みだれめも 第123回

水鏡子


『レキオス』追記。読後、時間がたってから、突然気になりだしたのだけど、ラファティの登場人物にサマンサ・オルレンショーみたいなキャラっていなかったっけ。「マジック・リアリズムの沖縄を舞台に展開される電脳秋葉原組にラファティ・キャラが乱入、丁丁発止と渡り合う物語」と印象が差し替えられたというだけで、若干壊れ気味に思えたあの本の評価がぼくのなかでぐんとあがった。

「文庫解説の系譜」のファンジン大賞翻訳・紹介部門の受賞について
 前々号に載っけた『みだれめも雑多繚乱・ぞくぞく』の一部である「文庫解説の系譜」が2000年のファンジン大賞翻訳・紹介部門を受賞した。ちょっと困った。
 ご承知かと思うけど、『雑多繚乱』は「みだれめも」をはじめとする、ファンジン他に過去に書いた原稿を集めたもので、この原稿も3年前、神戸大SF研の正会誌「くびちょんぱ」が初心者向けSF入門特集を組むというので、それ用にわりと気楽に書き下ろしたものである。
 手を抜いたというわけではないが、あくまでも初心者向けに、とくに資料にあたりもせず、三〇代後半より上の世代の海外SFファンなら比較的常識に類する話を、受け狙いの独断と揶揄も混じえてしあげたものである。この種の賞の対象としては、正直ちょっと軽すぎる。
 ただ、本を買うと、まずあとがきを読み、場合によってはあとがきしか読まない人間として、こうしたかたちにまとめた文章がこれまで無いというのが前々から不思議だった。それなのにだれも書いてくれないのでしかたがないから自分で書いたということでもある。たぶん選者の方々も似たような思いをこれまでしてきたのだろう。つまり、あってあたりまえのものを初めて書いたということに対して、そうした書式・様式のオリジナリティに対して評価を与えられたのだということと解釈させていただいた。ビジネスモデルのパテントみたいなものですな。これを見て、境界ジャンルのいろんな人がいろいろと同じものを作ってくれたら、わたしゃとてもうれしいし、そういうものがたくさん出れば、後続部隊がぼくに先駆者としての名声が与えてくれることにもなる(のかもしれない)。
 とはいえ、そのことと内容が賞に値するものでないという自己判断とはまた別である。ネット時代となって、いくらでも転写がきくという時代にあって、こんなものが、単なる雑文としてならともかく、受賞作の肩書きでくりかえしダウンロードされるのは、個人的に少しやだ。SFMの10月号でも宣言したように、半年くらいかけて全面改稿をすることにする。文章的には、長くすると、煩雑になって俯瞰しづらくなるのと、受賞の趣旨からはずれていくことにもなるので、それほど手を入れないつもりで、変わりに元の文章の倍くらいのデータ量の一覧表を末尾にくっつけてめりはりをつける予定である。
 えっと、それから神戸大SF研のみなさまがた。会誌が出たものと思って、こっちに載せたわけですが、いただいたのはβ版で、正式版はまだ出ていないようで、どうやらフライングをしてしまった気配であります。よろしければ、差替版を出来次第お渡しいたしますが、編集が終わった段階でそんなものをもらってもかえって迷惑でしょうね。ごめんなさい。もし必要なら連絡ください。ザッタ掲示板に書いてもらえばけっこうです。
 ちなみにわたしはローテクの人で、この連載もフロッピイで大野万紀に手渡しをしている人間であります。掲示板もたまに読んでいますが、返事はよう出しません。そういえば、ご挨拶が遅れて申し訳ありません、殊能さま。遅ればせながら、作家デビューおめでとうございます。『ハサミ男』『美濃牛』も、めずらしく新刊で買っておりますが、なんとなくタイミングを失して眺めただけでございます。あれだけきちんとした文章でしあげてあれば、最後をちょっと覗いてどんでん返しを見てしまっても、ちゃんと小説としては楽しめるわけで、万紀が言ったような理由で読めなくなるようなレベルの出来ではないことは、眺めた感触に仄聞評価を重ねても明らかなように思っております。推力が落ちた理由は、どっちかというと、京極夏彦、浦賀和弘といった講談社ノベルズ系の作家に対するおっかけ意欲の減退時期に重なった側面が強いのではないかと思う。代わりに浮上しかけているのがどうも電撃系のようである。

