内 輪   第123回

大野万紀


 ドラクエ7はまだ終わりません。
 今年も京都SFフェスティバルに参加してきました。レポートは別ファイルとします。しかし、京フェスやセミナーでは、若い(といっても色々ですが)SFファンと話ができるのが嬉しいですね。ぼくらはこの中では、もう最年長の部類なんだよなあ。もっと年上の人も参加してくれたらいいのに。あ、セミナーには参加しているか。
 旧石器の発掘が捏造だったというニュースにはびっくりしました。ぼくは学生時代、考古学にも興味があって、発掘に参加した経験もあります。おおざっぱに掘るフェーズもありますが、遺物が出てくるあたりでは実に精密な作業になり、細かく記録をとっていたことを覚えています。前期旧石器の発掘では、そんないいかげんな事がまかり通っていたのでしょうか。それにしても真面目に発掘に参加していたであろう学生たちが、とても悔しい思いをしているだろうなと思いました。ところで、ネットで流れていたという、「あのフロイト博士が、モノリスは捏造だったと告白」というニュースには笑いました。ところで、ゴッドハンドの人が50万年前にタイムトラベルして、石器を埋めてきた場合、これは捏造といえるのでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『SFの殿堂 遙かなる地平』 ロバート・シルヴァーバーグ編 (ハヤカワ文庫)
 シリーズ物の外伝や枝編を集めた中編集。はじめは、何だかもう一つな企画だなあと思い、あんまり気乗りしなかったのだが、読み終わってみると、これはこれで結構読み応えがあり、面白かった。もう一つと思ったのは、とっつきのル・グィン「古い音楽と女奴隷たち」がつまらなかったからだ。いや、ル・グィンらしい真摯な小説なのだが、政治的に正しいことと小説の面白さとは別だ。続くホールドマン「もうひとつの戦い」も、面白くは読めたのだが、だからどうしたという話。カードの「投資顧問」も同じく、面白いことは面白いが、それ以上のものではない。外伝や幕間劇なんて、まあこんなもんだろうと思って読み続けたが、ブリンの「誘惑」で気を取り直す。これは本当に面白い!〈知性化宇宙〉の結構重要なエピソードだ。ただのイルカのお話じゃないよ。やっぱりこのシリーズはいい、と再確認。シルヴァーバーグの「竜帝の姿がわかってきて」は未訳の歴史改変もののシリーズ。ローマ帝国がずっと続いているという設定は魅力的だが、この小説はやっぱり、だからどうなの、という話だった。でも短いから許す。ナンシー・クレス「眠る犬」も未訳のシリーズ。これは面白かった。丁寧にきちんと、テクノロジーで変容した社会が描かれている。シリーズの全貌がわからなくても、十分に読み応えがあった。下巻に入って、最初がダン・シモンズ「へリックスの孤児」。これは〈ハイペリオン〉を読んでない人には勧められないのだが……読んでいる人にはたまらない。甘いとか安易すぎるとかいう人もいるだろうと思うが、いやもう、この無茶苦茶なスペースオペラな雰囲気が大好きです。スケールも大きいし、シリーズ特有のマンガっぽいノリもあるし、SFだなあ。ポールの〈ゲイトウエイ〉の外伝「いつまでも生きる少年」は、ゲイトウエイの世界でも日の当たらない、普通の人々というのはいるのだなあという話。悪くはないが……まあ、こんなもんでしょう。ところが次のベンフォード「無限への渇望」がまた読み応えがある。これまたスケールの大きなSFだ。中編であるがゆえにむしろシリーズを凝縮したようなところがあって、バランスがいい。神話的な物語とスピード感あふれる展開に、わくわくしてくる。マキャフリイ「還る船」はなんとまあ昔懐かしい普通のSFだなあ。シモンズやベンフォードといっしょに載っているのが不思議な感じ。面白かったけどね。しかし、最後を飾るグレッグ・ベア「ナイトランド――〈冠毛〉の一神話」が、ちょっと長すぎて退屈。時空の極北にある〈ナイトランド〉を描くにしては、想像力が貧困としかいいようがない。ベンフォードの小説とかぶっている部分もある(特にマンティスのテーマ)のだが、どちらが面白いかはいうまでもない。もっと短ければ印象的だったかも知れないが。

『鏡面のクー』 竹本健治 (ハルキ文庫)
 『クー』の続編なのだが、これはまあ、一体どうする気なのだろう。半分くらいまでクーは出てこない。退廃した未来都市の暗黒面と、そこでの虫けらのようなチンピラの生き方が延々と描かれる。そして物として扱われる女たち。これでもかというくらい悲惨な物語が続くが、ある意味、ありきたりでよくある小説だともいえる。クーがまた、悲惨な登場の仕方をする。こんなにボロボロにしちゃっていいのか、というくらい。で、ドカーンがあるかと思ったら、これがちょっと様子が違う。カタストロフはあるのだが、カタルシスは全くない。サイ能力者どうしの戦い(?)となって、意識が混じり合い、どこか別の時空でのせめぎ合いが描かれるのだが、ほとんど何がどうなっているのかわからない状態だ。タイポグラフィのような文章が続き、読者は置き去りにされる。クーはどうなってしまったんだろう。大瀧啓裕の解説はその謎解きも一部試みているが、仮にそれが正しいとしても、やっぱり疑問だらけだ。

