内 輪   第138回

大野万紀


 新しいデジカメを買いました。CANON のPowerShotA20。200万画素で3倍ズーム可能。前のは80万画素でズームなし。大きさ重さも前よりやや小さめになりました。まあ80万画素でもWEBに写真を載せるには充分だったのですが、これでちょっとだけ時代に追いついたかなという気分です。これからのTHATTAのレポートではこいつが活躍することでしょう。

 「ハリー・ポッター」の映画は見てきました。原作を読んでいたのでそれなりに満足。とにかく子どもたちが可愛いのは最高。ま、他はとやかくいいますまい。しかし、「ロード・オブ・ザ・リング」の評判がいいですねえ。ぜひ見ないといけないという気分になりますが、しかし、いったいいつ映画館に行けることやら。まあ長くやってくれるなら、そのうち行けるだろうとは思うのですが。こっちは原作を読んでなくても大丈夫?(実はぼくも挫折組。今なら読めるかも知れないが、あんまりその気にならないのです))

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ベルゼブブ』 田中啓文 徳間書店
 蠅の王が蘇る大作ホラーである。神も仏も、もうひとつ悪魔もない時代のオカルトホラーであり、だから黙示録的恐怖が、日本は東京のごく狭い範囲に具現化する。とても真面目な話なのに、どこかマンガ的でTV特撮もの的で、もちろんひたすらグロテスクで汚らしく悪意に満ちているのは、おそらく作者の特質というより、選んだテーマのせいなのだろう。いややはり作者の特質なのだろうか。大変な破壊力のある力作であり、キャラクターにも魅力があるのだが、後半ではしだいにわざとらしさが勝ち、繰り返しがうっとおしくなってくる。黙示録的戦いの物語なのにスケール感がないのは、これは意図的なものなのだろうが、ぼくの好みとは異なる。でも、こっちの方が現代的ということなのだろうな。ラストのエピソードについては、効果を上げているとは思えない。そんな話だったの? 神や悪魔といった超絶的な存在にノーをいう、おっかけギャルの物語ではダメだったのだろうか。聞くところによると、本書は作者の思いとは違う形で本になったのだそうだ。それが事実かどうかはわからないが、確かにバランスの悪さは感じ取れる。惜しい傑作である。

『動物化するポストモダン』 東浩紀 講談社現代新書
 オタクから見た日本社会という副題。オタクといっても、ここで主に扱われているのは90年代の男性オタクである。このあたりになるとぼくもよくわからない領域で(水鏡子の方がギャルゲーやってるだけ詳しいのかも)、分析の当否は判断できないのだが、なるほど理解できたような気になったのは確かだ。現代思想の本にしては読みやすいのは話が具体的だからだろう。そうですか、ぼくらは「大きな物語」を求めてしまう昔風の第一世代のオタクなのですか。今のオタク(第三世代)はデータベース化されていて、そこから任意抽出される「小さな物語」や「萌え要素」を愛でるように楽しむんだそうだ。楽しいんかい。でじこがはやるなんていう、おじさんには理解できない現象も、本書を読むとなるほどと納得できる気がするのだが、本当か? ギャルゲーの話にしてもウェブページのソース読みにしても、確かにそういう人はいるだろうけど、多数派じゃないでしょ。わしらが知らないだけで、90年代男性オタクでは普通なのか? ぼくらは世間一般からするとオタクといわれても仕方ないんだろうなあと思っていたが、少なくともここで議論されているようなオタクじゃないや。だからどうだといわれても困るが。とはいえ、でじこにしろ、「アニメ・まんが的リアリズム」にしろ、ヤングアダルトの多くの作品にしろ、本書のような観点から理解すればわかりやすいというのも事実だろう。なるほどと思える。でも、そこまでして理解したってしょうがないかも。やっぱり「シンプレックス・コンプレックス・マルチプレックス」の方がいいや。