SF大会について
 今年のSF大会は最近になく、活字SF系企画が充実しており、客として十二分に満足できる内容だった。とくにメイン企画といっていい、豪華パネラー陣による2日間にわたるリレー座談会は圧巻で、たとえば、SFセミナーがこれだけのメンバーをそろえられるかと考えれば、さすが首都圏で開かれた日本SF大会と、ブランドの力を再認識させられた。
 活字系企画が充実してみえたのは、ふだんSF大会で姿をみることの少なくなった人たちがいっぱい企画参加していたこと、外部の有名作家が何人も企画参加していたことがあるけれど、そういった顔ぶれと並べても作家的風格でひけをとらないヤングアダルト系の作家が増えてきて互いに交錯しても違和感を感じることが少なくなってきたことも、全体的な企画の厚みを増す大きな理由であったように思える。
 活字SF系企画の活況のなかにあって、<未訳の>SFについての情報提供企画はあっても、<既訳の>SFを中心に人気を検証するような企画がほとんどみあたらないあたり、現在のSFシーンのなかで海外SFの置かれつつある立場というものが見受けられるような気もちょっとばかりした。
 ほかにも並行企画で見損なったことを後悔する(押井守とか上遠野浩平とかSF作家クラブ設立準備会合のテープとか)ということをいくつもさせられたという点で、いつもロビーでだらだらするのが常であったぼくにとって信じられない密度の濃さを誇った大会で、そういう意味でも(金を払わず参加させてもらっているのだけれど)客としての評価は満点に近い。
 ただ、大会直前に届いた最終プログラムブックのちっちゃな活字のタイムテーブルを見るまで、これだけの企画を、リレー座談会も小松左京や宮部みゆきや椎名誠といったビッグネームの出席も、SFマガジンの広告なんかを見ただけでは少しもわからなかったということには、少し疑問を感じている。企画の確定が直前にまでずれこんだのだろうとは思うけど、たとえば、大会で企画参加していた関係者のいる雑誌、SFマガジンや本の雑誌や活字倶楽部にそれぞれの客層に応じた企画情報を流していれば、たぶんそれだけで百人を越える新規参加者を獲得できたように思える。営業上のメリットとしての話も若干あるけれど、それ以上に、これだけの企画を実現させてくれた参加した作家たちに対する主催者側のマナーとして、そうしたかたちの客を呼ぶ努力というのもひとつ必要なのではなかったかと、内容がすばらしいものだっただけに、逆に思った。

『ブックオフと出版業界』(小田光男 ぱる出版 1800円)
 ブックオフをはじめとする新古本屋と出版不況を重ねた本。対談形式をとっているが、インタビュアーが頭が古くて、著者の言葉を強引に自分のイメージに書換えて安っぽくしていく。本全体もブックオフに対する悪意が露骨な文章で、正当な批判をしていると思うのだけど、悪意が先行するものだからかえってその正当な批判まで薄っぺらくみえてくる。
 著者の本来の趣旨というのは、現在の出版業界がその購読対象を「読者」から「消費者」へと切り替えて、結果として文化的事業としての出版システムが崩壊したことを批判するものであるようで、その流れからいえば、そうやって文化的システムを崩壊させた現代出版業態がその必然的帰結としての大型古本チェーン店を成立させ、自分の首を絞めることになったという自業自得論として結論づけられるはずのものと思われる。にもかかわらず、古本チェーン店の不動産業界出自をはじめとする「いかがわしさ」「うさんくささ」の話の方にもっていくものだから、じゃあ、仮にブックオフがフリーマーケットとかそっちのほうから派生して成功していたら、それは応援すべき対象ということになるんだろうか、実際に利用する「消費者」にとって、そこにどれだけの違いが発生するというのだろうかと逆に疑問を感じる。
 ただ中で出てくるいろんな資料の数字というのは、その世界では常識なのかもしれないけれど、ぼくとしては知らなかったので、めちゃくちゃおもしろかった。
 不正返品(書店がブックオフで本を買って、スリップを入れて版元に返品する)などの問題が看過しがたいレベルで発生しているらしいといった話しなんか、けっこう笑える。
 著者は前に『出版社と書店はいかにして消えていくか』という本を出し、評判になったそうで、そのとき友人から「出版ゴロ」にならないよう気をつけるように忠告を受けたとのことで、実際語り口とかはゴロまがいの本になっている。データの収集については目配りもきいていて、蓄積も論拠もそれなりの密度を感じさせる。本の格としては二流だけれど、提供される情報は、おもしろくてためになる。  


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