グレゴリイ・ベンフォード/山高昭訳
 『アレフの彼方』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫SF
 昭和59年12月31日発行
 (株)早川書房
Against Infinity by Gregory Benford (1983)
ISBN4-15-010591-X C0197


一九七九年、ボイジャー1号と2号が相次いで木星のそばを通過し、素晴らしい映像を地球へ送ってきた時、外惑星とその衛星に関する人類の知識は飛躍的に増大した。ボイジャーからの映像の中には、噴火するイオの活火山という衝撃的な写真があり、それに比べるといくぶん目立たない存在となったが、木星最大の衛星ガニメデのクローズアップも含まれていた。これは、その一年後送られてきた土星の衛星タイタンとヤペタスの映像とともに、SFファンにとって、長い間夢に見ていた物語の舞台を現実にかいま見た瞬間であった。太陽系最大の衛星の一つであり、その直径が水星よりも大きいガニメデは、衛星でありながら惑星と変わらぬ可能性を持った世界であり、過去多くのSFの舞台となってきたものだったからである。壮大な嵐の荒れ狂う巨大な木星を空に浮かべた、極寒の氷の世界。しかし、そこには人間が立つことのできる大地があり、外惑星系の無限の可能性を開こうとする人類にとっては、ぜひとも開発しなければならない拠点だったのである。このように、SFファンにとってはむしろおなじみの世界だったガニメデだが、こうして現実の映像として見るのはまた別のことだった。そこには月や他の衛星に見慣れたあのあばたのようなクレーターがあまり目立たず、氷や岩石の入り混じる暗い平原や千メートル級の山脈が縦横に走る、地球的といってもいい地形があった。その後の研究によると、かつては地球と同様なプレート・テクトニクスに基づく地質活動があったかもしれないと示唆されている。もしかすると、氷のマントル対流による大陸移動があったのかもしれない。いずれにせよ、以前よりもさらにSF的な可能性は広がったと考えていいだろう。

 本書は、科学者作家であるグレゴリイ・ベンフォードが、ボイジャー以後の最新知識をもとに描いたガニメデ開拓の物語である。また同時に、一人の少年が大人の男へと成長する物語であり、狩りをする人間と動物の物語であり、惑星改造、ミュータント、サイボーグ、そしてまったく異質な異星人とのコミュニケーションをテーマにした物語でもある。

 エキゾチックな異星の生物を狩るタフな宇宙開拓者たち――これはSFの最も原型的なイメージの一つである。三〇年代のスペース・オペラで繰り返し描かれた宇宙冒険の要素の中には、失われたアフリカに代わるロマンチックな狩猟場としての太陽系諸惑星があった。水星の焦熱面に出没する電気を食うマリモだとか、極寒のタイタンに棲むタツノオトシゴのような怪獣だとかを相手に、力を尽くし知恵を絞って、男らしく立ち向かうわけである。代表的なものにはA・K・バーンズの『惑星間の狩人』〈ゲリー・カーライル〉シリーズ――もっともこの主人公は女性だったが――などがあった。かつての太陽系には、あらゆるところに生物がいたのだ。火星や金星はもちろん、木星や土星の衛星にもジャングルがあり、奇怪なべムたちが生息していた。ガニメデは、こういう面でも人気のある世界だった。多くのパルプ作家とともにE・E・スミスも『火星航路SOS』でガニメデでの冒険を描いた。スペース・オペラの時代が終わって、より科学的なSFが求められるようになった時も、ガニメデほ再びSF作家たちの挑戦を受けた。今度はべムの棲みかとしてではなく、宇宙植民の対象としてである。テラフォーミング――惑星や衛星を地球人の住める環境に改造するという、力強いロマンチシズムが主なテーマとなった。この種の作品にはポール・アンダースンのThe Snows of Ganymede(1958)などが含まれる。ベンフォード自身もエクランドとの合作『もし星が神ならば』の一部にも使われたジュヴナイル作品Jupiter Project(1975)でガニメデの改造を扱っている。ベンフォードはボイジャーの木星フライバイの際、他のSF作家とともにNASAから招待されて刻々と送られてくる映像を見学したのだが、ガニメデのデータを見ると、「こいつは書き直さなきゃいけないな」といったと伝えられる。おそらくその作品はJupiter Projectだったのであり、まったく新しい形で書き直された作品こそ、本書だといって間違いないだろう。
 本書はこれまで述べてきたような過去のSFのすぐれた要素すべてに、ボイジャー以後の最新の科学知識を加え、現代SFの文学的に洗練されたスタイルで描いた宇宙植民SF″の傑作である。環境改造されつつあるガニメデ。そこに放たれた遺伝子工学の産物である奇怪な生物たち。この結果ガニメデは三〇年代と同じく、おぞましいベムたち(もっとも今度の彼らは人間が自ら作ったものであり、突然変異さえおこさなければ環境改造に有用な道具なのだが)の棲むエキゾチックな狩猟場となったのである。

 この環境に少年と老人と動物たちが配置される。猟犬の役を果たす改造され知能を授けられた動物たち。ことに、そのリーダーとなる猛烈な攻撃欲を持ったイーグルという名のサイボーグは、きわめて強烈な印象を残すが、おそらく彼は地球の生物たちが経験してきたすさまじい生存競争と、それに生き残るための攻撃性――人類を含む地球生物の原罪といったものを象徴しているのだろう。彼とアレフとの対決シーンには一種の崇高な悲しさともいえるものが漂っているようだ。
 そしてアレフ――このまったく未知の異星の存在は、遺伝子工学の産物であるミュータントたちとは桁違いに強力なパワーを秘めた獲物であり、開拓者たちへの挑戦である。アレフは人類にとって、そして主人公にとって、白鯨であり大熊であり大カジキなのである。
 本書をメルヴィルやフォークナー、そしてヘミングウェイに例えたのは、アルジス・バドリスだ。彼はF&SF誌の書評で、本書を『白鯨』や『老人と海』の伝統を継ぐ、強力で畏敬すべき野生動物とその狩人の物語として絶賛している。これは決して古びることのない、人類の原型的な無意識に訴えかける力強いテーマ――大自然と人間、少年と父親、対決と成長――を扱った物語だというわけだ。

 だがそれだけではなく、よりSF的な面でも本書は重要なテーマを扱っているといっていいと思う。それは人間にとっての科学の意味にも通じる、未知への限りない挑戦というものだ。アレフとは数学用語で無限の濃度″を現わす用語である。現代数学では無限にも様々な濃度があり、いわば薄い無限、濃い無限があると考えられている。いささか文学的に表現するならば、無限自体に階層があって、ある無限な存在の奥にさらにそれよりも深い無限、より高次の無限があるというわけだ。本書の原題 Against Infinity ――無限への挑戦――は、まさしくこの色々なレベルにおいての無限への挑戦を意味している。それは主人公の大人への挑戦であり、アレフの謎であり、さらには人類の星々への挑戦、決して達成されることのない科学的探求、一見達成されたと見えてさらにその先に広がる新たなる未知の世界を示すものである。これは決して目新しいテーマではないが、科学の文学たるSFにとってきわめて重要な、永遠のテーマといっていいだろう。

 作者の略歴等は『夜の大海の中で』と『タイムスケープ』の解説を参照されたい。SFの科学性と文学性の両方で優れた才能を示し、現在のアメリカSF界で最も活躍している作家の一人である。

1984年12月


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