内 輪   第103回

大野万紀


 1999年になりました。1900年代最後の年です。正月だというのに、なんか押し迫った感じがしてしまうのは困ったもんだ。
 とうとうWindows98をアップデート・インストールしました。だからどうっていうことはないのですが、クイック起動バーは確かに便利ですね。アクティブ・デスクトップなんかは使っていないし、見た目も95とほとんど変わらないけど、細かいところで改良されているようだなと感じます。一応安定もしているみたいだし、まあこれならOKでしょう。
 ああそれにしても読まないといけない本がどんどんたまっていきます。SFマガジンももう半年ほどつんどく状態。どっかで勢いをつけて読まなくては。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『血と鉄/チョンクオ風雲録15』 デイヴィッド・ウィングローヴ
 このところちょっとだれ場が続いていたように思う〈チョンクオ風雲録〉だが、今回はなかなか読みごたえがあった。これまでの概略がかなり細かく書いてあるので、ストーリーを忘れていても大丈夫。巻頭しばらくしてから始まる少年兵たちの凄まじい戦闘シーンには圧倒される。残酷な迫力と壮絶なかっこよさ。舞台はアメリカの砂漠とヨーロッパの黒い森で展開され、ディヴォアの代表する絶対的な悪と、様々な形の善がいよいよ最後の決戦へと向かうのだろうか。次回がとても気になる。

『屍者の行進』 井上雅彦編
 生ける屍、生きている死者といったゾンビゾンビした話が多いのかと思ったら、そういうのは少なくて、死ぬことができない、とか、死んでも死にきれないといったところがテーマのようだった。それこそもっともホラーらしいテーマなのかも知れない。印象が強烈だったのは、昔の筒井康隆みたいなスプラッター「地獄の釜開き」(友成純一)、不条理な死への恐怖と怒りを描いた「死にマル」(岡本賢一)。その他の作品では、色彩感覚が美しい時代物「豊国祭の鐘」(朝松健)、芸道怪談というにふさわしい「壁、乗り越えて」(かんべむさし)、アメコミ風ウエスタンSFという感じの「ジャンク」(小林泰三)が面白かった。

『レフトハンド』 中井拓志
 ホラー小説大賞受賞作。でも、解説で大森望が書いているように、これって笑いながら読むべき小説なんだろうな。なんか典型的(というかマンガに出そうな)マッド・サイエンティストたちが次々と出てきて、ドタバタと騒ぎを起こす。ウィルスの恐怖やサスペンスというのもあまり感じられない、というか、作者の目がそっちへは向いていないように思える。もちろんハードSF的な読み方は難しいだろうが、それでもこのあっけらかんとした破天荒な感じは、ホラーよりもSFといって間違いないように思う。

『青猫の町』 涼元悠一
 ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作。まず、横書きなので驚く。コンピュータのログとかが出てくるので、この方が読みやすいのだろう。でも、これってどこがファンタジーなの? いやSFともいえないのだが。実は途中で、よくあるSF的なストーリーになりそうに思えたのだが、結局そうはならなかった。普通のミステリというか、普通小説なんだろうね。コンピュータ業界小説といってもいい部分もある。その意味では主人公がよく書けていて、うん、こんな人が部下にいたら便利だわなと思った。現代(というか、ちょっと前の雰囲気)のコンピュータ社会の姿がとてもリアルに描かれていて、アングラネットなんかもいかにもありそうだ。このままリアルな普通小説でいくのか、と思わせて後半で急にサスペンスが高まり、いよいよくるかと期待させながら、あれっと拍子抜けするような形で終わる。うーん、そこがファンタジーの所以か。ちょっとこの結末の謎解きは、バランス的におかしい気がするのだけれど。

『六番目の小夜子』 恩田陸
 文庫版はもっていないので、改稿されたというハードカバー版で読んだ。ホラーやミステリというよりは、学園小説。地方の進学校の3年生たち。受験、そして学園祭という、あの特別な時間が描かれている。年をとってこういう話を読むと、何か本当に切なく、胸に迫るものがあるのだよね。登場人物たちがみんな愛おしい。で、本書はそういう、日常の中にある特別な時間と空間を描いたファンタジーだといえる。はっきりとした結末はないので、色々な解釈が可能だが、綾辻氏が解説で書いているように、毎年毎年「お客さん」を迎える「帝国」であった「彼ら」の物語としてとらえるのが正解だろう。しかしまあ、たぶんこのどこにでも存在してどこにも存在しないような高校生たちの、とぎすまされた未来への予感と不安、その特別な「場」の雰囲気がこれほどまでに印象に残るのだから、読者の心の中にもあるはずの、あの「帝国」の呼び声に素直に耳をすますのが一番気持ちのいい読み方なんじゃないだろうか。