『八月の博物館』 瀬名秀明 (角川書店)
 美しい装丁の本だ。小学校最後の夏休みにいつもと違う道を通って発見した不思議な博物館。そこにいるのは黒猫と、謎めいた美少女。そしてその扉は19世紀のパリ万博会場へ、太古のエジプトへ、時空を越えた無数の博物館へと通じていた。心の躍る設定である。本書が藤子・F・不二雄へ捧げられているのもむべなるかな、センス・オブ・ワンダーにあふれる、端正で美しい、見事なジュヴナイルSFである。作者はいつものように謙遜しているが、このパートはまぎれもなくSFである。それも、手塚治虫からつながる、きわめて正統的な日本的サイエンス・フィクションとして読める。ただ、物語の後半では、他のテーマとからみあうことで、ストレートなジュヴナイルSFから離れ、やや唐突な世界崩壊もあって、完成度には欠けるといわざるを得ない。しかし、本書はそれだけの話ではないのである。もう一つのパートは実在の考古学者、マリエットの物語だ。このマリエットは実に興味深い人物であり、この物語も歴史小説として、あるいは遺跡発掘をからめた冒険小説としていくらでも発展できるパートである。しかし、作者は比較的あっさりとこのパートを書き進め、最初の物語へ吸収させてしまう。三つ目の、おそらく一番重要な物語が、この小説の作者の物語である。ああ、でも物語をするということの意味、小説の感動とは、といったテーマを掘り下げようとし、メタフィクションの形式でそれを追求しようとした(真の)作者の熱意のこもった試みは、ぼくにはあまり成功しているとは思えず、むしろ凡庸なものに見えてしまうのだ。ミステリの叙述トリックや、バーチャルリアリティを扱うSFと同列のものに写るのである。なぜかと考えるに、物語ということの意味、主観と客観、見るものと見られるもの、といったテーマは、すべて最初の博物館の物語に含まれており、わざわざそれを外部から解説する必要はなかったのではないか、ということに尽きる。それらは長い「作者あとがき」に過ぎないのだ。物語の外にある客観の存在は、フーコーの振り子が、どっしりと証明しているではないか(それは地球の自転という、主観では捉えられない運動を、客観的な動きとして見せつける道具である)。しかし、そうはいっても(作者のパートも含めて)、本書が意欲作であり、エンターテインメントとしても十分に満足のいく作品であることに変わりはない。ただぼくとしてはもうちょっとだけ、美宇と亨の夏の冒険につきあいたかったという、それだけのことだ。

『永遠の森 博物館惑星』 菅浩江 (早川書房)
 SFマガジンに連載されていた連作短編集。新たに書き下ろしが一編追加されている。この博物館惑星はラグランジュポイントに浮かぶ人工惑星で、重力制御された環境に、あらゆる自然と人工の美が集められている、という設定。しかし、物語は具体的な展示物そのものよりも、それを巡る人々の反応……いさかい、執着、愛情、欲望……がテーマとなっている。とはいえ、作者の筆致は淡々としており、ぎらぎらどろどろとそれらを描くことはしない。それが共感を呼ぶところでもあり、物足りなさを感じるところでもあるだろう。主人公は博物館のコンピュータと直接接続した学芸員。そのせいか、あまり生身の人間らしさを感じない。いや、彼だけではない。本書の登場人物は、ほとんどがその具体的な描写をされていないのだ。唯一、いつも黒いオーバーオールを着ている中年女性のネネだけが、その姿を視覚的に描かれている人物である。後は背が高いか低いかといった部分的な描写にとどまる。それだけではない。本書を読んで驚くのは、風景描写というものがほとんど廃されていることである。そこに何があるかというのはわかる。しかしどのようにそれがつながっており、全体がどう見えるのか、世界の存在感が感じられる描写はなきに等しいのだ。それはまさに、ウェブの世界を思わせる。様々な意匠のページが独立に存在し、それらは途中経過なしでリンク一発で切り替わる、というような。一人称に近い三人称という文体も、その感覚を増幅している。まさに、主人公の頭の中、コンピュータと直接接続した視点なのである。このことにより、読者はそれぞれの展示物がもつテーマに直接接続することができる。夾雑物なしに、純粋なテーマのみを味わうことができるのだ。しかし、これはぼくにとってはいささか居心地が悪い手法である。異星の植物が作り出す黄金分割の美よりも、この生物の来歴や背景の方が気になってしまうような場合には。その点、テーマが自己完結し、それだけで物語を形づくっている作品であれば、この手法は効果を上げることができる。本書の中では「この子はだあれ」「永遠の森」「嘘つきな人魚」などがそういう作品である。


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