内 輪   第118回

大野万紀


 キース・ロバーツの『パヴァーヌ』が扶桑社からこの夏再刊されることになりました。サンリオ版は出てすぐに文庫が消滅、「まぼろしの名作」といえば聞こえはいいが、内容よりも古書店での値段がいくらだったという方が話題となる不幸な運命に見舞われました。解説を書き直すことになり、色々と考えたのですが、結局13年前の内容はほとんどそのままにして、以後の動向を追加するにとどめました。最初の感動を優先させたいと思ったからです。ロバーツは地味な作家です。一編一編を読む限りは(「信号手」のようなまぎれもない傑作もあるにせよ)、しっとりした美しい描写はともかく、物語はそんなに大したことないように思えるかも知れません。けれども、緩やかに連なった連作を読んでいくにつれ、小さな描写の積み重ねがじわじわと胸に広がって、大きな感動を呼ぶのです。彼の作品には、ごく日常的な描写や、細かな何気ない描写が、人間と土地の歴史の壮大な連関に繋がっていく瞬間があります。そこに、まぎれもない至福のセンス・オブ・ワンダーが立ち現れるのです。さらに、作者の技術へのこだわり(これは解説でも書いている通り)や、神話的でありながらかつ日常的な二面性を持つ美少女たちへのこだわり(ヤングアダルトな人たちのいうキャラ萌えというのに近いかも知れない)も重要な点でしょう。ともあれ、SF大会までには出版されるということなので、まだ読んだことのない方は、ぜひ、買って読んでいただきたいと思います。

  それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『鉄(くろがね)コミュニケイション(1)/ハルカとイーヴァ』
『鉄(くろがね)コミュニケイション(2)/チェスゲーム』
秋山瑞人
 (電撃文庫)
 これは廃墟の未来でロボットたちに囲まれて生きる十三歳の少女の物語と、そして人間と犬の物語。まあ、『宇宙家族カールビンソン』+『少年と犬』というところだろうか。迫力あるスピーディなアクションと、ヤングアダルトらしい可愛らしさの混合で、読ませるエンターテインメントとなっている。なにより少女を育てるロボットたちに味があり、面白い。だがしかし、原作(たくま朋正・かとうひでお)のコミックを読んでいないので、どこまでが作者のオリジナルかはわからないのだが、本書を読む限りでは、作者が描きたかったのは可愛らしいだけの少女ではなく、「少年と犬」の物語であったに違いない。ところが少年ならぬ、このヒロインの少女は〈犬〉と対峙できるだけの個性をもっておらず、ドラマは不完全に終わってしまう。他の作品でも、作者はいくつかの独立したテーマをからめていたが、それが物語を損なうことはなかった。『E.G.コンバット』ではそもそも背景のテーマはほとんど前面に出てこなかったし、『猫の地球儀』では〈焔〉のテーマが物語のバランスを崩しかけるまでに対峙してきたが、それでもドラマとして成立していたので問題はなかった。ところが本書では、恐ろしく残酷な〈犬〉のテーマに対して、作者は天真爛漫すぎるヒロインの造形をもてあましているように見える。犬にはやっぱり少年でしょ? コードウェイナー・スミスでいえば、荒野を〈人間狩猟機(メンシェンイエガー)〉や〈獣〉が徘徊していた時代の話にあたるわけで、そこに生きる人間にはもっと神秘的な(あるいは神話的な)陰影が必要だったろう。それでこそ〈犬〉のテーマも完全燃焼できるというわけだ。もちろん、作者は本書でも、表面のストーリイの裏に大きな物語を隠していることを、物語のあちこちでほのめかしている。本書からもしもヤングアダルトという枷を外したら――本書では、『E.G.コンバット』と違って、明らかにそれが枷となっているように思える――おそらく相当に違った雰囲気の、息をするのもはばかるような、ショッキングな傑作になっていたのではないだろうか。

『宇宙生物ゾーン』 井上雅彦編 (廣済堂文庫)
 〈異形コレクション〉の15。廣済堂文庫からはこれが最後だが、9月に光文社から継続でシリーズが出される予定だそうだ。何はともあれ良かった良かった。で、本書はテーマからもほとんどSFアンソロジーといっていい作品集になっている。もちろんどちらかといえばホラーよりな、ウルトラシリーズのような、Xファイルのようなノリの作品も多くて、そのどちらも面白かったが、ぼくの好みはもちろんよりSF味の濃い作品の方だ。例えば野尻抱介「月に祈るもの」、谷甲州「緑の星」、森下一仁「黒洞虫」、森岡浩之「パートナー」、岡本賢一「言の実」、山田正紀「一匹の奇妙な獣」、梶尾真治「魅の谷」、大場惑「夜を駆けるものたち」、田中啓文「三人」、堀晃「時間虫」などなど。どれをとっても読み応えのある短編SFだ。ホラー、ファンタジーよりの作品では、友成純一「懐かしい、あの時代」、笹山量子「占い天使」、かんべむさし「内部の異者」、井上雅彦「探検」などが印象的だった。この中で笹山量子をのぞく3編が、いずれもノスタルジー色の濃い作品だったのは、編者がいうように、20世紀の終わりの年ということが関係しているのだろうか。