『水霊 ミズチ』 田中啓文
 書き下ろしのホラー大作。というか、諸星大二郎的な伝奇小説。なにしろイザナミが黄泉の国から蘇るのだ。分厚い文庫をぐんぐんと読ませる筆力があり、面白く読めた。エンターテインメントとして何も文句はないのだが、読み終わってから考えると、ちょっと不満も出てくる。これだけの大きなテーマを持っているのに、なんだか話がこじんまりとしていて、せこい感じがするのだ。登場人物が少なく、それが個人的なレベルでしか動いていない。敵も村レベルだし、世界征服をいいながら毒水をばらまこうとするなんて、特撮戦隊ものの悪役みたい。ま、そこらをしっかり書こうと思ったらもっと枚数がいるのだろうな。ミズチの正体にしても、もっとSF的にもできたろうし、オカルト的にもできただろう。今のままではどっちつかずだ。主人公のエキセントリックな恋人が、神話のテーマとからんでもっと重要な動きをするのかとも思ったのだけれど……といったように色々突っ込みたいところはあるのだが、これはこれで十分に面白かったからぼくとしては満足でした。

『ダスト』 チャールズ・ペレグリーノ
 これは面白かった。バイオ・サスペンスと帯にはあり、それはその通りなのだが、面白さの中心はむしろSFの部分にある。破滅もののサスペンスとしては、そっち専門の作家の方がきっと盛り上げ方とか、ずっとうまいに違いない。実際、冒頭のダストに人々が襲われるあたりは、いかにもホラーな(でもありきたりな)感じで始まるが、これからどんどん緊張が高まり面白くなるところで、本書は急速に盛り下がってしまう。それは主題がそっちにないからだが、小説の書き方としてはいかにもへたくそだ。本書の主題は大絶滅であって、それがたまたま人類の時代に重なったというところにある。人類の偉大な努力も悪行もこの自然のシナリオの中では全く重大なことではない。このあたりの突き放したSF的な感覚がとてもいい。希望があるというのは残酷なもので、どんどんそれは壊されていくのだが、それでもまだ希望はその後にあるのかもしれない。デルタEみたいなもんだ。そういう、絶望的な状況の中での失われない希望がきちんと描かれているのがいい。あと、この作者には要注目だ。細かいエピソードにすごい話がさりげなく書かれていて、根本のアイデアにちょっと本当?というところもあるのだが、科学的なアイデアの宝庫という感じだ。もっとSF寄りの話が読んでみたいなあ。

『ドラキュラ戦記』 キム・ニューマン
 『ドラキュラ紀元』の続編で、吸血鬼の存在が当たり前になった世界を舞台に、ドラキュラが支配するドイツとの第一次世界大戦が描かれる。特に、撃墜王レッド・バロン(もちろん吸血鬼)との戦いが……。と書くと、何かパロディのユーモアものみたいだが、実際そんな気分のところもあるのだが、雰囲気はいかにも正統的な重い重い第一次世界大戦ものだ。『西部戦線異常なし』とかの世界だ。レッド・バロンとの空中戦もすごい。ここまであからさまに書かれると本当にマンガみたいだけど、それでもすごくシリアスだ。でも電車の中で読んでいると、顔がにやついてしまうのだなあ。笑えるけどシリアス。最後はちょっとあっけない感じ。

『ファンタジーの冒険』 小谷真理
 ちくま新書。少しずつ読んでいたのだが、やっと読み終わった。ジャンル・ファンタジーの歴史的展開を解説しているが、19世紀以前の話はやや退屈。それが、パルプのファンタジー(具体的にはラヴクラフト)あたりからがぜん面白くなる。それは著者が(そしてぼくらが)そこにSFファンダムのフェロモンを感じ取っているからだ。ラヴクラフトは幻視者というより、論争好きな同人オタクだったとか。そして70年代アダルトファンタジー。ここらはかつて大阪洋書戦争を戦った(?)ぼくらにとって、生々しい記憶のよみがえる領域だ。現在に向かっての論調は少し未整理で、本当はもっともっと書きたいことがあったのだろうなと感じさせるが、日本のヤングアダルト系のファンタジーもそれなりに位置づけながら(でもきっと不十分)幅広く目配りしていることに好感がもてる。何はともあれ、著者がファンタジーの「どこへでも勝手に侵入するお行儀の悪さ」を積極的に評価する姿勢こそ、ぼくらのSFに対する想いとシンクロするものであり、堅苦しい文学評論のタームを越えて、著者のジャンルに対する愛情に共感できる所以なのである。


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