『グローリアーナ』 マイクル・ムアコック 創元推理文庫
 「サンリオ文庫の最後の遺産」だそうな。本当か(自虐的笑い)。それはともかく、これは傑作である。もう一つの大英帝国(アルビオン)の歴史絵巻が、華麗に壮大に描かれていて、物語の面白さを堪能できる。架空歴史小説(といっても、世界設定や歴史そのものに主題があるわけではない)で、魔法的なものも多少は出てくるが、空想的な飛躍は少なく、舞台もほとんど宮廷を離れない。SFやファンタジーとは違う感じがするが、そのわずかに出てくる魔法的存在に、ムアコックのSF/ファンタジー世界とのつながりがほのめかされているように思える。しかしまあ、それは重要ではなく、本書の主題は女王グローリアーナその人と、悪の芸術家たるキャプテン・クワイア、そして繁栄するアルビオンの影の面を知る大法官モンテファルコン卿らの織りなす、宮廷とその地下世界での陰謀劇だろう。ただこの陰謀劇は政治的なもの以上にモラル的なものであって、現代小説よりむしろシェークスピア劇に近いものだろう。時間の流れはゆったりとしており、登場人物たちはみな現代人ではない。グローリアーナはエリザベス一世を擬しているとのことだが、ビクトリア時代ならともかく、エリザベス時代となるとそれこそシェークスピアの時代かなというぐらいで、あんまりはっきりしたイメージがわかないところだ。でも、確かにそれくらいの昔であれば、登場人物たちが近世や現代の人間とは違っていて当たり前だろうと思う。少なくともグローリアーナの宮廷には「大統領、ポキープシでそのことを伝えておくべきでした」などと言い出す人間は存在しないだろうと思われる。本書でもう一つ重要なのはマーヴィン・ピークに捧げたという宮廷の地下世界である。このイメージは強烈でとても印象的だ。

『アラビアの夜の種族』 古川日出男 角川書店
 現代の千夜一夜物語。あるいはもうひとつのウィザードリー。面白いと評判の本書だが、実際読みごたえがあった。ナポレオンに侵略される19世紀のカイロの物語も、その物語の中で夜の種族によって語られる三人の主人公と迷宮の物語も、いずれも面白く、物語の楽しさに満ちている。もっと高踏的な物語かと思っていたのだが――実際19世紀篇の語り口はいかにも文学的といえるが――語られる迷宮の物語、それも中盤をすぎて、三人目の主人公である盗賊の物語くらいからは、びっくりするほどくだけた語り口で、いかにもおとぎ話の世界だ。魔王と魔法使いの生い立ちについてのお話はもっと重い印象があるのに、これは本当にRPGゲームのような雰囲気。とはいえ、そういったくだけた語りが、言葉をちりばめた見事な描写とうまく融合して、下品にはならず、軽みとして楽しめる。ゲームとしてみた時は、迷宮もあり怪物もあり剣と魔法もありお宝もあるのだが、経験値はない。というのも主人公たちは圧倒的に強力な勇者や魔法使いであって、運命の力がすべてを左右し、経験なんてものは大して価値のないものだからだ。本書もそうだが、作者は人の作り出すもの、物語、音楽、イメージャリイ、そしてミームというものに取り憑かれているように思える。本書もまた、強烈なミームについての物語となっているのだ。本書が翻訳という体裁をとっているのもそのせいだろう。

『殺人鬼の放課後』 恩田陸他 角川スニーカー文庫
 恩田陸「水晶の夜、翡翠の朝」、小林泰三「攫われて」、新津きよみ「還って来た少女」、乙一「SEVEN ROOMS」の4篇を収録したアンソロジー。表紙にはミステリ・アンソロジーとあるが、ミステリらしいのは恩田陸のみで、他はどうもホラーの要素が強いようである。とにかく小林泰三と乙一の二篇は強烈。特に小林泰三は、そうかも知れないとは思っていたがここまで本当に邪悪だとは知らなかったというくらい、イヤな話である。この二篇は監禁ものという共通点もある。乙一の方も恐ろしい話だが、幾何学的といっていいような内容が幻想性を醸し出しており、印象的だ。


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