『失われた宇宙の旅2001』 アーサー・C・クラーク (ハヤカワ文庫SF)
 72年に出版された『2001年宇宙の旅』に関するノンフィクションで、映画にも小説にも使われなかった断片がたっぷりと含まれている。そういう意味では小説本と考えてもいいだろう。そして、この断片が、クラーク節としかいいようのない、あのSF味たっぷりの作品群であり、断片であるがために想像が膨らむ要素もあって、ぼくはうっとりと至福の時を過ごすことができた。もちろんノンフィクション部分も面白い。面白いんだけど、ぼくはあの映画は小説版の挿し絵として楽しんだ口なので、ここにやっと訳された小説たちが、とても嬉しかった。30年近く前の話だというのに、まあHALが人間型だなんてこともあるのだが、ちっとも古びてはいない。同じようなシーンは本人自身も含めて何度も描かれているというのに、このめくるめくセンス・オブ・ワンダーはどうだろう。異星人たちの未知なる文明の描写、異星の風景、そして宇宙空間での事故と死の静かな緊迫感。いずれも傑作だ。それにしても、SFマガジンに一部が掲載(96年2月号)されてからも4年たっている。まあ2001年になる前に訳されたから良しとするのだろう。色々と事情はあるのだろうが、この訳者あとがきはぼくには納得できかねるものだった。

『半熟マルカ魔剣修行!』 ディリア・マーシャル・ターナー (ハヤカワ文庫FT)
 これはかなり変な小説だ。ヤングアダルト風なタイトルと表紙絵は思いっきりミスリード。「宇宙船が魔法で動く変な世界」というところは当たっているが、「ちびっこ剣士マルカ、大奮闘」というのは、いや嘘ではないのかも知れないが、そこから想像されるヤングアダルトで元気少女な話とは大違い。とにかく世界設定がわかりにくい。そしてヒロインであるマルカ、これがもう始めのうちどんな人間なのか全く理解できない(半ば過ぎてようやくおぼろげにわかってくるのだが)。わかってくると、恐ろしくダークな、重苦しい話が見えてくる。残酷な主人とその奴隷の歪んだ愛憎といえば、まるでSM小説みたいだが、エロティックな要素はかけらもなく、親に虐待された子供の病理みたいな、なかなかに辛い物語となっている。そういった重苦しさは、ヒロインだけでなく、この世界そのものの構造にも重なり合っている。ここは惑星規模の大量虐殺が当たり前のように行われる世界なのだ。面白く読めたとはいえないが、妙に心に残る、印象的な小説だった。かなりスタイルは違うが、内宇宙を描いたという昔のニュー・ウェーヴSFみたいな読後感がある。

『タイムライン』 マイクル・クライトン (早川書房)
 さすがはクライトン。読ませる。何というか、懐かしの『タイムトンネル』みたいな話なのだが、とにかく危機また危機ということで、読み出したら止まらない。もちろんストーリーは面白い。量子力学的タイムトラベルの原理も、ドキドキわくわくするようなアイデアではないのだが、一般読者向けには申し分ないくらいしっかりと書かれている。クライトンのSFをあまりSF的でないという人がいるようだが、『ジュラシック・パーク』や本書は、まぎれもなく本格SFである。本書は映画化されるそうだが、きっと見栄えのする映画になることだろう。ただし、息も継げないサスペンスの連続はいいけれど、本書のもうひとつのテーマである中世フランスの再現という面では、そのテンポが早すぎて、落ち着いて鑑賞できないところに不満が残った。じっくりと読みたくなるような、とても興味深い物語や、ゆっくりと味わいたい美しい描写がいくつもあるのに、あっという間に次のシーンへ移ってしまう。そのあたりが惜しいと感じた。もしかして、これも続編が書かれるのかしら。

『レキオス』 池上永一 (文藝春秋)
 これは面白かった。奔放な小説。レキオスというのはポルトガル語で琉球の意。「レキオス航空」という沖縄の航空会社も出来るそうな。「バガージマヌパナス」で第六回ファンタジーノベル大賞を受賞した池上永一だが、ぼくはこれまで読んだことがなかった。いや、こんなに面白いとは知らなかった。他の小説もぜひ読んでみなくては。SFというか、オカルトというか、精霊や幽霊も出てくるが、改造人間コンピュータや大統一理論や改変世界も出てくる。「くすくす」と笑うブッ壊れた天才美女も出てくるし(「彼女はくすくすと笑った」という叙述は普通だが、「くすくす」と言葉で笑うのはやっぱブッ壊れている証拠だ。ちょー変態でコスプレ趣味だし)、沖縄のオバァたちも、女子高校生たちも大活躍。ルーディ・ラッカーなテイストがある。へんてこな、しかし愛すべき人々が大騒ぎ。でも、すごくシリアスな一面もあるのだ。マジックリアリズムというのは、何とかのひとつ覚えみたいでイヤだが、こういうのなら楽しくて好きだなあ。

『ハサミ男』 殊能将之 (講談社ノベルス)
 ようやく読んだ。読み出したら止まらなかった。もっとエキセントリックな話かと思っていたのだが(牧野修みたいな……頭にハサミをくくりつけた男が走り回っているような)、すごく普通のミステリだった。トリックが仕掛けられているということもあるのだが、登場人物の描写が細かくて読み応えがある。例のSFファン大喜びの一言だって、実に計算されているわけで、後からもっと嬉しくなるわけだ。確かに狂気の物語ではあるのだが、なんだかさわやかな読後感が残る。


THATTA 146号へ戻る

トップページへ戻る