みだれめも 第119回

水鏡子


 エヴァンゲリオンを初めて見たとき(といっても、全26話2日がかり一気見だったわけだけど)思ったことは、ああ、これは、いつの時代、どのジャンルにも偏在するユービック、今この場所に顕現した太宰・中也じゃないのかなということだった。ついでに思いついたのは、三原順がぼくの時代ぼくにとっての太宰・中也だったのだろうなということ。そういう押さえかたをしたせいか、お怒りの方多数に及んだ25話、26話についても、こういう終わり方もありかなと、そう気にならなかった。
 なんの話かというと、上遠野浩平<ブギーポップ>シリーズである。これも太宰・中也である。エヴァ類似品という意味ではないので念の為。自傷を通じて世界と切り結ぶ短調の物語群。簡単に言ってしまえばそんなタイプの物語。おまけに説教がうまい。読者がつくのがよくわかる。嗜虐的あるいは被虐的読者の支持を得てブレイクする。評判を聞きながら、きっかけがなくて買いそびれていたのだけれど、古本屋でまとめてみつけて9冊750円で買い込んで、3日で9冊読みきった。
 人類が進化のきざはしに立ち、強力な力をもつ人間が次々と生まれ始め、統和機構という謎の組織が極秘裏に彼らを始末しているという時代。世界を変えてしまう<世界の敵>が出現するとき、ブギーポップという別人格が少女の無意識層から自動的に浮かびあがり<敵>と切り結ぶという設定。
 統和機構のベースは人類補完機構か?
 事件を関係した5人の視点で語り継ぐ凝った構成の第1作『ブギーポップは笑わない』は、他の作品に比べると殺伐さが若干勝っていること、<エコーズ>の設定が屋上屋を重ねて安っぽさを増しているところがあるけれど、欠点とまではいかないし、大きすぎる物語に5人の異なる日常性を重ねて上滑りを避けている。
 『vsイマジネーター』は、人を幸せにすることで世界を動かなくしてしまう力と統和機構の邪悪な構成員の対立に巻き込まれる格闘技少年と統和機構末端構成員の少女のラブストーリー。2冊本だけど構成は安定感がある。シリーズの基本ラインは第1作よりむしろこちらのほうで、人々に心の傷を見つめなおす能力者『歪曲王』、心の傷に反応するアイスクリームの作り手『ペパーミントの魔術師』と、くりかえし同じ地点に立ち戻る。ただし小説の作りは同工異曲にほど遠く、そういう意味では7作9冊、焼き直しはひとつもないというところにも好感度高し。
 評価としては、誕生秘話『夜明けのブギーポップ』を一番にあげたい。誕生秘話というやつは、たとえば『ファーストレンズマン』を例にあげればわかるように、読者に与えた過去の情報によりかかり、それで読者は喜ぶはずだと思い込み、じっさい喜ぶ読者もいるものだから、起伏の乏しい退屈きわまりない物語を生み出しやすい。故意に含みをもたした『笑わない』をはじめとして、それまでの5冊の本で触れられてた過去の事件を語りながら、ひねりをいれて意外性を生み出したところに作家根性がうかがえる。<エコーズ>や<歪曲王>や、若干サービスがすぎるところはあるけれど。
 部分的予知能力者たちが集まって世界の危機を救う『パンドラ』もいい。
 とはいえ、シリーズが進むにつれて超能力者や統和機構の合成人間がどんどん増えていくものだから、街の風景がまるでゴッサム・シティみたいになってきた。最新作の『エンブリオ』あたりになると世界がずいぶん漫画チックになってくる。もっとも作者自身、荒木飛呂彦の熱狂的ファンだと言っていることでもあり、めざすところであるのかしれない。
 あ、そうだ。最後に一言。まえふりであんなことを言っているけど、なにを隠そう、わたしゃ太宰治も中原中也もほとんど読んでなかったりする。ごめん。

