ゼロ年代ベストSF(国内編)より−ベスト30ガイド

 大野万紀

 早川書房「SFが読みたい! 2010年版」掲載
 2010年2月15日発行


【2】『グラン・ヴァカンス』飛浩隆
 AIたちが暮らすバーチャルな夏のリゾート地。人間が来なくなって千年、AIたちは変わらぬ夏の日を平和に過ごしていた。だがある日地獄が訪れた。どこからともなく〈蜘蛛〉が現れ、町を破壊し、人々(AI)を残酷に殺戮し始める――といったストーリーは実はあまり重要ではない。重要なのはそのようにして作り上げられた〈場〉だろう。本書では、官能的で残酷な描写、苦痛と快楽を極めた、徹底してサディスティックな(そしてまったくポルノ的ではない)描写が、くっきりとした透明感をもって続く。そうやって作られた〈何か〉が〈天使〉と戦うのに必要だと示唆される。ヴァーチャルな世界での生理的感覚や感情は、実はリアル世界のものと本質的に変わりはないのかも知れない。本書はそれを実体験しているかのような圧倒的な〈場〉の雰囲気に満ちた作品である。(大野)

【4】『Self-Reference ENGINE』円城塔
 ひとことで言えば数学SF。単行本刊行時の飛さんの推薦にある「SFファン同士の愚にもつかないバカ話」というのが言い得て妙である。とはいえ「愚にもつかないバカ話」にしては奥が深い。祖母の家を解体してみたところ、床下から大量のフロイトが出てきた、なんて話はかつての筒井康隆を思わせる。Self-Refrrenceというと自己参照。つまり、メタ何とかを生み出すもとであり、無限のループやカオスや、あるいは人工知能や意識の創出されるみなもとでもある。本書を構成する22編の断章は、基本的にシンギュラリティ後の、巨大知性体たちが宇宙の時空をカオス状態にしてしまった世界での、おとぎ話なのである。数学的な仕掛けは気にせず、知的なバカ話を楽しめばそれでいいのだ。(大野)

【5】『ラギッド・ガール』飛浩隆
 『グラン・ヴァカンス』のシリーズ第2章。仮想世界の内部で展開する物語5編が収録されている。特に「ラギッド・ガール」と「魔述師」はこの仮想世界の成り立ちを語る本格SFであり、イーガンを始めとする最先端のSFに十分に対抗し得る作品である。とはいえ語り口はイーガンとはずいぶん違い、重視されているのは普遍的な認識の衝撃よりも、むしろとんがった特異なキャラクターたちの、鋭いエッジの部分での意識や官能のありようなのである。だから、本書の仮想世界は、残酷で痛々しい苦痛と、血のにおいと自傷の傷跡に溢れ、〈健全な仮想リゾート〉のなれの果てである〈廃園〉の雰囲気に満ちているのである。そんな世界の仮想存在にこそ、リアルな意識が、生命が存在するのかも知れない。(大野)

【7】『太陽の簒奪者』野尻抱介
 高校の天文部で水星の太陽面通過を観測していた白石亜紀は、水星に巨大な建築物の存在を発見する。そこから吹き上げられた鉱物資源はやがて太陽をとりまくリングを形成し、日照量が激減した地球は滅亡の危機を迎える。成長した亜紀は、宇宙船に乗り込んでこの危機に立ち向かう。
 傑作。ハードSFということを強調するより、本格SFとして広く読まれたい作品だ。ファーストコンタクトものであり、宇宙SFではあるが、文明や知性といった大きなテーマが、技術的テーマよりも重視されている。何より異星人の構造物の描写が素晴らしい。そこには作者が本当にクラークを自分のものにしたという印象がある。抑制のきいた筆致が的確な視覚的インパクトを与え、SFを読む醍醐味を堪能できる。(大野)

【20】『Boy's Surface』円城塔
 4編が収録された短編集。コトバが日常的な文脈では解釈できず、まさにチューリングマシンのように、あるいはプログラム言語のように、この表面ではないところの構造を記述していく小説である。「Boy's Surface」は「少年の表面」ではなくて「実射影平面の三次元空間への嵌め込み」のことだそうだ。ネットで検索すると、なかなかかっこいい図が見つかって楽しい。著者によるとこの作品は恋愛小説なのだそうだ。レフラー球という変換装置を通じて無限に再帰的に変換される数学者の初恋。ならば「Gernsback Intersection」はポルノ小説だ。何しろ数学的なセックスが描写されている。「Goldberg Invariant」にはSF的な雰囲気があって楽しめる。ここはぜひ壮大な小説空間を想像して読もう。(大野)

【27】『あなたのための物語』長谷敏司
 これは人間の死についての物語である。先端的な現代SFであり、にもかかわらず、ひどく生々しく人間的な、滅ぶべき肉体をもつ「あなた」や「わたし」の物語なのである。主人公は脳と直接インターフェースできる技術を開発した女性科学者。彼女は死病に冒され、余命半年であることがわかる。社会性に乏しく、研究以外に生き甲斐をもたない彼女は、病魔に冒され、死に直面し、あらがい、苦しむ。彼女に対峙するのは、量子コンピュータ上で走る人工知能。彼は小説を書くことを目的として設計されたのだ。彼は彼女のために「あなたのための物語」を書く。本書は肉体に捕らわれた意識と、肉体を持たない意識の対比を、病気と死というきわめて肉体的な事象をもとに、赤裸々に描き出している。(大野)

 2010年1月


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