作品が上位を独占する事態というのは、そこに並んだ本をまだ読んでいない人間に、自社本よいしょの広宣企画本でないのかと、いいかげんな先入観と不信感を植えつけかねないこわさがある。単なる一読者(に近い人間)が、そんな大所高所に立った思考を巡らせるのも滑稽だったりするのだけれど、おかげでやけに目線が日本作家に向いていて、3年ぶりの大豊作の海外SFがどんどん山積みになっていく。困ったものだ。

 島田雅彦の本というのも、棚を見ると2桁を越えている。デビュー時から気になっていてぽつりぽつりと古本屋で拾っているのだが、むかし一二度読もうとして文章的になじめなかったかなにかか、まだ1冊も読んでいない。
 はずである。なんて書くのも、このまえ古いみだれめもを読み返していたら、おんなじように買い集めている別の作家で、この作家を読んで何か感想を書くとしたらとりあえずこの本あたりから読み始めなくっちゃ、とか、位置づけていた本の「読んだ感想」が書いてあって頭を抱えたろしたせいである。
 新聞の文芸時評で沼野充義が「商人が資本を運ぶのと並行して、宣教師が「神」をもたらそうとし、日本に昔から住む「幽霊どもを征服」しようとして挫折するという思想と観念のドラマである」と紹介しているのが、この島田雅彦の新作『フランシスコ・X』(講談社 1800円)である。京極堂のシリーズ中、SFに一番近しいのは『鉄鼠の檻』だというぼくとしては、かなり気になる紹介で、とりあえず読むことにした。フランシスコ・ザビエルの生涯を語った作品で、一部年老いた禅僧とのやりとりや、ユダヤ系ポルトガル人の扱いかたなど、かすかにSFに期待するのに似たときめきを感じるところがあるけれど、基本的には心定めた人間たちの生涯を賭けた思いを追走する歴史小説。好きなタイプの小説だけど評価としては中の中。SFではない。

 ずいぶんごぶさたしていた川上弘美『龍宮』(文藝春秋 1238円)に手を出したのも、前述の通り、Jコレクションのせい。近作の短編を集めた幻想小説集で、霊験あらたかな生き神となり、いまだに少女のような容貌気配を湛えた、しかもじつはすでに死んでいるようにも読める祖母の生涯が、その祖母にまとわりつかれる孫娘の目と耳を通じて語られるという、絶妙のポジショニングで作られた表題作がとくにいい。ラファティあたりにひきつけて、SFに囲い込むことはできなくもないけれど、幻想小説としてすなおに埒外で愛でるほうが正しかろう。

 とりあえず、ぼくとしてはJコレクション中北野勇作『どーなつ』が現時点での最上位。『かめくん』には読者に対する配慮というより遠慮があったのではないかというのが本書を読みながら感じたことのひとつ。そのこと自体はプロとしてたぶん必要なことでもあると思うけど、こだわりをかたちにしていくなかで、配慮はともかく遠慮はできなかったというのが本書のような気がしている。なによりも、とくに前半の作品のひとつひとつがせつなさのある短篇としてできがいい。しかもその短篇が互いにつながりあいながら最終的につじつまが合っているのかどうかさえ確信をもてないぼんやりとした全体像を提示するという、連作短篇ならではの魅力を醸し出している。本人は小松左京の「happy birthday to」(だっけ)に触発されたと書いているけど、宇宙的スケール「藪の中」である小松左京のあの作品の明晰さの勝った客観崩壊世界と、この『どーなつ』の世界とは似て非なるものといえる。順序をいろいろ入れ替えたとのことであり、じっさいどの順番で作品が書きあげられたのかわからないけど、後ろのほうの作品は、整合性やつじつま合わせに筆をとられ、前の方の作品に比べ、短篇としての切れ味が鈍った感じがある。SFに限らずエンターテインメントの大半が風俗ファッションあるいは人間関係や業界関係といった自らの周囲の小宇宙や擬似現実のなかでの哲学性・純粋性を高めていっているように感じるなかで、北野勇作の小説は<現実>への目線を確保している気がすると、これはSFセミナーの合宿のときの雑談のなかで思いついた評価だけれど、あの段階でまだ読んでなかった本書を読んで、いっそうそんな評価に確信ができた。「熊つながり」で日本のテリイ・ビッスンと呼んであげたい。
 個人的には今のところのベストだけれど、じつは『火星』と『くらげ』をまだ読んでいない。キャラやら事件がやたらとクロスしているようで、この作品(集?)がこれら北野宇宙の集大成か拾遺集か、うかつなことがいえない感じで、とりあえず、今のところは評価保留ということで。

 小林泰三『海を見る人』は、ハードSFといってもポリシーは、クラークやニーヴンではなく、レムとも異なる、マッスン、ベイリー、プリーストといった綺想系宇宙耽溺症候群患者の系譜につらなることを堂々と主張する、これも日本では珍しいタイプの作品集となった。最新作である書下ろし「キャッシュ」はグレッグ・イーガン風である。北野勇作とはある意味対極ともいえる作風だけど、じつは日本で比較的似たタイプの作家と考えていくと、北野勇作も小林泰三も同じ小松左京という名前が浮かんでくる。小松左京のすごさということだろう。(逆に島田雅彦とか小林恭二その他純文学フィールドのSF風作家の場合筒井康隆の印象を連想することが多い。)
 欲求不満が重なるので評価はやや低くなる。とんでもない世界を計算尺片手に構築する部分は、なんとエライ人なのだろうと仰ぎ見るしかないのだけれど、恋愛小説自体の物語構成に難がある。恋愛小説仕立てが悪いといっているわけではなく、この仕立て、この設定、この構成なら、もっと泣ける話に仕上げることができるだろうと思ってしまうのだ。なんか泣かされそこなったいらだたしさが残っている。

 佐藤哲也『妻の王国』は、妻に佐藤亜紀が重なるところが読みどころになって筆力は実績どおりで、それなりに読ませてもらったけれど、話的にはそう目新しさもなく手順どおりに展開されただけといった感が強い。どうしても比較してしまうのが佐藤亜紀の『戦争の法』で全然ちがうといえばちがう話であるけれど、あちらにあった物語としての強靭さを期待してしまうぶん物足りなかった。


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