リチャード・S・マッケンロー/斎藤伯好訳
 『ソーラー・フェニックス』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫SF
 昭和62年9月15日発行
 (株)早川書房
THE SHATTERED STARS by Richard S. McEnroe (1983)
ISBN4-15-010734-3 C0197


 本書は、一九八三年にバンタムブックスから出版された、リチャード・S・マッケンローの処女長編 THE SHATTERED STARS の全訳です。

 銀河の星々に人類の進出した未来。破産寸前のオンボロ宇宙船の老船長モーゼス・キャラハンと、その宇宙船のたった一人のメカニックであるテレパスのミツコ・タムラ。そして新たに雇われた操縦士で、危険な過去を持つ男ディーコン・ハローハン。彼らはあやしげな荷物を密輸する仕事を引き受け、宇宙へ飛び立ちます……。星一つを破壊するほどの力を持った恐ろしい秘密兵器に、超能力がらみの宇宙的陰謀。狭い宇宙船に同居することになった不気味な客たちとの心理的緊張。宇宙艦隊同士の派手なドンパチなどはありませんが、大変にサスペンスフルなスペースオペラだといえるでしょう。

 本書で最も魅力的な登場人物の一人ミツコは、決してカワイ子ちゃんタイプの類型的なヒロインではなく、また最近はやりのやたらと強い女ヒーローでもありません。むしろ普通スペースオペラには向かない、やや内向的な性格の、未成熟な少女として描かれています。でも、これがいい。いつも一人で機械に囲まれて暮し、一見単なる対人恐怖症に見えるのですが、実は強いテレパシー能力があるため、他人の無遠慮なアンダーボイスにさらされるとパニックに陥ってしまうというわけなのです。本来人間同士の普通のコミュニケーションには不用な情報まで一方的に入力されてしまうため、彼女の頭では処理しきれなくなってしまうのでしょう。普通人以上のコミュニケーション能力を持ったテレパスが、その能力ゆえにかえって他人とのコミュニケーションを拒絶し、孤独な生活を強いられるというシチュエーションは、SFでは結構よく見かけるものですが、エンターテインメント志向の作品で、本書のようにそのあたりをきちんと書いたものがでてきたのは、やはり単純なヒーロー・ヒロインに飽き足らなくなった現代という時代を象徴しているように思えます。ミツコはそういう意味で欠陥を抱えたヒロインなのです。敵との戦いの中でも、ミツコの能力は完璧な力を発揮しません。けれどもそれゆえに彼女には、単なる類型を越えた魅力が生じているのです。

 これはもう一人のヒーローであるハローハンについてもいえます。ハローハンは明らかにベトナム帰還兵を連想させます。宇宙軍の殺人機械と呼ばれ、恐るべき殺戮をやってのけた彼は、当然ながらそのままでは日常生活へ復帰できません。彼は除隊にあたって特殊な心理操作をされ、強力な精神的バリアーに人格を封じ込まれてしまったのです。ミツコには彼のアンダーボイスが聞こえません。アンダーボイスのない人間、それはロボットと同じことです。外見はいかにも特殊部隊上がりの暴力のプロに見えるのに、彼には実は虫も殺せないのです。本書では最後に彼とミツコとが補い合う形で力を発揮しますが、それはまさに互いの欠陥を逆手にとり、武器とした結果だといえるでしょう。

 本書にはもう一つ、魅力的な設定として超能力者たちの秘密組織〈機関(インスティチュート)〉が登場します。ミツコと彼らのエージェントであるアイスバーグとの、憎しみの混ざった相互依存関係が本書の印象的なシーンのいくつかを作り上げているのです。狭い宇宙船の中で物語の大半が語られるにもかかわらず、本書に宇宙的広がりを感じるのは、ここにもう一つの隠れた世界があるからです。ミツコの精神を通じ、幽体としてコミュニケーションをはかるこの存在は、しかしオカルト的な言葉を他の言葉に言い替えるならば、まさに今はやりのサイバースペースに等しいものだとはいえないでしょうか。それは人間の心を情報処理の場としてとらえる考え方です。その通信手段がここではテレパシーであり、あちらではコンピュータ・ネットワークという違いがあるだけです。いずれにせよ、複数の意識が、現実の世界とは異なるこの空間の上で相互作用を行なっているのです。このことから、逆にいうと、電脳空間でのシミュレーションされた意識とはまさに幽体のことであり、サイバースペースとはテレパシーによる直接的なコミュニケーションの場だと考えてもいいのではないでしょうか。こう考えると、サイバーパンクと呼ばれる現代SFの最先端も、案外古いオカルト的な作品と似ているんじゃないかと思えてきます。ま、それはまたそれで別の話なのですが……。もっとも本書はあくまで冒険SFであり、そのあたりのアイデアが実際に深く掘り下げられているというわけではありません。テレパシーを扱う小説は、論理的に考えれば色々と不具合が出てくることが多いのですが、本書でもよく考えるとおかしいなという点がいくつか見つけられます。でもそういう細かな疑問点から、作品の意図とは別に新たなアイデアの展開を考えることは、SFファンの大いなる楽しみであり、特権だともいえるでしょう。

 著者リチャード・S・マッケンローについては、あまり情報がなく、詳しいことはわかりません。本書が彼の処女長編ですが、以前にバックロジャース・タイプのスペースオペラを書いていたという情報もあり、短編か、あるいは別のペンネームでの著書があるのかも知れません。本書は大手のバンタムブックスから発売され、当時はかなり話題になりました。過激なSF評論家チャールズ・プラットの「硬質なエンターテインメント。ここ二十年に出たクラークやアシモフやハインラインのどの作品よりも読みごたえのあるスペース・アドベンチャー」という発言は大幅に割り引いて考える必要があるでしょうが、迫力ある戦闘シーン、主人公たちの心理描写など、すぐれた冒険SFであることは間違いないところでしょう。

 本書はこれで完結した作品ですが、〈遠い星・未来の時〉と題される、同じ舞台背景を使ったシリーズものの第一作ともなっています。シリーズは現在までに二作目の FLIGHT OF HONOR (1984) 三作目の SKINNER (1985) が出版されています。FLIGHT OF HONOR は地球連邦とギルドと呼ばれる悪の秘密組織との対立を背景に、主人公である一人の男の個人的な戦いを描き、SKINNER の方は陰謀により砂漠の星でドラゴンの皮をとる猟師に落ちぶれた男の、生き残るための壮絶な戦いと復讐を描いた物語です。いずれもハードなアクションと、どこか世間から外れてしまった孤独な男たちの姿が、情感をもって描かれています。いわば男っぽい冒険SFだといえるでしょう。このような作品を書くマッケンローはおそらくヒューゴー賞・ネビュラ賞とは無縁で、今後とも本格的な傑作SFを書くことはないかも知れませんが、骨っぽいB級アクションSFの作者として、隠れたファンから支持され続けるでしょう。著者の今後の活躍が期待されます。

1987年8月


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