内 輪   第129回

大野万紀


 映画「メトロポリス」(りんたろう監督、大友克洋脚本)を見てきました。手塚治虫の初期作品を最新技術でアニメ化したというのが売りですが、何といっても一番の見どころは、あの丸っこい、どこか上品なエロスを感じさせる絵が、ちゃんと違和感なく動いているというところです。あんまり無理矢理な感じがなく、ごく自然にとけ込んでいる。CGでなければとても描けないような細密なメトロポリスの描写も素晴らしく、このゆったりした画面を大画面で見るだけでも満足。レトロフューチャーな世界にたっぷりと浸ることができて、それだけで嬉しくなってしまいました。大友克洋の脚本はちょっと心配だったのだが、抑制がきいていて、まあ良かったといえるでしょう。とにかく絵的には大満足、動きも満足、声も似合っていたし、キャラクターもヒゲオヤジとロックがかっこよくて、他の手塚キャラもよかった。ただ、メトロポリスの描写にしても細密度は全然違うが、FFで見たという既視感がありましたね。脚本で気になったというか、わかりにくかったのはプロレタリアートの革命家たちの扱い。この物語では人間とロボットの対立とその止揚がテーマなのだが(ヨーロッパへのアジア系移民の流入といった現実的テーマと重なっている)、反ロボットの失業者たちがケンイチたちの味方に見えるのが混乱する材料だ。本来はティマを中心に、人間対ロボットの話のはずなのだが、ロボットにより仕事を追われた人間たちの存在が話をややこしくしている。この文脈では右翼=ファシストであるマルドゥク党は、既存体制に対し彼らと共闘する側なのだが、そのあたりがちょっとあいまいだ。大友は単純な二項対立(ロボット対人間)を避けようとしたのだろうが、説明不足で中途半端になったように思う。まあ、しかしそのあたりのストーリーは重要ではなく、プロレタリアートの反乱というのもレトロな雰囲気を出すための要素にすぎなかったのかも知れない。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『天象儀の星』 秋山完 (ソノラマ文庫)
 著者の92〜94年ごろの初期作品を改稿した短編4篇と、最新の書き下ろし中編1篇を含む短編集。全体的にセンチメンタルな雰囲気が強く、完成度は決して高くない。でも、作者の興味やテーマに対するストレートな気持ちは、ひしひしと伝わってくる。最近の長編に見られる妙なバランスの悪さはむしろ少ないといえる。どういうわけか、初期作品のうち2篇が〈博物館もの〉で、昨年の日本SFとのシンクロニシティを感じた。さて、書き下ろしの「光響祭」だが、イメージは大変に美しい。ハードSFかと見紛うような単語が頻出するが、もちろん科学的というよりはイメージ的に使われているものだ。これは一つの方法論ではあるが、いくぶんトンデモ的な危ういものを感じてしまう。ほら吹き男爵と同じタイプのレトリックなのだが、若い読者にきちんと判断できるだろうか。もう一つは悪い魔女であるヒロインの描き方。作者には圧倒的なパワーをもつ死と破壊への、あこがれに似たアンビバレンツな感情があるようで(それは別に問題じゃない)、この作品でも結局悪のヒロインが勝利している。善の側の主人公たちの愛や正義感や自己犠牲は、自己中心的な悪のわがままパワーを引き立てるだけに終わっているのだが、その後のフォローがなくて、後味の悪さが残る。そのあたりは今後の作品で展開されるということなのだろうか。