 最近買った百円・二百円本。漫画本多数。谷地恵美子、王欣太、志賀公江、高橋冴未、岡崎二郎などなど。ゴフマン『行為と演技』、デイヴィス『宇宙最後の3分間』、中村雄二郎監修『老年発見』、<デルフィニア>10、11、『密教世界の構造』『密教瞑想と深層心理』『秘密経典 理趣経』『アメリカ人と文化的伝統』『アメリカ伝統小説と疎外』『名著復刻日本児童文学館 解説』『岩波講座 哲学』なんてところがおもなもの。毎度のことではありますが、コミックと小説以外、いったいいつ読むのでしょうか。
 くりかえし書いてきていることだけど、ほんの少し興味のあるジャンルで、本格的に読みたくなったときには定価でも買うかもしれないと思える本が百円で棚に並んでいたら、とにかく買ってしまう。貴重な本を捜し求めて一定の値段で買うということはほとんどやんない。だって、新刊もしくは最近作をフォローするのにアップアップの状態で、古本に高い金出して買って読まずに積読してしまったら使った金がもったいないもん。百円の本だからこそ自分を許せるところがある。(とかなんとかいいながら、ボーンステル『宇宙の征服』とか、終戦直後に訳されたフランス人による吉原小説『さめやま』などというわけのわからない本に大枚4桁を払ったりもしているけれど)
 まあ、そういう古本主義であるから、本格極道の牧眞司とは主義主張において意見の分かれるとことがある。けれど、だからといって『ブックハンターの冒険 古本めぐり』(学陽書房)がおもしろくないわけがない。基本的にのめりこんだ世界についての自慢話であるので、目線があたたかい。どっかの外人夫婦みたいに初心を忘れて稀こう本狂いに突入することもない(若干その気もないではない)。てごわい作家連と四つに組むため戦闘モード装着気味のSFMの文章よりも、内容からも想定読者に対しても精神的に優位にたって、ゆとり気分で共犯幻想を指向する。この種の本のできのいいものは共通してそうなのだけど、あたたかみのあるやさしい語り口からは意外なくらい内容的には硬派であり、読み応え満点である。おまけに一般社会のカテゴリー区分からみると扱うジャンルが複雑多岐にわたっている。いい本です。

 ジェイムズ・サリスのシリーズ第2作『コオロギの眼』は、あいかわらずながら前作よりは時間構成がシンプル。サム・ディレイニーなんてインテリの黒人学生が登場する。タイトルが気になってサンリオ文庫『新しいSF』所載の「蟋蟀の眼の不安」を読み返したけど、関係なさそう。ただしタイトルのもとになっているのは同じ詩であり、著者のなかでどうつながっているのかよくわからない。短編SFのほうはやっぱり愚作だと思う。破滅後の世界を見渡しながら、二人の人間がかわすダイアローグなのだけど、ひっかかるのはふたりの名前がジェリーとマイクルというところ。ジェリー・コーネリアスとマイケル・ムアコックなのだろうかとちょっと悩む。まあ、いいや。長編、ただのハードボイルドの方に移る。
 最近とみに読解力が衰えて、慣れない小説世界をイメージ化するのに過去に読んだ秀作のイメージを補助線代わりに利用することが多くなってきている。
 60年代を等身大に振り返る前作の印象を受けて、今回最初補助線に使用したのは、三好徹の<天使>のシリーズだった。中村敦夫が主演したドラマの方が勝っていたかもしれない。読んでいるうちに補助線がぶれてくる。中年の人生に疲れた男女の会話が胸に沁みる。かわりに浮かんできた補助線は『それぞれの海へ』のラッセル・ホーバン。やがて、閉塞状況にいらだつキース・リロイという知的なチンピラが登場してくる。ディレイニーが重なる。最後に主人公の家に寄り集ってくるこころやさしい仲間たちの織り成すエンディング風景は、JBのいない伸たまき<パーム>の世界のようだった。
 なにも作品が支離滅裂なわけではない。ぼくの文章がバラバラなだけのことである。むしろ、ここにあげたぼくの気に入っているどの作家とくらべても遜色ないあじわいのある世界であるといいたいのだ。いい本です。

 ロバート・チャールズ・ウィルスン『時に架ける橋』は、全体見慣れた風景のウェルメイドな味わいが心地いい佳作。89年の作品なのに、コンピュータが出てこないのがいい。ナノテクの虫ロボットなんてのはあれはコンピュータじゃないもんね。あいつら単なるこびとたち。前々から薄々感じていたことなのだけど、わたしゃやっぱりコンピュータがきらいなのだ。
 解説でも指摘されているように、孤独感や喪失感を抱え込んだ登場人物たちに共感をもって触れ合える、ぼくとしても好みのタイプの作品だけど、直後に同型で質量ともにパワーアップしている<ブギーポップ>を読んだせいで影が薄くなった。とはいえ、結構はきっちりしてるし、登場人物も人間味がある。すらすら読めて不満はほとんどなかったわけで、いい本だったことはまちがいない。


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