『ふわふわの泉』 野尻抱介 (ファミ通文庫)
 クラーク『楽園の泉』への挑戦というか、宇宙への道を開き、世界を変える大発明SF。いやあこれは楽しい。これだけ明るく前向きなSFを21世紀の初めに読むと、ふわふわと元気がわいてくる。天才というか、きちんと自己判断のできる女子高生ヒロインが、中が真空で空気に浮かぶダイヤよりも強靱な物質〈ふわふわ〉を、化学部の文化祭に向けての実験中に偶然作ってしまう。そこからあれよあれよという間に、彼女は女子高生社長となり、製造法を確立し、大量生産して世の中はふわふわで溢れることになる。この前半のスピード感あるエスカレーションが楽しい。「プロジェクトX」みたいな悲壮感は微塵もなく、まさにふわふわ。でも、舞い上がっている様子はなく、登場人物はみんなしっかり自立していて、けっこう真面目に運命を受け止めている。かっこいいですね。ヤングアダルト小説によくある、キャラクターたちのべたべたした感覚がなくて、すっきりしている。まあ、そのぶん主人公が女子高校生である必然もないわけだけど(これは作者本人でしょう)。成層圏につくる巨大なプラットフォームの描写など、まさにクラークを思わせて、ハードSF好きにはたまらない。後半は、少し評価が分かれるかも知れない。『楽園の泉』と同様、地球外知性体の登場だ。ストーリーの流れからすると必要なかったとする意見もあるだろう。ここで物語のリズムが乱されているのは確かだ。だが、リニアにどんどん話が進んで行くより、カオスが混入してとんでもなく飛躍していく方が、SF読みとしては嬉しい。なにより、この知性体〈霧子ちゃん〉がいいじゃないですか。別のSF的テーマともしっかりつながっていく。短い、若い読者向けの話ながら、おじさんも面白く読みました。

『始祖鳥記』 飯嶋和一 (小学館)
 江戸時代に鳥人間となった男の熱い生涯を描いた小説。うわさに違わず面白く、堪能した。読後感もとてもいい。空飛ぶ表具師、幸吉だけでなく、彼に関わる男たちの物語になっている。下総の塩問屋、伊兵衛、廻船の船頭、源太郎と、いずれも熱い心を持ったロマンあふれる人物である。ある意味、プロジェクトXかも知れないが、淡々と積み重ねられる物語の声は、決して声高ではなく、上品な力強さがある。閉塞した時代に、世界を変革しようとする志をもった人々の話であり、それがSFファンにもアピールするところだろう。

『世界の終わりの物語』 パトリシア・ハイスミス (扶桑社)
 その昔ならブラック・ユーモアとでもいったのだろうか。かなりえげつない、悪意に満ちた短編集である。癌や放射性物質、社会福祉や政治への、ある種極端な設定と展開で、どの作品もSF的といっていいと思う。面白かったというと、そういう言い方が果たして適切なのかと悩むのだけど、印象に残ったものは危険な廃棄物をテーマにした「奇妙な墓地」「ホウセンカ作戦 あるいは〃触れるべからず〃」、ゴキブリとの戦いを描いた「〈翡翠の塔〉始末記」、老人問題を扱った「見えない最期」といったところだ。

『ハイウェイ惑星』 石原藤夫 (徳間デュアル文庫)
 これは懐かしいユーモア・ハードSFの復活だ。著者自身が作品選択し、手も加えられている(コンピュータ関係など)。あっと驚くような奇妙な設定があり、それを(強引な場合もあるけれど)科学的に説明していく。ちゃんと真面目な科学解説も入っている。小説的にはこういう手法を疑問視する人もいるだろうが、全然問題ないと思う。若いころにこのような小説を読んで、SFや科学に興味をもつ人たちもいるはずだ。理科系のセンスのある人(別に専攻や進路が理科系ということではない)なら、きっと楽しめると思う。本書の中では表題作の「ハイウェイ惑星」が一番テーマが面白く、展開も楽しい。「空洞惑星」もバランスがとれている。「バイナリー惑星」はちょっとペーソスがあって、あんまり若い人向けじゃないかも。日本SF史に残る傑作「ブラックホール惑星」は、いわゆる科学的バカ話であって、初心者にはきついかも知れない。「安定惑星」はちょっとテーマが古いかな。


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